学位論文要旨



No 113135
著者(漢字) 山口,輝臣
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,テルオミ
標題(和) 明治国家と「宗教」
標題(洋)
報告番号 113135
報告番号 甲13135
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第202号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 野島,陽子
 東京大学 教授 宮地,正人
 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 教授 三谷,博
 東京大学 助教授 鈴木,淳
内容要旨

 近代日本の国家は宗教をどう扱ってきたのか、またそのときの宗教とはそもそも何だったのか。こうした課題へ二つの方向から接近を試みた。国家が宗教をどう扱ったかを史料に基づいて跡付けていくこと、また宗教そのものはどのように語られていたかを言説の次元で分析すること、この二つである。

 明治憲法成立以前、特に明治一〇年以降の政策は、明治初年の神仏分離・神祇官復興等を敬神の行き過ぎと反省し、社寺と国家との関係を極小化していくものであった。明治一七年には、府県社以下の神社についても、寺院と同じく、国庫からもまた地方公費からも一切支弁しない状況が作り上げられ、残った官国幣社も、移行措置として保存金を一定年限支給するが、以後は「独立自営」させるという「神社改正之件」が二〇年度から開始される。こうした藩閥政府の構想した枠組みによれば、国家との関係は、神宮と靖国神社・招魂社への寄付金と官国幣社への神饌幣帛料のみとなるはずであった。

 一方、キリスト教は、その禁止を掲げた高札を撤去して後、禁止も法的な許可もしていない黙許の状態におかれていた。国家形成期でしかも宗教を可動的に捉えていたため、「日本将来の宗教如何」という問いに現実味があり、キリスト教国化論からキリスト教撲滅論まで俎上に上るなか、キリスト教の単独公許は避けられ、明治憲法に規定された信教自由にはキリスト教を含むという解釈によりひとまず決着される。

 帝国議会の開幕とともに、上のような政策は神社を蔑ろにするものだとの批判が、神祇官再興を求める声として議会から現れる。また憲法の信教自由規定によって宗教と非宗教とを区分しなければならなくなり、神祇官論者は神社は宗教でなく国民が必ず崇敬しなければならないものだと主張した。またこれとは別に、社寺の上地は不当だから返還せよ、あるいは古社寺は美術の観点から言っても保護せよといった議論も出てくる。後二者には早くから政府も対応するが、歴代内閣も神祇官には首を立てに振らない。

 解釈により公許となったもののその裏付けのないキリスト教をも含む宗教法案を第二次山県内閣は提出するが、仏教とキリスト教とを法的に同等と扱ったため大きな反対を惹起し、貴族院で否決される。その一方で、議会における相次ぐ神祇官建議の成立に堪えられなくなり、社寺局を神社局と宗教局とに分離、その希望の一端をかなえる。

 一九世紀最後の年のこの両件が神社と宗教のその後を変えて行く。神社には神社局-関係議員-全国神職会という環が出来上がり、二〇世紀に入ると前世紀の政策の転換を次々と行う。その中核に位置していた「神社改正之件」も、明治三九年には官国幣社国庫支弁化と府県社以下神社への神饌幣帛料供進が実現し、崩壊する。こうして課題の達成が一巡した明治末には再び神祇官設置論が持ち上がる。一方、基本法規の定立に失敗した宗教に対し、政府はその後も宗教法策定にこだわるが、宗教間の等差という基本原則での反対で葬られた以上、政府に出来るのは三教会同といった基本法なき保護政策のみであり、それも厳しい批判にさらされた。

 こうした政策の転換と対応するように、宗教の語り方も変容を被っていた。近代に創出された訳語「宗教」は、明治一〇年代後半、キリスト教と仏教とが軋轢を繰り返し、自らの優越性を主張するなかで定着していった。そのためこうした状況を批判的に眺めていた福沢論吉などをも含め、宗教という観念はキリスト教と仏教とを中心に造形されていた。神社は宗教ではないとの議論は、このような宗教観念を前提にする限り、一定の説得力を持ち得た。

 二〇世紀に入り、こうした宗教観念を宗派中心的と批判する人々が登場する。自らは宗派とは中立的で、しかも宗教全般の専門家であると称する宗教学者が生まれてくるのである。宗教学者によれば、宗教は個人の意識中に根差す普遍的かつ重要なものであり、神社を含め、その発現はすべて宗教とされた。また宗派の相違などは社会的現出形態の差に過ぎないとされた。

 こうした宗教学者の語り方は、その中心人物である姉崎正治が三教会同を主唱したように、二〇世紀の政策転換を支持するものとなる。しかしその一方で、彼らの批判する宗教観念に基づいて造られてきた行政の枠組、なかでも神社非宗教論を根底から揺さぶることになる。神社政策はそれが一巡したころ、新たな、しかし根源的な再考を迫られていたのである。

審査要旨

 本論文『明治国家と宗教』は、2つの部分から構成されている。第1部(2章)では、明治期において宗教がどのように語られてきたのかを言説の次元で分析し、第2部(10章)では、明治国家が宗教をどのように扱ってきたのかを史料に基づき跡付けている。かつて、宗教と国家が論じられる場合、神道にしろキリスト教にしろ、それぞれの宗派と国家との距離的な遠近観で語られることが多かった。近年ようやく、そのような見方はさまざまな方面から克服されつつあるが、本論文は、憲法制定作業の時点から明治末年までの明治政府の宗教政策について、その全体像を描いた点で特筆すべきものがある。

 本論文において実証的にあきらかにされた内容を概観すれば、次のようになろう。政府が葬儀の自由化・教導職の廃止、明治憲法第28条の信教自由を規定したことによって、キリスト教撲滅論からキリスト教国教化論までの偏差をもっていた明治初年からの議論に、決着をつけたさまが描かれる。いっぽう政府は、明治19年の「神社改正之件」によって、国家と神社との関係を希薄化させるような方針をとった。しかし、このような方針は、政府部内のメンバーによる神祇官設置運動や、全国神職会などグループによる議会を通じた運動などによって変更をさまられ、内務省社寺局は内務省宗教局と神社局となり、神社は別格の扱いを受けるようになってゆく。

 本論文の主要な成果は次のように評価しうる。

 1、国家が宗教をどう扱ってきたのかという明確な問題設定をおこない、それに対して包括的かつ複合的な側面から検討したことである。国家を代表していた政治家たちの宗教観はどのようなものだったのか、また財政上から国家は宗教をどのように位置づけていたのか、宗教を行政的に担当していた内務省社寺局の政策にはどのような特徴があったのか、議会で宗教はどのように論じられていたのか、など様々なレベルから実証した。

 2、宗教を論じる際に、「神社改正之件」に注目する視角を導入したことである。

 他方これらの解明が、時期的に明治初年を含んでいないこと、仏教への目配りが不十分なことなど問題も含まれている。この点は今後の課題であるが、上記の諸点の成果に照らして、本論文は博士(文学)の学位に相当する論文であると、本審査委員会は判断する。

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