学位論文要旨



No 113169
著者(漢字) 佐藤,賢一
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ケンイチ
標題(和) 関孝和、建部賢明、建部賢弘編『大成算経』の研究 : 角術の分析を中心として
標題(洋)
報告番号 113169
報告番号 甲13169
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第167号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,力
 東京大学 教授 村田,純一
 東京大学 教授 岡本,和夫
 東京大学 助教授 加藤,光裕
 東京大学 講師 岡本,拓司
内容要旨 はじめに

 本論文は、関孝和(?-1708)、建部賢明(1661-1716)、建部賢弘(1663-1739)の三人によって編集された『大成算経』(全二十巻、1710年頃成立)を考察の対象とする。この研究において得られた新知見は、以下の三点にまとめられる。

 1)『大成算経』の構成とその編集意図は、当時和算家の間で流行していた「遺題継承」の習慣に影響されていた。

 2)角術(和算における正多角形の理論)において、方程式の次数を問題とする「定乗」という、これまで未解明であった計算法の復元を試み、具体的な仮説を初めて提示し得た。

 3)東京大学所蔵の和算書群より新たな『大成算経』の写本を発見し、それを既知の写本と校合することによって、『大成算経』巻十一の底本を決定できた。

 これらの新知見について、以下順を追って述べる。

1)『大成算経』の編集意図について

 『大成算経』の編集意図については、建部賢明が記した『建部氏伝記』(1715)の中に記されている。すなわち、関と建部兄弟は当時の数学書に不備が多いことを嘆き、自らの数学的業績を集大成し、規範を示そうと図ったのである。当時和算家の間では、自著に解答を伏せた問題を読者に提示して解答を求めるという、一種の遊戯的な「遺題継承」という習慣が流行していたが、この習慣は殆ど無秩序な状態で行われていた。すなわち、解答が存在しない問題を提示したり、根拠も無しに他の和算書の問題・解答を誹謗するなどということが横行していたのである。(関孝和自身も、自著『発微算法』(1674)を佐治一平という者から誹謗されている。)このような状況の改善を目指し、『大成算経』は和算家が遵守すべき出題と解答の仕方をその内容に取り入れたのである。本論ではその証拠として、従来分析にかけられることの無かった「算数論」、「三要」、「題術弁」といった箇所をこの観点から読み解く作業を行い、『大成算経』と遺題継承の関連を明らかにした。

 本書の内容は大きく三つの部分に分けられる。すなわち、数学の基礎的計算技法を説明した「前集」(巻一より巻三)と、数学が扱うべき対象を説明した「中集」(巻四より巻十五)、そして、数学者が遵守すべき出題・解答の方法を述べた「後集」(巻十六より巻二十)である。この三部構成の中でも「後集」の内容は、『大成算経』独自のものであり、先に見た遺題継承の影響が濃厚に反映されていることが分かる。

 関、建部兄弟以後の世代の和算家は、『大成算経』が提示した「問題と解答の規範」を彼等の数学の基準として受け入れた。しかし、本書のその他の内容については、完璧に伝承されたわけではない。特に、角術の中の「定乗」という分野は理論の難解さもあり、早い時期に計算そのものが忘却されている。その復元を試みる作業が、本論の一つの主題である。

2)「定乗」の計算法の復元について

 和算における角術とは、正多角形を扱う理論のことであるが、具体的には以下の三つの要素の数値を求める計算である。

 (1)正n角形の内接円の半径(平径と呼ぶ)r

 (2)正n角形の外接円の半径(角径と呼ぶ)R

 (3)正n角形の面積S

 (3)のSについては、(1)のrを求めることによって簡単に算出できるので、角術の内容は実質的に(1)と(2)が主題となる。そこで、平径と角径の数値解を求めるために、種々の補助未知数(下図参照)を導入して高次方程式(開方式)を立て、Ruffini-Horner法と類似の算法を用いたのである。

[図]

 関と建部兄弟はrとRを求める算法の他に、『大成算経』において別種の問題を提起する。すなわち、正n角形において、そのrとRが満たすべき既約方程式の次数はどのような値となるか、という問題である。(この次数は「定乗数」と呼ばれ、現代的な次数の数え方よりも1だけ小さい値となる。)この問題に対して、『大成算経』は次のような結果のみを提示する。以下、平径の開方式の定乗数をJh、角径の開方式の定乗数をJkとする。

 i)nが奇数のとき:Jh=Jk(n)-1.(但し(n)はnのオイラー関数)

 ii)nが4の倍数ではない偶数のとき:

 

 iii)nが4の倍数のとき:

 

 関と建部兄弟がこれらの結果に到達した経緯は、和算史上の未解決問題であった。本論では以下のような仮説を構成し、この計算法を説明する。

 仮説は、二つの部分より成る。

 仮説I)正多角形の角数nに奇数の約数が無い場合、定乗数の値は素朴な帰納法に基づいて算出された。

 仮説II)角数nに奇数の約数が有る場合の定乗数の値は、可約な方程式を既知の既約方程式によって割る操作、「約式」に基づいて算出された。

 上で場合分けしたi),ii),iii)について仮説を適用すると、次のようになる。

 i)奇数nが素数の場合、一般に次の式が成立する。

 

 (但し、数列{k(i)}(1≦i≦s)は、k(1)=(n-1)/2,

 k(i+1)=k(i)/2[k(i)が偶数の場合]、

 k(i+1)=(n-k(i))/2[k(i)が奇数の場合]、

 k(s)=1によって定義する。)

 この式の補助未知数rk(1),rk(2),……,rk(s)を消去することにより、rまたはRのみの方程式を構成する。その際、『大成算経』の編者らは各r1にRi-1を掛けて式変形するという操作を行っていた。(必要に応じてa1を導入する場合があるが、それにはRi-2を掛けて消去する。)この一連の式変形において不完全ながら、帰納法が用いられている。この式変形の結果より、最終的に得られる方程式の次数を計算することが可能となる。

 例として正11角形を挙げる。

 正11角形において、R5=32r5r3r4r2rが成り立つ。これに式変形を施し、R10=4r5R4・r3R2・a3R=(R4-3a2R2+a4)(4R2-a2)(3R2-a2)(R2-a2)というRの方程式を得る。(同様にしてrの方程式も得られる。)ここでr5,r3,a3の三つの文字を消去するためにR5が最初の式に掛けられ、全体が10次の方程式となる。(Jh=Jk=9.)

 nが奇数の合成数の場合は、anRn-1を式変形して得られるRのみの多項式(汎式Nn(R))をnの約数の汎式によって割り、最終的なRの方程式を得る。(この操作を「約式」と呼ぶ。rの方程式についても同様の操作を行う。)正15角形の場合は次のようにして定乗数を計算する。

 

 ここで、N15(R)=N3(R)・N5(R)・(R8-8a2R6+14a4R4-7a6R2+a8)=(3R2-a2)(5R4-5a2R2+a4)(R8-8a2R6+14a4R4-7a6R2+a8)である。

 R8-8a2R6+14a4R4-7a6R2+a8=0としたものが、正15角形の角径の方程式である。この定乗数は約式を行う過程で、14-2-4-1=7=(15)-1として求められる。このように約式の操作を前提とすることにより、定乗数が計算可能となる。

 ii)n=2(2i+1)の場合、結果のみ述べれば次のようになる。この角数の正多角形に関して、次の関係式が成立する。

 

 これらの式に含まれている補助未知数を消去することにより、rまたはRの方程式を得る。その式変形の過程で仮説I)または仮説II)を適用し、所期の定乗数が得られる。

 iii)n=4iの場合、やはり結果のみを述べると次のようになる。この角数の正多角形に関して、次の関係式が成立する。

 

 前者の式からrの方程式を、後者の式からRの方程式を導くが、その式変形の過程で仮説I)または仮説II)を適用することにより、所期の定乗数が得られる。

 以上が、本論の仮説に基づく定乗の計算法の概略である。

3)『大成算経』の写本について

 『大成算経』の本文には、流伝の過程で様々な変更が加えられてきた。特に巻十一の「角法」の後半部分は、殆ど原形を留めないほどの改変が為された写本も存在する。関と建部兄弟が最初に記した内容を知るためには、諸写本間の校合作業が不可欠である。本論ではこの作業を実行し、ほぼ完全な形の本文を決定することができた。さらにこの調査の過程で、東京大学総合図書館に従来知られていなかった『大成算経』の写本が存在することが判明し、その内容を検討した結果、最も『大成算経』の原型に近いものであることが明らかとなった。

 本論は『大成算経』が有する数学史上の未解決問題の幾つかに解答を与える事により、斯学の発展に些かの寄与を為し得たものと信ずる。

審査要旨

 本論文は、世界の数学史上、注目すべき文化現象と見られている和算(江戸時代の日本数学)についての、これまでの知見の大幅な書き換えを迫る画期的研究である。

 佐藤氏が数学史的分析の手を加えた『大成算経』は、関孝和、建部賢明、建部賢弘によって書かれ、和算の主流をなす、いわゆる「関流」の確立にとって重要な著作と考えられてきた。しかし、未完のまま、写本で出回っていただけであったこともあり、十分な文献学的・数学的・歴史的検討の対象とされたことはなかった。佐藤氏は、『大成算経』の角術(正多角形の作図理論)の部分の新しい質のよい写本『角法』を本学総合図書館で発見するかたわら、多くの写本を比較研究し、これまで西洋数学に基づく再構成が図られていなかった技法がいかなるものであったのかについての有力な仮説を提出した。そのことによって、17世紀末に高度なレヴェルに到達した和算の実態がいかなるものであるのかを数学史的に示しえた。

 本論文の独創的貢献をもっと詳細に述べれば、以下のとおりである。

 (1)『大成算経』という未完の著作のいくつもの写本を校合し、文献学的に比較研究するだけでなく、角術の部分の最良の写本をも発見した。本研究によって、『大成算経』が関流の重要な文書だったことが判明し、その和算史における画期的意義は確定したと見なされうる。

 (2)正三角形作図にかかわる数学的技法の「定乗」と呼ばれている概念を再構成しえた。和算では一般に、問題と計算結果だけが示され、その計算においていかなる手順が使われていたのかが書かれていない。その手順を、同時代に可能であったある種の代数技法(関によって「傍書法」と名付けられた)から無理なく再現し、著者たちがどういったアルゴリズムを試みていたのかを数学的に明らかにした。

 (3)17世紀における関流の確立がいかになされたのか、その大局的な歴史過程を明らかにした。佐藤氏によれば、江戸時代になり世情が安定するとともに、吉田光由の『塵劫記』のようなベストセラーが出版された。その書には、「遺題」という未解決問題群が巻末に添付されていた。その「遺題」継承が江戸時代の数学に競争概念を導入し、そのような知的雰囲気の中で関のような独創的才能をもつ数学者が登場した。関の弟子で最も有能な者が、『大成算経』の共著者であった建部兄弟であった。しかし、イエズス会士によって中国に伝えられ西洋数学は和算を次の段階へと導く。佐藤氏は『大成算経』のそのような過渡的な役割と位置を明確にした。

 本論文は、西洋の円分方程式論との比較がなされれば、もっと完全になりえたであろう。けれども、佐藤氏はそのことを十分理解しており、また分量的にそれを本論文に盛り込むことは不可能である。審査委員全員は、本論文をもって、学位取得のためには十二分であると判断した。戦前には、和算史研究の一大隆盛が見られた。しかし、戦後には一定の停滞期間が続いていた。本論文は、佐藤氏がこの停滞を打破する人材になりうることを示している。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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