近年、有機分子の一次元共役高分子で高効率発光現象が発見された。本研究では、有機分子の構造と発光機能の関係を解明するため、その原形としてオリゴチォフェンを取り上げ、定常およびフェムト秒時間分解発光分光の実験を行った。溶液状態と結晶薄膜状態の定常吸収・励起スペクトル・発光スペクトルを測定して、輻射結合過程の、分子サイズ・溶液粘性・温度依存性を調べて、オリゴチォフェン分子の発光ダイナミクスを解明した。 A.フェムト秒時間分解発光分光装置の開発 発光寿命測定に用いたフェムト秒時間分解発光分光装置(up-conversion system)を開発した。励起光源には、フェムト秒モード同期チタンサファイアレーザーの基本波(繰り返し周波数100MHz、波長800-810nm)と、その第二高調波(400-410nm)を用いた。励起強度は3mW程度であり、装置の時間分解能は250fs程度である。 測定に用いた試料は、オリゴチォフェンTn(nはチオフェン環の数で、3,4,5,6)のCH2Cl2溶液(濃度=1×10-4mol/dm3)と真空蒸着法で作成された結晶薄膜(膜厚0.1-0.6m)である。 B.溶液状態の定常スペクトルおよび時間分解発光分光 1.T3,T4,T5,T6のCH2Cl2溶液の定常吸収・発光スペクトルから、主鎖が長くなるに従い、スペクトルのピークが低エネルギー側にシフトしていることが観測された。このことから、主鎖が長くなると、電子共役系が広がることが示唆された。発光スペクトルには、吸収スペクトルと異なり、二つ・三つのピークを示す特徴があった。吸収スペクトルと発光スペクトルの形が異なることから、励起状態の共役主鎖の幾何構造が変化すると考えられる。吸収スペクトルには、二次微分係数の負のピークが三つ・四つ見られ、分子主鎖振動構造を示唆していると考えられる。最低エネルギーピークはS1←S00-0電子遷移に対応すると考えられている(表1)。実験結果から、S1←S00-0遷移エネルギーは、オリゴチォフェンの二重結合の数DBを用いてEa0-0(eV)=6.81/DB+2.02と与えられる。polythiopheneとbithiopheneについて、この式から得られる遷移エネルギーはそれぞれ2.02,2.72eVであり、この結果はintensity ratio methodで得られる結果(2.722eV)と一致する。 2.T3,T4,T5,T6の溶液状態での発光減衰を測定した(Fig.1)。結果には二つの減衰成分が見られ、いずれも主鎖が長い方が寿命が長いことが分かった。T3,T4,T5,T6の短い方の減衰時間定数はそれぞれ16ps,36ps,70ps,160ps程度で、長い方の減衰時間定数は170ps,390ps,610ps,880ps程度である(表1)。発光の高エネルギー側から低エネルギー側まで、数点について測定したところ、発光減衰成分の顕著な発光エネルギー依存性は見いだされなかった。遅い減衰成分は、S1→S0輻射減衰によるものと考えられる。また、この成分には、励起光偏光・溶液粘性依存性も見られなかった。 Fig.1.Fluorescence decay curves ofT3, T4, T5, and T6 in dichloromethane at 288 K.表1:Ea0-0はS1←S00-0遷移エネルギー。PLはS1→S0輻射過程の時定数。Orexp,Orslipは回転拡散時間定数の実験値とHydrodynamic Slip Modelによる理論値。 3.ただし、速い減衰成分には、著しい励起光偏光・溶液粘性依存性が観測された。溶液粘度を高めると、この成分は見られなくなる。励起光偏光と発光偏光を直交させると、遅い立ち上がり成分が観測された。したがって、速い減衰成分は分子の回転拡散であることが分かった。T3,T4,T5のCH2Cl2溶液の常温での回転拡散時間定数は、それぞれ18ps,40ps,80ps程度である。この実験から得られる分子の回転拡散時間定数はhydrodynamic slip modelによる計算結果と一致している(表1)。一方、発光双極子モーメントの配向は、分子の長軸方向であることが分かった。さらに、発光異方性を測定したところ、吸収双極子モーメントの配向と発光双極子モーメントの配向が異なることを示唆した。 C.結晶薄膜の定常スペクトルおよび時間分解発光分光 1.オリゴチォフェンT4,T5,T6結晶薄膜の定常吸収スペクトルの溶液との違いは、振動構造を示すこと、H-会合体のために吸収が高エネルギー側にシフトすること、低エネルギー側に裾が広がっていることがあげられる。また、低温(4.2K)における励起スペクトルから、低エネルギー側に新たな発光成分があることが明らかになった。それらの新たな発光成分に対応する吸収ピークは、微結晶境界付近の無秩序領域の分子による吸収ピークに対して、0.06-0.4eV程度低エネルギー側にシフトしている。 2.T4,T5,T6について、温度を変えて発光スペクトルを測定した。温度を295Kから4.2Kに下げたとき、スペクトルの強度積分は、T5,T6については7-10倍になったのに対し、T4については1.4倍にしかならなかった。発光スペクトルの、それぞれのピークの位置で、発光強度の温度依存性を測定すると、依存性の類似性から、幾つかのグループに分けられる。各グループに属するピークのエネルギーは、分子振動エネルギーに相当するエネルギー差を持つことが分かった。T4については、発光スペクトルの励起光エネルギー依存性も測定した。励起光エネルギーが2.53eV以下の時、発光スペクトルは励起光エネルギー依存性を示すことが分かった。そのことから、分子は、場所によってエネルギー的に異なる幾つかの状態をとっていると考えられる。それら、幾つかの状態として考えられるのは、微結晶境界付近の無秩序領域の分子、会合体状態、格子欠損、そして会合体状態にまでは至らない小数個の会合(二量体、三量体など)である。 3.T4,T5,T6の発光寿命の発光波長依存性を調べた。主発光バンドでの波長依存性は、T5,T6では見られないのに対し、T4では著しい(Fig.2)。T4について、発光波長による減衰の違いと、その由来を考察した。2.51eVでは指数関数では表されないような減衰があり、無秩序領域と小数個の会合によるものと考えられる。無秩序領域の分子からの発光は、高エネルギー側にあり、減衰時間定数は溶液状態に似ている。2.35eVでは、4.2Kで670psであるような長寿命の指数関数的な減衰があり、会合体状態からと考えられる。2.21eVでは、330-450psの指数関数的な減衰に先立って24psの立ち上がりが見られ、高いエネルギーを持った励起状態から、低エネルギーの格子欠損領域の励起状態への転移であると考えられる。 Fig.2. Fluorescence decay curves measured at various emission photon energies for the T4 film at 4.2K. 4.主発光バンドは、T5,T6薄膜では小数個の会合に依るものであり、T4薄膜では会合体状態によるものと考えられる。これが、T5,T6とT4では発光の温度依存性・寿命などで異なった性質を示す原因と思われる。 5.真空蒸着法で作成された結晶薄膜では、分子主鎖の平面性が保たれるので、分子間相互作用が強くなると考えられている。分子は微結晶中の場所によって、分子間相互作用の強さが異なる。そのため、単分子と比べて、準位のシフトと発光減衰特性に幅が生じた。さらに、無輻射減衰過程では、光励起子がH-会合体の低エネルギー準位であるL-バンドに転移すると考えられる。 |