学位論文要旨



No 113170
著者(漢字) 沼田,英俊
著者(英字)
著者(カナ) ヌマタ,ヒデトシ
標題(和) 高散乱媒質中を伝播する弾道光子計測のための相関干渉装置とその応用
標題(洋) Correlation Interferometer for Measurement of Ballistic Photons Propagating in Highly Scattering Media and its Application
報告番号 113170
報告番号 甲13170
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第168号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 遠藤,泰樹
 東京大学 教授 桜井,捷海
 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 助教授 久我,隆弘
内容要旨 序.

 ランダム媒質中からのレーザー散乱については多様な観点から関心がもたれ、研究が行われている。基礎物理問題として、ミクロレベル(原子レベル)ではFIDや原子気体の共鳴トラップ、マクロレベルではフォトニックバンドや弾道光子の伝播などの問題があり、また応用面ではレーザーレーダ、フォトンSTM、レーザーCTなど多様な例が挙げられる。近年、半導体デバイスの発展により、小型で極めて性能の良い半導体デバイスを利用できるようになったため、時間・空間・周波数の各領域において従来、容易には出来なかった高感度・高精度な分光・光計測が可能になってきている。これらの高分解分光法を組み合わせた高精度計測装置を作成し、現在発展中の領域であるランダム媒質中からのマクロレベルでの前方レーザー散乱について、その機構を解明し、また実用的なレーザー技術に応用することをも目的として、以下の研究を行った。

1.高散乱媒質中を伝播する弾道光子計測のための相関干渉装置

 新しい有力な生体計測法のひとつとして最近、光断層画像(光CT)法に関心がもたれている。ここで対象となる生体はこれまで分光学上の対象とはされていなかったもので、複雑な3次元構造を持ち、照射光に対しランダム多重散乱および複雑な屈折を引き起こすため、光の伝播経路が非直線的になる。よって高精度な画像計測のためには生体内部からの透過光のうち、最短時間で抜けてくる前方直進光成分(弾道光子:Ballistic Photons)のみを選択的に検出する必要があると考えている。本研究においてもこのようなランダム多重散乱媒質を測定対象とした。

 弾道光子の選択検出のためには受光系に空間的高分解能が要求される。このため、計測手法として高指向性・高感度な特徴を持つ光学ヘテロダイン検出法を採用した。さらに本研究では、より高精度な計測のために光源に低コヒーレント光(SLD:Super Luminescent Diode・波長840nm)を用いて、光源の低干渉性を利用した時間分解分光法を併用し、弾道光子の高精度な選択検出を行うための相関干渉装置を作成した。

 光源からの光を分割し、一方は可変遅延光路を通し局部発振光として用い、もう一方は音響光学変調器により周波数シフト(80MHz)を施してから試料に入射し、透過光を光学ヘテロダイン検出する。得られるビート信号を利用し、試料からの透過光を時間領域で分光計測した(Fig.1参照)。光源のコヒーレンス時間で決まる本計測装置の時間分解能は約200(fsec)(実測値196.1(fsec))、また弾道光子検出系のダイナミックレンジは約90(db)である。

 まず本計測装置の性能評価を行い、次に本装置による測定と解析により弾道光子伝播の問題を調べた。さらに基礎物理問題として興味深い測定対象としてゾル-ゲル相転移時の弾道光子伝播の測定を行い、また応用光計測の例として1次元CT scan実験も行なった。

Fig.1
2.実験1(a)弾道光子伝播の測定

 Fig.2は、生体に代わる不透明な散乱体試料として、カゼインミセル(=乳タンパク質:Fig.2(a))・牛乳(=乳脂肪球:Fig.2(b))の散乱体粒子懸濁液を用い、各試料の濃度を徐々に変えて測定した結果である。各図で一番上の信号は蒸留水を試料として用いた参照信号である。横軸は局部発振光の遅延時間、縦軸は信号強度(註:log scale)を表す。Fig.2(a)(散乱体の粒径<入射光の波長)では、濃度に伴い透過光の伝播時間に遅れが生じているが、Fig.2(b)(粒径>波長)では透過光の伝播時間に殆ど変化がない。また各図において検出信号光(試料透過光)のコヒーレンス時間(信号の時間幅)が不変ゆえ、弾道光子のみが選択的に検出されていることが分かる。

Fig.2
(b)Mie散乱理論による解析

 懸濁液試料において散乱体粒子の平均間隔が入射光の波長より充分に長い場合、個々の散乱体粒子が互いに独立に光を散乱していると考えられる。そこでMie散乱の理論(散乱体一個に対する散乱の理論)を用いた数値計算結果との比較により本実験の解析を行った。

 計算結果をFig.3に示す。各図の横軸は散乱体粒子の粒径であり、Fig.3(a)は弾道光子に対する散乱体粒子懸濁液全体の実効的な屈折率、Fig.3(b)は同じく減衰係数(吸収+散乱)を示す。これによると(a)遅延時間(〜屈折率)は、(粒径>波長)ではほぼゼロ、(粒径≪波長)では散乱体粒子懸濁液を均質な誘電体とみなしたときの実効的な屈折率の値に近くなる。また(b)減衰係数は、(粒径≪波長)ではほぼゼロ、(粒径>波長)では増大したのち、ある漸近値に近づく。また粒径が波長程度の領域では共鳴効果により形が複雑になっている。

 この計算結果から現象を解析すると、(1)(粒径≫波長)においては、散乱体と相互作用した光子は、散乱体粒子のレンズ的作用により全て前方以外の方向に散乱される。このため、検出される弾道光子は、"非散乱前方直進光成分"からなり、非散乱ゆえ光伝播に時間遅れが生じないことになる。一方、(2)(粒径≪波長)においては、散乱体と相互作用した光子のうち一部は位相遅れを伴いながら前方に散乱される(比較的高濃度でも)。このため、弾道光子の殆どが、"前方多重散乱直進光成分"(見かけ上の透過直進光成分)からなり、散乱により時間遅れが生じることになる。(2)の成分は、試料="散乱体が均質に分布した誘電体"とみなせば、入射光誘起分極による光電場が検出されたものである。また、(粒径≪波長)と(粒子間隔<波長)が合わさった条件下(すなわちMie散乱理論の前提となるfar field近似が成立しない領域)においては、個々の散乱体粒子の分極による光電場が近傍の粒子を直接励起し分極を生じさせる。これにより粒子間に働く近傍波によるPhoton Tunneling効果が生じ、この影響により光伝播の時間遅れに増分が生じると考えられる。これは実験結果を示すFig.2(a)において実際に確認できた。以上により、本実験において、弾道光子には3種類あることを実験・数値計算により証明した。

Fig.3
(c)1次元CT scan

 弾道光子検出の応用として簡単な1次元CT scan実験を行った。不透明なカゼインミセル懸濁液中にガラス板を入れ、外部からは見えないガラス板のエッジを、遠隔非接触計測できることを示した(Fig.4)。このように、高散乱媒質の内部構造について、透過光強度の減衰情報だけでなく、弾道光子伝播の遅延時間情報を利用して断層画像を得ることも本計測法により可能となることを示した。

Fig.4
3.実験2(ゾル-ゲル相転移時の弾道光子伝播の観測)

 ゾル(コロイド懸濁液)の分散粒子であるコロイド粒子は多糖類・タンパク質などの高分子であり、粒子1個あたり103〜109個の原子を含み、粒径は10-7〜10-9m程度である。ゲル(ゾルの固化物)の代表例である寒天・ゼラチンでは95〜99%が水でできており、加熱・攪拌により容易にゾル化する。相関干渉装置(前方直進弾道光子の選択検出計測系)を用いた応用例として、基礎物理問題として興味深いゾル-ゲル相転移時の光散乱機構を探る目的で、ゾル-ゲル相転移前後における弾道光子伝播の測定を行った。試料として天然高分子ゲル(寒天・ゼラチン)を用い、試料の温度を変えながら逐次測定を行った。Fig.5は寒天(ヘミセルロースの一種)を試料に用いた測定結果である。横軸は局部発振光の遅延時間、縦軸は信号強度を表す。透過光強度は比較的大きく、弾道光子伝播に遅延時間が生じるため、粒径は照射光の波長以下と考えられる。主な特徴として、

 1)寒天試料では、透過光強度のピーク値が相転移温度付近でいったん減少。

 2)低温化してゲル化するに伴い、透過光の時間遅れが増大。

 3)透過光のコヒーレンス時間は、ゲル相に比較してゾル相では10〜20%程度減少。

 が挙げられる。

 1)透過光強度のピーク値については、ゾル・ゲル各相では分散粒子が均一・安定に分布しているため比較的大きな値を示す。一方、相転移温度付近(ゾル・ゲル混合状態)では粒子分散が不均一で動的・乱雑なため、照射光がランダム多方向に散乱され干渉性のある弾道光子が減衰し、ピーク減少の主要因になると考えられる。

 2)遅延時間(屈折率)については、基本的には、溶媒(水)の屈折率の温度依存性を背景に各試料・各相で、固有の相対屈折率(誘電率)を示しているのが明確に確認できる。

 3)パルス幅(コヒーレンス時間〜弾道光子の相関干渉時間)については、溶媒(水)では温度依存性が見られないが、寒天・ゼラチン試料ともに、ゾル相において減少していたコヒーレンス時間がゲル化(低温化)に伴い回復(増大)し、光源自体の持つパルス幅(コヒーレンス時間)に近づいている。ただし雑音レベルに紛れ明確ではない。また相転移温度付近でパルス幅が一旦減少する(コヒーレンスの劣化)可能性もある。

Fig.5
審査要旨

 様々な媒質中を伝搬する光に関しては、古くから多様な観点からの研究が行われてきている。特に近年、各種のレーザー光源の開発、発展と共にレーザー光を用いた散乱、伝搬の研究が活発に行われている。中でも、一見不透明な媒質中を伝搬する光の検出、およびそれに基づく媒質の断層イメージの再現が、生体への適用の可能性をめざした実用的な応用の観点から注目を集めている。このような散乱能の高い媒質中を伝搬する光に関しては、入射光強度に比して極めて弱いが、媒質による散乱をほとんど受けない弾道光子と呼ばれるものが存在することが示唆されており、それにより媒質に関する情報を得ることができる可能性が考えられている。本研究は、このような弾道光子を観測するために、入射光の一部と、媒質を透過してきた光の相互相関をとることのできる相関干渉装置を新たに開発し、これにより弾道光子の検出に成功したものである。

 本論文は、前置きと本文3章から成っている。前置きではレーザー散乱、特に高散乱媒質中の光伝搬に関するこれまでの研究に関して概観した後、弾道光子に関して論じている。

 第1章では、弾道光子の検出をめざして開発した相関干渉装置について、その動作原理および検出感度について議論した後、実際に開発した相関干渉装置での弾道光子の検出を述べている。この装置の大きな特徴の一つは、時間的なコヒーレンスのほとんど無いsuper luminescene diodeを光源として用いることで、弾道光子の伝搬遅延をフェムト秒のオーダーで検出できることであり、これにより、初めて媒質中を多重散乱して透過してきた光の中から弾道光子のみを選択的に取り出すことができた。更に、その応用として、散乱能の高い懸濁液中で弾道光子を検出することにより内部構造の断層イメージが再現可能であることの実証実験を行っている。

 第2章では、散乱能の高い多重散乱媒質中を透過してきた弾道光子の遅延時間に、散乱媒質の粒径により、散乱体の濃度に比例した遅延を持つものと、濃度に関係なくほとんど遅延時間のないものが存在することを見出したことを述べている。その結果をMie散乱の理論を用い適当なモデルをたてることで定量的に説明した。また、散乱体の粒径が波長より小さく、散乱体の濃度が高い場合に、簡単なモデルからははずれて光の伝搬遅延が大きくなるphoton tunnelingという現象も見出し、その説明を行った。

 第3章では、このような弾道光子の検出手法が、ゾル-ゲルの相転移の研究にも応用できることを示している。ゾル-ゲルの相転移を起こす媒質として、ゼラチンと寒天を取りあげ、それぞれ相転移付近で透過弾道光子の強度に変化が見られること、これらの二つの媒質の遅延時間に媒質の違いによるふるまいの違いが見られることを見出している。これまで、相転移の研究には、光散乱の手法が用いられてきているが、弾道光子検出の手法により相転移の研究に新たな視点が得られる可能性が示唆されている。

 以上、本論文は相関干渉装置の開発により弾道光子を初めて検出し、その応用の可能性を示したもので、その意義は大きい。本論文中の研究はすべて論文提出者が中心となって行ったもので、各章の内容はそれぞれ論文提出者本人を筆頭著者として学術誌に公表準備中である。よって審査員全員は、論文提出者が博士(学術)の学位を授与されるにふさわしいと認定した。

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