学位論文要旨



No 113162
著者(漢字) 孫,暁東
著者(英字)
著者(カナ) スン,シャオトン
標題(和) 図形科学教育用立体シュミレータの開発
標題(洋) The Development of a Solid Simulator for the Use in Early Undergraduate Graphics Education
報告番号 113162
報告番号 甲13162
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第160号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,賢次郎
 東京大学 教授 永野,三郎
 東京大学 教授 川合,慧
 東京大学 助教授 加藤,道夫
 東京大学 助教授 丹野,義彦
内容要旨

 図(形科)学は、理工学者および造形芸術関係者が立体を取り扱う際に不可欠な基礎知識として、多くの高等専門学校および大学前期課程において教えられている。図(形科)学の教育目的は、立体幾何学、および、立体の図的表現法(投影法)を教え、その教育を通して学生の空間認識力を養うことにあると言われている。教育の内容は図法幾何学が中心であり、教育手段としては、主として、板書と教科書などの2次元の教具が用いられている。一般に、教育は具象から抽象へと進むことが好ましいとされている。しかし、図法幾何学で多用される正投影による線図は、立体の図的表現のうちで最も抽象レベルの高いものであり、必ずしも学生にとって理解しやすいものではない。学生の理解を助けるために、模型の利用が推奨されているが、模型の製作には多くの時間が必要であり、また、自在な切断や相貫を可能とする材料は見あたらず、十分な効果をあげているとはいえない。CG(コンピュータグラフィクス)の豊かな図形表示機能を用いれば、シェーディング表示や動的表示など、より具象的で立体感の得やすい表示が可能であり、実物模型と類似の教育効果を挙げることが期待できる。また、CGの高度な図形処理機能を利用すれば、3次元立体と2次元の対応関係、任意立体の自在な切断や相貫など、従来の模型では困難であった処理も実現可能となるばかりでなく、少しづつ立体をずらしながら相貫線の変化を観察させるなど、従来の模型では不可能であった新しい教示法も可能となる。さらにまた、CGを図(形科)学教育の場に導入することは、近年、急速に普及しつつあるCG、CADの体験教育としても有用と思われる。そこで、本研究では、CGを用いて図(形科)学教育を支援するソフトウェアー図形科学教育用立体シミュレーターと、これを使用する図(形科)学コースウェアを開発し、また、このコースウェアによって試行教育を行い、学生へのアンケート調査、MCT(Mental Cutting Test)とMRT(Mental Rotation Test)および期末テストなどにより評価を行った。

 本シミュレータの開発にあたっては、以下の点に留意した。(1)立体感の得易い表示:CGにおいても、3次元の立体は「図」として2次元上に表現される。図においては奥行き情報が失われがちであり、図から立体情報を読みとるのは必ずしも容易ではない。心理学の研究結果によると、人の奥行き視知覚には12種類のキューが存在する。これらの多くはCGで実現可能である。本シミュレータでは、特に、回転表示を重視することにより、運動視差(Kinetic Depth Effect)による立体感の得易い表示を目指した。また、表示立体の回転により副投影などにおける板書の解析法を表現し、学生の3次元思考を喚起することをも目指した。(2)任意立体に関する自在な切断・相貫:現在の図(形科)学授業において、学生にとって最も理解が困難なのは「切断・相貫」の単元といわれている。これらの単元で補助教具として使用を可能とするため、任意立体の切断・集合演算を可能とした(立体モデル)。立体モデルと動的表示を組み合わせることにより、一方の立体を少しづつ動かしながら相貫線の変化を観測させるなど、従来、模型では実現できなかった新しい教示法を可能とした。相貫線を観察しやすくするために、太さはほかの稜線より太くし、色をも設定することができるようにした。(3)教育のための機能の充実:教育用の図形処理システムとしては、なんらかの図形処理操作に対して、正しい結果が得られるだけでは不十分である。教育においては、学生自身に考えさせることが何よりも重要であり、そのための適切な「間」が設定出来ることが重要である。また、教師が演示のために使用する場面を想定すると、特定の点、直線、平面に着目させることがよくあり、これらのマーキングが出来ることが必要である。表示設備の性能により、各要素のマーキングの色をも工夫した。このように、教育用のシステムには、通常のCADシステムには要求されない様々な機能が必要であり、本シミュレータの開発にあたっては、これらについて留意した。(4)容易な操作環境の実現:本シミュレータはあくまで教育用のツールであり、ツールの操作法の学習に手間取ったり、また、ツール操作が思考の妨げになったりしないよう、操作が簡単でわかりやすいことが必要である。以上を留意した上で、本シミュレータでは、立体データの生成保存、直軸測投影法と正投影法(三面図)の2種類の投影方式、回転表示、マーキング表示、実形表示、切断・相貫(集合演算)を基本機能として実現した。なお、本シミュレータはMS-Windows上で開発し、回転方向が分かり易い直感的回転表示Bitmapコントロールメニュー、ポップメニュー、ダイアログボックスの採用により、各種処理のマウス操作を実現した。

 本シミュレータを取り入れた新しいコースウェアを開発し、東京大学教養学部前期課程の図形科学講義において試行教育を行った。この試行教育では、従来通り、板書を中心に授業が行われ、作図法や、それに伴う基本概念の多くは、板書を通じて教えられた。補助教具としては、本シミュレータの他に、模型と教科書が使用された。試行教育においては、本シミュレータは教師の演示用として用いられ、パソコン上で作動させて、出力を液晶プロジェクタにより大型スクリーンに投影して表示した。シミュレータを使用した時間は、各授業90分の中、最後の10〜15分であった。シミュレータで表示する内容は、復習部分と向上部分の2種類で構成した。復習部分では、板書の内容をシミュレータで再現し、復習の目的を果たす。向上部分では、板書や模型では教示の困難な内容を付加的に示し、該当単元の理解を深めることを目的とした。

 本シミュレータを取り入れたコースウェアの開発にあたっては、以下の点に留意した。(1)対象立体全体のイメージをつかむため、各処理前に立体を回転する。(2)実物模型と類似および特徴のある立体の利用:空間直線の関係を教える単元を例とする。平行或いはねじれの関係にある2直線の図とその空間の位置関係は正投影図および模型からイメージするのは難しい。この単元のコースウェアの中に、学生が日常生活で慣れた立方体を軸測投影モードで、平行、ねじれの関係にある稜線をマーキングして回転し、2次元的な図的表示と空間の位置との対応関係を容易に思い浮かべる。(3)立体の回転により手書きの解析法の内容の再現:板書に描かれた立体の副投影図が回転機能を利用して、投影面を変化せずに板書の副投影図を再現する。このことから、立体に対する空間感覚を喚起することよって、立体と空間図形をイメージする能力を育成することに貢献する。

 試行教育における本シミュレータの教育効果を、学生へのアンケート調査、MCT、MRT、期末テストによって評価した。なお、評価にあたっては、シミュレータ使用を除いて、教育内容、教育法がほぼ類似の授業を行い、これと比較した。以後、シミュレータを使用した組を実験組、シミュレータを使用しない組を対照組と呼ぶ。評価の対象とした学生は、上記すべての調査・テストに参加した者とし、実験組73名、対象組65名であった。

 学生へのアンケート調査の主な結果を以下に示す。立体シミューレータの授業への導入の如何については、ほぼ全員(97.2%)が賛成し、学生は肯定的な態度を示した。授業の理解にとって、どのような教具が役立ったかの問いについては、板書、模型、教科書などの他の教具に比べ、シミュレータは最も高い評価を得た。シミュレータの使用が、どのような能力の向上に役だったかに関する問いについては、"作図能力"の向上については、60.2%の学生が否定的な評価を与えたのに対し、"図からの立体の読み取り能力"の向上と"立体の操作(切断・相貫など)の能力"の向上については、「大いに役に立つ」と「役に立つ」と肯定的に解答した学生は、それぞれ、94.5%と79.4%に達し、読図、立体操作に対する能力の育成に積極的な役割を果たしたと答えた学生が極めて高い割合を占めた。

 授業前後に行ったMCTの主な結果を次に示す。前後MCT(満点:25)の結果によれば、実験組、対照組における前後テスト間の上昇平均点は、それぞれ、5.8(SD:3.02)4.3(SD:3.53)で、実験組の平均得点の上昇は対照組に比べて1.5点大きく、この差は1%水準で有意であった。この差は立体シミュレータを取り入れた新しいコースウエアの効果と考えられる。MCTは、主に、立体図から三次元形状のイメージを生成、処理する能力、すなわち、読図能力を反映するものと考えられており、ここでの調査結果は本シミュレータの使用が読図能力の育成に有効なことを示している。

 本立体シミューレータ開発の主たる目的は、CGを利用して、読図、立体操作等に関する理解を促進することである。上述したアンケート調査の結果、および、MCTの結果は、開発目標が達成されたことを示しているものと思われる。

 一方、前後MRT調査における実験組の上昇は5.5(SD:5.20)点、対照組の上昇は4.5(SD:5.94)点で、実験組の平均得点の上昇は対照組に比べて1点程大きいが、この差は有意とは認められなかった。MRTは、主に、3次元立体のイメージを心的に回転する能力を評価するものと考えられており、調査の結果は、立体シミュレータを用いたコースウエアはこのような能力の育成には大きくは役立たなかったことを示している。ただし、後MRT、とくに、実験組の後MRTの得点(33.0(SD:5.68))分布は高得点側に偏っており、天井効果の影響で両組MRT平均得点の前後差に有意差が認められなかった可能性も考えられる。

 また、期末テスト(満点:80)の結果は、実験組平均点56.9(SD:15.41)、対象組平均点54.3(SD:14.87)で、実験組の平均得点は対照組に比べ2.6点程度大きいが、この差は有意とは認められなかった。期末テストは読図(20点)、図に関する知識(20点)および典型的な図法幾何学の作図問題(相貫:40点)の3問からなっている。図に関する知識問題における両組の平均得点差は有意差が認められたが、読図、作図問題には有意に認められなかった。アンケート調査において、多くの学生が、シミュレータの使用により読図、立体操作能力が向上したと自己評価しており、また、MCT調査の結果も、その結果を支持しているのに対し、それが期末テストの読図問題成績に反映されなかった原因はの一つとして、今回の期末テストの読図問題の得点は両組ともに高得点側に偏っており(20点満点の割合が65%を越えた),天井効果の影響で両組の差に有意が認められなかったことが考えられる。また、典型的な図法幾何学問題において差が認められなかった原因としては,この問題においては作図法を正確に適用すれば正解できることなどが考えられる。

 本研究おいては、図形科学を支援するソフト-図形教育用立体シミュレータを開発した。そして、該当シミュレータを活用するコースウェアをも開発した。このコースウェアによる教育目標の達成における効果をアンケート調査、MCTとMRTおよび期末テストを用いて評価した。その結果、立体シミュレータを利用した授業は教育目標の達成に貢献したことを示した。

審査要旨

 本論文は、図形科学教育用CAI(Computer Assisted Instruction)を開発し、その教育効果を試行教育を実施することにより評価したものである。現行の図形科学教育においては、図法幾何学を教科内容とし、正投影図を中心とした教育が行われている。一般に、教育は具象から抽象へと進むことが好ましいとされている。しかし、図法幾何学で多用される正投影図は、立体の図的表現のうちで最も抽象レベルの高いものであり、必ずしも学生にとって理解し易いものではない。学生の理解を助けるために、模型の利用が推奨されているが、模型の製作には多くの時間が必要であり、また、自在な切断や相貫を可能とする材料は見あたらず、十分な教育効果を挙げているとは言えない。近年のコンピュータ・グラフィックス(以下、CG)の豊かな図形表示機能を用いれば、シェーディング表示や動的表示など、具象的で立体感の得やすい表示が可能であり、模型と類似の教育効果を挙げることが期待できる。また、CGの高度な図形処理機能を利用すれば、任意立体の自在な切断や相貫など、従来の模型では困難であった処理も実現可能となるばかりでなく、少しずつ立体を移動させながら相貫線の変化を観察させるなど、従来の模型では不可能であった新しい教示法も可能となる。さらにまた、CGを図形科学教育の場に導入することは、近年、急速に普及しつつあるCG、CADの体験教育としても有用と思われる。本論文は、上記の考えのもとに、CGを用いて図形科学教育を支援するソフトウェアー図形科学教育用立体シミュレーターを開発し、その教育効果を試行教育を行うことにより評価したものである。

 本論文は6章から成っている。第1章は序論であり、上述のように研究の背景、目的を述べている。さらに論文の構成について述べている。

 第2章においては、計算機援用教育(CAI)の発展を概説し、また、従来、発表されているCAIのうち図形科学教育に関連したものについて紹介している。

 第3章においては、立体シミュレータ・ソフトの開発について述べている。まず、図形科学教育の現状を考察し、その教育目標を達成目標、向上目標、体験目標の三領域に整理している。次に、CGの図形科学教育における教具としての新しい可能性について、心理学によって得られた奥行き視知覚に関する知見を参考にしながら考察している。すなわち、CGの図形表示機能-特に、動的回転表示-を用いれば、運動奥行き効果等によって、立体感が得やすく、従って、理解し易い表示が得られること、また、表示の抽象レベルを容易に制御できること、さらにまた、CG(ソリッドモデル)の図形処理機能を用いれば、任意立体に関する自在な切断や相貫が可能であり、これと動的表示を組み合わせることにより、従来の教具では不可能であった新しい教示法も可能となること等である。開発した立体シミューレータにおいては、立体の生成と保存、切断と集合演算(相貫)、各種投影法(軸測投影、正投影)、各種表示法(線画とシェーディング表示、マーキング、動的回転表示)、操作の容易なユーザー・インターフェースを実現している。

 第4章においては、本立体シミュレータを補助教具として取り入れた図形科学コースウェアの開発、および、その試行について述べている。試行教育は東京大学前期課程の図形科学講義(半年1学期、90分/週)において実施された。このコースウェアは、従来通り、板書を主教具としたもので、作図法や、それに伴う基本概念の多くは、板書を通じて教えられた。立体シミュレータは教師の教示用補助教具として用いられ、これをパソコン上で作動させ、出力を液晶プロジェクタにより大型スクリーンに投影して表示した。立体シミュレータを使用した教示は、各授業90分中、最後の10〜15分間であった。各週毎に詳細な指導計画が策定されている。

 第5章では、立体シミュレータ、および、それを取り入れた試行コースウェアの教育効果の評価について述べている。評価法として用いられたのは、学生へのアンケート調査、空間認識力テスト(切断面実形視テスト他)、および、期末テストである。なお、評価に当たっては、立体シミュレータの使用を除き、教育内容、教育方法がほぼ同じ授業を行い、これと比較している。上述したアンケート調査、空間認識力テスト、期末テストの結果は、立体シミュレータが図形科学授業の理解(達成目標の一部)、空間認識力の育成(向上目標)、および、CGの体験(体験目標)に有効であったことを示していることから、本シミュレータの開発目標は達成されたものとしている。

 第6章は終章で、本研究の内容をまとめている。

 以上を要するに、本論文は、CGを利用して図形科学教育を支援するソフト-図形科学教育用立体シミュレーター、および、これを活用するコースウェアを開発し、さらにその教育効果を試行教育を実施して評価したものであり、その図形科学教育上の意義は大きい。本論文が博士(学術)の学位に値するという点について、審査委員会全員の致を見た。

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