内容要旨 | | 単電子デバイスとは微小な自己静電容量を持つ電極、島電極がトンネル接合を介して結合した系でありそこでは電荷の離散性に原因する現象、単電子帯電効果、が顕わとなる。単電子帯電効果はそれ自身が興味深い物理を含むばかりでなく、電極に様々な材料を用いることでもたらされる他の自由度と結合することが知られている。現在までに超伝導体電極や半導体電極からなる単電子デバイスが作製され、多くの独特な特性が報告されている。しかし超伝導と並ぶ金属の多電子基底状態として知られる強磁性が単電子帯電効果に及ぼす影響はまだ調べられていない。我々は強磁性金属を電極に持つ単電子デバイスを作製しその伝導特性を測定することで、強磁性状態が単電子帯電効果に及ぼす影響を十分制御された条件下で研究した。 実験は主に最も単純な単電子デバイスの一つである単電子トランジスタ(Single Electron Transistor略してSET)構造を作製して行った。SETとは一つの島電極に二本のリードがトンネル接合を介して結合した系であり、島電極の荷電状態を±eだけ変化するのに必要なエネルギー、e2/2C(eは素電荷、Cは島電極の自己静電容量)、の供給がない低温ではリード間の電子の移動が阻害される(クーロンブロッケイド)。ここで島電極の近くにもうけたゲート電極に正の電圧を加え、島電極の静電ポテンシャルを徐々に下げると、島電極の安定な荷電状態は0から-e、-2e、-3e…と順次変化する。この荷電状態の変化する境界では2つの荷電状態の静電エネルギーが一致し、このときに限りリード間にコンダクタンスが生まれる。このようにして、SETのコンダクタンスはゲート電圧に対して周期的にオン・オフを繰り返すという特性をもつ(クーロン振動)。 一般にトンネル接合のコンダクタンスは両電極のフェルミレベルにおける状態密度を反映する。強磁性金属では磁化に平行・反平行なスピンに対する状態密度がそれぞれ異なるため、強磁性金属/絶縁体/強磁性金属接合の抵抗は両電極の磁化の相対角度に依存し、磁化が互いに平行はとき最小、反平行で最大となる(磁気バルブ効果)。十分大きな外部磁場のもとでは両電極の磁化は磁場と平行にそろっているが、この磁場を徐々に下げてゼロにし、その向きを反転して再び増やしてゆくと(両電極の保磁力に差がある場合には)まず一方の電極が反転し、ついでもう一方の電極が反転する。この中間状態で両電極の磁化は反平行配置をとるので、トンネル抵抗vs.磁場特性には磁場反転後にピークが現れる(保磁力差型磁気抵抗効果)。 試料作製法は我々が独自に開発したものであり、(i)金属電極を蒸着するためのシャドウマスクの作製、(ii)ピエゾアクチュエータを用いたシャドウマスクと試料基板との相対位置の制御、(iii)酸素プラズマを用いた電極表面の酸化からなる。シャドウマスクはSi3N4膜付きSiウェーハを異方性エッチング、電子線リソグラフィー等を用いて加工したものであり、0.1mサイズの電極を形成できる。またこのマスクは酸素プラズマに対して耐性があるため従来の方法では作成が困難だったNiとその酸化膜をベースとした単電子デバイスの作製が可能となった。 以下では、Co島電極とNiリード電極が接合面積0.01m2程度のNi/NiO/Coトンネル接合を介して結合したSETを、温度4.2K〜20mK、磁場-80kO〜80kOeの範囲で測定した結果とその考察を述べる。このSETは単電子帯電効果が無視できる高温では磁気抵抗比4%程度の保磁力差型磁気抵抗効果を示し、低温・低バイアスではクーロン振動などの単電子帯電効果を示す。我々は低温・低バイアスにおいてクーロン振動の(1)振幅と(2)位相の両者に磁場の影響が現れることを見いだした。 (1)磁気バルブ効果の増幅 図1(a)は20mK、-15kOeにおけるクーロン振動を示す。この振動の最大/最小値、言い換えればSETのオフ/オン状態での抵抗値、の磁場による変化が図1(b)のプロットにおいてそれぞれ上側/下側の包絡線で示されている。図1(c)は下側の包絡線の拡大図である。2つの包絡線、すなわちオフ/オン状態の磁気抵抗特性はともに保磁力差型の形状を持つが、(i)オン状態の磁気抵抗比は約4%と高温でのそれに等しいのに対し、(ii)オフ状態でのそれは約40%と10倍以上に増幅されている。 図1 クーロン振動の振幅の磁場依存性。 上述のSET動作の記述は島電極の電荷を古典的に扱ったものである。しかしこの扱いが許されるの1接合あたりのトンネル抵抗、RT、が量子抵抗、h/e226K(hはブランク定数)、より十分大きいときにがぎられることが知られており、逆にRT<<h/e2の場合には島電極の電荷が量子的に大きく揺らぐためクーロンブロッケイドの消失がおこる。つまりオフ状態の抵抗、Roff、はRTの関数でありRT>>h/e2で発散し、RT<<h/e2で2RTに等しくなる。従ってRoffvs.RT特性にはRTh/e2近傍で強い非線形性が期待される。一方オン状態の抵抗、Ron、はRT>>h/e2で4RTに、RT<<h/e2で2RTに等しくなり、その非線形性は弱い。いまRTがRTh/e2近傍でわずかに変化したとするとRoffには大きな比率の変化が引き起こされる一方でRonに引き起こされる変化はRTのそれとほぼ同じある。実験結果は「RTが35k近傍で4%の変化したとき、Ronには同じ4%の変化が、一方Roffには40%の変化がそれぞれおこる」と解釈でき、上記の原理で定性的に説明が可能である。 (2)磁気クーロン振動 図2(a)は図1(b)を磁場vs.ゲート面に投影し直したもので、明は高抵抗、暗は低抵抗を表す。明瞭な斜めパターンが認められる。これは磁場を一定にしてゲート電圧を変えると通常のSETのスイッチングが起こるが、ゲート電圧を固定していても磁場によってこのスイッチングが引き起こされることを示している。斜めのパターンの傾きから磁場をかけることで島電極の電子数は一個ずつ増えていることがわかる。図2(b)はゲート電圧=0での切断面であり、磁場によるクーロン振動が明瞭である。 図2 クーロン振動の位相の磁場依存性。 孤立した強磁性金属に磁場を印加すると、上向き/下向きスピンのバンドはゼーマン効果によりそれぞれBH/-BH(Bはボーア磁子、g因子は2と仮定した。)だけ変化し、上向き・下向きバンドのフェルミレベルが一致するように電子の再分布が起こる。強磁性体ではフェルミレベルにおける上向きスピンの状態密度、D+、と下向スピンのそれ、D-、が異なるため、再分布後のフェルミレベルはゼロ磁場での値から だけ変化する。一般にフェルミレベルが異なる金属を接触させると両者の間で電子の再分布が起こるが、ある強磁性金属が他種の金属と接しているときには、上記の原理により、その接合界面において磁場に依存した電子の再分布が起こることになる。我々のSETにおいてもNi、Co各電極の間で同様の再分布が起こると予想されるが、Ni島電極の微小な自己静電容量のため電子は1個づつ離散的に再分布を起こし、その結果磁場によるクーロン振動が観測されたと考えられる。観測された磁気クーロン振動の周期及び斜めパターンの傾きはこのモデルにバンド計算によるD+・D-の値を適用することでよく説明できる。このモデルによれば、NiとCoの配置を入れ替えたSETでは斜めパターンの傾きは逆転するはずであるが、実際実験によって確認された。また、磁性島電極と非磁性リードからなるSETやNi/NiO/Coの三重接合系で観測された磁気クーロン振動もこのこのモデルで理解できることがわかった。 以上に述べた特性は他の系では見られない強磁性単電子デバイスに特有のものであり、本研究はその物理を解明することにより単電子帯電効果と強磁性の両者についてより多くの知見が得られることを示したものと考える。 |
審査要旨 | | 本論文は強磁性金属で作られた単電子トンネル(SET)トランジスタに関する研究をまとめたもので全4章からなる.第1章では本研究の背景となるこれまでの研究の流れが概説されている.第2章では本研究の実験方法の説明がなされ,第3章において実験結果とその解釈が述べられている.第4章でまとめと結論が述べられている. 微小トンネル接合においては,電子の電荷の離散性に起因する単電子帯電効果が低温において顕著に現れる.単電子帯電効果を示す典型的な系はSETトランジスタと呼ばれるものである.SETトランジスタにおいては,微小金属(島電極)への電子のトンネル確率が,静電エネルギーEc=e2/2C(Cは島電極の静電容量)によって抑制される(クーロンブロッケード).ゲート電圧によって島電極の電位を変化させると,島電極の最も安定な電子数が変化する.最安定電子数が移り変わる境界のところでトンネルが起こるので,ゲート電圧VGを変化させるとトンネルが起こる状態(SETトランジスタのオン状態)とトンネルが抑制される状態(オフ状態)が交互に現れる(クーロン振動). 本研究では,強磁性金属を用いてSETトランジスタを構成している.この種の実験がこれまで実現されなかった原因の一つは,磁性金属に対して良好な特性を持つトンネル障壁となる絶縁層を形成することが困難であったことによる(金属系での単電子帯電効果の研究はほとんどすべてAl/Al2O3系を用いて行われている).本研究では,マスク技術やプラズマ酸化プロセスに工夫を凝らすことにより,困難な微細構造作製を実現している.測定は主として,島電極をCo,リード電極をNiとした系について行われた.以下2つの主な結果について述べる. (1)クーロンブロッケードによる磁気バルブ効果の増強 トンネル接合のコンダクタンスは両電極のフェルミ準位の状態密度の積に比例する.電極が強磁性金属の場合,両スピンバンドのフェルミ準位状態密度の差があるために,トンネル確率は両電極の磁化の相対角度に依存し,磁化が平行の時に最大,反平行の時に最大となる(磁気バルブ効果).平行配置と反平行配置との間の抵抗の相対変化量は両電極を構成する強磁性金属のスピン分極P=(D+-D-)/(D++D-)を反映する. 本研究ではNi/Co/Ni系強磁性SETトランジスタでこの磁気バルブ効果を調べている.ソース・ドレイン電圧を十分大きく設定してクーロンブロッケード効果を効かなくした領域では,約3.8%の磁気バルブ効果が見られた.クーロンブロッケード効果が効く領域でもSETトランジスタのオン状態における磁気バルブ効果は上記と同じ大きさであるのに対して,オフ状態ではそれが40%に増強されることが観測された.この増強効果はオフ状態のSETトランジスタの抵抗が接合のトンネル抵抗RTに非線形に依存することと関連している.この非線形性はRTが量子抵抗RQh/e2を超えるあたりから顕著になる.実際,測定した試料のRTは35kであり量子抵抗と同程度であることから,この機構の妥当性が裏付けられる. (2)磁気クーロン振動 通常SETトランジスタではゲート電圧によってオンオフを制御するが,Ni/Co/Ni系強磁性SETトランジスタを用いた本研究ではゲート電圧を一定に保って磁場を変化させたときにもオンオフのスイッチングが起こることが見出された(磁気クーロン振動).孤立した磁性体に磁場をかけるとゼーマン効果により上向き/下向きスピンバンドがそれぞれgBH/-gBHだけシフトする.両バンドのフェルミ準位状態密度の違いによりこれに伴ってフェルミ準位がだけシフトする.他の金属と接合を作っている場合には電気化学ポテンシャルを一致させるように電子の移動が起こるが,単電子帯電効果が効く領域ではこの変化が電子1個ずつ離散的に起こる.これが磁気クーロン振動の起源である.ゲート電圧による通常のクーロン振動から得られる情報と合わせると,ゲート電圧による静電ポテンシャル変化と磁場による上記のフェルミ準位変化との間の関係が明らかとなる.この関係から,強磁性金属のスピン分極およびPCoに関する情報が得られる. 本研究は強磁性体金属によって作られた単電子素子に関して,クーロンブロッケード領域における磁気バルブ効果の増大現象,および磁気クーロン振動効果という2つの新しい物理現象を発見してその解析を行ったもので,この分野における重要な寄与をなしたものと認められる.なお,本論文の中核をなす研究内容は指導教官らとの共著論文として学術誌に印刷公表されているが,実験の遂行および結果の解析の大部分は論文提出者が主体となって行ったものと判断される. 以上のことから,本論文は博士(理学)の学位授与に値するものと認める. |