サイクリックAMP(cAMP)は原核生物から真核生物まで広く存在する細胞内情報伝達物質であり、細胞が捕らえた環境シグナルを細胞内に伝えるセカンドメッセンジャーの働きをしている。cAMPはラン藻の細胞にも含まれ、明暗変化、pH変化、嫌気好気変化などの環境変化に対してすばやい濃度変化を起こす。このことからラン藻においても他の原核、真核生物と同様にcAMPが細胞内情報伝達物質として働いていると考えられている。しかし、ラン藻におけるcAMPの具体的な機能は不明である。cAMPはアデニル酸シクラーゼによってATPから合成される。細胞内cAMPレベルの変化はアデニル酸シクラーゼ活性の調節を通じて行われていると考えられるが、その調節機構は未だ不明である。 我々の研究室において糸状性ラン藻Spirulina platensisから大腸菌のアデニル酸シクラーゼ遺伝子欠損株の表現型を相補する7種のDNA断片が単離されている。このうち1つはアデニル酸シクラーゼ遺伝子の全長を、2つは部分長を含んでいることが塩基配列の決定により明らかとなっている。S.platensisは少なくとも3つのアデニル酸シクラーゼ遺伝子を持っていると考えられる。本研究はその中で未同定の遺伝子であるcyaCの構造と機能を明らかにし、ラン藻におけるアデニル酸シクラーゼの活性調節機構を解明することを目的とした。 私はS.platensisのアデニル酸シクラーゼの部分長を含むプラスミドpCYA71の一部をプローブに用いて、S.platensisのゲノムライブラリーをプラークハイブリダイゼーション法によりスクリーニングを行った。その結果、遺伝子(cyaC)の全長を獲得した。CyaCは1202アミノ酸からなる推定分子量約13.4万のタンパク質であった。 アデニル酸シクラーゼの触媒部位を除いたCyaCの他の部位のホモロジー検索を行ったところ、主に原核生物の環境応答系で働く二成分制御系情報伝達分子であるシグナルセンサータンパク質と応答レギュレータータンパク質の両方の機能部位と相同性が見られた。応答レギュレータータンパク質の機能部位は、シグナルセンサータンパク質の機能部位を挟んで2カ所存在していた。つまりN末端側から応答レギュレータータンパク質、シグナルセンサータンパク質、応答レギュレータータンパク質、そしてアデニル酸シクラーゼの機能部位が順に並んだ構造をしていた。これまでに各種の原核生物からこの情報伝達タンパク質に属する分子が百種類以上見つかっている中で、酵素の触媒部位と応答レギュレータータンパク質の機能部位を持つ分子は数例あるが、CyaCのようにさらにシグナルセンサータンパク質の機能部位を兼ね備えたタンパク質は知られていない。 原核生物の環境応答系ではシグナルセンサータンパク質が外界からの刺激を受けて自己リン酸化し、このリン酸基を応答レギュレータータンパク質に転移する。応答レギュレータータンパク質の多くは転写調節因子でリン酸化によってDNAとの結合能が変化し、その結果標的となる遺伝子の発現が変化することが知られている。このことからCyaCは何らかの刺激でシグナルセンサー部位を自己リン酸化し、このリン酸基を応答レギュレーター部位に転移すると考えられる。リン酸化された応答レギュレーターの働きによって、アデニル酸シクラーゼ活性が変化すると推測した。 次に、cyaC遺伝子産物(CyaC)のS.platensisの細胞内での発現を調べるためにCyaCに対する抗体を2羽のウサギを免疫して作製した。S.platensisの細胞破砕標品を可溶性画分と膜画分に分画した後に、作製した抗体を用いてイムノブロッティングを行った。その結果、推定された分子量約14万とほぼ等しい位置にバンドが検出され、CyaCが通常の培養条件で発現していることが明らかとなった。CyaCは膜画分と可溶性画分の両方に存在していたが、膜画分により多く存在していた。また、CyaCは界面活性剤によって可溶化された。CyaCは一次構造の疎水性解析から親水性タンパク質と予測できることから他の因子を介して膜に結合している可能性が考えられる。 S.platensisの細胞破砕標品をジチオトレイトールで処理せずに電気泳動を行うと、作製された二種の抗血清のうち一方の抗血清はイムノブロッティングでCyaCを認識できなくなった。このことからこの抗血清はジチオトレイトールで還元されることによって露出される部位を特異的に認識していると考えられた。CyaCのあるシステイン残基は、生理的な条件下では露出しておらず、何らかの結合状態にあることが示唆された。 さらに、CyaCの機能を生化学的な手法で解析するために、cyaCをヒスチジンが6個並んだタグとの融合タンパク質(His-CyaC)として大腸菌を用いて発現させた。His-CyaCをニッケルカラムによるアフィニティークロマトグラフィー,ゲル濾過を順次行ってほぼ完全に精製した。この標品を用いてアデニル酸シクラーゼ活性を測定したところ、最大活性は約0.5mM ATPで得られ、Km値は13Mであった。また、本酵素の2価カチオンの要求性を測定したところ、Mg2+およびMg2+によって活性化されるが、Mn2+による活性化は等濃度のMg2+に比べ数百倍高いことが明らかとなった。一方、CyaCの自己リン酸化活性における2価カチオン要求性はMg2+、Mn2+でほぼ同レベルであった。 CyaCのシグナルセンサータンパク質の機能部位にある572番目のヒスチジン残基は自己リン酸化によってリン酸化される部位であり、2カ所ある応答レギュレータータンパク質の機能部位中の60番目と895番目のアスパラギン酸残基は、一次構造の相同性からリン酸基を転移される部位と想定された。それぞれを、グルタミン残基、アラニン残基に置換した変異体、CyaCH572Q、CyaCD60A、CyaCD895Aと、60番目と895番目の二重変異体、CyaCD60A-D895Aを作製し、これらのリン酸化活性とアデニル酸シクラーゼ活性を解析した。自己リン酸化活性を測定したところCyaCH572Qのみが自己リン酸化活性を失った。また、自己リン酸化後、リン酸基のpH安定性を解析したところ、CyaC(wild-type)とCyaCD60Aではヒスチジン残基とアスパラギン酸残基がリン酸化されていることが推定された。一方、CyaCD895AとCyaCD60A-D895Aではヒスチジン残基のみがリン酸化されていることが推定された。つまり、895番目のアスパラギン酸残基を置換すると、CyaCのアスパラギン酸残基がリン酸化されなくなった。これらの結果から、CyaCはまず,572番目のヒスチジン残基を自己リン酸化し、そのリン酸基を895番目のリン酸基に転移すると考えられた。また、これらの変異体を用いてアデニル酸シクラーゼ活性を測定したところ、895番目のアスパラギン酸残基がリン酸化されなくなった変異体である、CyaCH572Q、CyaCD895A、CyaCD60A-D895Aで野生型に比べて著しく活性が低下した。アデニル酸シクラーゼ活性は自己リン酸化活性とほぼ同じ条件で測定している。これらのことからCyaCは572番目のヒスチジン残基の自己リン酸化後、895番目のアスパラギン酸残基にそのリン酸基が転移され、その結果アデニル酸シクラーゼ活性が促進されると考えられた。 最近、我々の研究室で別の種のラン藻であるAnabaena sp.strain PCC 7120から、cyaCのホモログが単離された。Anabaena 7120 は S.platensisと異なり、遺伝子操作の系が確立している。Anabaena CyaCの524番目のヒスチジン残基は自己リン酸化部位と想定される残基である。このヒスチジン残基をグルタミン残基に置換した変異株(KM2)を作製した。Anabaena 7120の野生株を暗所で40分間前培養した後、450、575、630、670、720、760nmの波長の単色光を照射した。その結果、450、575、630、670nmの波長の単色光の照射によってcAMPレベルは減少し、逆に、720、760nmの波長の単色光の照射によってcAMPレベルは増加した。KM2を用いて同様の実験を行ったところ、細胞内のcAMPレベルはいずれの波長にも応答せず、野生株の暗所のレベルの約1/2のレベルを保った。自己リン酸化部位と想定される524番目のヒスチジン残基は細胞内のcAMPレベルの維持、単色光の照射におけるcAMPレベルの変動を引き起こすためのCyaCの活性調節に重要な働きをしていることが明らかとなった。 |