学位論文要旨



No 113168
著者(漢字) 増田,信之
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,ノブユキ
標題(和) アクリーションディスクの動的不安定性の数値シミュレーション
標題(洋) Simulations of Dynamical Instability of Accretion Disks
報告番号 113168
報告番号 甲13168
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第166号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江里口,良治
 東京大学 教授 阿部,寛治
 東京大学 助教授 蜂巣,泉
 東京大学 助教授 牧野,淳一郎
 東京大学 助教授 小河,正基
内容要旨

 天体の活動的な現象には、アクリーションディスクが密接に結び付いている。小さなスケールでは、新星爆発や矮新星のバーストなどの白色矮星と関連した活動、X線バーストといった中性子星のまわりの現象があり、大きなスケールでは、銀河中心核や活動銀河核などのまわりの活動現象を支配していると考えられている。このように天体の中でも目ざましい現象に関連しているため、アクリーションディスクの生成過程や安定性について、現在までに様々な研究がなされてきた。特に、その活動現象はディスクの不安定性と関連していると考えられるので、不安定性を解明することが重要であるが、不安定な場合、その不安定性が非線形領域に至る成長に関しては、精度の高い解析がなされてきてはいない。そこで、本研究では、さまざまな原因で起きるディスクの不安定性の成長を、非線形領域まで正確に計算して調べることを目的としている。

 ディスクの動的な不安定性としては、次のようなものがある。

1)Papaloizou-Pringle不安定(Paploizou & Pringle 1984,1985)

 これは、流体が非一様な流れを持つ場合に起こる流体力学的な不安定性である。天体の場合には、恒星のまわりのアクリーションディスクが非一様回転しているために起こり、非軸対称な揺らぎが成長していく不安定性として現れる。この不安定性については、現在までに線形安定性理論を用いた安定性解析とダイナミカルなシミュレーションが行われている。線形安定性理論による解析は、流体力学での安定性理論を適用して、この不安定性のさまざまな性質を明らかにしてきた(Glatzel 1987,1987)。しかし、線形安定性理論では不安定になることとその成長率を知ることはできるが、ディスクの運命を知ることはできない。不安定性が成長して最終的にはどのような状態になるかを知ることは、天体物理的に関心のある重要な問題である。そのためには非線形発展のシミュレーションが必要となり、これまでに二つのグループが計算を行なった(Zurek & Benz 1986;Hawley 1990,1991)。その二つの計算から、不安定の成長はディスクを壊してしまうほどの激しいものではないことがわかった。しかし、二つの数値計算には、不十分な点がある。一つは、数値的な困難から十分に長時間の進化を計算できていないことであり、不安定が起こった後で最終的にどのような角運動量分布を持ったディスクになるのかが示されていないのである。二つ目に問題なのは、2つの結果に食い違いがあることである。それは、ディスクの物質の分布と流れのパターンに見られる。その原因は、数値計算の方法にあると思われる。ZurekたちはSPH法を用いているが、使用している粒子数が1000から3000程度でしかない。また、Hawleyは差分法を用いているが、数値的な角運動量輸送がどの程度抑えられているかが明確ではない。

2)Runaway不安定(Abramowicz et al.1984;Nishida et al.1996)

 これはディスクを完全に破壊してしまう軸対称な不安定性である。この不安定性では、ブラックホールのまわりの自己重力ディスクを構成するガスがロッシュローブからあふれ始めると、ガスの流出が暴走的に続き、ディスクが破壊されると考えられる。この不安定性は、これまでディスクのガスがロッシュローブを満たした臨界的な平衡状態を使って解析されてきた。この不安定性がどの程度の時間尺度で成長して、どのような状態になるかを調べることはシミュレーションによらなければならない。このとき重要なのは、この不安定性がディスクに自己重力があることで起きることである。つまり、シミュレーションではディスクの自己重力を考慮して行なわなければならない。

 本論文は、上に述べた動的な不安定によるディスクやトロイドの進化をシミュレーションしようとするものである。本研究では流体の数値解法として、Smoothed Particle Hydrodynamics法(SPH法)(Lucy 1977;Monaghan & Gingold 1977)を用いる。この方法は粒子法の一種で、流体を仮想的な粒子の集合として考え、その重ね合わせとして流体全体を表現し、一つ一つの仮想粒子について運動方程式を解き、その解をを使って流体の運動を調べるものである。この方法の大きな特徴は、質点とみなした仮想粒子の運動を追いかけていくので、流体の連続の式が自動的に成立することである。その際、離散的な量から連続的な量を求めるために、粒子にある大きさの広がりを持たせて対処している。

 シミュレーションするモデルとしては、銀河中心核(ブラックホール+アクリーションディスク)やコンパクトな連星系(ブラックホールや中性子星)に生じたアクリーションディスクを念頭におくので、中心天体としてはブラックホールを考える。

 第一に行なったのは、runaway instabilityの計算である。まず、ブラックホールのまわりに、ポリトロープ指数3のガスからなる自己重力トロイドが回転している状態を考える。ブラックホールは、一般相対論的に扱う必要があるが、簡単化のためここでは擬ニュートンポテンシャルを使う。このポテンシャルは、シュワルツシルド時空の主な性質を定量的にかなりの程度で近似するものである。そのとき、ガスが自己重力圏であるロッシュローブから少し溢れだした状態を初期条件として計算を開始する。ディスクの初期の回転則として、角速度を=k/rqと仮定し、パラメータqを変えることで、比角運動量一定、ケブラー的回転、速度一定の3通りを考えた。それぞれの回転則の場合、トロイドの重力が中心のブラックホールの数%から10%以上であると、トロイドが1-2回転する間に、トロイドのガスの大部分がブラックホールに落下して、トロイドが完全に破壊されることが示された(Masuda & Eriguchi 1997)。

 最近、Daigne & Mochkovitch(1997)によって、角運動量がディスクの外側に向かって増大している自己重力のないディスクでは、runaway instabilityが起きないことが、平衡状態のモデルを使って示された。このことは、Masuda & Eriguchi(1997)と矛盾しているように見える。しかし、これら2つの扱った対象には、一つの大きな違いがある。つまり、ディスクの自己重力を取り入れるか否かである。そこで、本研究では、ブラックホールとディスクの質量、ディスクを構成するガスの状態方程式及び回転則に関して、Daigne & Mochkovitch(1997)と全く同じ状態を作りだし、それに摂動を加えることで安定性を調べた。その際、自己重力の影響を直接的に調べるために、ディスクとしては自己重力がない場合とある場合について進化の計算を行なった。動的な計算の結果としては、自己重力がない場合には、彼らの結果を再現して安定化した。しかし、自己重力がある場合には、ディスクの全質量の3%以上の質量を初期の摂動として中心ブラックホールの方へ落すと、runaway instabilityが起きることがわかった。このことは、自己重力のあるディスクの平衡状態のモデルを使った計算でも確かめることができた。従って、ディスクの自己重力がrunaway instabilityに対して、強い影響を持つことが理解できる。

 第2の問題としては、ブラックホールのまわりのアクリーションディスクにおけるPapaloizou-Pringle不安定の成長のシミュレーションである。その際、ブラックホールとディスクに関しては、runaway instabilityの場合と同じように擬ニュートンポテンシャルを用い、N=3のポリトロープガスを取り扱う。ただし、ディスクの構造としては、ガスがロッシュローブを満たしていない状態を初期状態とする。また、この不安定性は強いものではないと予想されるので、最終的な状態を知るためには、長時間の進化を追う必要があり、さらに、従来の計算における結果の食い違いを解消するためには精度の高い計算が要求される。

 SPH法を使って精度の高い計算を行なうためには、粒子数を多くする必要がある。したがって、計算量の点からすると、直接計算をワークステーションで計算することは困難となる。そこで、本研究では計算速度をあげるために、MD-GRAPEを用いる。MD-GRAPEはGRAPEの一種で、任意の中心力とそのポテンシャルを計算できる専用計算機である(Fukushige et al.1996)。MD-GRAPEを用いることで、密度や圧力勾配を求める部分の計算を高速化した。MD-GRAPEを用いると、ディスクの自己重力を考える必要がある場合にも、自己重力の部分も高速化できることになる。MD-GRAPEを使用することで、従来なされてきたシミュレーションに比べて、約6〜10倍の粒子数を扱うことが可能となり、精度の高い計算結果を得ることができた。

 特に、SPH法で計算されたZurek & Benzの結果(Zurek & Benz 1986)と比較するために、比角運動量一定のディスクの進化を計算した。その際用いた粒子数は約18000体である。これは彼らの用いた粒子数の6倍から18倍の数である。計算結果は定性的には、彼らの結果を再現している。つまり、ディスクがブラックホールの回りを1周したあたりから、非軸対称な不安定性が発生し成長をしていくが、その成長は数周の回転の後にはほとんど止まってしまうのである。したがって、Papaloizou & Pringle不安定性がが弱いものであることは確認できたと考えられる。しかし、定量的には彼らの結果と異なっている。つまり、角運動量輸送が抑えられており、最終的な角運動量分布をj∝r-qと書くとき、Benz達がq=0.25を得たのに対し、本シミュレーションではq=0.20となった。

 また、Hawleyの計算と比較すると、ディスクの内側の粒子がブラックホールへと渦状に落下して行くことはなく、非軸対称な密度の塊ができることによる角運動量の輸送が起こっていることがわかる。ただし、数値的な角運動量輸送に関しては明確な結果を得るには至っていない。

審査要旨

 最近の天体物理学において、アクリーションディスクは理論的にも観測的にも重要な天体である。重い中心天体のまわりに存在するアクリーションディスクに関して、薄い円盤の場合の解析は詳細になされているが、トロイド状の厚い構造を持つ場合には十分な研究がなされていない。それに対し、本論文は、厚いトロイドの不安定性の成長過程をシミュレーションしたもので、厚いトロイドの振舞いに関して新たな知見をもたらしたものと評価できる。

 本論文は5章からなる。第1章では、アクリーションディスクに関してなされてきた理論的研究が概観され、それらの研究における問題点が指摘されている。特に厚いアクリーションディスクの動的不安定性として、runaway不安定性とPapaloizou-Pringle不安定性が説明され、それぞれの成長の動的な過程を理解することが必要であり、その解明が本論文の目的であると述べられている。その必要性は、runaway不安定性に関しては、動的な過程の研究が皆無であることが理由であり、またPapaloizou-Pringle不安定性に関しては、その穏やかな成長過程を知るための長時間にわたる正確な計算がなされていない上、従来の動的な計算結果には再配分された角運動量分布や密度分布に食い違いがあることが理由とされている。

 第2章では、動的な過程を計算するための数値計算法としてSPH法(smoothed particle hydrodynamics)を採用することが述べられ、そのエッセンスがまとめられている。SPH法はガスが重力収縮し密度の高い領域がいくつか形成される場合のような、物質の集中する過程での高い密度領域を扱うのに適した計算法である。この擬粒子法は、流体を巾のある粒子の集合で表現しようとするものであり、数学的には物理量を積分表現し、それを離散化して扱うことになる。従って、そこで重要なのは積分核の選び方であり、スプライン関数により表現することの利点が述べられている。また、流体の計算では、人工粘性の取り方が計算結果に大きく影響してくるため、人工粘性に関しての議論がなされ、現状で最適と思われるとり方が採用されている。

 第3章では、runaway不安定性の成長過程が計算され、その特徴がまとめられている。runaway不安定は、中心天体がブラックホールや中性子星などのような一般相対論的な天体の場合、その天体がまわりに作るポテンシャル一定の面の中に、カスプを持つものがあるために生じる流体の不安定性である。この不安定性に関し、トロイドと中心天体との質量比に対する依存性、トロイドの回転則に対する依存性、トロイドの自己重力に対する依存性、が調べられている。比角運動量一定で回転しているN=3のポリトロープの場合、質量比が数%を超えると不安定化し、トロイドが一回転する程度の時間でトロイドを作る大部分のガスが中心天体に落下してしまうことが示されている。これは、runaway不安定性が激しいものであることを世界で初めて示した結果で、大きな意味があるものと評価できる。一方、比角運動量分布が一様でない場合には、トロイドの自己重力を無視すると不安定が生じないこと、ガスの自己重力を取り入れた場合、トロイドの数%以上のガスが中心天体に落下すると不安定となることが明確に示されている。この結果も世界で初めて得られたもので、自己重力によるロッシュローブの変化とトロイドの形状変化が「有限」である場合に初めて不安定化しうることを明らかにしたものある。このrunaway不安定性が、中心天体の数%以上の質量を持つトロイドで起きることは、線バーストを起こすシステムとして提案されていた、中性子星の合体の過程で形成される自己重力のある厚いトロイドの存在の可能性を否定するものとなり、天体物理学的に大きな影響を与えるものとなるであろう。

 続いて、第4章では、Papaloizou-Pringle不安定性のシミュレーションの結果が検討され、従来の計算結果との比較がなされている。この不安定性は非一様流のシアー不安定性であり、厚いアクリーションディスクを非軸対称な構造へ変化させるものと考えられ、従来のシミュレーションでも非軸対称な構造が得られていることが説明されている。それらの計算は、SPH法と差分法でなされたが、特にSPH法では千体という少ない粒子数での計算であり、その結果には問題があることが述べられる。そこで、本論文では精度をあげるために多数の粒子を使用することが検討され、千体から1万8千体までほぼ千体おきの粒子数で同一の計算が行われ、粒子数が1万体以上になると最終的な状態の物理量がほぼ同一になることが分かったため、本論文での主な計算は1万8千体で行なわれている。実際の計算は、比角運動量一定で回転している自己重力のないN=3のポリトロープトロイドの平衡状態をとり、平衡状態での回転速度の1%に相当する大きさの1個〜4個の凹凸のあるモードの摂動を与え、それを初期条件にして行なわれている。それぞれのモードは時間とともに成長するが、成長は穏やかなもので、平衡状態の最大密度に比べて密度が数十%だけ上昇した非軸対称構造が形成された状態でほぼ止まることが示されている。ただし、密度の詳細な分布は従来の結果と完全には一致するものではないので、極めて高精度を要求する部分の解明には粒子数を更に多くとる必要があると考えられる。一方、この非軸対称構造の形成に伴い角運動量の再配分が起こり、比角運動量l〜R0.2に落ち着くという結果が得られている。ここでRは回転軸からの距離である。この結果は差分法で行なわれた計算結果と良く一致していることが述べられている。従って、本論文のSPH法による計算は、全体としての構造や物理量に関し信頼できる結果を与えたと判定してもよいと考えられる。そして、第5章には本論文の結果がまとめられている。

 以上を要するに、論文提出者は、アクリーションディスクの不安定性がどのように成長するかを動的な計算によって明らかにした。この研究は、天体物理学におけるアクリーションディスクの研究分野に重要な寄与をするものである。よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク