本論文は、世界的な視点から稀少資源とされる地域の資源が実際にどのような状況にあり、どのように保護され、利用されているか、フィールド・スタディーによってその実態を明らかにし、稀少資源の保全と利用を両立させる方法を考察し、提言するものである。天然資源に配慮することが国際的なモラルとなりつつある今日、しかし、発展途上国ではその利用をめぐって激しい競合が見られる。稀少資源の保全が最も困難である途上国の事例としてタイのホアイ・カー・ケン野生動物保護区の熱帯林を選び、保全と開発の関係を考察することが本論文の目的である。そのために、当該森林資源の利用と保全に利害を有する政府、地域住民、外部アクター(援助団体やNGOなど)という三つのアクターを取り上げ、それぞれの問題認識と資源への態度・関与の態様を分析し、各アクターの利害と状況に照らして、関係者の視点から問題を見ることを試みている。 本論文は序章と本論5章、併せて6章からなる。注は脚注形式である。末尾には、参考文献一覧に続いて、「方法としてのフィールドワーク」という補論と、著者が行ったフィールドワークに関する資料が付けられている。全体のページ数はvi+244ページで、単純に換算して、400字詰め原稿用紙約780枚に相当する分量である。 「序章 経済発展と資源の保全」では、まず、ある地域が相対的に豊かな資源に恵まれているにもかかわらず、その資源の周辺で生活する人々が困窮状態のままなのはなぜなのか、この懸隔を埋めるために、つまり、資源を豊かに保全したまま、地域の人々の生活水準を向上させるために、どのような介入の努力がなされ、どの程度成功しているのか、という二つの問いを発している。当然のことながら、天然資源の稀少性は保全と開発の二つの必要性を生み出す。そこで、著者は、環境保全と開発を別個に扱うのではなく、両者を稀少な資源の保全もしくは利用という同一の軸の上に位置づけて、その間の均衡に影響を与える諸要因を明らかにすることが必要であると主張し、これを研究の出発点とするのである。著者は、資源の所有形態を公有、共有、私有の三つに分け、東南アジアにおける土地利用などの資源管理は、経済発展にともなって、従来の私有・共有領域の未分化状態から、私有・共有・公有領域の分離状態へと移行する傾向が認められるとする。そのような背景のもと、資源保全と経済発展のバランスが持続されるかどうかは、そのバランスが導かれるプロセスによって決定されると仮定し、そこから、上述のような懸隔を生み出した政策的な背景、すなわち、市場と政府の役割、地域における森と人々の関わり、そして、外部アクターの介入の三つを検討するという、本論の構成を導き出している。 「第1章 概念と方法」では、本論文で用いる諸概念を定義したのち、課題へのアプローチの方法を論じている。既存研究のなかから、コモンズ論、生態政治学、低開発と資源の関係論の三つの領域を取り出して批判的に検討したのち、公共資源の管理の政治的側面を解明するのに有効な方法として、政治経済的アプローチとしての「アクター分析」を提唱している。 「第2章 タイにおける森林の稀少化:政府レベルの対応」では、タイにおける森林・土地に対する政府の政策を概観し、特に、保護区周辺の保全林の位置づけについて考察を行っている。タイ政府は、過去40年以上にわたり、豊富に存在していた熱帯林を、工業化を進めるための資源、あるいは、外貨を獲得するための資源とみなしていた。しかし、農産物価格の上昇にともない、私的農地が急速に拡大し、森林は稀少化して「保存されるべきもの」に変質した。タイは、過去30年の間に森林の半分を失ったのである。政府は残された森の囲い込みに力を入れるようになり、「保護区」を設定して、公的領域の確定化を進めていった。経済発展と市場原理とによる私的農地の集中化と、公的領域の明示、すなわち、保全林の設定は、土地なし農民の行き場を奪い、新たな森林伐採を結果することになった。現在、保全林こそが森と貧農のせめぎ合いが最も集中する地帯になっているのである。国有林に不法侵入した村人の多くは、土地に付随する基本的な権利を持たず、政府のサービスも受けられないために貧困化する。こうして、貧しい人々が豊かな森のフロンティアに集結することになるのである。 「第3章 ホアイ・カー・ケンの保全と利用:ローカルな対応」では、タイで最も自然が豊かであるとされる中西部のホアイ・カー・ケン野生動物保護区とその周辺に住むカレン族の林野利用について、著者自身が約1年間にわたって行った現地調査の結果にもとづいて、考察を行っている。この地域では、かつて保護区の中で生活していた山岳民族カレン族が、保護区周辺のバッファー・ゾーンに強制移住させられている。彼らは政治的発言力もなく、経済的にも貧しいが、隣り合う保護区は1992年に世界遺産に指定されたほどの豊かな森である。調査では、一つの村落の中でも比較的貧しい層に注目し、彼らにとっての森林資源の経済的役割を考え、彼らがさらされている政治経済環境の影響と変化の傾向について分析している。資源利用の実態調査の結果は、貧しい人々は生活手段を制約されて、森林破壊の原因となっているという従来の論調に反して、この地域のカレン族の林野利用は極めて限定されており、彼らの森への直接的なインパクトは一般に信じられているよりもかなり小さいことを示している。他方、土地を持たない人々の森林依存率は、厳しい監視の下でも相当高くなっており、貧困層にとっての森の経済的な重要性も明らかである。結局、元来村人たちにとって稀少ではなかった森が、政府の囲い込み政策によって稀少化し、結果として、森林への依存度が最も高い、貧しい人々に重い負担を課しているのである。 「第4章 保全と開発のリンクを求めて:外部アクターの展開と対応」では、資源の保全と利用をリンクさせようとする外部アクターの試みを批判的に検討する。豊かな森を維持しつつ、資源の周辺に存在する貧困の問題を解決する方法として、近年注目されるようになっているのが外部アクターの主導で行われる「開発を通じた」保全である。著者が代表例として取り上げるのは、実際にホアイ・カー・ケン保護区で試みられているデンマーク政府の「開発・保全統合プロジェクト」(Integrated Conservation and Development Project:ICDP)であるが、これらは、従来のように保護区を物理的に囲い込むのではなく、地域の人々を保全活動に取り込み、合わせて彼らの生活水準をも向上させようとする試みである。現在、森林保全に関わる多くの外部アクターが採用している、このアプローチの前提になっているのは、地域住民は貧しいために資源の破壊を行うのであるから、そこに新しい所得獲得手段をもたらすことによって、人々の森林へのインパクトを減少させることができるはずであるという考え方である。ところが、著者の事例研究から明らかになるのは、資源周辺に生活する人々は、必ずしも困窮していたわけではなく、厳格な保護政策によって、それまでアクセスを有していた生活資源を取り上げられ、現金経済へと疎外されることで貧しくされてきたということである。しかも、外部アクターが持ち込む援助は、農地などの特定の資源の私有を前提としたものが多く、土地を持たず、したがって森林への依存度が高い人々には届いていないのである。以上のような発見を保全政策に活かすとすれば、われわれは、まず、現場に暮らす人々だけに森林破壊の責任があるという固定観念を捨て、人々の森林依存度を低下させようとするのではなく、むしろそれを上昇させることが必要であるというのが著者の見解である。人々が森に住み、森を利用し続けることが、外部からの大型プロジェクトの侵入を困難にし、保全につながると同時に、公共資源への依存度が高い、貧しい人々にとっては、公平性の高い資源移転に結びつくからである。地域の人々に保全の便益が明らかになれば、住民参加型の保全活動が可能となり、それは開発面でも効果を上げるであろう。 「第5章 開発から利用へ:外部アクターの潜在的機能」は結論の章でもある。以上のような事例研究と、それにもとづく考察によって、著者は、「序章」に掲げた自らの問いに、以下の三つの解答を提出する。第一に、貧しい人々は、最も基本的なレベルでの生活手段の稀少性に直面しているからこそ、豊かな森を目指して移動し、結果として、森林のフロンティアに移住しているのである。しかし、第二に、人々にとって豊かな森や土地も、国や国際レベルでは「稀少」であるから、「上からの保護」によって資源へのアクセスは制限され、人々の貧困化はさらに進行する。第三に、このジレンマを打破するために外部から介入するアクターは、資源の傍らにある「貧困」を保全への脅威として問題視し、新しい資源を外から持ち込むことで地域の人々を資源から遠ざけようとするが、外部から導入される資源は森林依存度が高い人々には届きにくく、地域住民の森林へのインパクトはもともと小さいという理由もあって、総合的な保全にはうまくリンクしていないのである。このようなタイの現実の事例から、著者は、「コモンズの悲劇」は財の性質に由来するだけでなく、コモンズに依存する人々の社会的な地位が低いために進行してしまうという側面があることに注意を喚起する。「市場の失敗」と「政府の失敗」を認めざるをえない場合、外部アクターの役割に期待がかけられることになるが、現在までのところ、外部アクターもその潜在的機能を十分に発揮していないと著者は指摘する。著者によれば、外部アクターに期待されるのは、ローカル・レベルで開発活動に従事するだけでなく、有用な資源を地域の人々の管理下に置くよう途上国政府に働きかけること、資源をとりまく種々のアクター相互間の誤解や偏見を取り除くための環境づくりをすること、そして、資源管理能力を持つ地域住民の住民参加により、保全と利用を両立させることである。 「補論 方法としてのフィールドワーク」は、本論文の中心の位置を占める事例研究の方法として用いたフィールドワークについて、補足的に、開発研究にとっての意義、開発研究の信頼性と妥当性、フィールドワークの一般性を論じたものである。「資料」は、事例研究の対象としたタイの二つの村における住民の森林依存度を測定するために集めた資料を整理し、記録したものである。 以上のような内容を持つ本論文は、まず、フィールドワークを行い、それに立脚して森林保全の問題に本格的に取り組んだ開発論の研究成果として高く評価できる。地域住民の森林依存が無視されたまま、森林が「稀少資源」と化し、その保全が要求され、新たな状況で資源配分が問題となるプロセスが、実証研究を基礎として、それに理論的考察を加えるという著者の作業によって、説得的に解明されている。資源配分を政府および市場に任せてきた結果、地域において不公正が拡大した事情、最近になって、グローバルには環境保全が利害関心となるなか、それが当該地域の住民の利害と対立するという矛盾が解き明かされている。さらに、第三の資源管理方法として期待が寄せられる、地域住民による住民管理の方法も、地域住民に資源の稀少性の認識がない場合には、有効ではないことを、実証的根拠にもとづいて明らかにした点も評価される。 この第一の成果の上に立って、著者は、問題の理解と解決のために、広義の政治経済的アプローチが必要となると主張している。その主張は明快であり、特に、経済学の形式的定義-稀少性を前提とした合理的選択の論理-の適用範囲を明らかにしたことで、その適用外に広がる問題を政治問題として扱う意味を積極的に示している。そのアプローチの具体化として採用した「アクター分析」の手法は、その枠組みを提示したあと、具体的に、地域住民、政府、外部アクターという三つのアクターの行為と機能を論じ、アクター間分析のみならず、アクター内分析をも行って、一定の成功を収めている。このような視点はこれまでの森林開発論では見落とされていたものであり、特に、新たに「外部アクター」を加え、その意義や機能を本格的に論じたのは本論文の新機軸である。第三の資源管理方法を望ましい方向に補強して、保全と利用をリンクさせうる「外部アクター」の役割に期待を寄せつつも、いくつかの留保を付しているのは、慎重な立論であり、今後の政策提言にも寄与するものと評価することができる。 理論面では、文献サーベイが徹底的に行われており、それにもとづいてなされた、たとえば「コモンズ論」の整理と批判的検討などは優れていると評価できる。 実証面での貢献は繰り返すまでもないが、ただし、フィールドワークを長期間行った割りには、その成果が、それ自体としては十分に活かされていない点が残念である。理論との接合面に腐心したために整理が過剰となり、調査モノグラフにはならなかったのであろう。また、カレン族が森林に与えるインパクトについても、もう少し実証が必要とされると同時に、歴史的な検討も必要であろう。理論的に資源の所有形態を公有、共有、私有の三つに分けて示したが、本論で扱われた具体的な事例では、これがどのように有効な説明方法となるのかは明確ではなかった。これは、当該地域の土地の所有権の実態を十分に解明しなかったことにも起因しており、アクター分析をいっそう具体的に行うことともに、著者の今後の実証研究の課題として残されている。 本論文にはこの他にもいくつかの細かい不備が残されているものの、それらは論文全体の価値を損なうものではない。稀少資源の保全と利用という、今日の世界における最重要課題の一つに、正義と具体的な解決策を求めて積極果敢に取り組み、保全と開発の調和を図る筋道を論理的に説明しようとした努力は高く評価される。このように、本論文は意欲的な力作であり、学問的な貢献は大きく、博士(学術)の学位を授与するに十分な業績であると認められる。 |