学位論文要旨



No 113174
著者(漢字) 町田,友樹
著者(英字)
著者(カナ) マチダ,トモキ
標題(和) 強磁場中二次元電子系の位相干渉性に関する実験的研究
標題(洋) Experimental Studies of Phase Coherence in Two-Dimensional Electron Systems in High Magnetic Fields
報告番号 113174
報告番号 甲13174
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第172号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 助教授 清水,明
 東京大学 助教授 前田,京剛
内容要旨

 電子波の量子力学的な干渉効果は固体物理学上の重要なテーマであり、電子系の位相干渉長は低温における電気伝導現象を記述する重要な物理量の一つである。本研究では、強磁場中二次元電子系の位相干渉性の探求を目的としている。

 零磁場及び弱磁場領域における位相干渉性については数多くの理論的及び実験的な研究が行われており、位相干渉長は数m程度であるという報告がなされている。一方、零磁場や弱磁場における研究が数多く報告されているとは対照的に、強磁場における研究はほとんど報告されていない。特に、量子ホール効果状態における位相干渉性、即ちエッジ状態の位相干渉性については、全く情報が得られていない状況である。エッジチャネル間散乱強度を表す非平衡分布の緩和長については多くの研究が行われているが、これはエッジ状態の位相干渉性に関しては何の情報も与えていない。エッジチャネル内での非弾性散乱が強く生じていれば、位相干渉長は緩和長よりもずっと短い可能性がある一方、エッジチャネル間散乱が弾性散乱であれば、電子の位相干渉長は緩和長よりもずっと長い可能性がある。

 本研究においては、強磁場中二次元電子系の位相干渉性に関して、量子ホール効果状態におけるエッジ状態の位相干渉性と量子ホール状態間遷移領域におけるバルク状態の位相干渉性との両方について調べた。また、低温においてはエッジ状態のエネルギー分散関係が階段状になるという理論的予測があり、エッジ状態の分散はその位相干渉性に影響を与える可能性があるため、エッジチャネル間散乱の非線形効果より、エッジ状態の分散関係について実験的に調べた。

量子ホール状態間遷移領域における非弾性散乱の絶対的決定

 Al0.3Ga0.7As/GaAsヘテロ構造を用いて、長さL、幅Wのショットキーゲートをもつホールバー型試料を作製し、ゲートのない二次元電子領域を量子ホール効果状態に固定してゲートを負にバイアスすることにより、ゲートのない二次元電子系は完全導体として振る舞い、長さL、幅Wの散乱領域が実現できる。この散乱領域におけるエッジチャネルの透過係数を調べるために、大きさの異なる散乱領域に対する遷移スペクトルを測定した。温度25mKにおいては非弾性散乱長が散乱領域よりも大きくなるため、ゲート下の散乱領域がコヒーレントになり遷移領域幅は散乱領域長及び幅に依存する。散乱領域幅Wを増大させるに従い、また散乱領域長Lを増大させるに従い、遷移幅は減少する。我々はバルク状態の局在長が散乱領域幅を超えたときエッジチャネルの後方散乱が可能となり、局在長が散乱領域長以下になったとき透過が消失するという描像を用いることによって、遷移領域幅のサイズ依存性を説明した。さらに我々はこの描像を用いて、局在長の絶対値及び量子ホール効果状態間遷移領域における非弾性散乱長の絶対値を求めた。

量子ホール状態間遷移の試料形状依存性

 コヒーレントな伝導体における量子ホール状態間遷移の描像を調べるため、Al0.3Ga0.7As/GaAsヘテロ構造を用いて、チャネルが中央で分離し、それぞれに直列な2つのゲートをもつホールバーを作製した。2つのゲートを同時にバイアスした場合の量子ホール状態間遷移幅は1つのゲートをバイアスした場合に比べて細くなるが、その変化は2つのゲートが直列であるか並列であるかによって異なる。直列なゲートをバイアスしてフェルミエネルギーを減少させていった場合、遷移の始まりは1つのゲートをバイアスした場合と同じであるが、遷移の終わりは高エネルギー側にずれる。一方、並列なゲートの場合、遷移の始まりは低エネルギー側にずれるが、遷移の終わりは変化しない。この実験結果はエッジチャネルの後方散乱は局在長が試料幅を超えた場合に始まり、エッジチャネルの透過は局在長が試料長より小さくなったときに消失することを示している。

量子ホール効果状態におけるエッジ状態の位相干渉性

 量子ホール状態における位相干渉性、即ちエッジ状態の位相干渉性をエッジチャネルにより結合された2つの散乱領域間の干渉を観測することにより調べた。Al0.3Ga0.7As/GaAsヘテロ構造を用いて、100m間隔で長さ30mの2つのショットキーゲート(PG)を持つホールバー型試料を作製した。ゲートで挟まれた領域の位相干渉性を調節するために、さらに2つのゲート(CG)を作製し、オーミック電極の電気的な接触及び切り離しを可能にしている。右図において実線は磁場を=3相当に固定し、PG1のみをバイアスした場合の=3から=2への遷移スペクトルを示している。破線はCG1とCG2をバイアスしない状態で、PG1とPG2をバイアスした場合の遷移スペクトルを示している。両者はほぼ完全に一致し、これはエッジ状態の位相がオーミック電極において完全に破壊されるため、2つのPGゲート下の領域が、干渉せず独立に古典的な縦抵抗に寄与することを示している。点線はCG1とCG2を十分強くバイアスして、チャネルを閉じた状態で、PG1とPG2をバイアスした場合の遷移スペクトルを示している。遷移領域幅が減少し、長さ30mのゲートのスペクトルではなく、長さ60mのゲートのスペクトルに近くなる。これは、2つのPGゲート下の散乱領域が、エッジ状態を媒介として、量子力学的に干渉したためである。従って、この実験結果はエッジ状態の位相干渉長が200mよりもずっと長いことを示唆している。

エッジ状態位相干渉長の決定

 位相干渉長の定量的な評価のためショットキーゲートとサイドアームをもつホールバーをAl0.3Ga0.7As/GaAsヘテロ構造を用いて作製した。SG2におけるエッジチャネルの透過率(TP2)をTP2=0としてMG1とMG2を同時にバイアスした場合、散乱領域間の干渉により、量子ホール状態間遷移幅はMG1またはMG2を単独でバイアスした場合に比べて狭くなる。ここでTP2を変化させると、2つの散乱領域を結ぶエッジチャネルの位相の一部が破壊され、遷移領域幅の増加となって現れる。また、2つの散乱領域を結ぶエッジチャネルの長さを延長すると(TP1=0、TP2=1)、延長した分の位相破壊が導入され、量子ホール状態間遷移領域幅は増加する。この2つの実験を比較することにより、エッジ状態の位相干渉長の定量的な評価を行った。25mK、3.3Tにおいて、5mmに達する位相干渉長を示す実験結果を得た。このようにエッジ状態の位相干渉性がマクロな距離にわたって保存されているのは、1)エッジ状態においては後方散乱が完全に消失しており、2)位相はランダムポテンシャルの補助を必要とする電子-電子散乱のみにより破壊されると予測されるためであると考えられる。

エッジ状態エネルギー分散関係の実験的探求

 低温において、エッジ状態のエネルギー分散関係が階段状になっているという理論的予測がなされている。エッジ状態分散はその位相干渉性に影響を与える可能性がある。我々はエッジ状態のエネルギー分散関係に関する情報を得るために20mK〜1Kにおけるエッジチャネル間散乱の非線形性を調べた。

 Al0.3Ga0.7As/GaAsヘテロ構造を用いて、2つのショットキーゲートを持つホールバー型試料を作製した。=4に相当する磁場を加え、ゲートを負にバイアスすることによって、1↑及び1↓のランダウ準位からなるエッジチャネルを反射し、0↑及び0↓からなるエッジチャネルを透過させて三端子抵抗R12;32を測定した。エッジチャネルが完全に混合していればホール抵抗はh/4e2に一致し、完全に混合していなければh/2e2を示す。電極1の電気化学ポテンシャルが電極2よりも高くなるように電流を流した場合、ホール抵抗は電流を増大するに従って、h/4e2に近づく。逆に、電極2の電気化学ポテンシャルを高くした場合、ホール抵抗は電流を増大するに従って増加し、極大をとる。この非対称な非線形性はエッジチャネルの再配列のためエッジチャネル間距離が変化することによって説明されるが、本実験での特徴は非常に低い電流領域で生じている点と、温度上昇に従い消失する点である。この微小電流領域におけるエッジチャネル間散乱のの非線形性を説明するには階段状のエネルギー分散関係を仮定することが必要であり、従って我々の実験結果は、低温においてエッジ状態のエネルギー分散関係が階段状になっており、温度を上げることによって、次第になだらかな分散関係に変化していく様子を示している。

Fig.1量子ホール状態間遷移スペクトルFig.2非弾性散乱長の温度依存性Fig.3 2つの散乱領域に対する遷移スペクトル (a)並列 (b)直列Fig.4直列に接続された散乱領域における遷移スペクトルFig.5エッジ状態の位相干渉性を測定するためのホールバー型試料Fig.6エッジ状態の位相干渉性及びエッジ状態間非平衡分布の緩和長Fig.7エッジチャネル間散乱の非線形性
審査要旨

 半導体界面には2次元的な電子系を実現できることは古くから知られており,2次元電子系に特有の性質の研究や,この電子系を利用したトランジスターの実現などを目的とした地道な研究が行われてきた.この系が脚光を浴び,研究が飛躍的に活発化したのは1980年代初頭の整数及び分数量子Hall効果の発見による.この結果,様々な研究が行なわれる一方,非常に質の良い2次元電子系が実現するようになってきた.

 さて,一般に2次元電子は不純物ポテンシャルによる弾性散乱によって局在するが,局在した波動関数は一つの固有状態であり,波動関数の位相は確定した状態にある.この位相の情報は非弾性散乱によって失われるが,零磁場及び,弱磁場領域においては,非弾性散乱の強さを特徴づける量である位相干渉長は数mにも及び,このような距離においても電子の干渉の実験が行なえるということが明らかにされている.しかし,実は強磁場下ではこの位相干渉長は更に長いということが知られていた.但し,その長さに対する定量的な実験は存在していなかった.論文提出者はこのような状況において,位相干渉長を定量的に決定する実験を行い,その結果を本論文として学位を申請した.

 本論文は英文で書かれ6章からなる.まず,第1章に於いては,位相干渉長に関するこれまでの実験結果が紹介されている.第2章では本研究での試料がどのように作成され,どのような測定が行われたかについての紹介が行なわれている.

 第3章から第5章までは本研究での実験の結果が述べられているが,先ず第3章では整数量子Hall効果のプラトー間の遷移領域における局在長と位相干渉長を求めた実験結果が述べられている.長さと幅が異なる一連の試料で遷移領域の幅の測定が行なわれ,結果の解析から,Landau準位の中心付近のエネルギーを持ち,試料内部に広がる電子状態,いわゆるバルク状態に対する測定が行なわれた.このように一連の幅と長さの異なる試料での比較を行なったことは本研究の独創的なところである.この測定から局在長に関してはFermi準位依存性が求められ,位相干渉長に対しては温度依存性,磁場依存性,ソース・ドレイン間の電位差依存性が求めらた.低温の位相干渉長はmmのオーダーにまで伸びることが明らかにされた.

 次の第4章では端状態における位相干渉長の測定が行なわれた.この測定では,遷移領域にある2つの2次元電子系を量子Hall効果状態の端状態で結んだ系が調べられた.この系においては,中間に挟んだ端状態の位相干渉性が遷移領域の幅に影響を与えることが明らかにされ,これを用いて位相干渉長が測定された.この方法も本研究ではじめて用いられた独創的なものであり,これによって端状態での位相干渉長の測定への道が拓かれた.実験の結果は位相干渉長は違うLandau準位に属する端状態間の平衡化距離よりはるかに長く,25mKにおいては5.4mmにも達することが明らかにされた.この結果は端間散乱は位相の情報を保つことを明らかにしたものでもある.

 実験結果の最後は第5章の端状態間の散乱の非線型性に関するもので,実験の結果は理論的に予測された階段状の端状態を支持するものであった.続く最終第5章には論文全体のまとめが記されている.

 このように本論文は独創的な実験法によって強磁場下の2次元電子系の位相干渉長を定量的に測定したものであり,この分野の研究に大きな貢献をしたものと審査員全員により認められた.なお,本論文第3章,第4章,第5章は小宮山進氏,白木靖寛氏,長田俊人氏,平井宏氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって,試料の作成と測定を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる.

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