本論文は、関孝和(?-1708)、建部賢明(1661-1716)、建部賢弘(1663-1739)の三人によって編集された『大成算経』(全二十巻、1710年頃成立)を考察の対象とする。この研究において得られた新知見は、以下の三点にまとめられる。
2)角術(和算における正多角形の理論)において、方程式の次数を問題とする「定乗」という、これまで未解明であった計算法の復元を試み、具体的な仮説を初めて提示し得た。
2)「定乗」の計算法の復元について 和算における角術とは、正多角形を扱う理論のことであるが、具体的には以下の三つの要素の数値を求める計算である。
(1)正n角形の内接円の半径(平径と呼ぶ)r
(2)正n角形の外接円の半径(角径と呼ぶ)R
(3)正n角形の面積S
(3)のSについては、(1)のrを求めることによって簡単に算出できるので、角術の内容は実質的に(1)と(2)が主題となる。そこで、平径と角径の数値解を求めるために、種々の補助未知数(下図参照)を導入して高次方程式(開方式)を立て、Ruffini-Horner法と類似の算法を用いたのである。
[図] 関と建部兄弟はrとRを求める算法の他に、『大成算経』において別種の問題を提起する。すなわち、正n角形において、そのrとRが満たすべき既約方程式の次数はどのような値となるか、という問題である。(この次数は「定乗数」と呼ばれ、現代的な次数の数え方よりも1だけ小さい値となる。)この問題に対して、『大成算経』は次のような結果のみを提示する。以下、平径の開方式の定乗数をJh、角径の開方式の定乗数をJkとする。
i)nが奇数のとき:Jh=Jk=(n)-1.(但し(n)はnのオイラー関数)
ii)nが4の倍数ではない偶数のとき:
iii)nが4の倍数のとき:
関と建部兄弟がこれらの結果に到達した経緯は、和算史上の未解決問題であった。本論では以下のような仮説を構成し、この計算法を説明する。
仮説は、二つの部分より成る。
仮説I)正多角形の角数nに奇数の約数が無い場合、定乗数の値は素朴な帰納法に基づいて算出された。
仮説II)角数nに奇数の約数が有る場合の定乗数の値は、可約な方程式を既知の既約方程式によって割る操作、「約式」に基づいて算出された。
上で場合分けしたi),ii),iii)について仮説を適用すると、次のようになる。
i)奇数nが素数の場合、一般に次の式が成立する。
(但し、数列{k(i)}(1≦i≦s)は、k(1)=(n-1)/2,
k(i+1)=k(i)/2[k(i)が偶数の場合]、
k(i+1)=(n-k(i))/2[k(i)が奇数の場合]、
k(s)=1によって定義する。)
この式の補助未知数rk(1),rk(2),……,rk(s)を消去することにより、rまたはRのみの方程式を構成する。その際、『大成算経』の編者らは各r1にRi-1を掛けて式変形するという操作を行っていた。(必要に応じてa1を導入する場合があるが、それにはRi-2を掛けて消去する。)この一連の式変形において不完全ながら、帰納法が用いられている。この式変形の結果より、最終的に得られる方程式の次数を計算することが可能となる。
例として正11角形を挙げる。
正11角形において、R5=32r5r3r4r2rが成り立つ。これに式変形を施し、R10=4r5R4・r3R2・a3R=(R4-3a2R2+a4)(4R2-a2)(3R2-a2)(R2-a2)というRの方程式を得る。(同様にしてrの方程式も得られる。)ここでr5,r3,a3の三つの文字を消去するためにR5が最初の式に掛けられ、全体が10次の方程式となる。(Jh=Jk=9.)
nが奇数の合成数の場合は、anRn-1を式変形して得られるRのみの多項式(汎式Nn(R))をnの約数の汎式によって割り、最終的なRの方程式を得る。(この操作を「約式」と呼ぶ。rの方程式についても同様の操作を行う。)正15角形の場合は次のようにして定乗数を計算する。
ここで、N15(R)=N3(R)・N5(R)・(R8-8a2R6+14a4R4-7a6R2+a8)=(3R2-a2)(5R4-5a2R2+a4)(R8-8a2R6+14a4R4-7a6R2+a8)である。
R8-8a2R6+14a4R4-7a6R2+a8=0としたものが、正15角形の角径の方程式である。この定乗数は約式を行う過程で、14-2-4-1=7=(15)-1として求められる。このように約式の操作を前提とすることにより、定乗数が計算可能となる。
ii)n=2(2i+1)の場合、結果のみ述べれば次のようになる。この角数の正多角形に関して、次の関係式が成立する。
これらの式に含まれている補助未知数を消去することにより、rまたはRの方程式を得る。その式変形の過程で仮説I)または仮説II)を適用し、所期の定乗数が得られる。
iii)n=4iの場合、やはり結果のみを述べると次のようになる。この角数の正多角形に関して、次の関係式が成立する。
前者の式からrの方程式を、後者の式からRの方程式を導くが、その式変形の過程で仮説I)または仮説II)を適用することにより、所期の定乗数が得られる。
以上が、本論の仮説に基づく定乗の計算法の概略である。