本論文は6つの章からなる。第1章は序論であり、本論文の研究の動機となった背景について論じている。コンピュータによる協調作業の支援を考えた時に、ネットワークを介して複数の人間が協調作業を行う分散協調アプリケーションは、近年ますますその重要さを増してきている。この分散協調アプリケーションを効率良く実現するためには、競合するアクセスの間での排他制御や分散したオブジェクト間の一貫性制御などの適切な並行性制御のための機構が必要となる。並行性制御の機構としては、データベースの分野で従来から広く用いられているトランザクションが代表的であるが、分散協調アプリケーションに適用するには、対話的で長い作業に向かない、途中結果の公開ができない、グループ内での協調ができない、などの問題点があった。そのためにさまざまな拡張されたトランザクションモデル(分散協調トランザクションモデル)が提案されてきた。しかし、アプリケーションごとに異なるモデルが必要になるために、現状ではアプリケーションごとに異なる並行性制御の機構を用いている。本研究ではこの点をふまえ、多様な分散協調アプリケーションを効率よく支援するためのシステムとして、分散協調トランザクションを記述・カスタマイズ可能なシステムを設計し実装することを目標としている。この主題の設定は、学位論文の主題として十分、かつ妥当であると認められる。 第2章は本研究が記述・カスタマイズする対象となる、分散協調トランザクションの性質について詳しく分析を行っている。複雑な分散協調トランザクションの性質を記述するために、トランザクション間の時間的な順序関係とオブジェクトの空間的な分散性の2つの軸に従って抽象化を与えることで、ユーザに記述し易いモデルを与えることができる。本研究ではこのモデルに従って従来のトランザクションの概念を拡張し、1つのトランザクションの中で分散した複数のプロセスを実行させることを可能にしている。この抽象モデルの上ではトランザクションとトランザクションの間の時間的関係、および1つのトランザクションの中での空間的分散性の2つを分けて記述することが可能になる。この研究では前者をトランザクション間プロトコルと呼び、後者をトランザクション内プロトコルと呼んでいる。 第3章ではトランザクション間の時間的順序関係を記述する、トランザクション間プロトコルのカスタマイズについて述べている。トランザクションの性質を記述するためのACTAという数学的枠組を基に、これを分散環境において効率的に実装するための方法について考察している。オブジェクトに関するイベントの抽象化や大規模な集合の最適化などの技術を用いて効率的なトランザクション記述システムの実装を行い、実際にそのシステム上で分散協調トランザクションを記述することで、その記述性と効率の2点について検証を行っている。 第4章はトランザクション内プロトコルのカスタマイズについて述べている。分散したオブジェクト間の一貫性制御のために分散共有メモリを実装技術として用い、分散共有メモリの一貫性プロトコルを記述する際の問題点について考察を行っている。分散共有メモリプロトコルの記述性が低くなってしまう原因は、プロトコルを表現する状態遷移の状態が非常に多くなってしまうことにあるとし、状態数を減らすための抽象化を行った記述言語を導入することでこの問題を解決している。実際に開発したシステム上でプロトコルの記述を行い、記述性と効率の2点について検証を行っている。 第5章は3章と4章で述べたトランザクション間プロトコルとトランザクション内プロトコルを組み合わせることによって、より柔軟で効率的なプロトコルのカスタマイズが可能になるということについて議論している。2つのプロトコルが互いの情報を交換し合うことで、プロトコルのカスタマイズを行った具体的な例を示し、実験によってこのことを検証している。 第6章は、論文全体の内容をまとめ、今後の研究課題について論じている。特に本論文の成果が、多様な分散協調アプリケーションに対して広く適用可能であることを述べている。さらに記述性と効率をより高めるための方針、および実際の分散協調アプリケーションへの適用と既存のシステムとの統合について議論されている。 本学位論文は、多様な分散協調アプリケーションを支援するためのカスタマイズ可能な分散協調トランザクションシステムの設計と実装方法について提案したものであり、カスタマイズシステムの有用性を記述性と効率という2点において検証を行っている。時間と空間の2つの軸に従って問題を分離したことによって複雑な分散協調トランザクションのカスタマイズを可能にした点で、特に今後の関連分野の研究に寄与するところ大であると認められる。この点において、本論文は高く評価され、審査委員全員で、博士(理学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。 なお本論文の内容の一部は、共著論文として印刷公表済みであるが、論文提出者が主体となって研究および開発を行なったもので、論文提出者の寄与は十分であると判断する。 |