学位論文要旨



No 113152
著者(漢字) 魚地,孝聡
著者(英字)
著者(カナ) ウオチ,タカアキ
標題(和) ツメガエル初期発生中における前腎分化についての分子生物学的研究
標題(洋) Molecular analysis of the pronephric tubules differentiation during Xenopus early development
報告番号 113152
報告番号 甲13152
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第150号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅島,誠
 東京大学 教授 川口,昭彦
 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 助教授 陶山,明
 東京大学 助教授 松田,良一
内容要旨

 たった1個の細胞からなる受精卵は、どのようにして親と同様の形をした多細胞からなる個体となるのだろうか?この問題へのアブローチの1つに誘導現象というものがある。なかでも最も初期に起こると考えられている中胚葉誘導に関しては特によく研究されており、現在までにその誘導因子の有力候補としてアクチビンという物質が同定されている。一方、胚内に最初から存在し、胚の後方化や側方化に関与していることが推測されるレチノイン酸もその生理活性が注目されている。この2つの物質をある濃度でツメガエル胞胚の予定外胚葉片に作用させると、その外植体内に前腎管様の構造が高頻度で誘導されるということが我々の研究室により既に報告されている。しかし、その誘導特異性や、この誘導された腎管は正常胚と同じ過程を経て形成されているのか、分子マーカーの発現についてはどうなっているのか、というような問題については未解決のまま残されていた。

 腎臓は器管形成の研究のための良きモデル器官として古くから利用されている。腎臓は、最初に前腎が分化し、それに続いて中腎・後腎が分化することにより形成される。腎分化には、最初に前腎原基が誘導されること、他の組織由来の因子が存在することが必須条件であり、腎分化の初期段階の解析には前腎の発生分化機構を調べることが重要であるということが推察されている。そこで、本研究では組織分化のモデル機構として、前腎の発生過程を分子レベルで解析することを目的とし以下の様な実験を行った。

第I部:ツメガエル予定外胚葉片での前腎管形成中における連続した遺伝子発現

 ツメガエル胞胚の予定外胚葉片(0.3×0.3mm)を、10ng/mlアクチビンAと10-4Mレチノイン酸で処理したとき、前腎管が非常に高頻度(100%)でかつ特異的に誘導されるということが明らかになった。アクチビンA単独で予定外胚葉片に処理すると、筋肉を中心とした中軸中胚葉が形成される。それとは対照的に、胚の後方化や側方化を引き起こさせるレチノイン酸単独で予定外胚葉片に処理しても、特定の誘導は引き起こされない。しかし、両方で同時に処理すると、側板中胚葉由来である前腎管が誘導されるということは、アクチビンAにより誘導された背側中胚葉がレチノイン酸により後方ないし側方化された結果であるということを示唆している。

 前腎では筋肉や神経のような分化マーカーがいまだに定義されていない。そこで、前腎の分化マーカーを既存の遺伝子より任意に設定し、その発現様式を解析した。前腎マーカー遺伝子として、Xlim-1とXlcaax-1を選択し、それぞれの遺伝子の発現パターンを解析した。その結果、この2つの遺伝子は、正常発生の異なる時期に前腎の細胞系譜で発現され、その発現パターンよりXlim-1は腎管形成の初期マーカー遺伝子として、Xlcaax-1は後期マーカー遺伝子として利用でき、2つの遺伝子を組み合わせて用いることにより腎管形成過程を追跡することが可能であるということが示唆された。そこで、外植体に誘導された前腎管が、遺伝子の発現レベルでも正常胚の前腎管と同様の過程を経て形成されているのかを調べるために、ここで設定した2つの前腎マーカー遺伝子(Xlim-1,Xlcaax-1)の発現様式を解析した。その結果、外植体に誘導された前腎管は、正常胚の前腎管と同様に、適時適所でこれら2つのマーカー遺伝子を発現しているということが明らかになった。この結果より、外植体に誘導された前腎管は、その形成の初期過程から正常胚と同様の遺伝子発現を行っており、分子レベルでも正常胚の前腎管の発生と並行して進んでいるということが示唆された。

第II部:Na+-K+-ATPase a subunitはツメガエル胚では原腸陥入中に必要とされている

 Na+-K+-ATPaseは、腎臓における塩や水分の再吸収や、膜を介して細胞内外に形成される電気的勾配の調整において重要な役割を担っている。また、胚発生中にも、胞胚腔や神経管の形成においても重要な役割を担うことが報告されている。このNa+-K+-ATPase a subunitのツメガエル胚における発現様式をwhole-mount in situhybridization法により解析した。その結果、Na+-K+-ATPase a subunitは、原腸胚期には原口の背側域で、神経胚期には神経管全域にて、尾芽胚期には前腎及び総排泄口にて、おもに発現していることが明らかになった。

 外植体に誘導された前腎管が、正常胚と同様の過程を経て発生するばかりではなく、正常胚と同様に機能しうるかどうかを調べるために、前腎の機能タンパクの一つであるNa+-K+-ATPase a subunitの発現様式をwhole-mount in situ hybridization法により解析した。その結果、外植体に誘導された前腎管は正常胚と同様の時期から前腎管での発現を開始することが明らかになった。

 Na+-K+-ATPaseの胚発生中における役割を調べるために、Na+-K+-ATPase a subunitのアンチセンスRNAをツメガエル初期胚に顕微注入した。その結果、胚には著しい陥入阻害が確認された。また、特に背側に顕微注入した場合には、胚の頭部の形成が阻害された。これらの結果は、Na+-K+-ATPaseが原腸陥入や頭部の形成おいて重要な役割を担っていることを示唆している。

第III部:XCIRPは、発生中の前腎や神経組織で一過的に発現している

 10ng/mlアクチビンAと10-4Mレチノイン酸で処理した外植体で発現し、腎形成に関与している遺伝子を単離するために、ディファレンシャル・ハイブリダイゼーション法によるクローニングを行った。クローニング用のライブラリーとしてはSt.15〜34の胚由来のcDNAライブラリーを作製した。また、プローブとしては、処理後24時間培養した外植体由来のcDNAプローブと、St.6の胚由来のcDNAプローブを準備した。これらのプローブを用いて実験を行った結果、前腎形成のある一時期にのみ前腎域で発現する遺伝子がクローニングされた。この遺伝子の全配列を決定し配列検索を行った結果、マウスのcold-inducible RNA binding protein(CIRP)とアミノ酸配列で75%の相同性を持つことが明らかになった。さらに、whole-mount in situhybridization法により発現領域を調べたところ、この遺伝子は前腎管や神経組織形成の中期に一過的に前腎域あるいは神経域で発現していた。

 本研究では、ツメガエル予定外胚葉片をアクチビンとレチノイン酸という2つの誘導因子で処理することにより前腎管を特異的かつ高頻度に誘導し、この前腎管を正常胚の前腎管と比較し、さらに、この誘導系をもちいて前腎形成関連遺伝子のクローニングを行った。アクチビン単独では、予定外胚葉片からは前腎は誘導されないが、これにレチノイン酸を加えると前腎管が非常に高頻度に誘導された。このことは、アクチビンの誘導特異性をレチノイン酸が修飾していることを示唆している。このメカニズムについては不明な点が多く今後さらに検討を要するであろう。また、腎形成のメカニズムをより理解するためには、腎形成に関わる遺伝子群を単離することも重要な作業となる。今回クローニングされた遺伝子は、腎形成の一時期に一過的に発現しているという点では重要であるが、前腎の誘導には関わっていない。今後さらなるクローニングにより前腎形成の初期に関わる遺伝子の単離をおこなうことが重要となるだろう。しかしながら、本研究はこれまで困難とされてきた、精製された物質による腎臓の誘導をおこない、人工的に本来の機能を有する組織の誘導を可能にした。この実験系を利用することにより、腎臓を分子レベルで解析することも可能である。このように本研究によりえられた成果は、腎臓の発生分化の過程を組織学的および分子生物学的に解析する上で有効な実験系となるであろう。

審査要旨

 魚地君は「ツメガエル初期発生中における前腎分化についての分子生物学的研究」を行って、優れたいくつかの成果を得ている。

 腎臓は器管形成の研究のための良きモデル器官として古くから利用されている。腎臓は、最初に前腎が分化し、それに続いて中腎・後腎が分化することにより形成される。腎分化には、最初に前腎原基が誘導されること、他の組織由来の因子が存在することが必須条件であり、腎分化の初期段階の解析には前腎の発生分化機構を調べることが重要であるということが推察されている。そこで魚地君は、組織分化のモデル機構として、両生類での初期発生の前腎の発生過程を分子レベルで解析することを目的とし、大きくつぎの3つの実験を行い、明確な成果を得ている。

 まず第一に、ツメガエル予定外胚葉片での前腎管形成中における連続した遺伝子発現をみている。ツメガエル胞胚の予定外胚葉片(0.3×0.3mm)を、10ng/mlアクチビンAと10-4Mレチノイン酸で処理したとき、前腎管が非常に高頻度(100%)でかつ特異的に誘導されるということが明らかにした。つぎに、前腎マーカー遺伝子として、Xlim-1とXlcaax-1を選択し、それぞれの遺伝子の発現パターンを解析した。その結果、外植体に誘導された前腎管は、正常胚の前腎管と同様に、適時適所でこれら2つのマーカー遺伝子(Xlim-1とXlcaax-1)を発現しているということが明らかにした。

 2番目は、Na+-K+-ATPase a subunitの遺伝子をクローニングし、この遺伝子がツメガエル胚では原腸陥入中に必要とされていることを明らかにした。まず、Na+-K+-ATPase a subunitの遺伝子をクローニングし、ツメガエル胚における発現様式をwhole-mount in situ hybridization法により解析した。その結果、Na+-K+-ATPase a subunitは、原腸胚期には原口の背側域で、神経胚期には神経管全域にて、尾芽胚期には前腎及び総排泄口にて、おもに発現していることが明らかになった。Na+-K+-ATPaseの胚発生中における役割を調べるために、Na+-K+-ATPase a subunitのアンチセンスRNAをツメガエル初期胚に顕微注入した。その結果、胚には著しい陥入阻害が確認された。また、特に背側に顕微注入した場合には、胚の頭部の形成が阻害された。これらの結果は、Na+-K+-ATPaseが原腸陥入や頭部の形成おいて重要な役割を担っていることを明らかにしている。

 3番目は、新規の遺伝子としてXCIRPの遺伝子をクローニングし、解析して、この遺伝子がは、発生中の前腎や神経組織で一過的に発現していることを明らかにした。10ng/mlアクチビンAと10-4Mレチノイン酸で処理した外植体で発現し、腎形成に関与している遺伝子を単離するために、ディファレンシャル・ハイブリダイゼーション法によるクローニングを行った。その結果、前腎形成のある一時期にのみ前腎域で発現する遺伝子がクローニングされた。この遺伝子の全配列を決定し配列検索を行った結果、マウスのcold-inducible RNA binding protein(CIRP)とアミノ酸配列で75%の相同性を持つことが明らかになった。さらに、whole-mount in situ hybridization法により発現領域を調べたところ、この遺伝子は前腎管や神経組織形成の中期に一過的に前腎域あるいは神経域で発現していることを明らかにした。

 魚地君の行った研究は、ツメガエル予定外胚葉片をアクチビンとレチノイン酸という2つの誘導因子を用いることによって、これまで困難とされてきた、精製された物質による腎臓の誘導をおこない、人工的に本来の機能を有する組織の誘導を可能にした。この実験系を利用することにより、腎臓を分子レベルで解析することも可能であることを初めて明らかにした点は学問上大きな意義がある。このように本研究によりえられた成果は、腎臓の発生分化の過程を組織学的および分子生物学的に解析する上で有効な実験系となると考えられる。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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