学位論文要旨



No 113195
著者(漢字) 沖本,洋一
著者(英字)
著者(カナ) オキモト,ヨウイチ
標題(和) ペロブスカイト型マンガン酸化物の金属 : 絶縁体移転の分光学的研究
標題(洋) A spectroscopic study of the metal-insulator transition in perovskite-type manganites
報告番号 113195
報告番号 甲13195
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3341号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 秋山,英文
 東京大学 助教授 藤森,淳
 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 助教授 吉沢,英樹
 東京大学 助教授 山本,智
内容要旨

 Mnイオンを含むペロブスカイト型酸化物R1-xAxMnO3(RはLa3+,Pr3+などの3価の希土類イオン、AはCa2+,Sr2+などの2価のアルカリ土類イオン)の物性研究は1950年のヨンカーとファンサンテンによる研究に端を発している。当時は主に、各種3d遷移金属イオンを含む磁性体のひとつとして興味が持たれていたであろうことは想像に難くないが、その中でもMn酸化物ペロブスカイトは独特な現象を内包していた。その一つは、系の電気抵抗率が強磁性転移とともに急激に減少して低温で強磁性金属(FM)相が出現することである。このFM相の諸性質は、ドジャン、アンダーソン長谷川、ゼーナーらの研究によって、Mn3+とMn4+のイオン間に働く「二重交換相互作用」の考えのもとに理解が進んだ。これは、Mnイオン中の遍歴的なeg電子と局在しているt2gスピンの間には大きなフント結合(JH)がはたらくために、eg電子が重いt2gスピンを揃えて周るとして定性的に理解できよう。さらに、この物質が強磁性転移温度Tc近傍で大きな負の磁気抵抗(Magnetoresistance,MR)効果を示すことも1969年に実験的に確認され、またわが国の久保、大畠による電気抵抗率の温度依存性、磁気抵抗の先駆的理論研究があった。

 現在に至ってこれらペロブスカイト型Mn酸化物における(室温付近の)Tc近傍での巨大な負のMR効果の重要性が再認識されるなかで、さらにその後の関連物質設計・開発の中で知られた電荷整列相(Mn3+とMn4+が実空間で交互にオーダーする状態)が、外部磁場により強磁性金属相へと転移することにより電気抵抗率が何桁も変化するという「超巨大磁気抵抗(Colossal mangnetoresistance,CMR)効果」が発見されるにおよんで、Mn酸化物は現在世界的に精力的に研究の行われている物質の一つとなったのである。

 またこのようなMR効果ばかりでなく、この電荷整列相は磁場以外の外部の刺激(たとえば高電圧、X線やレーザーの照射)によっても強磁性金属へと転移することが発見されており、このことからもMn酸化物は新しい機能性材料として世間の耳目を集めつつある。

 このような世界的趨勢を受けて、本研究は以下の三点を研究の主目的とした。

[1]典型的な二重交換系La1-xSrxMnO3の強磁性金属-絶縁体転移に伴う電子構造変化の分光学的研究

 図1に、常磁性→強磁性金属転移を示すx=0.3の試料における光学伝導度スペクトルの温度依存性について示した。(簡単のため温度変化しない部分、および光学フォノンの寄与は引き去ってある。)スペクトルは〜2eVのエネルギースケールにわたり大きく温度変化している。この事実は、強磁性相の(スピン偏極した)電子構造とその温度変化を特徴づけるエネルギースケールがおよそこの程度であることを示唆するものである。同図の常磁性相(T>Tc)のスペクトルは1.3eVに幅広いピークを持っているが、そのスペクトル強度は低温になるにつれて低エネルギー側(0〜0.5eV)に移り変わっていく。このような光学伝導度の大きなエネルギー領域にわたる温度変化は極めて異常である。

図1:La0.7Sr0.3MnO3における光学伝導度スペクトルの温度依存性。

 これらの光学伝導度の温度変化はどのように理解したらよいだろうか。常磁性相においては、キャリアーであるeg電子と、局在スピンであるt2gスピン(S=3/2)が同じ方向を向く場合(JHを得する)と、異なる方向を向く場合(JHを損する)とは等確率であること、およびSJHが一電子バンド幅Wに比べて大きいことの二つの理由により、図2(a)に示す様にeg伝導バンドはSJHの大きさで分裂してしまう。図1のT>Tcで見られる絶縁体的な吸収の立ち上がりは、このSJHで分裂したサブバンド間の遷移に対応すると考えられる。Tc以下に温度を下げていくと、eg伝導バンドは図2(b)の様にスピン偏極したバンドへとクロスオーバー的に変化する。このスピン偏極したバンド間の遷移は光学的に禁制であるため、常磁性相で見えていたスペクトルのギャップ的な立ち上がりは温度の低下とともにその強度を失い、ドルーデ吸収へと変化していくと考えられる。伝導バンドが温度の低下とともに完全に(100%)スピン偏極したものへと変化していくという事実は、二重交換系に特有のものであり、スピン分極率が10%程度のNiのような強磁性遷移金属とは対照的である。このように、光学スペクトルから見た二重交換系の電子構造は、

 (i)広いエネルギー域にわたる電子構造の温度変化、および

 (ii)完全にスピン偏極したeg伝導バンドの二つによって要約することができる。

図2:二重交換系のeg伝導バンドの温度変化。
[2]磁場誘起電荷整列絶縁体-強磁性金属転移を示すPr1-xCaxMnO3(x=0.4)の磁場下における反射分光

 前節ではLa1-xSrxMnO3という格子歪みの比較的少ない系について述べた。ここで希土類サイトをLa3+→Pr3+、アルカリ土類金属サイトをSr2+→Ca2+とイオン半径の小さな元素で置換すると、格子歪の増大のため-電子バンド幅が減少して行き、もはや二重交換相互作用による強磁性金属相は現れなくなる。変わって出現するのは電荷整列相というMn3+とMn4+が実空間にわたって交互にオーダーする状態で、これは極めて良い絶縁体である。最初にも述べたとおり、この電荷整列相は外部磁場の印加によって強磁性金属相に転移させることができる。

 図3は、x=0.4における反射スペクトルの30Kにおける磁場依存性である。(0.6eV付近に見られる切り立った構造は光学フォノンによるものである。)ゼロ磁場では平坦で’絶縁体的’なスペクトルであるのに対し、外部磁場が増大していくと中赤外部の反射率が徐々に増大して7Tでは金属的(ドルーデ的)な高い反射スペクトルへと大きく変化する。(この臨界磁場の値は、磁気抵抗の測定結果と矛盾しない。)この可視光領域にまでおよぶ反射率の磁場変化は、磁場のエネルギースケールが極めて小さいこと (1T〜1K)を考えると極めて異常であり、一種のマグネトクロミズムと呼ぶべき現象である。図4は、クラマースクローニッヒ変換を用いて得た光学伝導度スペクトルの磁場依存性である。OTのスペクトルでは、0.35eV付近から吸収の立ち上がりが見られる。この吸収の起源は、(軌道整列のパターンから考えて)Mn3+サイトのd3×2-r2(or d3y2-r2)軌道からMn4+サイトへの電子遷移によると考えるのが妥当である。この遷移エネルギーは外部磁場の増大によって徐々に減少し、7Tでは金属的なスペクトルに大きく変化している。

図3:Pr0.6Ca0.4MnO3における反射スペクトルの磁場依存性(30K)。図4:Pr0.6Ca0.4MnO3における光学伝導度スペクトルの磁場依存性(30K)。
[3]Pr1-xCaxMnO3(x=0.3)の光誘起相転移の探索

 序文でも述べたように、Pr1-xCaxMnO3系の電荷整列相は、磁場以外の外部からの刺激(例えばX線照射や高電圧の印加など)によって壊れることが知られている。近年、宮野らはPr0.7Ca0.3MnO3に対して(弱電圧をかけて電荷整列相の強度を弱めた状態で)レーザー光を照射することにより、抵抗が何桁にもわたって減少することを発見した。これは応用上の観点から見ても興味深い現象だが、この相転移には外部電圧の印加が必須であるために、終状態の「低抵抗状態」における電子状態の理解が困難となっている。そこで本研究では、電圧のかわりに外部磁場の印加によって電荷整列相を弱めた状態で光誘起相転移が起きないかどうかを調べた。その結果、1.2Tの磁場下でレーザー光照射に伴う抵抗値の減少が観測された。またこの低抵抗状態は磁場を切っても維持されること、およびその後の抵抗の温度変化の実験結果から光誘起によってもたらされた終状態が、磁場によって引き起こされた状態(すなわち強磁性金属状態)であることが結論された。

 これは図5のレーザー光照射後の磁化の時間依存性のグラフでより端的に示される。(矢印で示された時間にレーザー光が照射されている。)光照射によって磁化は大きく増大しており、レーザー光が試料に当たった領域が強磁性に転じていることがわかる。

図5:Pr0.7Ca0.3MnO3におけるレーザー光照射による磁化の増大(30K)。時間は磁場(1.2T)をかけてから計られたものである。
審査要旨

 本論文は、ペロブスカイト型マンガン酸化物の金属-絶縁体転移に関する分光学的手法を用いた実験的研究を、5章からなる英文でまとめたものである。

 本論文第1章では、研究の背景が述べられている。マンガンイオンを含むペロブスカイト型酸化物の物性研究は1950年頃より行われてきた。特徴的なことは、それが低温で強磁性金属相を形成すること、すなわち、抵抗率が強磁性転移とともに急激に減少することであり、この振る舞いは、二重交換相互作用という考えのもとに理解されてきた。転移温度近傍での磁気抵抗効果、さらに物質設計開発が進み電荷整列相の形成、その巨大磁気抵抗効果などが発見され、現在いっそう盛んに研究されるようになっている。

 このような背景のもと、本論文では、多様な物性を内包するペロブスカイト型マンガン酸化物の物性とメカニズムを明らかにするために、遠赤外から可視域にまでわたる広い範囲の光学応答を反射分光手法により測定し、スペクトルをクラマースークローニッヒ(KK)変換解析することでキャリアの諸性質を調べている。また、その測定を磁場中で行うことや、光を外部刺激として加えて相転移を誘起することで、相転移の前後の状態を研究している。

 本論文第2章では、フーリエ変換赤外分光法とそれを用いた反射分光の測定手法が述べられている。本装置の作製は、本人が在学中に自力で行ったものであり、また磁場中での計測が出来るように開発されている点で、装置自体がユニークである。さらに、このような計測法とKK解析を用いて酸化物中の自由キャリアのドルーデ重率や緩和を調べ、酸化物の金属-絶縁体転移に関する実験的研究を行うという研究手法は、大変独創性が高いものと認められる。

 本論文第3章では、ペロブスカイト型マンガン酸化物の中でも典型的な二重交換系であるLa1-xSrxMnO32に対して、上記の方法により光学伝導度スペクトルを測定し、温度変化とともに生ずる強磁性金属-絶縁体転移とそこでの電子構造変化が研究されている。光学伝導度スペクトルは、高温相が1.3eVに幅広いピークを持つローレンツ型であるのに対し、低温相では0-0.5eVに比重が移り、金属的な振る舞いを示す。これは、常磁性・高温相でのフント結合により生ずるサブバンド間の遷移が、強磁性・低温相での完全にスピン偏極したバンドにおいて禁制になるためと結論された。また、光学伝導度スペクトルに対してモデルフィッティングを行い自由キャリアのドルーデ重率を見積もったところ、ホール測定により得られた値や報告されている有効質量をもとにした単純なドルーデ理論による予測との不一致が認められた。

 本論文第4章では、格子歪みのためバンド幅が減少したPr1-xCaxMnO3(x=0.4)に対して、磁場をパラメータとして光学伝導度スペクトルを測定し解析している。この系では、低温において電荷整列絶縁体相が形成され、通常は強磁性金属相は形成されない。ここでは、外部磁場を印加することによって、電荷整列絶縁体相が強磁性金属相へと相転移する様子を光学伝導度スペクトルの変化から調べている。OTでのスペクトルは0.35eVから高エネルギー側に広がっておりMn3+-Mn4+サイト間の電子遷移によるものと解釈されるが、7Tではスペクトルはドルーデ的なものへと大きく変化した。

 本論文第5章では、Pr1-xCaxMnO3(x=0.3)について、磁場を印加して電荷整列相を弱めた状態でレーザー光照射を行って、相転移を誘起する実験が論じられている。このようにして引き起こされた相転移の終状態は、電気抵抗が低く、光を切った後も持続する。さらに、温度を変化させて測定することにより、この終状態が、低温強磁場で実現される強磁性金属相に他ならない事が結論出来た。

 以上のように本研究は、一連のペロブスカイト型マンガン酸化物試料に対して、これまで行われていなかった分光学的手法を実践し新たな知見を得たものであり、大いに評価できる。

 なお、本研究は指導教官を含めた共同研究の形で行われているが、測定装置の開発、分光実験の遂行、結果の解析、など本人の寄与が本質的であることが認められた。

 よって、本論文をもって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54000