内容要旨 | | 【背景と目的】 身体運動には,数多くの関節・筋が関与する.そのため,身体を合目的的に操作するために制御すべき自由度は膨大な数に上る.それ故,これら全ての自由度を個々に制御しようとすれば膨大な数の変数を決定しなければならなくなる.また,現実的には動作の初期条件(姿勢,脊髄運動ニューロンプールの賦活レベルなど)は常に変動しているため,たとえ同一の動作(例えば静止目標に対する的当て)を繰り返し行う場合でも,毎回同一の制御変数を用いることは必ずしも安定した動作を保証しない.そのため,実際の身体運動はこのような制御様式をとらず,その構成要素を少数の制約に従って柔軟に組織化し,構成要素の固定化ではなくむしろ適応的な変動によって安定したパフォーマンスを実現していると考えられる.本研究では,ある目的をもった身体運動(運動スキル)を遂行する際の動作・筋活動の適応的な変動について以下に示す4つの実験を行った 【実験1:素早いエイミング動作を正確に実行するための複数の調整】 目的 素早くかつ正確にポインタを移動させるエイミング課題を遂行する際には,たとえ目標が静止していても動作は試行ごとに変動する.本実験ではこのときの動作変動と調整の関係を検討した. 方法 被験者は成人健常者11名であった.実験課題はエイミング課題であり,被験者は動作開始信号の提示後なるべく素早くかつ正確に右肘関節を目標位置まで伸展させるよう求められた.試行は1ブロックを24試行とし,4ブロック行った.肘角度および上腕二頭筋・上腕三頭筋の筋活動をサンプリング周波数1000Hzにて記録した.また,動作を,角速度12°/sを基準値として主動作および副動作に分割した.更に主動作において,角速度が最大になる時点を基準としてそれ以前を加速局面,以後を減速局面とした. 結果と考察 各局面の終了時点における動作振幅の平均変動係数(VC)は,加速局面,主動作,副動作の順に小さくなった.この結果は,加速局面において生じた動作の変動を減速局面および副動作での調整によって減少させていることを示唆している.更に,加速局面における最大速度と,最大速度までの持続時間の逆数との間に有意な相関が認められた(rs=.46,n=44.P<.01).この結果は,これら2つの動作パラメータが加速局面における動作振幅を一定にするために相補的に変動していたことを意味している.これらの結果により,エイミング動作遂行の際には,動作開始直後の加速局面において動作振幅の変動を減少させるよう動作のパラメータが相補的・適応的に変動しており,更に加速局面で生じた変動を,減速局面および副動作によって調整していることが示された. 【実験2:ボール投げ動作におけるリリース変数の相補的協調】 目的 実験2ではボール投げによる的当て動作におけるリリース変数の相補的協応について検討した.投げられたボールの軌道は(空気抵抗を考慮しなければ)リリース時の変数によって一意に決定する.これらの変数が安定すれば当然ボールの落下点は安定するが,逆は必ずしも真ではなく,同一の落下点に収束する軌道は無数に存在しうる.実際に計測するとボール投げ動作の際のリリース変数は試行毎に変動しているが,この変動はそれ故同一地点に落下するようリリース変数が相補的に協応した結果創発した可能性がある.本実験はこの点について,リリース変数の相補的協応性を評価する方法を新たに開発し検討することを目的とした. 方法 被験者は大学生8名であり,実験課題は5m先の床の上におかれた目標(直径5cm,高さ2cmの円筒)に対して,非利き手で直径10cm,重さ400gのボールをできるだけ正確に下手投げで当てることであった.試行回数は150回とした.投球動作はタイマーカウンタを入れたCCDカメラにより60fpsで撮影された. リリース変数の協応性を評価するために,以下に示す方法(シャフリング法)を開発した.1)n(本実験ではn=30)試行を1ブロックとし,ブロック内で1試行毎の各リリース変数から計算された到達点の標準偏差(Rbefore)を計算する.2)ブロック内のリリース変数を無作為に並べ変える(シャフリング).3)並べ変えられたリリース変数から再び到達点の標準偏差(Rafter)を計算する.4)2および3の手順を1000回繰り返し,この平均標準偏差をシャフリング後の標準偏差(Rafter)とする.このとき,協応の指標(ICRV)はシャフリング前後の標準偏差比で与えられる.仮にリリース変数が相補的に関係し合っていたならばシャフリングによってその関係が分断されるためICRVは1より大きな値となる. 結果と考察 上記の手順によって算出されたICRVの信頼性係数は.99であった.また,1ブロックを30試行としたICRVの被験者間平均値は1より有意に大きな値を示した(図1).これらの結果より,ボール投げの際のリリース変数が相補的協応関係にあることが示唆された.このことは,たとえ同一目標に対する的当て動作であっても試行毎に同一のリリース変数が選択されているわけではなく,その場に応じて全体として落下点の分散を小さくするリリース変数の組み合わせが創発していることを示唆している. 図1 各ブロック毎のICRV値(±SE)【実験3:素早い動作の変更I.「バリスティック」動作はバリスティックではない】 目的 ある動作を行おうとした際,環境が突然変化した場合には動作をその変化に応じて素早く変更することが必要になる.しかし,動作開始後200ms以内に終了する高速度かつ持続時間の短い素早い動作は「バリスティック動作」と呼ばれ,このような動作の変更が困難であるといわれてきた.本実験では,このバリスティック動作の変更可能性について検討した. 方法 被験者は大学生および大学院生5名であった.被験者は第1信号に対して素早く肘関節を屈曲・伸展させるよう求められた(第1反応).このとき,第1信号の提示後50%の確率で第2信号が提示された.被験者は,第2信号が提示されたときには素早く動作を停止させる(停止条件),あるいは動作方向を反転させる(変更条件)よう求められた(第2反応).第1信号と第2信号の提示間隔(ISI)は,5,50,100,200,400msとし,試行毎にランダムに入れ換えた.実験条件は,第1反応について2条件(単純反応時間または選択反応時間),第2反応について2条件(停止または変更)とし,合計で2×2=4条件設けた.測定は各条件について80試行,計320試行行った. 結果と考察 ISIが5-100msのときには,第1反応が完全に抑制される(停止条件),または第1反応が開始されることなく第2反応が実行される(変更条件)という反応が出現した.またISIが5-200msのときには,第1反応が開始された後,動作の途中で停止・反転の行われた反応が全ての条件で出現した.本実験における平均動作時間は約110msであったが,これらの結果はこのような素速い動作でも遂行途中での抑制・変更が可能であることを示している. 【実験4:素早い動作の変更II.素早い動作抑制のための主働筋-拮抗筋活動の機能的変容】 目的 素早い動作の変更を行う際の筋活動の適応的変動について検討した.素早く指定された目標位置に到達する動作を行う際には,主働筋(AG1)-拮抗筋(ANT)-主働筋(AG2)という典型的な三相性の筋放電パターンが観察されるが,本実験ではこれらのうち,AG1およびANTの活動パターンの変容について検討した. 方法 被験者は成人健常者9名であった.用いた課題は停止信号反応時間課題であり,被験者は警告信号からランダムな時間間隔(1.5-3.5s)を経て提示される開始信号に対して素早く肘を45°伸展させる.この際,約50%の確率で停止信号が提示される.被験者はこの信号に対してできるだけ素早く動作の抑制を行う.開始信号から停止信号までの時間間隔(ISI)は0-200msとした.1ブロックを44試行とし,2日間で計8ブロックの試行を行った.このときの肘角度,上腕二頭筋および上腕三頭筋の筋電図をサンプリング周波数1000Hzで記録した. 結果と考察 停止信号が提示されたにも拘わらず発現してしまった動作の振幅は変更時間(停止信号提示時刻から筋放電開始時刻までの時間間隔)の増大に伴って直線的に減少した(図2A).しかしながら,このときの筋放電パターンは変更時間に対して非線形的な変化を示した.すなわち,AG1は変更時間が100msを超えてから徐々に減少する(図2B)一方で,ANTは変更時間が0-200msの区間では増大し,300msを超えると減少した(図2C).これらの結果は,動作抑制を行うための方略が変更時間に伴って適応的に変動していたことを示している. 図2 変更時間毎の最大動作振幅(A),AG1活動強度(B),ANT1活動強度(C)【まとめ】 以上の実験により,身体運動を実行する際の動作変動は,パフォーマンスが安定するよう動作の要素(パラメータ)が適応的に変動した結果生じるものであることが示された(実験1,2).更に,環境の変化により動作の素早い修正が必要になった場合には,動作のレベル(実験3)および筋活動のレベル(実験4)ですばやく,かつ適応的な変動が生じ得ることが示された. |
審査要旨 | | 本論文は、ヒトの随意動作の遂行時における動作や筋活動の変動について、運動制御における合目的的な状況への適応という観点から追究した4つの実験結果をまとめたものである。 一般に、ヒトの身体運動においては、動作開始時の身体の初期条件(姿勢、脳の賦活レベル、脊髄運動ニューロンプールの賦活レベルなど)に内在する変動のため、たとえ脳から同一の運動指令(motor command)が発令されても、毎回同一の動作結果すなわち安定したパフォーマンスが得られるとは限らない。また、通常の場合、周囲の環境も常に変化しているため、やはり同一の運動指令が再現性の高い安定した動作結果を生むとは限らない。そのため、実際の身体運動においては種々の制御変数の値を予め固定した運動指令によって運動を制御する制御様式をとるのではなく、むしろ状況に応じて運動指令を適応的に変化させることによってパフォーマンスの安定を実現していると考えられる。そのため、運動のある局面におけるその運動の構成要素のバラツキをみると、運動の最終結果のバラツキよりかえって大きくなる場合もあるが、それは実は最終的な出力の安定を確保するための合目的的な適応的変動であるというのが、本論文において著者が主張するところの骨子である。 本論文は6つの章から成る。第1章において研究の目的等について述べた後、第2章から5章までにおいて、以下に述べる4つの実験を通じて、著者の主張を支持する現象を報告し、第6章においてそれらの実験結果をを総括して論議を展開している。 実験1(第2章)は、「素早いエイミング動作を正確に実行するための複数の調整」に関するものである。成人健常者を被験者として、動作開始信号の提示後なるべく素早くかつ正確に肘関節を目標位置まで伸展させるエイミング課題を行わせ、動作を、角速度を基準として主動作および副動作に分割し、更に主動作を角速度が最大になる時点を基準として加速局面と減速局面に分割して各局面の終了時点における動作振幅の変動係数を測定した結果、変動係数が加速局面、主動作、副動作の順に小さくなったことから、加速局面において生じた動作の変動が減速局面および副動作での調整によって減少していることが示された。加速局面における最大速度と、最大速度までの持続時間の逆数との間に有意な相関が認められたことを合わせて考えると、素早いエイミング動作遂行の際には、動作開始直後の加速局面において動作振幅の変動を減少させるように、動作のパラメータが相補的・適応的に変動しており、加速局面で残った変動は、さらに減速局面および副動作によって調整されていることが明らかとなった。 実験2(第3章)は、「ボール投げ動作におけるリリース変数の相補的協応」についての実験である。ボール投げ動作では、投げられたボールの軌道は、空気抵抗を考慮しなければ、ボール投射の初速度、投射角度、リリース位置などのリリース変数によって一意に決定する。これらの変数が安定すれば当然ボールの落下点は安定するが、逆は必ずしも真ではなく、同一の落下点に収束する軌道は無数に存在しうる。本実験では、高速度ビデオカメラによって撮影されたボール投げ動作から、ボール投射の初速度、リリース位置、投射角度などのリリース変数を計測し、著者が独自に開発したシャフリング法を用いることによって、リリース変数の相補的協応指数(Index of Coordination of Release Variables=ICRV)を算出し、リリース変数間の相補的協応の実在を証明した。 著者の開発したシャフリング法とは次のようなものである。1)n(本実験ではn=30)試行を1ブロックとし、各試行のリリース変数の実測値から算出された到達点のブロック内SDを求める。2)各リリース変数について、ブロック内の全試行を無作為に並べ変える(シャフリング)。3)並べ変えられたリリース変数を用いて再び到達点のSDを計算する。4)2および3の手順を1000回繰り返し、その平均SDをシャフリング後のSDとする。このとき、ICRVはシャフリング前のSDに対する後のSDの比で与えられる。仮にリリース変数が相補的に関係し合っていたならばシャフリングによってその関係が分断されるため、ICRVは1より大きな値となる。 このようにして実際に算出されたICRVの被験者間平均値は仮説どおり1より有意に大きな値を示したことから、ボール投げの際のリリース変数が相補的協応関係にあることが示唆された。この結果は、たとえ同一目標に対するボール投げ動作であっても試行毎に同一のリリース変数が選択されるわけではなく、その場に応じて全体として落下点の分散を小さくするリリース変数の組み合わせが選定されていることを明らかに示すものである。 以上の実験課題は、安定した環境下で行われる動作の変動を扱ったものであるが、第4章及び第5章は、不安定な環境下における動作の変動を扱っている。ある動作を行おうとした際、環境が突然変化した場合には動作をその変化に応じて素早く変更することが必要になる。しかし、動作開始後200ms以内に終了してしまう高速で持続時間の短い素早い動作は「バリスティック動作」と呼ばれ、動作変更が困難であると言われてきた。本実験では、このバリステイック動作も、筋活動の適応的な変動によって、合目的的に変更できる可能性が示されている。 第4章に述べられている実験3では、被験者は第1信号に対して素早く肘関節を屈曲・伸展させるよう求められたが、第1信号の提示後50%の確率で第2信号が提示され、第2信号が提示された場合には素早く動作を停止(停止条件)、あるいは動作方向を反転させる(変更条件)よう求められた。その結果、第1信号と第2信号の提示間隔(ISI)が5-100ms以下のとき、停止条件では第1反応が完全に抑制される試行が、また変更条件では第1反応が開始されることなく第2反応が実行される試行がしばしば出現し、ISIが5-200msのときには、第1反応が開始された後、動作の途中で停止または反転の行われた試行が出現した。本実験の平均動作時間は約110msであり、明らかなバリスティック動作であるが、以上の結果は、このような素早い動作でも遂行途中での抑制・変更が可能であることを示すものであった。 第5章を構成する実験4は、実験3と同様の停止信号反応時間課題を用い、主働筋及び拮抗筋の活動を記録して、運動指令の適応的変動を検討したものである。被験者は開始信号に対して素早く肘を45度伸展させるが、約50%の確率で提示される停止信号に対してできるだけ素早く動作を抑制する。開始信号から停止信号までの時間間隔(ISI)は0-200msであった。 素早く指定された目標位置に到達する動作を行う際には、主働筋(AG1)-拮抗筋(ANT)-主働筋(AG2)という典型的な三相性の筋放電パターン(triphasic EMG)が発現することが知られている。本実験では、停止信号が提示されたにも拘わらず発現してしまった動作の振幅は「停止信号提示時刻から筋放電開始時刻までの時間間隔(modification time)」の増大に伴って直線的に減少したが、筋放電をみると、AG1はmodification timeが100msを超えてから徐々に減少するのに対して、ANTはmodification timeが0-200msの区間では増大し、300msを超えてから減少するというように、modification timeに対して非線形的な変化を示した。この結果は、動作抑制を行うために、動作停止の運動指令をその発令時刻と進行中の運動の時間関係に応じて適応的に変動させるような方略が採用されていたことを示している。 以上の実験結果は、身体運動の遂行時にみられる変動は、単に運動の構成要素のランダムな誤差によって生じるもののみではなく、パフォーマンスが安定するように中枢からの運動指令が適応的に変化した結果生じるものが含まれているということを、初めて定量的に示したものであり、ヒトの随意運動の制御メカニズムの解明のための新しい方法論を提示している点で、きわめて有意義な貢献をなすものと考えられる。以上により、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。 |