学位論文要旨



No 113188
著者(漢字) 飯田,圭
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,ケイ
標題(和) 高密度物質における相転移と中性子星の進化
標題(洋) Phase Transitions in High-Density Matter and Neutron Star Evolution
報告番号 113188
報告番号 甲13188
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3334号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 教授 矢崎,紘一
 東京大学 教授 野本,憲一
 東京大学 教授 福本,正孝
 東京大学 助教授 須藤,靖
内容要旨

 中性子星においては、長い時間スケールにわたり伴星から物質が表面に降り積もる質量降着や、自転が徐々に遅くなるスピンダウンといった現象が知られている。このような進化により、星内部の高密度物質において圧力の変化が生じ、結果として物質は平衡から遠ざかる。すると、系を平衡に近づけるように物質組成の変化が起こる可能性がある。この組成変化は、それに要する時間が進化の時間スケールより小さくなって初めて可能となる。実際に進行すれば、平衡に近づいた分だけ化学エネルギーが解放される。星の中の全バリオン数は莫大なものであるため、星全体では、観測されているX線バースト・線バースト・星表面からのX線輻射等の高エネルギー現象をもたらしうるだけのエネルギーが解放されるものと期待される。当論文は、平衡化の過程として、星のクラストにおける原子核の組成変化・星のコアにおけるハドロン物質の非閉じ込め転移に焦点を当てる。その際、系の熱力学的性質、さらにその非平衡下でのふるまいに着目する。

 中性子星クラストは、原子核の格子・ほぼ一様な電子ガス・ドリップした中性子のガスにより構成されている。スピンダウンにより冷たいクラスト物質が収縮あるいは膨張する過程で、原子核において電子捕獲、崩壊、中性子放出・吸収、さらには核分裂・核融合反応が起こる可能性がある。これら核プロセスにより生じる熱は、電波パルサーのX線観測から推定される中性子星表面からの熱輻射量を理論的に解釈する上で重要となりうる。そこで、初期に基底状態にある物質のスピンダウンに伴う組成変化を、核プロセスが進むためのエネルギー条件・時間条件に基づき、温度ゼロの下で評価した。その際、中性子ガス中の原子核の質量公式を、Hartree-Fock計算による既知の基底状態における原子核組成をふまえ、ペアリング効果・シェル効果を含む圧縮性液滴モデルにより構築した。これらの効果は、中性子(電子)過程が進行する上で、中性子(電子)ガスの化学ポテンシャルが越えなければならないエネルギーの閾値を主に決定する。中性子ドリップに至っていない原子核の質量には、最近の実験値とその外挿値を用いた。クラスト物質の圧力変化は、スピンダウンのふるまいとクラストの構造に依存する。そこで、スピンダウンをパルサーの磁気双極子モデルにより記述し、それに伴うクラストの構造変化を、低速かつ一様に回転する星の平衡形状を一般相対論の立場から評価することにより決定した。結果として得られる等圧面の変形と、クラスト内での物質の変位とを照合することにより物質の圧力変化を計算した。

 スピンダウンにより、クラストの赤道面付近においては物質の圧力上昇が、回転軸付近では圧力降下が誘起される。初期の自転周期が〜1msの場合、これらの圧力変化により、中性子が十分ドリップしている高密度領域において、赤道面付近では中性子吸収過程が、一方、回転軸付近では中性子放出過程が進行することを見い出した。これらの過程により、その前後のギッブス自由エネルギー差に相当するエネルギーが解放され、熱として星内部に蓄積される。この熱生成が、ミリ秒パルサーに代表されるような弱い表面磁場(〜108G)をもち、かつ年齢の進んだ中性子星の熱史に重要な影響をもたらすことがわかった。また、この熱生成から予想される中性子星表面からの熱輻射量は、観測されているミリ秒パルサーからのX線輻射量(ただし、これらはパルサー磁気圏からの寄与を含む)を説明するには不十分であることがわかった。

 中性子星のコアにおいて、ほぼ平衡にあり、熱エネルギーを無視できる程度しか含まないハドロン物質が、高い圧力のもとでクォーク物質へと転移する可能性がある。この相転移に関する平衡状態図において、ハドロン物質とクォーク物質の共存相が有限の圧力範囲に出現し、しかもその相が、ハドロン物質中において電荷をもったクォーク物質の液滴が格子状に並ぶというような空間構造を示す可能性が指摘されている。スピンダウンや質量降着により、ハドロン物質のコアをもつ星の中心圧力が、フレーバーを保存したまま非閉じ込めを誘起するのに十分な大きさにまで上昇する場合、クォーク物質の液滴がポテンシャル障壁を透過することにより現れ、結果として共存相のもつ空間構造を生み出すかもしれない。そこで、液滴の生成レートと成長の過程を、静電エネルギーの寄与、およびエネルギー散逸の効果を含む量子核生成理論により見積もった。平衡にあるハドロン物質の熱力学的性質(状態方程式や組成)を相対論的平均場理論により表し、この物質から非閉じ込めを通じて現れるクォーク物質の熱力学的性質をバッグ模型により記述した。ハドロン物質としては,核物質と、核子・ハイペロンからなる物質(ハイペロン物質)を考えた。

 高密度核物質における静的な非閉じ込め転移の性質を調べると、転移に伴いバリオン密度が大きくとび、また、転移圧力近傍において核物質中の電子・ミュオンの割合が有意な値をとることがわかる。その結果、過圧領域にて現れるヴァーチャル、あるいはリアルなクォーク物質の液滴は、有効質量と電荷を担う。有効質量が十分大きいため、エネルギー散逸による核生成時間を指数関数的に大きくする効果が重要となることがわかった。この散逸効果は、フェルミ面近傍において励起される核物質中の準粒子が、液滴の運動に断熱的に追随できないままバリスティックに運動する結果、液滴表面との衝突を通じて液滴にオーミックな摩擦力をおよぼすことによる。一方、液滴電荷は主に相対論的に縮退した電子・ミュオンにより遮蔽される。この遮蔽効果をThomas-Fermi近似により取り入れた。生成された液滴は、自身の電荷が形成するクーロン障壁により有限にとどまる可能性があるが、レプトンの遮蔽効果がクーロン障壁の形成を抑制し、結果として液滴のバルクへの成長を促すことが示された。これは、核物質とクォーク物質の共存相が出現しそうにないことを示している。

 ハイペロンがハドロン物質中に存在する場合、ハイペロンのもつストレンジネスが、非閉じ込め転移に伴うバリオン密度のとびを抑え、ハドロン物質中のレプトンの割合をほぼゼロにする。その結果、液滴の有効質量は著しく減少し、またその電荷はほぼ消失するため、エネルギー散逸の効果やレプトンの遮蔽効果がもはや重要ではなくなる。有効質量が、液滴が現れるために通り抜けなければならないポテンシャル障壁の高さ程度にまで小さくなる場合、液滴が障壁下において相対論的に運動する結果、その生成レートが指数関数的に増大することが示された。すると、ハドロン物質の圧縮性が、液滴の速い運動に断熱的に追随できない成分を生み、結果として液滴の運動エネルギーを小さくする。この圧縮性の効果は、星内部の温度スケール(0.1MeV)において無視できることがわかった。

 核物質とハイペロン物質に対し、中性子星のスピンダウン、あるいは伴星からの質量降着による圧縮の過程で、星の中に最初のクォーク物質の液滴を生成するために必要な過圧度を計算した。この過圧条件下で、量子核生成からアレニウス則に従う古典核生成への移行温度を評価した結果、これは星内部の温度スケールより大きいことが示された。また、星が重力的に安定であるような中心圧力の上限に着目して、星中においてクォーク物質の出現が期待されるバッグ模型のパラメーター(バッグ定数・QCD微細構造定数・ストレンジクォークの質量)領域を評価した。実際に出現する場合、クォーク物質の液滴はバルクに成長し、さらにそのバルクの物質は弱い相互作用によって平衡に近づく。その際解放される化学エネルギーは、星全体で〜1052ergs、あるいはそれ以上と見積もられる。この莫大なエネルギーが線バーストの原因となっているのかもしれない。

審査要旨

 本論文は3つの章からなり、第一章はIntroduction、第二章はスピンダウン過程にある中性子星の殻(クラスト)の物質組成について理論的な考察をし、第三章では中性子星でクォーク物質が量子ニュークリエーションする可能性について論じている。第三章で使われるクォーク物質液滴内部でのクォーク分布は、Appendixを設けてモデル計算で求めている。

 論文提出者が新たに示した知見は、中性子星内部の高密度部分における原子核・ストレンジネスを含むハドロン物質・クォーク物質間の相転移に関するものである。具体的には、高密度になる可能性のある場所を二箇所選んで、理論的な考察をしている。まず、中性子星表面に近いクラスト部を選び、中性子星の回転にブレーキがかかること(スピンダウン)に起因する歪みが、物質組成を変える(相転移)可能性について論じ、否定的な結論に達している(第二章)。そのあとで、中性子星コア部を取り上げ、ハドロン物質がクォーク物質に転移する可能性を調べている。この場合も、ハドロン物質とクォーク物質が層状に共存するような可能性はなく、相転移が起こるとすれば、全コアを巻き込む大規模なものにならざるを得ないとの結果を得ている(第三章)。

 (第二章に関して)中性子星クラストは、原子核の格子・ほぼ一様な電子ガス・ドリップした中性子のガスにより構成されている。スピンダウンにより冷たいクラスト物質が収縮あるいは膨張する過程で、原子核において電子捕獲、崩壊、中性子放出・吸収、さらには核分裂・核融合反応が起こる可能性がある。これら核プロセスにより生じる熱は、中性子星表面を温める可能性がある。近年、X線観測衛星ROSATの登場により、幾つかの中性子星の表面温度が測られるようになったため、この過程を正しく評価することが大切となる。本論文では、初期に基底状態にある物質のスピンダウンに伴う組成変化を、核プロセスが進むためのエネルギー条件・時間条件に基づき、温度ゼロの下で評価した。そして原子核に関しては最近の実験値を、スピンダウンについてはパルサーの磁気双極子モデルを採用し、クラスト内での物質の圧力変化を具体的に計算している。

 スピンダウンにより、クラストの赤道面付近においては物質の圧力上昇が、回転軸付近では圧力降下が誘起される。初期の自転周期が〜1msの場合、これらの圧力変化により、中性子が十分ドリップしている高密度領域において、赤道面付近では中性子吸収過程が、一方、回転軸付近では中性子放出過程が進行することを見い出した。これらの過程が進めば熱が発生するが、それは表面磁場が弱く(〜108G)、ミリ秒で回転する、古い中性子星に影響をもたらすことがわかった。しかし予想される表面からの熱輻射量は、観測されているミリ秒パルサーからのX線輻射量(パルサー磁気圏からの寄与を含む)に比べ、非常に弱い。

 (第三章に関して)中性子星のコアでは、ほぼ平衡にあり、熱エネルギーを無視できる程度しか含まないハドロン物質が、高い圧力のもとでクォーク物質へと転移する可能性がある。この相転移では、ハドロン物質とクォーク物質の共存相が有限の圧力範囲で出現し、その相が、ハドロン物質中において電荷をもったクォーク物質の液滴が格子状に並ぶ空間構造を示す可能性が指摘されている。ハドロン物質のコアをもつ星の中心圧力が、フレーバーを保存したまま非閉じ込めを誘起するのに十分な大きさにまで上昇すれば、クォーク物質の液滴がポテンシャル障壁を透過し、共存相のもつ空間構造が生まれるかもしれない。この液滴が生成し成長する過程を、静電エネルギーの寄与、およびエネルギー散逸の効果を含む量子核生成理論により見積もった。平衡にあるハドロン物質の熱力学的性質(状態方程式や組成)を相対論的平均場理論により表し、この物質から非閉じ込めを通じて現れるクォーク物質の熱力学的性質をバッグ模型により記述した。ハドロン物質としては、核物質と、核子・ハイペロンからなる物質(ハイペロン物質)を考えた。

 核物質においては、静的な非閉じ込め転移に伴いバリオン密度が大きくとび、転移圧力近傍において電子・ミュオンの割合が有意な値をとる。その結果、過圧領域にて現れるクォーク物質の液滴は、有効質量と電荷を担う。有効質量が大きいため、エネルギー散逸による核生成時間を指数関数的に大きくする効果が重要となることがわかった。この散逸は、フェルミ面近傍において励起される準粒子が、液滴の運動に断熱的に追随できずバリスティックに運動し、液滴表面との衝突でオーミックな摩擦力をもたらすことによる。液滴電荷は主に相対論的に縮退した電子・ミュオンにより遮蔽されるが、レプトンの遮蔽効果がクーロン障壁の形成を抑制し、結果として液滴のバルクへの成長を促すことが示された。これは、核物質とクォーク物質の共存相が出現しそうにないことを示している。

 ハイペロンがハドロン物質中に存在する場合、ハイペロンのもつストレンジネスが、非閉じ込め転移に伴うバリオン密度のとびを抑え、ハドロン物質中のレプトンの割合をほぼゼロにする。その結果、上のような抑制効果が現れない。

 核物質あるいはハイペロン物質よりなる中性子星のコアが、何らかの理由で圧縮され、クォーク物質の液滴を生成するために十分な過圧条件が達成されると、クォーク物質の液滴はバルクに成長する可能性がある。その際解放されるエネルギーは、星全体で〜1052ergs、あるいはそれ以上と見積もられる。このエネルギーの一部は、コアから表面に達し、長い時間かかって、線バーストのあとに見られるX線after glowのような放射として放出される可能性がある。また、量子核生成からアレニウス則に従う古典核生成への移行温度を評価した結果、これは星内部の温度スケールより大きいことが示された。同時に、星中においてクォーク物質の出現が期待されるバッグ模型のパラメーター(バッグ定数・QCD微細構造定数・ストレンジクォークの質量)領域を評価している。

 本論文の第二章、第三章は、すでに3篇の論文として出版済みであり、第三章の内容の一部は、一篇、論文として投稿中である。これらは一篇を除き、指導教官である佐藤勝彦教授との共同研究であるが、論文提出者が中心となり考察し、計算したものであり、その寄与は十分大きいと判断した。

 以上のように、博士(理学)の学位を授与するに相応しいと認める。

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