学位論文要旨



No 113189
著者(漢字) 石田,宗之
著者(英字)
著者(カナ) イシダ,ムネユキ
標題(和) (600)粒子の存在と関連する諸問題
標題(洋) Existence of (600)-Particle and Related Problems
報告番号 113189
報告番号 甲13189
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3335号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢崎,紘一
 東京大学 教授 荒船,次郎
 東京大学 教授 太田,浩一
 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 講師 和田,純夫
内容要旨 導入

 粒子は中間子と共にカイラル対称性の線形表現を成す粒子である。対称性の破れに伴ってクォークに構成子質量を与える役割をし、その重要性は色々な観点から強調されてきた。しかしの存在は1974年のCERN-MunichグループによるI=0、S波の散乱位相差の精密測定によって一般には否定されてきた。それによると=1300MeVで270°にしかならない。巾の狭いf0(980)共鳴の180°の寄与を除くと90°しか残らず、質量500〜600MeVの粒子が存在する余地はない。

 一方、近年pp中心衝突過程(pp→pp00)での500〜600MeVの領域に巨大な事象の集中が観測された。これは単純にバックグラウンドとして解釈するには余りに大きく、実際1GeV以下の質量スペクトルはとf0の2つのBreit-Wigner共鳴公式によって記述できることが示された。しかしこの結果はいわゆる「散乱振幅のユニバーサリティ」の議論によって否定された。共鳴は散乱振幅で観測されないのだから生成振幅でも観測されるはずがないとするものである。

粒子の現象論的観測

 近年筆者とその協力者はの再解析を行い、粒子存在の強い証拠を見出した。従来の解析と同じを用いながら異なる結果を得た原因は、技術的には振幅干渉法(IA)と呼ばれる新しい解析法を用いた事にあり、物理的には負のバックグラウンド位相BGを導入した事にある。IAはユニタリティを満足するS行列の記述法であり、散乱振幅がBreit-Wigner共鳴公式を通じて各粒子の質量と結合定数で直接記述されていることに特徴がある。BGは現象論的に斥力芯型,BG(s)=-|P1|rc,にとる。解析の結果を図1(a)に示す。表1は我々の結果と従来の結果の本質的な点を比較したものである。我々の解析ではrc〜3GeV-1(0.60fm:ほぼ中間子の電磁半径と同じ大きさ)の半径を持つBGの導入が(600)粒子の存在に決定的な役割を果たす。(600)共鳴に由来する引力による大きな正の(600)と負のBG和が小さな正のを与えるが、従来の解析ではこれが正のバックグラウンド位相(あるいは非常に巾の広い(900)粒子)として扱われてきた。我々の解析は、rc=0の場合""に対応する粒子の質量と巾が(900)のそれと近くなり、従来の解析と本質的に等価であることが分かる。この場合、図1(a)から分かるように500〜600MeVの領域のこぶの様な構造が再現できず、2の値163.4はrc≠0の場合のbest fitに比べて140も悪くなっている。この事実はの存在を強く示唆している。

図1:散乱、生成過程での粒子の現象論的観測。(a)I=0散乱位相差,(b)pp中心衝突(GAMSNA12/2)での00質量分布,(c)J/崩壊(DM2)での質量分布表1:位相差解析:rc≠0のフィットとrc=0のフィットの比較。後者は従来の解析に対応。

 GAMSグループによるpp中心衝突実験とDM2によるJ/崩壊実験での質量分布の解析結果をそれぞれ図1(b)と(c)に示す。ここでは生成振幅に先述の=500〜600MeVの巨大な事象の集中に対応する""とf0の、位相因子をもつBreit-Wigner振幅の和の形(VMW法)が用いられており、この形で、図示している質量分布のみならず特徴的な角分布まで説明する事ができる。

散乱振幅と生成振幅の関係

 散乱振幅と生成振輻を扱う場合、2つの一般的な問題を考慮せねばならない。はユニタリティ条件を満たさねばならず、または、始状態が強い相互作用に起因する位相を持たない場合には、と同じ位相を持たねばならない:(終状態相互作用定理(FSI))。従来にはより厳しい関係式として「のユニバーサリティ」、(a(s)は変化の緩い実関数)、が要請されてきた。これまで共鳴がで観測されなかったことから、本論文のVMWによる共鳴があるとする解析は強く批判された。この批判の中心的な根拠は上述の我々のの再解析の結果によって既に失われているが、VMWがFSIと無矛盾であるかどうかという一般的な問題は検討されねばならない。

 まず第1にFSI定理が厳密に成り立つ場合についての関係を考察する。その為に簡単な場の理論的模型を用いる。中間子と共鳴粒子である(600)やf0(980)は等しくカラー1重項のq束縛状態であり、巾0の安定粒子として導入される。これらのいわば「クォーク力学的状態(bare状態:以下として記す)」,(と生成チャンネル"P")は構造を持っている為、強く相互作用をする:,その結果bare状態は有限の巾を持つ物理的状態(|〉=|〉,|〉,|f〉として記す)に変わる。以下ではまず共鳴状態が支配的な場合を考え、のバックグラウンドの効果を無視する()。強い相互作用としてはループの繰り返しの効果のみを考える。

 共鳴粒子を記述する状態には3つの型、bare状態,"K行列"状態,物理的状態|〉、がある。最初に2つの状態のみが散乱に寄与する場合を考える。Tはと伝搬関数行列を用いて

 

 と表される。式(1)はユニタリティを満たすことが容易に示される。を直交変換によって対角化することで"K行列"状態が得られさらにを複素直交変換によって対角化することで物理的状態|〉が得られる。これに対応して散乱振幅Resにも3つの表示がある。(bare状態表示の)式1は物理的状態表示を用いる事によって

 

 と書き直される。ここでは物理的状態の質量自乗,は実の結合因子である。これらは,,と状熊密度()で書く事ができ、しきい値領域以外では殆どsに依存せず、式(2)はIA法による散乱振幅そのものであることが分かる。

 FSI定理を満たす生成振幅は、式(1)の最初の結合定数生成結合定数に代える事によって得られる。このは物理的状態表示で

 

 と書かれるは物理的状態表示による結合(生成結合)因子で一般に複素数)。によって表すことができるのでしきい値領域以外では殆どsに依存せず、式(3)はVMWによる生成振幅そのものである事が分かる。しかしVMWでは散乱と無関係な、本質的に3つのパラメター、と相対位相、を含むが、これらは2つの生成結合定数、(あるいは)、によって表される為、について拘束がある。以上の議論は直接2を生成するバックグラウンドがある場合にも拡張する事ができ、その効果が共鳴の効果に比べ弱い場合には同様の結論を得る。一般に強い相互作用によるあらゆる過程は始状態に位相を持ち、これを評価する手掛かりが殆どない現状では、対応するをフリーとして扱わざるを得ない。本論文のpp中心衝突実験とJ/崩壊実験の解析はこの立場から成されたものである。

関連する諸問題

 位相差解析で決定的な役割を果たした斥力芯型のBGは線形模型の4相互作用と強い関係を持つ。SU(2)線形模型では散乱のA(s,t,u)振幅はと書かれる。第1項と第2項は関係式に従って強く相殺する。

 

 式(4)第1項の友沢-Weinberg振幅は南部ゴールドストーン粒子である中間子の微分結合性に基づくもので低エネルギーでは小さい値を与える。この意味で4相互作用はカイラル対称性に基づきの存在と共に要請される相補的な斥力相互作用であるとみなせる。式(4)は位相差解析でのBGの相殺に対応する。従来多くの解析での存在が否定されたのはこの機構の見落としに原因がある。

 I=1/2K散乱位相差を系と同様の方法を用いて解析する事で(900)の存在が示唆される。(600)と(900)、及び既に観測されている0(980)とf0(980)は、SU(3)線形模型に現れる九重項とほぼ無矛盾な性質を持つ。ベクトル、擬ベクトル九重項を含む模型でも同様の結果が得られる。このことはカイラル対称性が、非線形表現から導かれる低エネルギー定理としてのみならず、線形表現を通じて〜1GeV以下の全ての中間子の質量スペクトルと反応を記述する際、大きな役割を果たす事を示している。

審査要旨

 本論文は粒子の存在とそれに関連する問題を論じたもので、5章から成る。

 第1章は序論で、この研究の背景と論文の構成が述べられている。

 第2章では、粒子が実験的に観測されていると主張する。まず、これまで粒子存在の反証とされてきた弾性散乱の位相差分析の結果を再検討し、著者が"Interfering Amplitude Method"(IA-法)と名付けた新しい方法で解析し直すことにより、共鳴粒子として粒子が存在し得ることを示した。のアイソスピン0でのS波の位相差を解析した結果は、粒子の質量として585±20MeV,崩壊幅として385±70MeVを得ている。従来の分析との主な違いは、共鳴項に加える背景の位相差として強い斥力(0.6fmの斥力芯に相当)によるものを導入したことで、この起源については第4章で論じられている。実験的証拠としては、さらに陽子-陽子中心衝突過程やチャーモニュームとして知られるJ/粒子の崩壊で生成された系の不変質量分布に見られる500-600MeVでのピークを、著者が"Variant Mass and Width Method"(VMW-法)と名付ける方法で分析し、粒子の質量と崩壊幅として、前者からはそれぞれ580±30MeVと785±40MeV、後者からは414±20MeVと494±58MeVを得ている。本来同じになるべき質量や崩壊幅が、反応過程によって相当に異なる値となっているのは、生成過程における共鳴項以外の寄与が十分には取り入れられていないためと考えられるが、粒子存在の傍証としての意味は認められる。

 第3章では、共鳴粒子がある場合の散乱振幅の表示法について考察し、簡単な場の理論の模型から、上の分析で用いたIA-法とVMW-法を導いて、これらの方法がユニタリ性や時間反転不変性といった基本原理と矛盾しないことを示した。

 第4章では、粒子の存在に関連する問題を論じている。まず、散乱と同じ分析法をK散乱に適用し、共鳴粒子として(900)が存在する可能性を議論した。散乱の場合と同様に、強い斥力(0.7fmの斥力芯に相当)を背景の位相差として導入した分析の結果では、の質量は875〜970MeV,崩壊幅は435〜780MeVであった。次に、こうして存在の可能性が示唆されたとを、既に存在が確立しているスカラー粒子と組合せ、香りSU(3)の9重項を構成し、擬スカラー9重項とともにSU(3)線型模型で統一的に記述することを試みた。また、この記述では、およびK散乱で現象論的に導入された強い斥力に対応する背景の位相差を自然に説明できることも示した。さらに、この枠組にベクトル粒子を含める可能性も議論している。第5章では、こうした分析と考察の結果をまとめて、粒子と粒子の存在が強く示唆されたと結論している。

 本論文の分析には、粒子の質量や崩壊幅の反応過程による食い違い等、改良すべき点も残っているが、未解決の問題である粒子、粒子の存否について、インパクトの大きい分析と考察を行ったことは、ハドロン分光学の分野への十分な貢献であると認められる。

 なお、本論文の第2章、第4章は4人の研究者との共同研究に基づいているが、論文提出者が主体となって分析、考察を進めたもので、その寄与が十分であると判断できる。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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