学位論文要旨



No 113193
著者(漢字) 江澤,元
著者(英字)
著者(カナ) エザワ,ハジメ
標題(和) X線観測による銀河団内の重元素分布と温度構造の研究
標題(洋) X-ray Study on Metallicity and Temperature Distribution in Clusters of Galaxies
報告番号 113193
報告番号 甲13193
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3339号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 満田,和久
 東京大学 助教授 森,正樹
 東京大学 助教授 手嶋,政廣
 東京大学 助教授 須藤,靖
 東京大学 教授 吉井,譲
内容要旨 1はじめに

 地球にはシリコンや鉄をはじめとする重元素が多く存在し、生命を生み出すことができた。これら重元素は主として超新星爆発により生成されたと考えられている。それ故に、重元素の量と分布は銀河を初めとする宇宙の構造形成の歴史を化石のように残していると考えられる。本研究は、数10〜数1000個の銀河で構成され、重力的に閉じた系としては宇宙で最大である銀河団について、銀河間空間を満たす高温ガスの詳細な温度分布と重元素分布の観測をもとに、銀河団の形成過程の歴史や銀河がガスを放出してきた歴史にせまるものである。

 銀河団の銀河間空間はX線を放射する高温(107〜108K)、希薄(10-4〜10-2cm-3)なガス(ICM)で満たされており、その質量は、構成銀河の数倍に達する。そしてX線の観測によりICMには太陽組成の30%に達する大量の鉄が存在することが明らかになった。銀河で生成された重元素がICMに放出されるメカニズムは未だ完全に理解されていない。

 本研究では、X線で有数の明るさをもつペルセウス座銀河団とAWM7銀河団をとりあげ、わが国のX線天文衛星「あすか」を用いてその周辺部に至る広い領域をマッピング観測した。さらにドイツのROSAT衛星の高品位の軟X線像とも比較し、ICMの温度構造や重元素の分布を明らかにした。

 この2つの銀河団は、赤方変移が0.0183(ペルセウス)、0.0176(AWM7)と近傍に位置しており、得られたX線像を空間分解して解析するのに最も適した銀河団である。さらに、その位置はPisces-Perseus超銀河団のフィラメント上で互いに約の距離で隣接しており(H0=50h50km/s/Mpc),銀河団を越えた構造と銀河団形成の関わりも持っていると推測される。

2「あすか」衛星と銀河団解析手法の開発

 「あすか」は1993年2月20日に打ち上げられた日本で4番目のX線天文衛星であり、多重薄板斜入射X線反射望遠鏡(XRT)、その焦点面検出器として撮像型ガス蛍光比例計数管(GIS)およびX線CCDカメラ(SIS)を搭載している。ROSAT衛星と比較して解像度では劣るものの、鉄のK輝線を含む広いエネルギー領域(0.5keV-10keV)をカバーし、高いエネルギー分解能と低いバックグラウンドを実現している。これは銀河団のICMの温度構造の観測に適しているだけでなく、鉄K輝線を用いた重元素分布の観測をはじめて可能にする。特にGISは直径〜40分角の広い有効視野と2keV以上でSISよりも優れた感度をもつことから、銀河団観測に適しており、本論文では主としてGISの観測データを解析に用いた。

 XRTは、X線の入射角やエネルギーに強く依存した特性をもつため、その特性の把握が銀河団の広がったX線放射の研究には不可欠である。まず、多くの較正観測に基づいて、複雑なPSF(Point Spread Function)と視野外からのX線の混入(迷光)の影響を精度よく再現するXRTの応答関数を構築し、それを用いた解析を進めた。さらに、マッピング観測のデータを総合的に解析するための新しいシステム(TERRA)を開発した。この手法は、まず様々な入射角に対するXRT+GISの応答を計算してデータベースに蓄積する。それから観測や解析の条件に応じて応答関数を構成し、マッピングの全観測スペクトルを同時に解析して、ICMの物理量の空間分布を求めることを可能にする。これは、従来は困難であった、広い領域にわたるスペクトル解析を高速にできる点で画期的である。

3ペルセウス座銀河団

 X線で全天一明るいペルセウス座銀河団について「あすか」の13視野により中心からの領域を観測した。ROSAT衛星のポインティング観測で得られた軟X線像は、東西方向に伸びた非対称な形をしている。これはSchwartz et al.(1992)によるROSAT全天サーベイの結果と矛盾しない。そこで、この軟X線像に基づいて「あすか」の応答関数を作成し、スペクトル解析を行なった結果、ペルセウス座銀河団の中心4’領域のガスは少なくとも1.3keVと4.8keVの2相が必要であることがわかった。これは、銀河団全域を1温度でモデル化し、中心で〜2keVまで温度が低下しているとするROSATの結果を塗り変えるものである。

 中心4’より外側の領域については、得られたデータを東西南北の4セクタに分割して、セクタ毎のスペクトルの半径依存性を調べた。中心の低温成分による迷光の影響を避けるために、2keV以上のスペクトルを1温度のRaymond-Smithモデルでフィットした結果、特に鉄の組成比が、東の領域を除いて、中心から周辺部にむかって、スケールで太陽組成の0.4倍から0.15倍程度に減少していることを見い出した。中心から1°にわたって鉄の組成比を測定したのは、これが初めてである。最後に、TERRAシステムを用いて全データに対して自己無矛盾な解析を試みたところ、確かに鉄の組成比が中心から外側にむかって減少していることが確認された。

4AWM7銀河団

 AWM7銀河団の高温ガスは4keV程度で、鉄輝線の等価幅が大きく、ICMの重元素分布を調べるには格好の観測対象である。この銀河団を「あすか」6視野を用いて中心からまで観測した。このX線像は、過去のROSAT PSPCの観測結果(Neumann & Bohringer 1995)と同様に、東西方向に歪んでいる。「あすか」の2-10keV領域のX線像はROSATの得た離心率で歪めたモデルでよく合った。

 次に「あすか」の観測データを幅5’〜15’の円環領域に分割して解析したところ、鉄K輝線の等価幅が中心から周辺部にむかってという大スケールでかなり大幅に減少していることを初めて発見した。輝度分布のモデルに基づいて、AWM7銀河団のガスが一様であると仮定した応答関数を作成し、スペクトル解析を行ったところ、ICMの温度はほぼ全域にわたって3.8keV程度であることがわかった。一方、得られた鉄の等価幅に基づいて、鉄輝線領域での迷光の量を見積もり、求まった鉄の組成比の値を補正した。その結果、鉄の組成比は銀河団の中心では太陽組成の0.5倍程度と非常に高いのに対し、中心からより外側では0.15倍程度に落ちていることが明かになった。

 一般に銀河団のガス密度や銀河団を構成する銀河の数密度は、中心からの距離の関数としてモデルでよく記述されることが知られている。そこで、銀河質量密度をいくつかのパラメータについて計算したところ、銀河分布として最も典型的な=0.8の場合の分布が、観測で得られた重元素分布とよく相関することがわかった(図2)。

5考察

 銀河団の形状:ペルセウス座銀河団もAWM7銀河団も東西方向に伸びたX線輝度分布をもっている(図1)。ペルセウスがAWM7に及ぼす潮汐力を見積もったところ、潮汐力はAWM7自身の重力の数%以下に過ぎず、これのみでAWM7銀河団の1:0.8の長軸短軸比をもたらすのは不可能であることがわかった。むしろ銀河団形成過程でのmass infallがPisces-Perseus超銀河団のフィラメントの影響で非対称な形で進んだ可能性が高い。銀河団の形成が力学的タイムスケールが3×108年程度と考えられることから、これよりも長い時間スケールでmass infallが続いたものと考えられる。

 大スケールの鉄の存在比の減少:両銀河団とも、鉄の存在比が銀河団の外側へ向かって大スケールで減少することが初めて観測された(ペルセウスの東側を除く)。また鉄の密度分布が現在の銀河分布にほぼ沿うことがわかった。観測された重元素分布の原因を探るため、鉄が高温ガスの中で拡散する過程を評価したところ、鉄が銀河団の高温ガス中で宇宙年齢の間に拡散する距離は数10kpc程度にすぎないこと、鉄が重力ポテンシャルに沿って沈殿する距離もほぼ無視できること、さらに、構成銀河によるICM中での鉄を撹拌効果も効率が低いことが確かめられた。

 銀河団形成初期は、銀河とICMの分布がほぼ等しかったと期待されるので、主にこの時期に銀河からICMへ重元素が放出されたならば、一般の銀河の分布よりも銀河団の中心に集中した重元素放出がおこったと考えられる。一方、その後、frictionにより銀河分布がICMに対して中心に集中してくるが、その過程の中で重元素がICMに放出されたと考えると、初期のプロセスへの中心集中の要請が緩和される。

 ICMの重元素総量:従来は、観測技術の限界から銀河団全体の平均的な重元素組成比の観測に基づき重元素総量を見積もっていた。このためX線で明るい中心部に偏った測定になっていたが、今回明らかになった重元素分布の存在は、従来の重元素総量の見積もりが過剰であったことを示唆する。例えばAWM7銀河団について、重元素分布を加味して重元素総量を見積もると、重元素分布を仮定しない場合の半分程度のなることがわかった。もし重元素分布の非一様性が多くの銀河団に共通の性質であれば、従来、太陽組成の0.3倍程度といわれていたICMの鉄の平均組成比を改訂する必要が生じる。従来の見積もりに基づいた重元素の歴史のシナリオ(たとえばKauffmann et al.1998)に見直しが必要になるかもしれない。

 このように銀河団の形成過程をX線による観測から定量的に描いたことは本研究によって初めてなされた成果である。

図1:ROSAT PSPCによるペルセウス座銀河団とAWM7銀河団の軟X線像。双方の銀河団ともに、Pisces-Perseus超銀河団のフィラメント(東西方向)に沿って歪んでいる。図2:AWM7銀河団の太陽組成に対する鉄の組成比。曲線は、銀河質量分布が-モデルに従うとしたときの銀河質量とガス質量の比を示す。銀河質量分布が〜0.8のときに、この比が観測された重元素分布とよく相関している。
審査要旨

 銀河団は、数10〜数1000個の銀河と高温ガスで構成され重力的に閉じた系としては宇宙で最大の構造である。銀河間空間を満たす高温ガスは、X線でのみ観測される。それは、銀河団の形成過程や銀河が星形成を通してガスを放出してきた過程を物語っていると考えられる。本論文は、あすか衛星を用いたペルセウス銀河団、AWM7銀河団の二つの銀河団の観測を行い、空間的な温度分布と重元素分布のついての詳細な解析を行ったものである。その結果、重元素分布の空間構造という銀河団を通して宇宙の進化を理解する上で重要な観測結果を初めて得ることができた。

 本論文は7章よりなる。第1章で銀河団の高温ガスの温度、重元素分布についての問題点が提起された後、第2章では銀河団からのX線放射に関するこれまでの観測結果とその解釈がまとめられている。第3章ではX線の観測に用いられた「あすか」衛星の観測機器について述べられる。第4章で観測データの解析の方法について、特にX線望遠鏡の複雑な応答関数との関係に重点をおいて述べられている。本研究以前の解析では、複雑な応答関数のために、自己矛盾のない解析を行うことが難しかった。このため、本論文提出者が中心となって、TERRAと呼ばれる新しい解析方法が開発された。本章の後半ではこの新しい解析方法について詳しく述べられている。

 第5章、第6章では、それぞれ、ペルセウス銀河団、AWM7銀河団の観測結果が述べられている。本論文で解析された2つの銀河団は、赤方変移が0.0183(ペルセウス銀河団)、0.0176(AWM7銀河団)と近傍に位置しており、かつ明るく、得られたX線像を空間分解して解析するのに最も適した銀河団である。両銀河団とも1度から2度角に広がっており、あすか衛星の視野は直径約40分角程度であるため、複数個のポインティング観測により全体を観測している。あすか衛星のX線望遠鏡の点光源に対するX線像(PSF=Point Spread Function)は、全光子の1/2が入る円の直径(Half Power Diameter)が3分角と広がっており、同時に、X線の入射角やエネルギーに強く依存した特性をもつ。特に銀河団のように中心集中したX線輝度分布を持つ場合には、中心附近のX線の周辺部への寄与が大きな問題になる。このことは、銀河団の各点でのX線放射強度とスペクトルがわからないと検出器の応答関数が決まらないという、矛盾した状況に陥ることを意味する。そこで、本論文では、まず初めにX線放射スペクトルの形が銀河団の各点でかわらないという仮定のもとに応答関数を作成し、それを用いた解析を行った。その結果得られた結果は、銀河団の場所によってスペクトルの形が変化しているというものであった。そこで、その結果を出発点として、第4章で述べられた新しい解析方法(TERRA)などを駆使することにより、応答関数と結果の間の矛盾を解決し、筋の通った解析結果を得ることに成功した。この解析の過程で応答関数のシステマティック誤差が十分に検討されており、解析の結果は十分に信頼のおけるものであると判断できる。

 解析結果としては、まず、ペルセウス銀河団については中心約4分角領域は1.3keVと4.8keVの2相のガスが必要であることがわかった。中心領域以外は、高温のガス1相でよく、そのガス内の鉄の存在量が、中心から周辺部にむかって、1.5Mpcスケールで太陽組成の0.4倍から0.15倍程度に減少していることを見い出した。一方AWM7銀河団は、温度はほぼ全域にわたって3.8keV程度であるが、鉄の存在比は、500kpcスケールでペルセウス銀河団と同様な減少を示すことが示された。このように、2つの銀河団両方について鉄元素の存在比が、銀河団中心から周辺に行くに従って小さくなることが初めて示された。これは本論文の最も重要な観測結果である。

 最終章では、以上の観測結果が、銀河・銀河団の進化を考える上で与える制限について検討されている。まず、鉄元素の存在量に半径方向の傾きがあることにより、銀河団中の鉄元素の絶対量がこれまでの見積もりにくらべて約半分である可能性が指摘されている。これは、これまでに考えられてきた銀河形成のモデルに修正を迫るものである。次に、鉄元素が銀河から放出された後の運動を考察し、この結果が、銀河からのガスの放出のメカニズムに関して与える制限が検討されている。そこでは、現在もっとも有力な銀河形成初期での爆発的な星形成だけでは、観測結果が説明できないことが示されている。

 以上のように、本論文では、銀河団の空間分解されたX線スペクトルについて初めて解析手法として自己矛盾のない解析結果を得ることに成功し、鉄元素の存在量に半径方向の傾きがあることを示した。その結果は銀河・銀河団の形成を考える上で大きなインパクトのある全く新しい観測事実である。

 なお、第4章、第5章、および第6章は、都立大学大橋隆哉助教授他との共同研究であるが、これらについても、論文提出者が主体となって観測計画の立案からデータ処理、データ処理方法の開発、結果の考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、本論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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