半導体界面にできる2次元電子系に強磁場をかけると、強い電子間相互作用のために基底状態は分数量子ホール状態と呼ばれる量子液体となる。分数量子ホール状態は分数電荷の素励起や、磁束と電子の複合粒子などの新しい概念をもたらし、高温超伝導と並び近年理論的にも実験的にも精力的な研究が行われている。では、この系を更に横方向にも閉じこめたらどうなるのであろうか。実際、近年の半導体加工技術の急速な進歩により、半導体で2次元電子系を量子ドットと呼ばれる電子が数個しか含まれない程小さな領域(100nm程度)に閉じこめることは実験的に実現されている。 量子ドットを強磁場に置いた場合に興味深いのは、基底状態が、原子核の核構造を思い出させるような、「魔法数」と呼ばれる特定の角運動量をとり、これが多体の波動関数の対称性と深く関わっているという点である。強磁場下の量子ドット中の電子は、原子核の代わりに静電ポテンシャルによって閉じ込められた核の無い人工的な原子として捉えることも出来るが、見方を変えると回転しながら量子力学的に振動している電子のみから構成される「分子」と見ることも可能である。すると魔法数も斥力相互作用に支配された波動関数の対称性がパウリ原理により群論的に規制される効果として理解できる。普通の分子では、原子核に束縛された電子たちの挙動が問題となり、核が重いために「ボルン・オッペンハイマー近似」から出発して云々、という流れになるのとは対照的に、核は存在しないのに電子が自発的に分子的な配置を組む訳である。さらには、量子ドットを2枚重ねた系(2重量子ドット)の中の電子を考えることにより立体的な電子分子を考えることもできる。このように、メゾスコピック系の電子は新たな「電子分子物理」ともいえるカテゴリーを生む可能性がある。 量子ドット中の少数電子系は電子相関の強い系なので、数値的には相関の効果を全部取り込んだ厳密対角化を用いなければならない。この博士論文では1層、2層、両方の量子ドットについて基底状態及び励起状態の性質を厳密対角化を用いて調べ、その結果を電子分子という観点から眺める事により直感的な理解を試みた。そして強い電子間相互作用の光学吸収や輸送現象への影響についても研究した。先に述べた電子分子描像は1996年にP.A.Maksymによって提案されたものであり、3電子系についてその正当性が確かめられた。その多体波動関数は、まず古典安定配置から出発してその周りの量子力学的な振動を調和近似で入れ、最後に波動関数を反対称化することによって得られる。ただし異なる古典配置間の量子力学的混成が無視できると仮定している。ここで強磁場が何処に効いているかと言うと、古典配置(図1)のまわりの振動に調和近似を用いたが、振動は磁気長程度の振幅を持っているので磁場が強くなって磁気長と電子間隔の比が小さくなるほどこの近似の精度が良くなるわけである。定性的な密度相関の形などはこの博士論文に述べてあるように比較的低磁場(1T)でもよく再現する。 図1.厳密対角化で求めた魔法数状態での電子密度相関(上:黒丸の位置に1電子を固定したときの他電子の密度)と、それに対応する古典配置(下)。 電子分子描像は強磁場下で相互作用する量子ドット中の電子について分子という直感的な描像を与えてくれるという長所を持っているが、異なる分子配置間の混成を無視している。この効果は電子数が増えるにつれて重要になると考えられるので、電子数を増やした場合に配置間の混成が必要かどうかを厳密対角化の結果と比較して研究する必要がある。今回はじめて4、5、6電子について厳密対角化との比較を行い、以下のことを明らかにした。 スピンが揃った5電子系については2つの古典安定配置(正五角形と中心に1つ粒子を持つ正四角形,(図1))があり、その2つの配置間の混成は無視できるが、四角形分子にゆらいする魔法数と五角形の分子に由来するものの2系列が共存する事がわかった。 スピンが揃った6電子系にも2つの異なる古典安定配置(歪んだ六角形と中心に1つ粒子を持つ正五角形)が存在する(図2)。この場合正六角形の配置は反対方向に歪んだ2つの古典安定配置の間の鞍点になっており、そのポテンシャル障壁は非常に低い(最低ノーマルモードの1/10000程度)ので配置間の混成が非常に重要であり、通常の分子物理における動的ヤンテラー効果を思い出させるような現象が起こって対称性が回復し、厳密対角化で示された六回対称性を説明することがわかった。 図2 (a)6電子系の最低基準振動に対してプロットした古典配置のエネルギーの変位依存性。添図は2個の極小に対応する3回対称に歪んだ古典配置(A,C)と鞍点に対応する正六角形配置(B)。(b)二つの異なる配置(A,C)間の混成を取り入れて電子分子理論で計算された基底状態のエネルギー(実線)と、厳密対角化で得られた基底状態のエネルギー(破線)。間隔6(5)に対応する魔法数を下向き(上向き)の矢印で示した。。 また、魔法数のスピン依存性についても研究を行った。今まで魔法数がスピンに依存して変化する事だけは厳密対角化の結果から知られていた。今回4電子について全スピンが零の場合の魔法数のスピン密度相関を初めて見ることにより、魔法数がが2つの系列から成る事を示した。それぞれのスピン波動関数を電子分子描像で眺めてみると、4サイト・スピン系の固有関数(4サイト・ハバードモデルの基底状態と最低励起状態の主成分)に対応しており、resonating valence bond(RVB)的である事が分かった(図3)。この2つのRVB的な状態は実際に低磁場(1〜5T)で基底状態になっており、そのうちの1つは後述するスピン・ブロッケードに関与している事も分かった。 図3 電子分子で求めた矢印の位置に1つの上向きのスピンを持った電子を固定したときのスピン密度相関(右)とそれに対応する黒丸の位置に上向きのスピンを持った電子を固定したときの厳密対角化の結果(左)。上(下)の図は残りの上向き(下向き)スピンを持つ電子の密度を表す。 また立体的な電子分子的な密度相関を持つ2重量子ドットについても厳密対角化を用いて研究を行い、2層の間に発達する3次元的な電子分子構造に特有の新しい魔法数の系列が現れることを見いだした。 図4 2重量子ドットにおけるすべてのスピンが揃った磁場領域での魔法数状態における電子密度相関。上の層の白丸は1つの電子を固定した位置を表す。 2層系に対しここで新たに見いだした事実は、1層系の量子ドットではKohnの定理が成り立つことにより光学吸収に電子間相互作用は顔を出さないが、2重量子ドットで上下の層で閉じこめポテンシャルが異なる場合には、Kohnの定理が破れ、光学吸収スペクトルに電子間相互作用の効果がスペクトルの跳びや分裂といった形で現れることである。 図5 2重量子ドット中の3電子(4電子)の光学吸収スペクトル(上)と基底状態の角運動量(中)と基底状態の全スピン(下)の磁場に対するプロット。スペクトルの強さは黒丸の大きさで示してある。スペクトルの跳びは、基底状態がある魔法数状態から別の魔法数状態に移り変わるところに対応する。,,層間隔20nm。 最後にここでのスピン自由度に対する研究で明らかになった「魔法数と全スピンは連動している」という電子相関効果は、単一電子トンネルのブロック(スピン・ブロッケード)として観測可能であろう、ということも提案した。磁場がない場合のスピン・ブロッケードは正方形の量子ドットについてはWeinmannらによって提案され、放物型閉じこめでは起きにくいのでそれからずらした場合について江藤によって提案されていたが、我々は磁場中では全角運動量と全スピンとが連動して磁場とともに変化する事に着目し、そのスピンの変化によってスピン・ブロッケード条件が現実的な領域で満たされる事を新たに予言した。 |