学位論文要旨



No 113177
著者(漢字) 村瀬,友英
著者(英字)
著者(カナ) ムラセ,トモヒデ
標題(和) 走査型トンネル顕微鏡によるジアセチレン誘導体の二次元結晶の観察
標題(洋) Direct Observation of Two-Dimensional Crystals of Diacetylene Derivatives by Scanning Tunneling Microscopy
報告番号 113177
報告番号 甲13177
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第175号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 助教授 村田,滋
 東京大学 助教授 小川,桂一郎
 東京大学 助教授 増田,茂
 東京大学 助教授 瀬川,浩司
内容要旨

 近年、基板上に有機分子を自己集合化させた二次元系における構造制御や、その構造体形成過程におけるナノメートル領域での分子の動的挙動などに注目が集まっている。その構造は三次元結晶とは異なり、基板-分子相互作用と分子間相互作用によって支配されているため、分子は有機結晶とは異なった配向を実現しうる点で興味深い。また、この有機二次元結晶の構造やその時間変化は走査型トンネル顕微鏡(STM)を用いることで原子・分子分解能で解析することが可能である。本論文では、この有機二次元結晶系における今後の展開の可能性の一つとして、

 1)積極的な分子間配向制御により化学反応性を有する二次元結晶系の構築

 2)STMを用いた二次元結晶内の分子のダイナミックスの直接観察とその評価

 の2点を提案し、この系を実現するための分子設計・合成とSTMを用いた二次元結晶の直接観察、およびその二次元結晶の配向性・反応性の検討について論述している。

 第一章は緒論であり、STMの利点、その測定原理と装置、およびSTMを用いたこれまでの有機二次元結晶系の研究例について簡単にまとめている。また、本研究の観察対象として有機結晶内でトポケミカルな重合反応性を示すジアセチレン誘導体を選んだことの意義について述べている。第二章は、まず二次元結晶の配向性を決定すると報告されている基板-分子相互作用と分子間相互作用について考察し、ここで得られた知見をもとに、基板と強い相互作用を有するアルキル鎖をジアセチレン部位の両端に組み込んだDA-10/9(図1)を対象分子として選んだ経緯について述べている。筆者はグラファイトを基板として用いることにより、DA-10/9の溶液とグラファイトの固液界面における二次元結晶の作成に成功し、その作成条件およびSTM測定条件の検討を行うことで、原子分解能のSTM像を得た(図2)。このSTM像をもとに、二次元結晶の構造評価を行い、ジアセチレン部位が重合反応可能と考えられる配向に集合化している事実を明らかにした。また、グラファイト基板とDA-10/9分子の相対配列様式やその整合性などにについて詳細に検討を行い、基板-分子相互作用が強く働いていることを指摘している。また、基板上に作成したDA-10/9の二次元結晶は現在までに報告されている脂肪酸誘導体とは異なった配向性を示した点について考察している。

図1 ジアセチレン誘導体図2 DA-10/9のSTM像とそのモデル(10nm×10nm;0.8nA,-1.3V)

 第三章においては、このDA-10/9の二次元結晶の配向性を支配する要因を明らかにすることを目的とした研究について述べている。DA-10/9のそれぞれのアルキル鎖長を系統的に変えたDA-m/n(m=9,8,6,4;n=9,4)を合成し、その二次元結晶の構造とその時間変化をSTMによる直接観察・評価によって明らかにした。これより、二次元結晶中において、DA-m/nはm>nの場合とm≦nの場合で大きく異なる二つの配向性を示すことがわかった。m>nの場合は、DA-10/9と同様の配向のみを示し、一方、m≦nの場合は、吸着過程において速度論的に生成した配向と、基板上で熱力学的に安定な配向の二つの配向が混在することが示された。これらの実験結果の考察から、筆者は、DA-m/nの二次元結晶の配向性は、ジアセチレン部位の集合化、およびそれぞれのアルキル鎖長のバランスによって支配されていることを明らかにした。なお、m≦nの場合は二次元結晶内に規則的に配置した空孔が存在することも見出している。三次元結晶では実現困難な空孔を有する構造が、基板上に作成した二次元結晶において形成したことは興味深い。

 第四章では、まずDA-10/9の二次元結晶の光重合反応性について述べている。この二次元結晶は反応不活性であった。その原因として、基板-分子相互作用が支配的であるため、反応の前後で必要とされる配向の変化を許さないことにあると考察し、二次元結晶への分子運動の自由度の導入の重要性を指摘している。このためには、ジアセチレン部位に隣接して、ジアセチレン基の配向が反応に不適切にならない程度の立体的な大きさを有し、柔軟性のある置換基を導入するのが適当であろう。この置換基の導入によって、ジアセチレン部位周辺に空間が作られる可能性があると同時に、分子内でグラファイト-アルキル鎖の整合性が低下する可能性がある。そこで、ジアセチレン部位に隣接してエステル基を導入したDADE-17を設計・合成し、STMを用いて、その二次元結晶の構造が時間変化することを見出した。即ち、DADE-17の二次元結晶内においては、ジアセチレン分子の二つの配向が互いに平衡関係にあり、一方は基板への吸着過程において速度論的に生成し、他方は基板上で熱力学的により安定であることを明らかにした。また、この安定構造においてもその結晶構造は一定ではなく数Åの分子のスライド運動が観測された。この原因について考察し、分子修飾により分子間相互作用と基板-分子相互作用のバランスが変化し、アルキル鎖と基板との整合性が悪化したために、ナノスケールでの分子運動が生じたと結論している。さらに、この二次元結晶中のジアセチレンの自己集合系の中に、未反応領域と帰属された領域とは異なったSTM像を得た。これが重合反応後の領域を観察している可能性があることから、計算によって求めたモデル化合物の最適化構造をこのSTM像とを比較検討した。その結果、この領域においては、重合反応によりポリジアセチレンが生成している可能性が高いことが示唆された。また、この系においては、STMの探針による走査が重合反応を誘起している可能性があることを指摘している。

 本論文において、以下の新しい知見を明らかにしている。

 1) 種々のジアセチレン誘導体に対し、基板上に作成した二次元結晶の配向性とそれを支配する要因

 2) ジアセチレン部位とそれぞれのアルキル鎖長のバランスにより、二種類の異なった配向性を有する構造を作り分けられること

 3) DADE-17の二次元結晶において、分子修飾により自己集合化二次元結晶内への分子運動性が導入に成功したこと

 二次元結晶において結晶相重合反応の可能性が示されたことより、今後の展開の方向性としては、積極的に重合反応を引き起こすことを目的として、DADE-17の二次元結晶に対する、熱あるいは紫外光を用いた重合を試み、その反応性への基板の影響や重合度などをSTMを用いた直接観察により検討する事が興味深いと考えられる。さらにはSTMの探針による重合開始の可能性が考えられることから、STMの探針を用いた重合開始点の制御が期待される。この制御に成功すれば、有機超薄膜を用いたナノテクノロジーへの大きなステップになるであろう。

審査要旨

 近年、基板上に有機分子を自己集合化させた有機二次元結晶系における構造制御や、その構造体形成過程におけるナノメートル領域での分子の動的挙動などに注目が集まっている。また、この二次元結晶の構造は三次元結晶の場合とは異なり、分子間相互作用に加えて基板-分子相互作用によって支配されていることから、有機結晶とは異なった配向を実現しうる点でも興味深い。本論文では、この有機二次元結晶系を有機固相反応場のモデルケースとしてとらえ、最近開発された走査型トンネル顕微鏡(STM)を用いて、その集合形態の動的変化および集合体中での反応の協同現象を直接観察することを目標として掲げている。この系を実現するために、申請者は以下の2つの課題を提起し、それぞれに対して実験的なアプローチを行っている。

 1) 化学反応性を有する分子をいかにして集合化させ、STMによる直接観察可能な二次元結晶系を構築するか。

 2) この二次元結晶内において、化学反応も含めた分子のダイナミックスをどのように実現させるか。

 第一章は緒論であり、測定手法としてのSTMの利点、その測定原理と装置について簡単に解説が行われている。その後に、本研究の観察対象としてトポケミカルな固相重合反応性を示すジアセチレン誘導体を取り上げることの意義について述べられている。

 第二章においては、第一の課題を実現すべく、基板上に安定な有機二次元結晶を作成し、この結晶内でジアセチレン部位を重合反応に適した配向に配列させるにはどのような置換基をジアセチレン誘導体に導入すべきかの分子設計について論述されている。検討の結果、基板と強い相互作用を有するアルキル鎖をジアセチレン部位の両端に組み込んだDA-10/9が対象分子として選ばれ、合成が行われた。

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 さらに、高配向グラファイトを基板として用いることにより、DA-10/9の二次元結晶の原子分解能のSTM像を得ることに成功した。このように自らの分子設計指針をもとに対象化合物を探索し、最新の手法を用いて様々な測定条件をねばり強く検討し、現時点で世界的にも最高といえる分解能の像を得た点は高く評価される。次いで、このSTM像をもとに二次元結晶の構造評価が行われ、ジアセチレン部位が重合反応可能と考えられる配向に集合化していることが明らかにされた。また、この二次元結晶における分子配向が、現在までに報告されている脂肪酸誘導体の結晶内での分子配向性とは異なる点が指摘されている。

 第三章においては、このジアセチレン誘導体の二次元結晶における配向性を支配する要因を明らかにすることの必要性が提起されている。この要因を検討すべく、DA-10/9のジアセチレン部位両端のそれぞれのアルキル鎖長を系統的に変えたDA-m/n(m=9,8,6,4;n=9,4)が合成され、それぞれに対して基板上の二次元結晶のSTM像が得られた。

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 これら一連の誘導体に対するSTM像の評価・検討より、この二次元結晶の配向性は、ジアセチレン部位の集積化、およびそれぞれのアルキル鎖長のバランスによって支配されていることが結論付けられた。

 第二、三章を通じて第一の課題についてはほぼ満足できる結果が得られたことをふまえ、第四章では、第二の課題を実現すべく検討が行われた。まず、この二次元結晶中で重合反応を実現するためには、反応の前後でジアセチレン部位周辺に引き起こされる配向変化が、結晶内において吸収される必要がある。そこで、ジアセチレン部位が反応に適した配向を保ちつつも、その配向変化を可能にしうる置換基としてエステル基が選ばれた。即ち、ここで提案されたモデル化合物DADE-17においては、ジアセチレン部位に隣接してエステル基が導入されている。

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 このDADE-17に対して、基板上の二次元結晶のSTM像が得られ、その構造評価が行われた。二次元結晶内において、様々な大きさ・配向を有するドメインが観測されており、これらのドメイン内の構造はDADE-17の積層様式の違いによって大きく二つに分類しうることが明らかにされた。さらに、それらの存在比が時間変化する様子、即ち、一方のドメインが成長し、他方が消滅する過程を直接観測することに成功している。これは、集合体の配向の変化を実空間で直接捕らえうることを示しており、STMの有効性を雄弁に示した結果といえる。特に、DADE-17の分子集合体が集団的再配列する様子が連続したSTM像とともに解説されている箇所は迫力に富み、今後の分子集合体の動力学研究に対する一つの方向性を示すものとして、審査委員に感銘を与えた。

 このDADE-17の二次元結晶の安定相においても、ジアセチレン部位は反応に適した配向を取っていることが、そのSTM像の評価から明らかにされている。この安定相を注意深く観測する過程において、未反応領域にあるジアセチレン分子とは異なったSTM像が得られた。そして、このSTM像が重合反応後のポリジアセチレンを観察している可能性があることが指摘されている。この点については、今後さらに慎重な検討を行う必要があると考えられるが、当初の目標に対し、十分な成果をおさめたといえよう。

 本研究は、現在までにSTMを用いた有機分子の直接観察が可能な系として知られていた有機二次元結晶系の持つ固相反応場としての可能性に着目し、ジアセチレン誘導体を観察対象として、目的とする系の構築に挑んだ極めて独創性の高いものである。さらにSTMを用いて単に有機分子像を得るだけにとどまらず、化学反応も含んだ有機分子のダイナミックスやマクロな集合形態の動的平衡に関する知見をも得ている点は注目に値する。これらは、いずれも申請者の注意深い実験と洞察力に富んだ像の解釈による点が大であり、審査委員に高く評価された。本研究を通じて開拓された戦略・手法は、集合体中における有機分子の置かれた環境、ダイナミックス、反応性などの相関を明らかにするための研究における一つの方向性を切り拓いたものである。

 以上の点から鑑み、審査委員会は本論文を博士(学術)の学位授与の対象として、十分なものであると判定した。

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