本研究は中国における遠隔高等教育の構造と機能、その問題点を実証的に検討することを目的とする。 1.本研究の目的、意義 遠隔高等教育とは、位置的に離れた教育主体と学習主体とが、郵便、ラジオ、TVなどのメディアを利用して行う、教育=学習の形態を指している。遠隔高等教育は高等教育の拡大の過程に急速に発展してきた。 一般に高等教育機関といえば、代表的になるのがいわゆる「大学(university)」である。大学は中世以来の伝統を持ち、長い歴史をかけて、その制度、教育内容、組織構成などを形成してきた。各国の間に大きな相違はあるものの、その基本的な骨格には共通性が大きく、また歴史的にも一貫性が強い。これを「伝統的機関」と呼んでおこう。 しかし他方で高等教育(あるいは中等後の教育)に対する社会的需要が拡大するにしたがって、上記の伝統的教育機関のみでは、こうした需要に対応できなくなってくる。そうした新しい需要に応じる様々な新しいタイプの高等教育機関が各国において発達してきた。それらは伝統的な「大学」と比べて教育年限、入学課程、入学資格、就学形態などの面において異なる性格をもっているため、「非伝統的」高等教育機関と見なすことができる。こうした非伝統的高等教育の発展の中でも、1970年代以後特に急速な発展を示しつつあるのが「遠隔高等教育機関」である。中国の電大もその中の一つである。 遠隔高等教育は主に(1)教育機会の開放性、(2)多様な人材供給、(3)その効率性という三つの社会的需要から政策的に推進されてきたのが特徴である。これら三つの要求が最新のテクノロジー利用によって達成し得るという観点の下に、遠隔高等教育は各国の教育政策において注目されてきたのである。しかし他方で、こうした見かけ上の利点は、きわめて重要な問題をはらんでいることも見落としてはならない。高等教育に対するマージナルな社会的需要はまさにそれゆえに多様であり、常に変動する。同時に、それが多様であり、感応的であるがゆえに、政策の側からはその実態が見えにくく、また既成の基準からの評価が難しい。その魅力のゆえに、一方では大きな危険をもはらむといえよう。 これまでの先行研究は遠隔高等教育の費用効果、教育機会の開放性、及び労働市場との関係について、個別の視点から進められてきた。しかし、それに社会的コンテクストの中で遠隔高等教育の社会的機能を体系的に分析した研究は少ない。特に中国の独自の問題について本格的な研究が必要とされている。 2.本研究の理論的枠組みと分析課題 本論文では分析の土台として、「伝統的」、「非伝統的」高等教育機関に関する基本的な概念を以下のように整理した。 「伝統的」と「非伝統的」高等教育 高等教育機関は「伝統的」と「非伝統的」二種類に分類される。そして、遠隔高等教育機関は後者の「非伝統的」高等教育の一つの機関として位置づけられる。 図表 ここで非伝統的機関は、少なくとも右のa、b、cのいずれかの特徴を持つものである。 遠隔高等教育の社会的機能 前の図式にもどっていえば、遠隔高等教育とは(A)ではなく(a)、すなわち、非伝統的高等教育の中で、メディアを利用するという、その形態の面によってのみ定義されている。したがって、その実際はバリエーションをもっている。その概念を下の図式に示した。 図表 これらの機能はいずれが選ばれるかは、社会の構造に規定され、また社会的変動の中で変化しているといえるのである。 構造パラメーター さらに、遠隔高等教育機関の機能はいくつかの構造パラメーターに依存する。即ち、第1は入学資格、第2はカリキュラム、第3は教育方法である。 分析の枠組みと課題 以上のような遠隔高等教育特質は、社会的なコンテクストによって異なり、また変化する。それを中国の場合について実証的に分析するのが本論文の課題である。本論文の分析の枠組みと流れを下の図に示した。 図表 この図に従って、次の分析を行なった。 まず第1章では、社会主義国家としての中国において、遠隔高等教育機関である電大に対する政策はどの要因が大きな力を果たしてきたのか、を政策文書などを中心に分析して、政策的期待を検討した。 第2章では、そのような政策と、社会的需要と変化との間で電大はどのようにどの構造と機能とを変化させてきたのかを分析した。 第3章では、電大の社会的機能として、教育機会を供給と言う視点から、まず地域的な高等教育機会の分配における電大の役割をマクロ統計を用いて分析した。また第4章では質問紙アンケート調査のデータを用いて、伝統的大学と電大に進学する規定要因を検討し、伝統的大学と比較することによって、階層間の高等教育機会の拡大における中国電大の特質を明らかにした。 第5章では、電大を卒業した人たちはどのように労働市場に吸収され、またその社会的受容のあり方はどのような要因に規定されているのかを分析した。 3.分析結果 以上の分析の結果、以下の点が明らかになった。 第1に、中国の遠隔高等教育は極めて強い政治的イニシャティブのもとで成立し、国家による強力な計画の下に推進されてきた。しかも社会においては平等の理念が強く支配している。しかし実際の政策を分析した結果、教育機会の拡大よりも経済発展の人材供給の拡大を重視し、しかも両者をより低い社会的コストで達成しようという、「効率」の観点こそが政策の原動力となってきたことが明らかとなった。すなわち経済発展のために効率的な人材養成が電大に対する政策的な期待であった。また電大は新しいメディアを利用することという点のみ特徴をもつものであったから、従来の高等教育機関と他の非伝統的機関の目的をそのうちに内包するものであった。したがって、電大に対する政策は多様となり、社会の改革・開放の過程で電大の機能を拡大させた。 第2に、こうした政策を反映して発展した電大は独自の制度的構造が形成された。高等教育全体の供給と社会的需要との相克が電大の教育機能を形成し、またそれを変化させた。主に「成人向け大卒資格」教育を行なうことから出発した電大は、その後「代替的新規資格」教育と「リカレント」教育を加え、さらに、「成人向け大卒資格」教育の多様化も進行しつつある。一方で政策の変化、他方で需要の変化の二つの要因のダイナミズムの中で電大はその機能を大きく変化させ、拡大させてきたのである。 第3に、中国の伝統的高等教育のエリート性格によって、教育機会の配分は地域的な偏りと階層的な不平等状態におかれている。これに対して電大は高等教育機会の地域的・階層的格差を必ずしもなくすものではなかった。電大は特に経済発展に伝統的高等教育発展が追いつけない地域に高等教育の機会を重点的に拡大した。また一方で,電大が再開された当初、文革期に教育の機会を奪われた「文革世代」に、いわば「第二のチャンス」を与えた。他方で、伝統的機関の制限で入学できない普通大学への入学希望者にとっての「第二のチョイス」を提供した。しかしその機会享受できたものは、一定の地域の、一定の学力と家庭背景を持ったものに限っていた。この点で高等教育機会の開放において大きな制約をもっているといわざるを得ない。 第4に、電大卒業者の社会的受容は、これまでの電大全体についてみれば、大卒の学歴は一定の職業・地位を達成するのに大きな意味を持った。特に初期において、管理幹部や技術系幹部になる上で、その効果は小さくなかった。またそうした効果は、特に専門的な知識と職務との直接的な対応を媒介をして発揮されたのであった。また学生自身の実務的な志向も大きく評価された。こうした意味で、在職者の教育需要と教育課程とがうまく組み合わされたことに、職業・地位効果を高くする要因があった。しかし、そうした機能は今大きく変化しつつあることも明かとなった。 |