1.序論 有機ラジカルや遷移金属錯体をスピン源とする「分子性磁性体」は、従来の金属や金属酸化物の磁性体とは異なる特異な特性の発現を目指して研究されてきた。なかでも、世界初の純有機強磁性体p-NPNNに代表されるニトロニルニトロキシドラジカルは、強磁性的分子間相互作用に有利な電子状態を有することから、有機強磁性体研究の中心的役割を果たしてきた。様々の誘導体が存在するが、位をアルキルピリジニウムで置換したm-or p-R-PYNN+は陽イオン分子であり、様々の陰イオンと組み合わせることで、多彩な構造と磁性を与える。筆者らは既に、p-R-PYNN+・I-でN-アルキル鎖炭素数1から4のもの(R=Methyl,Ethyl,n-Propyl,n-Butyl)を作り、アルキル鎖の延長とともに結晶内の分子間相互作用が反強磁性的から強磁性的に反転するという報告をし、反強磁性的な分子間配置(TypeI)と強磁性的な分子間配置(TypeII)をそれぞれ抽出することに成功している(図1)。 図1 本研究は、カチオンラジカルm-or p-R-PYNN+および配位部位を有する中性ニトロニルニトロキシドラジカルを用いて、特異な物性を有する磁性体の探索およびその物性解明を目的として行なった。ニトロニルニトロキシド結晶内に働く磁気的相互作用を検証したのち、低次元系のスピンフラストレーション、d-電子系における相互作用、原子価平衡(Valence Tautomerism)を示す錯体をニトロキシドスピンによってプローブする研究に展開した。 2.p-R-PYNN+・X-における反強磁性および強磁性的分子間相互作用の研究 p-MPYNN+・I-は、非常に強い反強磁性的相互作用を示す。対イオンをヨウ化物イオンから、臭化物、塩化物イオンへと変化させ、強い相互作用の原因を調べた。 結晶構造を調べたところ、ヨウ化物塩、臭化物塩は、同型で、NO基どうしに非常に大きな重なりをもつTypeIの配置の2量体が見られるのに対して、塩化物イオンは、TypeIの配置はもつものの、NO基間の重なりは小さく、ネットワークは2次元的にひろがっていた。磁化率の温度変化測定(図2)を行なったところ、ヨウ化物塩、臭化物塩の磁化率は2量体モデルで説明される。臭化物塩での相互作用の増加は、2量体内の最近接距離が臭化物塩で縮んだことで説明された。これに対し、塩化物塩では、その相互作用ははるかに弱まり、その温度依存性も構造に対応して、2次元の正方格子モデルで説明された。強い反強磁性相互作用は2量体構造に由来していることが結論された。 図2 p-MPYNN+・X-の磁化率 p-BPYNN+・I-では、3Kまで強磁性的挙動を示すことが知られ、TypeII配置の一次元鎖に基づく解析からJ/kB=0.6Kを報告している。低温の磁気挙動に興味を持ち。極低温領域の物性測定を行なったところ、0.19Kに極大をもつ磁化率の急激な増大がみられた(図3)。比熱測定での型のピーク(図4)および転移エントルピーの計算から強磁性転移が結論された。エントロピーの温度変化などから、3次元的な強磁性相互作用が示唆された。結晶構造を再検討したところ、一次元鎖間にラジカル部位(NO基)とニトロキシドのメチル基の間に接触が見られた。この接触を通した強磁性的相互作用により3次元的な強磁性ネットワークが実現すると考えられる。 図3 p-BPYNN+・I-の交流磁化率図4 p-BPYNN+・I-の比熱3.有機カゴメ反強磁性体、m-R-PYNN+・X-の研究:化学修飾による手法 m-MPYNN+・X-・1/3(acetone)(X-=I-,BF4-,ClO4-)は2次元の三角格子構造を持ち(図5)、その磁気構造は、m-MPYNN+が作る二量体内の10K程度の強磁性的相互作用J1と二量体が作る三角格子中で働く反強磁性的相互作用J2で表せる。そして低温ではS=1のスピンフラストレーションをもつ反強磁性カゴメ格子と見なすことができる。2次元スピンフラストレーション系は、特異な基底状態が予想され、物性物理の分野のトピックスである。 図5 m-MPYNN+・X-・1/3(acetone)の結晶構造 N-アルキル鎖の炭素数を1から4まで変化させたもの(m-R-PYNN+・I-,R=Methyl,Ethyl,n-Propyl,n-Butyl)を作成し、磁性、構造に及ぶ効果について調べた。結晶構造解析により、m-MPYNN+・I-,m-EPYNN+・I-,m-PPYNN+・I-ではカゴメ格子型の構造をとることがわかった。ただし、m-EPYNN+・I-,m-PPYNN+・I-は単斜晶系であり、結晶学的には、歪んだカゴメ格子というべきものである。これに対しm-BPYNN+・I-は全く違う構造をとる。格子の歪みがフラストレーションに与える影響は大きいと考えられる。そこで、極低温領域における比熱、磁性を比較した。図6に、磁気比熱の温度依存性を示す。カゴメ状格子をとる誘導体では、10K程度付近にショットキー型のピークが見られた。これは、ラジカル分子が作るダイマー内の強磁性的相互作用J1に起因するものと考えられる。また、それぞれ、1.8K、1.5K、0.61Kに極大をもつ2番目のピークが見られるが、これは、ダイマー間の相互作用J2による短距離秩序形成によるものと考えられる。3K以上の静磁化率をJ1-J2モデルで解析したところ、J2の値は、-1.6K、-1.7K、-1.0Kと得られ、比熱の極大の位置とほぼ一致した。カゴメ格子(m-MPYNN+・I-)と、歪んだカゴメ格子(m-EPYNN+・I-,m-PPYNN+・I-)の違いは、J2によるショットキー型のピークのより低温部分で観測された。m-EPYNN-・I-,m-PPYNN+・I-では極大を持った後、比熱は緩やかに減少するのに対し、m-MPYNN+・I-においてのみ、0.06Kから0.4Kの間になだらかな肩を持つことがわかった。極低温領域での比熱の残留は、スピンギャップ状態を持つ系としてすでに報告しているm-MPYNN+・BF4-でも見られている。交流磁化率の測定では、m-MPYNN+・I-でのみ、磁化率の増加がおさえられ、スピンギャップ状態と格子欠陥を仮定したモデルで説明された。これに対し、歪んだカゴメ格子をとるm-EPYNN+・I-,m-PPYNN+・I-では、スピンギャップ状態は、完全に解消された。これらのことから、極低温で観測されたスピンギャップ状態は、スピンフラストレーションに由来するものであり、格子のわずかな歪みによって劇的に影響を受けるということが結論された。 図6 m-R-PYNN+・I-の磁気比熱 また、m-MPYNN+・(A-)y・(A’-)1-y・1/3(acetone)の固溶体の系では、アニオンの割合yを変化させることで、J1J2の比を連続的に制御できることを示した。 4.金属アニオンを含むm-or p-R-PYNN+塩の磁性 対陰イオンに遷移金属を含む磁性イオンを導入し、有機ラジカルと遷移金属錯体間の相互作用を研究した。四面体型のMCl42-を用いて、(p-or m-MPYNN+)2・MCl42-(M=Co,Mn)を作成し、磁性と構造を検討した。その結果、p-誘導体では、CoとMn塩は全く同型の構造であるにもかかわらず、p-MPYNN+との相互作用は、それぞれ強磁性的、反強磁性的であることがわかった(図7)。これは、p-MPYNN+とMCl42-の間の電荷移動励起状態を考えた場合、Co塩では安定な高スピン状態が考えられるのに、Mn塩では低スピン状態しか許されないためだと説明できた。遷移金属イオンとの磁気的相互作用を考える場合には、分子間配置とともに、金属イオンの電子状態も重要な因子であることを示した(図8)。 また、平面型アニオン[Fe(tdas)2]-との塩、m-or p-R-PYNN+・[Fe(tdas)2]-(R=Methyl,Ethyl)を作成した。磁化率の温度依存性は、m-R-PYNN+・[Fe(tdas)2]-でm-MPYNN+がニトロニルニトロキシドに直接配位した構造、m-R-PYNN+・[Fe(tdas)2]-では[Fe(tdas)2]-が強く2量化した構造を仮定すると説明できる。 図7(p-MPYNN+)2・MCl42-の磁化率図8(p-MPYNN+)2・MCl42-での電荷移動励起状態5.ニトロニルニトロキシドでプローブしたコバルトーキノン錯体のValence Tautomerism 金属錯体の電子状態がニトロニルニトロキシドとの磁気的相互作用に強く影響することにヒントを得て、2価と3価の間で原子価平衡を示すコバルト・キノン錯体にニトロニルニトロキシドをプローブとして配位させた錯体Co(nnbpy)(3,5-DTBSQ)2(図9)を作成した。磁化率測定により、330K付近でコバルトの原子価平衡(VT)が存在すること、ニトロニルニトロキシドに働く交換相互作用は小さいことがわかった。ESRスペクトルの温度変化を測定したところ、錯体中に存在するセミキノンラジカルとニトロキシドラジカルで、線幅の温度依存性が異なることがわかった。この違いは、両者の環境の違いに由来し、コバルトイオンに直接配位したセミキノンラジカルには強い交換相互作用によって線幅が決まっているのに対し、ビピリジン部位を介してコバルトイオンと相互作用しているニトロニルニトロキシドは、主にdipole相互作用によって線幅のプロードニングが起こることがほぼ定量的に理解できた。 図9Co(nnbpy)(3,5-DTBSQ)26.結論 カチオンラジカルm-or p-R-PYNN+が有する化学修飾の多様性(N-アルキル鎖置換、アニオン交換)を利用して、周辺物質開拓を行ない、多彩な構造、磁性現象を研究することができた。カゴメ反強磁性体の系では、極低温領域におけるスピンギャップ状態の観測、および、そのギャップ状態が格子のわずかな歪みに強く影響されるという興味深い現象を見いだした。2次元スピン系のスピンギャップ状態は、一次元系に比べて報告例も少なく、理論面、実験面からの展開が期待される。d電子を含む系では、相互作用が電子状態に強く依存するという結果が得られ、電子状態制御による磁気的相互作用のスイッチという概念を得た。VT錯体をニトロニルニトロキシドでプローブした錯体では、ESR測定により、固体中の遷移金属錯体の電子状態をニトロキシドを通して、感知できた。 |