酢酸などで抽出したI型コラーゲン溶液は中性のpH,生理的な塩濃度、37℃に置くと、縞模様を有するコラーゲン線維を再構成するとともに、ゲル化する。I型コラーゲンはペプシンを用いると大量に組織から可溶化されるが、過剰にペプシン処理したI型コラーゲンはゲル化しにくかったり、脆いゲルしか形成されないことがある。ヒトなど哺乳類には現在のところ約20種のコラーゲン分子種が報告されている。これらのうち、ペプシン処理して、タンパク質として単離されるものはI型コラーゲン以外では、II型コラーゲン、III型コラーゲン、IV型コラーゲン、V型コラーゲン、VI型コラーゲン、VII型コラーゲン、VIII型コラーゲン、IX型コラーゲン、XI型コラーゲン、XII型コラーゲンなどだけである。これらのうち、不完全とはいえ再会合能を有することがはっきりしているものはI型コラーゲン、II型コラーゲン、III型コラーゲン、IV型コラーゲン、V型コラーゲンだけである。これらの会合体の構造はIV型コラーゲン以外を除いて、どれもI型コラーゲンと同様、線維の形態をとる。しかし、ゲルになるのはI型コラーゲンのみである。I型コラーゲンから再構成したゲルは生体材料および細胞培養の基質としても利用されており、I型コラーゲンの有する力学的な特性を持つ材料としてのみならず、細胞の機能発現・調節にも作用を有することが報告されてきた。 IV型コラーゲンは線維は形成せず、ポリゴナルメッシュワークを形成することが報告されている。最近、安達らはペプシン処理したIV型コラーゲンもポリゴナルメッシュワークを形成する能力があること、またメッシュワークのポアサイズは生体内の基底膜のメッシュワークポアサイズに近いものであることを示した。 1996年、村岡らは牛レンズカプセルから酢酸で抽出したIV型コラーゲン溶液が2Mグアニジン塩酸プラス10mMジチオスレイトールという条件下でゲルを形成することを発見した。IV型コラーゲンがゲル化するというはじめての報告である。学位論文提出者は、この研究論文の共著者であり、論文をまとめるにあたり、大きな貢献をした。提出された中里浩一の学位論文はこの研究を出発点に、IV型コラーゲンのゲル化機構を解明すべく、ゲル化に必要な環境条件及びゲル化をもたらすIV型コラーゲン間のユニークな相互作用を担っているドメインの構造を追求したものである。その結果、IV型コラーゲンが有するゲル形成能について興味深い知見が得られた。さらにゲル化機構についてのモデルが得られ、一般にIV型コラーゲン溶液、さらにはコラーゲンを主体として溶液がゲル化する上で必要な要件についての仮説が得られ、検証された。 本論文の研究内容は第3章と第4章の二つに分けられる。第5章にて総合的にIV型コラーゲンのゲル化機構について、一つの解釈(仮説)を提唱している。まず、第3章では「中性pHでの牛レンズカプセル由来IV型コラーゲンのゲル化」を検討した。村岡らのIV型コラーゲンゲル化で用いたのは、2Mグアニジン塩酸+ジチオスレイトールという非生理的な条件であった。生理的な条件下であってもIV型コラーゲンがゲル化することを見出した。ゲル化の機構を考察し、溶媒とタンパク質、特にコラーゲンらせん部位との相互作用を一般化した機構を仮説として提案した。すなわち、ゲル化は溶媒和している条件下で、タンパク質間の結合が形成され、三次元メッシュワークが形成される必要がある。また、IV型コラーゲンはグアニジン塩酸+ジチオスレイトールという常識的には生体高分子が解離する条件下で分子間結合するという仮説である。このような結合をするドメインとして、IV型コラーゲンにユニークなNC1ドメインの寄与がある。第三章では、生理的なpH,イオン強度下、特に低温ではコラーゲンらせんが比較的水和して、分子が分散すること、Tsillibaryらによれば、NC1ドメインとIV型コラーゲンらせんドメインの結合が見られることを基に、ゲル化を検討し、低温ではハンドリング操作中にも壊れないようなゲルが形成されることを見出した。しかし、温度をあげると壊れやすい。ゲルの壊れ易さの尺度として、遠心による不可逆的な体積の収縮を指標に温度の影響を検討した。この結果、ほぼハンドリングの時の壊れ易さに相関し、低温で生成したゲルの収縮にはより強い遠心力を必要とした。次いで、第4章では「IV型コラーゲン溶液のゲル形成に必要なドメイン間相互作用」を検討した。すなわち、IV型コラーゲンのらせん部位とNC1ドメインを切り離したものをそれぞれ別個に作成して、ゲル形成機構を見た。NC1ドメインを切り離したものではゲルは形成されなかった。そこで、インタクトなIV型コラーゲンに切り出したドメインを添加し、どのような作用を示すかを検討した。その結果、ゲル形成を阻害する作用を示し、これらのドメインの両方が分子間相互作用において重要であること、そして両ドメインが共有結合で繋がっていることが重要との結論が得られた。 5章における総合的な考察で展開したゲル化機構の解釈は未熟であることは否めないが、斬新で極めてユニークなものである。IV型コラーゲンのようにマルチドメインからなるタンパク質であり、かつ、出発材料が単純でないことから、クリアーカットの仮説を提出すること、さらにそれを実験系で検証することは容易ではないと推察される。現象の捉え方が斬新であり、IV型コラーゲンという特殊な構造を有するタンパク質を実際に取り扱ったもののみが到達しうる解釈である。まず、IV型コラーゲンの存在状態を大きく4つに分ける。一つは牛レンズカプセルから酢酸にて可溶化された、四量体を主体とする溶液状態。第二は四量体がさらに会合し、メッシュワーク会合体になっているが、フォーリングボールの落下速度を変えない会合体溶液。第三はフォーリングボールの落下速度が最初の数倍以下に低下するほどに、粘性の高い溶液で、ゲルとは言えないもの(ミクロなゲルが溶液内に分散しているか、フレキシブルな超分子会合体など)。そして、第四がゲル状態で、鉄球が観察時間内では全く落下しない状態。第四のゲル状態はIV型コラーゲン分子内のNC1ドメインとコラーゲンらせんドメインが結合している構造のIV型コラーゲン(インタクトIV型コラーゲンと本論文では呼んでいる)分子間でNC1ドメインとIV型コラーゲンとの結合を介して次々と会合して行った場合のみ達成が可能である。IV型コラーゲン分子同士はNC1を介さずとも相互作用し、会合体を形成しる。例えば、コラーゲンらせん間でのラテラルな会合である。その結果、ポリゴナルメッシュワーク会合体も形成しうる。しかし、フォーリングボールの落下速度の低下が観察されるほどに粘性が増加するには、鉄球のサイズに摩擦係数上は匹敵しうるサイズの会合体が形成されているか、溶媒との相互作用が広い範囲に渡るような広がりを持っているかである。 IV型コラーゲンゲルの形成にはポリゴナルメッシュワーク会合体の形成だけでなく、溶媒との十分な相互作用保ちつつなされるという、複雑な経路を経るものであり、しかも、速度論的支配下にある(可逆でない)と想定される。実験の初期条件を一定にしておいても、同じ様な結果が再現性よく実現されるということが少ない可能性もある。したがって、得られた実験結果を整理して、作業仮説を作って、実験するということの繰り返しになるのは当然であるが、実験データの詳細な点についての再現性をどこまで追求するか、あるいは、逆に見かけ上、矛盾するデータをどのように仮説に取り込んでいく必要があるか、など、ゲル化機構についての結論を導くのは極めて困難な課題かと思われる。中里浩一氏の論文ではこのような困難な課題に対して、一つの試すべき道をつけたと評価できる。以上により本論文は中里浩一に博士(学術)を授与するに相応しい内容であると判定した。 |