学位論文要旨



No 113186
著者(漢字) 森山,茂栄
著者(英字)
著者(カナ) モリヤマ,シゲタカ
標題(和) 強磁場及びX線検出器を用いた太陽アクシオンの直接探索実験
標題(洋) Direct search for solar axions by using strong magnetic field and X-ray detectors
報告番号 113186
報告番号 甲13186
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3332号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 教授 折戸,周治
 東京大学 助教授 相原,博昭
 東京大学 助教授 川崎,雅裕
 東京大学 教授 戸塚,洋二
内容要旨

 我々は、太陽の中で作られている可能性のあるアクシオンを地上の実験室に用意した超伝導電磁石でX線に変換して検出する実験を行なった。もしアクシオンが存在すれば、検出器を太陽に向けたときに検出されるX線の量が増加することが期待される。実験の結果、有意なX線の増加は見られなかった。そこで、質量が0.03eV以下のアクシオンに対して、アクシオンと二つの光子の結合定数は信頼度95%で6.0×10-10GeV-1より小さいという制限をつけた。この制限は既存の制限に比べて4.5倍の改善にあたる。この実験は、太陽の寿命から決まる制限を凌ぐ感度を持つ、初めての実験となった。

 アクシオンとは「強い力のCP問題」を解決するために考え出されたアクシオン模型に登場する未発見の粒子である。強い力の理論にはもともと「U(1)A問題」と呼ばれる困難があった。その問題は解決したと考えられているが、その問題を解決する過程で、強い力を記述すると考えられるquantum chromodynamics(QCD)の理論にはCPを破る効果があることがわかってきた。しかしながら現実にはそのようなCPを破る効果は観測されていない。この食い違いを「強い力のCP問題」と呼ぶ。PecceiとQuinnは、この問題を力学的な機構によって解決するアクシオン模型を提案した。この模型が正しいとすれば「強い力のCP問題」は解決するのだが、新しくアクシオンと呼ばれる粒子が存在しなくてはならない。そこで我々はこのアクシオンを検出し、「強い力のCP問題」解決していることを示すための実験を行なった。もしアクシオンが発見されれば、素粒子の標準模型にあった長年の問題を解決することに繋がる。

 アクシオンが存在すれば星の中で発生することが期待される。アクシオンは物質との相互作用が弱いので、星の中で作られるとエネルギーを効率良く運びだし星の進化を早めてしまう。そのため物質との結合定数には制限が加えられている。しかしその中でもハドロニックアクシオンと呼ばれる種類のアクシオン模型については比較的制限が緩い。ハドロニックアクシオンは二つの光子と結合するため、太陽中心にある光子とプラズマとの相互作用によりアクシオンが大量に作られている可能性がある。我々は太陽から降り注いでくるアクシオンに、磁場を印加することによって再度光子に変換し、X線検出器で検出する実験を行なった。太陽中心にある光子は平均エネルギーが4keVの黒体輻射のエネルギー分布を持つので、観測されるX線のエネルギーも数keVであることが期待される。

 我々は強磁場を得るために超伝導電磁石を製作した。アクシオンを効率良く検出するためには、アクシオンの通過する方向に沿って垂直な強い磁場を印加する必要がある。磁場の強度をBとし、アクシオンの通過方向に沿って磁場の存在する長さをLとすれば、検出率は(BL)2に比例することがわかっている。そのため長さ2mに渡って4Tの磁場を発生することのできるレーストラック型超伝導電磁石を2枚製作した。その2枚の間を通過してくるアクシオンをX線に変換して検出する。それらの磁石は1つの真空容器に収められており、冷凍機で冷却されている。この磁石の特徴は我々の実験に非常に都合が良い。

 1.液体ヘリウムを使用せず、冷凍機のみで冷却が可能である。従って液体ヘリウムを取り扱う煩わさから開放される。

 2.永久電流モードで運転が可能なため、一度励磁してしまえば後は電流ケーブルを外すことができる。このため、磁石を太陽に向けて自由に動かすことができる。さらに外部から電流を加え続ける場合に比べて、安定度が高いことが期待できる。

 また、磁石とX線検出器とを併せて太陽に向けて追尾するための架台も製作した。この架台は重さ1.7tの磁石及び検出器を載せ、およそ1mrad以下の精度で太陽を追尾することができる。

 この実験にとって最も重要なX線検出器は、11mm×11mmの大きさのPINフォトダイオードを9枚用いて構成した。PINフォトダイオードは

 1.検出器自体が小さなものなので、低バックグラウンドの検出器を作りやすい。

 2.比較的広い面積を覆うことができる。

 3.数keVのX線に対する検出効率が高い。

 4.低温で使用することができる。

 などの理由のため、この実験に大変都合が良い。この検出器の開発にあたっては次の点について工夫を行なった。

 ●この実験のように稀な現象を探すための検出器にとっては、バックグラウンドが少ない方が感度が高い。そのためバックグラウンドを低減する改良を行なった。特に検出器周りに含まれる自然放射能を低減する必要がある。市販のPINフォトダイオードに使用されているセラミックの台にはウラン・トリウム系列の自然放射能が含まれているので、自然放射能の少ないテフロン基板を使用したものに交換した。この基板の製作は我々が行なった。まずテフロン基板の銅箔の上全体にニッケルと金をめっきし、それをエッチングすることによってダイオードの結晶を載せることができるようにした。台を交換した結果、100keV程度のエネルギーの高い領域ではかなりの低減に成功したのだが、我々の興味のある数keVの領域に対してはそれほど大きな改善にはならなかった。従ってさらなる改善が必要である。

 ●この検出器には、放射線からの信号を処理するために電荷感能型前置増幅器を使用している。その回路は一般に感度が高いため、回路に振動が加えられると電気的なノイズとなってしまう。通常の場合、波形整形回路を通すことによってあまり気にならない程度に押えることができる。しかしながら我々の実験環境では、超伝導電磁石を冷却するための冷凍機の振動が大きく、それだけでは十分でなかった。そこで検出器及び回路の最も敏感な部分を樹脂で固めることによって、この問題を解決した。樹脂にも特別の配慮が必要であった。低温で使用する場合、樹脂の線膨張係数と回路に使用される部品の線膨張係数が大きく異なると剥離が生じ、その後振動の影響を受けるようになることがある。そこで我々は、Stycast1266に線膨張係数の小さなシリカの粉末を混合して剥離が生じない樹脂を開発するこに成功した。

 ●前置増幅器に使用されているFETは、PINフォトダイオードとともに数十K程度の環境におく。しかしこの環境ではFETは動作できないので、FETに巻いたヒーターに電流を流すことによって130Kに設定する必要がある。この温度はFETにとってもっともノイズの小さくなる温度である。しかしこのヒーターの熱投入量があまりに大きくなると、冷凍性能を越える可能性があった。そこで熱抵抗として、FETと低温部の間にアクリル板を挿入した。PINフォトダイオードもこのアクリル板の上に固定した。このアクリル板は、線や低エネルギーのX線を遮蔽する点や、機械的にきちんと固定できる点においても優れている。

 さらに、自然に存在する放射性同位元素からの放射線に起因するバックグラウンドを低減するため、厚さ100mm程度の鉛シールドと10mmの無酸素銅、そして5mmのアクリル板を使用している。最も質量のある鉛は常温部においたが、他は数十Kの環境にある。

 アクシオンから転換されたX線を探索するため、PINフォトダイオードの出力波形を記録した。波形整形回路のみを入れてその波高を分析するだけでは、振動によるノイズが混入した場合十分なS/N比が得られない可能性があったからである。そこで前置増幅器の出力は二つに分岐して使用した。分岐の一方はFast Analog to Digital Converterに入れ、もう一方は波形整形回路に入れた。波形整形回路の出力はディスクリミネータに繋げ、波形を収集するトリガーとして使用している。Live timeを測定するため、スケーラも導入している。トリガーが発生すると、トリガーを発生した検出器の番号、トリガーの前後50secの波形などのデータを収集する。このデータはコンピュータによって記録され、後の解析で使用する。

 波高解析は、記録した波形を計算機上でカスプ整形することによって行なった。また、振動や電気的なノイズによるイベントをカットする適切な判断基準を選んだ。アクシオンがX線に転換されたイベントがこのカットの後どれだけ残るかについては、前置増幅器にテストパルスを入れることによって定量的に見積もった。

 これらの装置を使用して、我々は3日程度の測定を行なった。その内半分は検出器を太陽に向けず、バックグラウンドのデータを収集した。そして太陽に向けた時に得られるデータと比較してアクシオンの存在を検証した。その結果、それら二つの測定に統計的に有意な差は見られなかった。そのため我々はアクシオンと二つの光子の結合定数に信頼度95%で<6.0×10-10GeV-1なる制限をつけることができた。なおアクシオンの質量は0.03eVより軽いと仮定している。

 今後この実験装置を用いて、最も単純な大統一理論に適合するように作られたアクシオン模型の検証を行なう予定である。その模型では、アクシオンの質量ととの間に決まった比例関係がある。我々は数eVの質量を持ったアクシオンの存在を確認する実験を予定している。このように重いアクシオンを探すためには、磁場のある場所にヘリウムなどの原子番号の小さなガスを高い密度で詰めれば良い。その実験が成功すれば、始めて大統一理論に適合するアクシオン模型の存否を確認する実験を行なうことができる。我々はそのようなガスを詰める管を製作した後、実験を行なうことを予定している。

審査要旨

 本学位論文は、太陽から飛来する可能性のある未発見粒子「アクシオン」の検出を試みた、素粒子物理学の実験的研究を述べたものである。感度のよい探索実験であるにもかかわらず、アクシオン信号は検出されなかった。これはもしアクシオンが存在しても、それと光子との相互作用はきわめて弱いことを意味し、アクシオンの性質を特定する上で貴重な知見である。

 素粒子の強い相互作用は、クォークを用いた量子色力学(QCD)で記述されると考えられる。QCDを自然な形で定式化すると、CP対称性(Cは粒子反粒子交換、Pは空間反転)を破る効果が予言されるが、現実にはそうした対称性の破れは観測されない。この矛盾を解決するため、QCDに内在するCP非対称性を消す機構が提案された。ただしこの機構が働くには、新たにアクシオンという未発見のボーズ粒子が存在しなければならない。以上のような理論的背景のレビューは、本論文の第2章に述べられている。

 太陽や星の内部では、ある確率で2つの光子からアクシオン(ハドロニックアクシオン)が作られると予想される。この確率が大きすぎると、アクシオンが太陽内部のエネルギーを持ち去り太陽の進化が早まってしまうので、光子とアクシオンの結合定数は2.4×10-9GeV-1より弱くなければならない。このようにアクシオンはひじょうに検出しにくい粒子であるため、これまでアクシオンを直接に検出しようとする探索実験はいずれも成功していない。しかも実験から得られた結合定数の上限値は、太陽の年齢から間接的に得られる上限値より、緩いものでしかなかった。こうした経緯は、本論文の第2、3章に詳しくまとめられている。

 そこで申請者らは、太陽から飛来する可能性のあるアクシオンを直接に探査すべく、太陽アクシオン検出装置を開発した。これは長さ2mの細長い円筒の軸と直角方向に4Tにの強い磁場をかけたもので、円筒の一端を太陽に向けて用いる。太陽からのアクシオンは、円筒内部の強い磁場の下で、ある確率で光子に変換される。太陽の中心温度は約1.5×107Kなので、アクシオンのエネルギーはそれと同程度の数keVであり、それを受け継ぐ光子はX線となる。このX線を、円筒の他端に装着したX線検出器で検出しようというものである。磁場は2台の機械的冷凍機を用いた超伝導磁石により生成される。X線検出器としては、11mm×11mmシのリコンPINフォトダイオードを9枚あわせて用いる。バックグラウンドを下げるため、X線検出器には厳重なシールドが施される。これら装置の全体は特製の経緯架台に乗せられており、円筒の向きは1mradの精度でコンピュータ制御できるので、長時間にわたって太陽の追尾観測がで可能となる。申請者はこの装置の設計、製作、組み立て、調整など、多くの場面で主導的な役割を果たしてきた。本論文の第4章は、こうした装置まわりの記述に当てられている。

 申請者らはこの装置を用いて、太陽を追尾する観測と、太陽とは別の方向を見るバックグラウンド観測とを、あわせて3日間ほど行った。太陽観測とバックグラウンド観測との間で、Xの計数には有意な差はみられず、したがってアクシオン起源と考えられるX線は検出されなかった(第5章)。このことから、質量が0.03eVより軽いアクシオンが2個の光子と結合するさいの結合定数は、6.0×10-10GeV-1よりも小さい(95%信頼度)ことが結論された(第6章)。これは従来の実験でえられていた上限値を4.5倍も低くするものであり、また太陽の寿命に基づく上限値を、世界で初めて実験的に凌駕した結果である。したがって本論文に提示された研究成果は、アクシオンの存否を論じ、また素粒子の統一理論から先へのステップを考える上で、ひじょうに意義が大きいと評価できる。

 なお本研究は、蓑輪真氏をリーダーとするグループの共同研究であるが、研究の多くの面で申請者は中心的な役割を果たしており、その寄与は十分であると判断される。

 以上により、博士(理学)の学位を授与に値すると認定される。

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