重い電子系は典型的な強相関電子系として盛んな研究が続いている.CeCu6は低温まで磁気秩序がなく、電子比熱係数が1.6J/mole K2と最も大きな有効質量を持つ物質の一つとして良く知られている.重い電子系では多体効果が繰り込まれることによって、近藤温度あるいは実効的フェルミ温度以下で大きな質量の準粒子が形成される.この実効的フェルミ温度は数度から数十度と小さなエネルギースケールであるので、こうして形成された準粒子がフェルミ液体も含めどのような基底状態に落ち着くかという問題は、量子相転移の宝庫としてたいへん興味深い.CeCu6についてはLohneysen達のグループが、CuをAuで置換することによって反強磁性が出現し、x=0.1の臨界濃度付近で非フェルミ液体的性質が見られることを報告し、注目を集めている.本研究では、このCeCu6-xAuxの系を中性子散乱を用いて研究し、その反強磁性相関の様相について議論している. 当論文の本文は全体で5章からなっている.第1章の序論では、重い電子系の量子相転移を近藤効果とRKKY相互作用の競合として見るDoniachの考え方が紹介されている.中性子散乱でシングルサイトの近藤効果的な磁気相関と、サイト間のRKKY的な磁気相関が分離して見えている例が議論され、本研究の目的が示される.第2章では、論文提出者が整備に勤めてきた中性子散乱用3He-4He希釈冷凍機や、中性子散乱の三軸分光器など本研究で用いられた実験装置の説明がなされ、大阪大学大貫研究室で行なった試料作成の概要が記されている. 第3章では、中性子散乱による実験結果が議論されている.CeCu6では、高温側の斜方晶から約200Kで単斜晶に構造相転移が起きることが知られている.角度変化を中性子散乱で求めてx=0での構造相転移を確認するとともに、x=0.2,0.3,0.4,0.5の試料では構造相転移が観測されないことを報告している.磁気弾性散乱では、x=0.2,0.3,0.4の試料でc方向にも成分を持つおよそ(0.625,0,±0.25)の波数のブラッグ散乱を見い出している.散乱強度の解析から、スピン構造は横波正弦波構造であると結論される.波数ベクトルの濃度依存性については、x=0.2,0.3,0.4でそれぞれ(0.625,0,±0.27)、(0.62,0,±0.25)、(0.612,0,±0.22)であり、x=0.5ではc方向の成分はなくなっている. 磁気非弾性散乱の実験は、試料の質が比較的良いと思われるx=0,0.3,0.5について行なっている.非弾性散乱の実験は強い強度を必要とし今回の実験で用いた程度の試料の大きさでは、有意な結果を得ることはこれまで困難であった.最近都立大学の門脇助教授がアナライザーを工夫したことによってわが国でもこの種の実験が可能になった.今回の実験ではconstant-Qスキャン、constant-Eスキャンの両方を用いて、非弾性散乱の実験を行なっている.その結果、x=0,0.3の試料については、これまで報告されていた(0,0,1)の反強磁性相関に加え、(0.625,0,±0.25)に対応する波数周辺にも同程度の散乱があることが見い出された.x=0.5の試料に対する実験結果はもう少し検討する必要があると思われる.第4章および第5章は、実験結果の考察とまとめに当てられている. 以上見てきたように、本研究ではフェルミ液体から反強磁性金属相に量子相転移をするCeCu6-xAux系について中性子弾性、非弾性散乱実験を行ない、反強磁性秩序が非整合波数を持つ横波正弦波の構造であることを明らかにし、さらにその波数に対応するスピンゆらぎが、純粋なCeCu6まで残っていることを明らかにした.これは、この系の秩序・無秩序転移を考えるには特定の波数の反強磁性波数ベクトルに対応したスピン揺らぎのみを考えたのでは不十分であることを意味しており、単純なDoniachのモデルが不十分であることを示唆していると考えられる.したがって、この研究の成果は、重い電子系の量子相転移を考える時に基礎となる新しい知見であるとして審査委員会で高く評価された.また、3He-4He希釈冷凍機の整備、保守等、ねばり強く実験研究を進めてきた研究態度も特筆に値しよう.実験結果の意義の考察等、議論を深めるべき点もあるが、今直ちに結論が出せる性質のものではなく今後の研究の進展の中で次第に明らかにされていくべきものであろう. なお、当研究は指導教官である加倉井和久氏を始めとする人々との共同研究であるが、研究の主要部分は論文提出者が主体的に行なったものであると認められる. よって、論文審査委員会は全員一致で博士(理学)の学位を授与できると認める. |