学位論文要旨



No 113149
著者(漢字) 市之瀬,慈歩
著者(英字)
著者(カナ) イチノセ,ヨシホ
標題(和) ヒト骨格筋の形状が筋の活動特性に及ぼす影響
標題(洋) Effects of Architecture on Function in Human Muscle
報告番号 113149
報告番号 甲13149
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第147号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福永,哲夫
 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 助教授 金久,博昭
 東京大学 助教授 深代,千之
 日本女子体育大学 教授 加賀谷,淳子
内容要旨

 ヒトの身体運動は身体を構成する各関節の発揮する力(関節トルク)の総合されたものとして形成される.関節トルクは筋線維の発揮張力が腱組織を介して骨に作用した結果生じたものである.したがって,ヒトの身体運動の成り立ちを理解するためには,関節トルクの発揮に関わる筋線維や腱組織の量的及び質的特性を明らかにしなければならない.従来から,筋線維や腱組織の特性に関する研究は動物の摘出筋やヒト死体標本を基に分析されてきた.しかし,筋,腱あるいは関節の構造等は動物とヒトとでは異なることも多い.それゆえ,動物実験により明らかにされてきた研究結果をヒトの場合に応用する場合には数多くの制限を受けることになる.また,前述のように,筋や腱組織は弾性体であるため,その太さや長さなどの構造的特性(形状)は筋の活動状態により影響される.従って,ヒト死体から得られた値を身体運動中の筋に当てはめることが出来ない場合も多く生じる.

 これまで,ともすれば力やパワーを出力する組織としての筋の特性を研究することが身体運動科学の中心であった.しかし,パフォーマンスをその発現の源である筋の特性から捉えようとするのであれば,筋-腱-関節を含めた複合体の構造的かつ機能的特性を明らかにする必要があると思われる.本研究ではヒト生体における筋活動中の筋-腱複合体の「振る舞い」を観察することから,筋線維及び腱組織の機能的特性を分析し,ヒト身体運動における筋と腱の解剖学的及び生理学的特性を明らかにしようとするものである.

 本研究の目的は,ヒト骨格筋の形状が筋の活動特性に及ぼす影響について,

 1.静的筋活動時の筋束長、羽状角を測定することにより,筋線維の長さ-力関係を明らかにする

 2.動的筋活動時の筋束の短縮速度を測定し,筋線維の力-速度関係を明らかにする

 3.オリンピック競技選手の羽状角を測定し,筋形状と機能に及ぼすスポーツの影響を明らかにする

 ことであった.

 その結果得られた知見は,以下の通りであった.

1.膝関節伸展における筋線維の長さ-力関係

 成人男子6名を被検者とし,7種類の膝関節角度において,安静から最大までランプ状に力発揮を行った.その際,外側広筋について,超音波Bモード法を用いて,静的収縮中の筋束の動態を記録した.画像からは筋束長と羽状角を測定した.得られた結果から以下のことが明らかになった.

 1)安静時の筋束長は,関節角度が伸展位になるにつれて,短くなった.また,各関節角度において,力発揮レベルが増加するほど,筋束長は短縮した.短縮の割合は,伸展位ほど大きかったため,伸展位においては,弾性要素の「弛み(slack)」分を取り除く割合が大きいことが示唆された.

 2)羽状角は,関節角度が伸展位になるにつれて大きくなり,また,力発揮レベルの増大に伴なって増加した.しかし,その傾向は関節角度によって異なった.例えば,膝伸展位では安静時に比較して27%の増加を示したが,屈曲位では20%の増加であり,伸展位ほど顕著な増加がみられた.

 3)筋束長と推定された筋束方向の力から,外側広筋のactiveな長さ-力関係を得た.その結果,外側広筋の筋束は初期長が108mm(膝関節角度;70deg)から収縮を行ったときに,至適長(78mm)となった.すなわち,膝関節角度70degより伸展位については,筋線維の長さ-力関係の上行脚を用いており,逆に70degよりも屈曲位になると,長さ-力関係の下行脚を用いていることが明らかになった.

 4)筋束長と羽状角の変化から腱の伸張量を計算し,腱に作用する力との関係をみると,一定の腱が伸ばされるために必要な力は,膝関節角度70degまでは,屈曲位ほど大きかった.

 以上の結果から,

 ●"等尺性"収縮であっても筋束は短縮し,その程度は,腱組織の長さ-力関係および,筋-腱複合体の「弛み」の度合いの影響を受ける.

 ●筋線維の長さ-力関係から膝伸展を考えると,膝関節が0deg(完全伸展位)〜70degまでは上行脚を用い,70deg以上では下行脚を用いて筋線維が収縮する.

 ことが明らかになった.

2.膝関節伸展における筋線維の速度-力関係

 成人男子6名を被検者とし,30,150deg/sの等速性膝伸展中の筋束長変化から,筋束の短縮速度を求め,次のような結果を得た.

 1)最大等速性膝伸展中に,筋束は短縮した.短縮の割合は150deg/sよりも30deg/sのほうが大きかった.すなわち,同じ可動域であっても30deg/sのほうが筋線維の短縮量は大きかった.その理由として,強い張力により,腱がより伸張されたものと考えられた.

 2)角速度は等速であっても,筋束の短縮速度は一定ではなかった.また,筋束短縮速度の変化は,絶対値では150deg/sのほうが大きかったが,変化率は30deg/sのほうが大きかった.また,30deg/sより150deg/sのほうが,ピーク速度の出現する関節角度はより伸展位であった.角速度が一定の範囲での平均の筋束短縮速度を求めると,150deg/sのものは30deg/sのものの4倍であり,角速度(5倍)よりもその差は小さかった.これらの結果が生じた原因として,(a)関節のモーメントアームの影響,(b)羽状角の影響,(c)弾性要素の影響,(d)神経系の興奮水準の影響,などが考えられた.

 3)筋束長と筋束短縮速度との関係は,関節角度と筋束短縮速度との関係とは異なり,どちらの角速度においても,筋束長90mmの時にピーク速度がみられた.

 4)腱に作用する力と筋束の短縮速度との関係は,角速度-ピークトルク関係と類似した関係を示した.いずれの角速度においても,ピーク速度が出現する筋束長はMVC発揮時の筋束長に近い値であった.関節角速度-トルク関係から筋の力-速度関係を評価する場合には,角度規定トルクよりもピークトルクを用いる方が良いことが示唆された.

 以上の結果から,

 ●等角速度運動中であっても筋束の短縮速度は変化した.

 ●速度変化の要因としては,モーメントアーム,羽状角,直列弾性要素,神経系,共同筋の関与が考えられた.

 ●ヒトの生体における力-速度関係は,角度規定トルクよりもピークトルクで評価した方が,筋線維の力-速度関係を反映している可能性が示唆される.

 ことが明らかになった.

3.オリンピック選手の筋形状と筋力にみられる種目差および性差

 柔道,体操およびサッカーの3競技におけるアトランタオリンピックの日本代表選手男子28名および女子33名を対象に,上腕三頭筋の筋厚と羽状角および肘関節伸展動作における等速性筋力を測定し,上腕三頭筋の形態と筋力における種目差と性差,ならびに羽状角と筋力との関係について次のような結果を得た.

 1)筋厚および上腕長当たりの筋厚は,柔道をのぞくすべての種目において,男子が女子より有意に高い値を示した。また両値は,男子の場合に、柔道および体操がサッカーより,女子では柔道が体操およびサッカーより有意に高い値であった.

 2)羽状角は,男子が12degから29deg,女子が11degから30degの範囲にあり,上腕長当たりの筋厚と有意な相関関係(r=0.721,p<0.05)が認められた.

 3)羽状角は,男女とも柔道が最大であり,サッカーが最小であった.同一種目内の比較において,柔道およびサッカーの場合に有意な性差が認められず,体操のみ男子が女子より有意に高い値を示した.

 4)60deg/sおよび180deg/sで測定した等速性筋力は,筋厚から推定した断面積とそれぞれr=0.702(P<0.05)およびr=0.716(p<0.05)の有意な相関関係にあった.

 5)60deg/sでの等速性筋力は,男子の場合,体操が柔道およびサッカーより,女子では柔道がサッカーおよび体操より,それぞれ有意に高い値であった。また180deg/sでの値は,男子の場合に柔道および体操がサッカーより有意に高く,女子では柔道が他の2種目より有意に高い値を示した.両筋力値とも柔道を除く他の2種目では,男子が女子より有意に高い値であった.

 6)単位筋断面積当たりの筋力は,60deg/sの場合に男女とも柔道が最も低く,その値は男子では体操およびサッカーと,女子ではサッカーとそれぞれ有意な差が認められた.それに対し180deg/sでの値において有意な種目差が存在したのは,サッカーと柔道の間のみであった.一方、両筋力とも単位筋断面積当たりの値には,すべての種目において有意な性差は認められなかった.

 7)羽状角と単位筋断面積当たりの筋力との関係において,羽状角が大きな者ほど単位筋断面積当たりの筋力は低くなる傾向が存在した.しかし,統計的に有意な負の相関関係が認められたのは,60deg/sでの値(r=-0.336,p<0.05)のみであった.

 以上の結果から,

 ●上腕三頭筋の筋厚と羽状角とは正の相関関係にあり,後者における種目差および性差は,前者におけるそれぞれの差を反映する.

 ●少なくとも羽状角が30deg以下の場合に,それが単位筋断面積当たりの筋力に及ぼす影響はわずかであり,同一のトレーニング環境下にあるスポーツ選手の筋力における性差は筋横断面積の差に起因する.

 ことが明らかになった.

審査要旨

 本論文「ヒト骨格筋の形状が筋の活動特性に及ぼす影響」は,ヒトの随意筋活動中の筋-腱複合体の動態を超音波法を用いて定量化することから,身体運動における筋収縮のメカニズムを明らかにしようとしたものである.従来から,ヒト生体での筋収縮に関する研究は動物の摘出筋に見られる力-速度特性を基に研究されてきた.しかし,筋線維が腱組織を介して骨に付着し,関節の動きを生み出す場合,筋線維の収縮特性がそのまま,関節の動きの特性を表わすとは限らない.本研究は随意筋活動中の筋線維(筋束)及び腱組織の動態を明らかにしようとしたものであり,身体運動科学における研究の新しい方向性を示すものとして注目される.

 本論文は3編の論文より構成されている.即ち,

 1)膝伸展筋(外側広筋)について,筋束の長さ-力関係を明らかにする,2)膝伸展動作における筋束の力-速度関係を明らかにする,3)オリンピック競技選手について筋形状と機能に及ぼすスポーツの影響を明らかにする,ことである.

1.膝関節伸展における筋束(外側広筋)の長さ-力関係

 (1)安静時の筋束長は,膝関節角度が伸展位になるに伴い短くなった.また,各関節角度において,力発揮レベルが増加するほど,筋束長は短縮した.張力発揮に伴う短縮の割合は,伸展位ほど大きかったが,その理由として,腱組織を含む弾性要素の「弛み(slack)」が伸展位で大きいことが考えられた.

 (2)関節角度固定(膝関節角度70deg)で筋力を発揮した場合(「等尺性筋活動」といわれている),外側広筋の筋束は108mm(安静時)から力の増加に伴って短縮し,最大張力が発揮されたときには78mm(至適長)(関節角度70deg)となった.すなわち,膝関節角度70degより伸展位においては,筋節(sarcomere)の長さ-力関係の上行脚(ascending limb)を用いており,逆に70degよりも屈曲位になると,長さ-力関係の下行脚(descending limb)を用いて外側広筋が収縮していることが考えられた.

 (3)膝伸展時の腱に作用する力と腱の伸張量との関係をみると,一定の腱が伸ばされるために必要な力(stiffness)は,膝関節角度70degまでは,屈曲位ほど大きかった.

 以上の結果から,関節角度固定で張力を発揮するいわゆる「等尺性」収縮であっても筋束は短縮し,その程度は,腱組織の長さ-力関係および,筋-腱複合体の「弛み」の度合いの影響を受ける.筋節の長さ-力関係から膝伸展を考えると,膝関節が0deg(完全伸展位)から70degまでは上行脚を用い,70deg以上では下行脚を用いて筋線維が収縮することが明らかになった.

2.膝関節伸展における筋束の速度-力関係

 膝伸展動作における筋束(外側広筋)の力-速度関係を見た結果,

 (1)膝伸展の角速度は一定(等角速度)であっても,筋束の短縮速度は一定ではなかった.膝伸展動作中の平均の筋束短縮速度を求めると,角速度が150deg/s時の筋束速度(約60mm/sec)は30deg/s時のもの(約15mm/sec)の約4倍であり,関節角速度に見られた差(5倍)よりもその差は小さかった.この様に,関節角速度と筋束収縮速度の間に差が生じた原因として,(a)関節のモーメントアームの影響,(b)羽状角の影響,(c)弾性要素の影響,(d)神経系の興奮水準の影響,などが考えられた.

 (2)30deg/secで膝伸展中に筋束の短縮速度は膝関節が75degで最大値を示したが,角速度が速い場合(150deg/sec)には筋束速度はより伸展位(50deg)で最大値を示した.しかし,いずれの角速度においても,筋束の最大短縮速度が得られた筋束長は至適長(等尺性最大張力が観察された筋束長;90mm)であった.

 (3)随意最大努力下での筋束の力-速度関係は,関節角速度-ピークトルク関係と類似した関係を示した.関節角速度-トルク関係から筋の力-速度関係を評価する場合には,角度規定トルクよりもピークトルクを用いる方が良いことが明らかにされた.

 以上の結果から,膝伸展動作において,等角速度運動中であっても筋束の短縮速度は変化し,角速度が異なっていても,筋束の最大短縮速度は筋束の至適長で見られることが確認された.また,ヒトの生体における力-速度関係は,角度規定トルクよりもピークトルクで評価した方が,筋線維の力-速度関係を反映している可能性が示唆された.

3.オリンピック選手の羽状角(pennation angle)と固有筋力(specific tension)にみられる種目差および性差

 柔道,体操およびサッカーの3競技におけるアトランタオリンピック日本代表選手を対象に,上腕三頭筋の羽状角および肘関節伸展動作における固有筋力を測定し,両者の関係に及ぼすスポーツ種目差及び性差を見た.その結果,

 (1)羽状角は,男子が12degから29deg,女子が11degから30degの範囲にあり,上腕長当たりの筋厚と有意な相関関係(r=0.721,p<0.05)が認められた.

 (2)羽状角及び筋厚は,男女とも柔道が最大であり,サッカーが最小であった.同一種目内の比較において,柔道およびサッカーの場合に有意な性差が認められず,体操のみ男子が女子より有意に高い値を示した.

 (3)固有筋力と羽状角との間には負の相関関係が見られ,羽状角の増加は筋線維から腱への力の伝達効率を低下させる事が明らかになった.

 以上の結果から,上腕三頭筋の筋厚と羽状角とは正の相関関係にあり,後者における種目差および性差は,前者におけるそれぞれの差を反映する.オリンピック選手の羽状角は30deg以下であり,固有筋力に影響することが明らかにされた.

 このように,市之瀬慈歩氏の論文は,超音波断層法を用いてヒト骨格筋の筋束及び腱組織の動態を定量化したものであり,これまでの身体運動科学の分野で推定の域を出なかった筋活動中の筋線維及び腱の長さ変化を明らかにしたことの意義は非常に大きいものがある.

 従って,市之瀬慈歩氏により提出された本論文は東京大学大学院課程による学位(学術)の授与に相応しい内容と判定した.

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