学位論文要旨



No 113148
著者(漢字) 小熊,英二
著者(英字)
著者(カナ) オグマ,エイジ
標題(和) 「日本人」の境界 : 支配地域との関係において
標題(洋)
報告番号 113148
報告番号 甲13148
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第146号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 見田,宗介
 東京大学 教授 長尾,龍一
 東京大学 教授 木畑,洋一
 東京大学 教授 山本,泰
 東京大学 助教授 吉野,耕作
内容要旨

 本稿は、近代日本に編入された周辺地域への政策論を検証することによって、「日本人」のナショナル・アイデンティティのあり方を研究したものである。具体的には、明治初期の琉球処分から北海道・朝鮮・台湾などを領有して、その地の原住者を「日本人」に編入したのち、いったんそれらを喪失したあと沖縄が復帰するまでにおける政策論を、言説分析のアプローチから検証している。ただしそのさい、議会審議や法制といった、言説と政策の媒介となる領域をも対象とした。また研究の視点として、「日本」-「周辺地域(アジア)」という二体問題としてでなく、日本のナショナル・アイデンティティに大きく関係している「欧米」の存在を第三項にくわえ、「欧米」-「日本」-「周辺地域(アジア)」という三体問題として検証を行なうことを意識した。

 本稿の第一部は、琉球処分から初期のアイヌ政策を経て、台湾と朝鮮の統治体制が確立するまでをあつかっている。このとき、すでに琉球処分の時点から、その地の住民を「日本人」に編入するか否かの論争が存在した。すなわち、その地の住民に同化政策を施し、日本語や日本文化を注入することによって「日本人」化するか、それとも「日本人」とはあくまで異なる者として排除するかの選択がありえたのである。

 この選択をめぐる議論において、大きな要素となったのが欧米の存在であった。支配した周辺地域住民を「日本人」に編入することは、経済的負担や現地住民の反発などのコストが高く賢明な策ではないという意見が、とくに外国人顧問などから寄せられていた。しかし、多くの政策担当者には欧米による日本の植民地化の脅威がつよく意識されており、たとえ多少のコストを支払っても、周辺地域を前進防衛地帯として確保することが唱えられた。そのために主張されたのが、現地住民に日本語と日本国家への忠誠心を注入して「日本人」化する同化政策だったのである。また領有を国際的に確実にするためには、住民の「日本人」化だけでなく制度の「日本」化、すなわち日本の法制を現地に延長することが望ましいとされた。いわば欧米の脅威が、「日本人」の範囲を拡張させる要因となっていたのである。

 しかしながら、このような教育・法制からの「日本人」化は、沖縄においては一定の成功をみたものの、朝鮮や台湾では不十分にしか実現しなかった。教育においてその主な理由となったのは、経済的コストである。台湾の教育政策においては、当初は内地の学校以上に完備された義務国民教育を施すことが唱えられていたが、統治費用の削減のため実現しなかった。代って採用されたのが、日本語能力と忠誠心の育成が期待できる「国語」と「修身」に重点を置き、その他の科目はできるだけ削減して、さらに修業年限も短縮し授業料を徴収するという制度であった。すなわち、日本語と忠誠心の面でのみ同化が強要される一方で、経済的コストは現地住民に負わせる簡易教育が行なわれることとなったのである。簡易教育は「日本人」からの排除を唱えていた論者たちがかねてから主張していたものでもあり、いわば「日本人」化は強制するが「日本人」としての権利は与えないという、最悪の妥協形態となった。

 さらに法制においては、朝鮮・台湾に設置された総督府のセクショナリズムという別の要因が、「日本人」への編入を阻害した。軍政のかたちで台湾統治をスタートさせた総督府は、住民に「日本人」としての権利を保障する内地の法制が台湾に延長されることを、統治上のフリーハンドが損なわれるとして嫌った。ここでも代りに成立したのは、総督が事実上の立法権を握って「日本」とは別個の法域を形成することであり、もちろん台湾人には「日本人」としての参政権などは与えられなかった。この体制は朝鮮でも踏襲されたが、しかしその一方で、朝鮮人を日本国籍に編入することは彼らを総督府の管轄内に置けることを意味したため、国籍上は強制的に「日本人」化が遂行された。いわば朝鮮人や台湾人は、教育においても法制においても、「日本人」化を強要されながら「日本人」としては遇されない、「日本人」であって「日本人」でない位置に置かれたのである。

 本稿の第二部においては、こうした中途半端な「日本人」の境界が、内外からの揺らぎにさらされた経緯を検証している。朝鮮人や台湾人の反発もさることながら、日本のナショナル・アイデンティティに一つの危機をもたらしたのが、日系移民排斥問題である。日本政府はこの問題を念頭にパリ講和会議に人種平等提案を出すが、おなじ時期に朝鮮で発生した独立運動を弾圧していた。すなわち、日本は「欧米」から差別されながら「アジア」を差別する立場となったのである。おりしも大正デモクラシー期となり、普通選挙運動などによって「日本人」には参政権が伴うべきだという意識が浸透した。こうして、朝鮮人・台湾人にも帝国議会の参政権を与えるか、または自治議会を設置するかという選択枝が語られるようになった。前者は「日本人」に包含するかたちでの権利付与、後者は「日本人」から分離するかたちでの権利付与であったが、それと同時に、前者は欧米の植民地支配と異なり日本は国民としての権利を与え人種差別をしない国であるという論調が、また後者は自治は欧米の先進的統治に倣ったものだという論調がとられていた。前者の論調は日本のナショナル・アイデンティティを満足させるものであったため、論壇上でも公式的にもこちらの論調が流通し、朝鮮・台湾は植民地ではなく「日本」の一部であるとされた。しかし実際には、「日本人」としての参政権付与は朝鮮・台湾を法制的に「日本」に編入することにつながるため、主として総督府のセクショナリズムが障害となり実現しなかった。

 本稿の第三部では、こうしたなかでの被支配側の論調を探っている。独立運動のように「日本人」と自分たちのあいだに明確な境界が引かれていると考える者は本稿では除外し、「日本人」の境界を見直そうというものをとりあげた。これらのなかから、支配者側が与えた「日本人」であって「日本人」でない位置付けを読み変え、「日本人」としての権利は獲得しながら「日本人」でない独自性を保とうという多元主義や自治獲得運動などが現れてくる。また、自分たちを完全な「日本人」として遇することを迫り、支配側の「日本人」観に変更を迫る動きもあった。しかしこれらの多くは、現実の力関係のなかで挫折してしまっている。

 本稿の第四部では、戦後の沖縄復帰運動の論調を検証した。戦後の米軍による沖縄支配も、「アメリカ人」としての権利も「日本人」としての権利も与えないものであった。復帰運動は、戦前における日本からの差別を不問に付してでも、「日本人」としての権利を獲得する方向でこの状態からの脱出を計ったものであった。しかし、やがて運動の進展とともに「日本」を理想化し「日本人」化を自己目的化する傾向が生れる。復帰実現の直前に、この傾向を問いなおす「反復帰」の思想が生れたが、復帰の大勢をくつがえすに至らなかった。

 以上のような「日本人」の境界をめぐる現象を、結論では社会学的に分析している。

 まず、日本における帝国主義の特徴を、「後発性」と「公定ナショナリズム」という観点から分析した。「欧米」という先発勢力のあとから拡張を開始した日本は、周辺地域統治論において,(1)「欧米」との競争意識から同化による確保の主張に傾いた、(2)周辺の近接地域にしか進出できなかったため内国の国民統合論が周辺地域にまで延長された、(3)「欧米」に普遍的文明を独占されたため被統治者にたいする権威を日本語や日本文化の誇示にしか見出せなかった、などの傾向をもった。これらはいずれも、同化政策の主張への要因となるものである。また「公定ナショナリズム」とは、多民族帝国の現状を同化政策によって国民国家の原理に近付けようとする上からのナショナリズム形成であり、民族文化に依拠する下からのナショナリズムにくらべ、権利は軽視しがちだが「国民」の拡張に積極的となる。こうした「後発性」および「公定ナショナリズム」は、19世紀後半のロシアなどにも発生しており、バルト地域やポーランドなどに同化政策をもたらしている。日本の周辺地域支配は、イギリスなどの植民地支配にくらべ同化傾向が強いといわれるが、こうした言説構造が影響した部分が大きいと思われる。

 また本稿では、「欧米」-「日本」-「周辺地域(アジア」)」の三者関係をより一般化し、「有色の帝国」という概念を提示した。これは、より上位な「欧米」への同化願望と自立願望のアンビバレンスが、下位にある「アジア」への政策論に反映するというモデルである。その最大の特徴は、「欧米」の侵略や差別の被害者であるという「有色」意識をもってナショナル・アイデンティティが形成されるため、「帝国」として下位に置いている周辺地域にたいして加害者の自覚を持ちにくくなることにある。この概念は、現代日本の植民地支配にかんする歴史認識の問題にもかかわるだけでなく、第三世界における覇権主義国家のナショナル・アイデンティティの分析にも応用できるものと思われ、この点に本論文の学術的かつ現代的意義を見出すものである。

審査要旨

 本論文は,近代における「日本人」という,ナショナル・アイデンティティを表示する概念について,その「境界的」な諸事例をめぐる言説の綿密な探索と分析をとおして,その歴史的な形成・動揺・再構成等の過程を考証したものである。具体的には,琉球,北海道,朝鮮半島,台湾の4つの地域に関して,それぞれ日本国の支配権力がおよんだ時期における,これら地域の住民を「日本人」として同化すべきか否かをめぐる政策論的な諸言説を検討し,その矛盾や背景や連関のさまざまな様相を明らかにするという,それ自体としてもアクチュアルな歴史研究として意義の大きい作業をとおして,この考察が遂行されている。

 本論文は,序章,結論,および、4部23章からなる本体部分からなっている。序章では,前記のような本論文の問題意識と,方法,視点が明確に述べられている。第I部を構成する6つの章では,明治初期の「琉球処分」から,台湾および朝鮮半島における「統治」体制が形成されるまでの,その地の住民への「同化」/「排除」をめぐる政策論的な言説と,その背景が,当時の歴史的な状況の文脈の中で考察されている。第II部を構成する5つの章では,第I部で明らかにされた,「日本人」というナショナル・アイデンティティの矛盾を含んだ概念が,内部からも外部からも,動揺にさらされることとなる経緯と,このようなアイデンティティの危機に対処する政策論的な諸言説の系譜が追求されている。第III部を構成する諸章(6章の内5章)では,第I部,第II部で見てきたような,支配する側からの「日本人」規定に対して,支配された諸地域の住民の側の,「日本人」の概念をめぐる諸言説が,その背後にある現実の力関係と,さまざまな関心,抱負,思惑等の交錯する磁場との関連において,考察されている。(この部の最終章-第17章「最後の改革」-は,内容上は第II部に入るもの(危機に対応する支配の側の対処)であるが,歴史的な流れに即して,この部の末尾に置かれている。)第IV部を構成する6つの章では,第二次世界大戦の終結後の時期に,「日本人」のコンセプトの境界をめぐる現実的な,かつ顕在的な「問題」として,なお残されて政策論的な論争の対象となった主要な地域として,戦後の「沖縄」をめぐる言説が,集中的に取り上げられ,検討されている。結論では,本論における膨大な実証分析を踏まえて,近代における「日本人」のアイデンティティの問題が,(1)「後発帝国主義としての特徴」,(2)「公定ナショナリズム」,(3)「有色の帝国」,という3つの基軸から明快に整理され,その上に立って,(4)分類しがたいものの曖昧さの意義,(5)支配されるものの側からの拮抗,(6)両義的な存在の危険性と可能性,という3つの視点から考察が行われている。

 本稿の意義はまず何よりも,その本論23章を構成する,膨大な資料の掘り起こしとその適切な読解という作業をとおしての,数多くの具体的な史実についての検証にあるが,今あえて概括的に,その特質を要約するとすれば,以下の諸点にあるといえる。第一に,日本とその支配地域との関係を,当時の巨視的な国際関係の磁場の中で,著者のいう「三体問題」(「欧米」/「日本」/「アジア」の3者関係)の文脈の中において考察し,この文脈から,「日本人」のアイデンティティをめぐる多くの言説の背景を追求していること。第二に,このことと同時に逆に,「日本人」のアイデンティティをめぐる言説の多くの背後に,時には極めて「微視的」ということもできる,官庁の部局間のセクショナリズム,当事者間の思惑や関心の交錯等をも,細密画のように緻密に解明してみせていること。第三に,アイデンティティという問題と,現実的な政策や法制等との,相互に作用するダイナミズムという領域に光を当てていること。第四に,このような考察から得られた結果を,日本における歴史的な経験の概括としてだけでなく,他の所にも適用しうる形で,過去・現在・未来におけるナショナリティ,アイデンティティをめぐるアクチュアルな諸問題の解明にも資する仕方で,一般化された理論として提示する努力がなされていること。

 これに対して,強いて本稿の「弱点」を指摘するならば,本論の史料的な実証部分の充実と対比するとき,「結論」等の理論的な部分はやや平板であり,独創性,透徹性において劣るように思われる。たとえば,「有色の帝国」という本稿の最も特色ある鍵概念も,魅力的かつ有用な視点を提示するものではあるが,概念としての独自性の規定には,なお明晰化の余地のあること。「言説分析」という著者の依拠する「方法」についても,歴史学におけるごく通常の史料分析の方法を,言説としての対象に限定して適用したということ以外に,特別な方法論的な意味のあるものとしては提示されていないこと。また,「言説を分析する」ということの,歴史研究におけるステイタス,あるいは,言説という事象自体の,現実に実行される政策の決定過程や,語られざる意志,時には意識さえされない動因等々の連関する総体の布置の中でのステイタスについて,いっそう周到な理論的用意があれば,主題である「日本人」論自体についても,これを現実に規定した要因の総体について,更に透徹した考察をなしえたであろうこと。等々である。

 けれどもこれらの「弱点」はすべて,本論の実証部分の充実と対比した場合の「物足りなさ」であって,間違った主張や矛盾した論理が展開されているわけではない。本論部分において既に充分といえる学術的達成の意義に対して,幾分かの減点を必要とする如き欠陥ではないということができる。

 以上を総合して,本論文は,博士(学術)の学位を授与されるに値する論文であると結論する。

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