学位論文要旨



No 113196
著者(漢字) 奥村,肇
著者(英字)
著者(カナ) オクムラ,ハジメ
標題(和) 中性子散乱による重い電子系化合物CeCu6-xAuxの反強磁性相関の研究
標題(洋)
報告番号 113196
報告番号 甲13196
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3342号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 毛利,信男
 東京大学 教授 上田,寛
 東京大学 助教授 吉沢,英樹
 東京大学 助教授 青木,秀夫
内容要旨

 いわゆる重い電子系と呼ばれる物質は、f電子と伝導電子との混成による現象のために基底状態において様々な磁気的性質を示し、非常に興味ある対象となっている。

 CeCu6はOnuki等により見い出された比熱係数〜1600mJ/mol・K2の重い電子系化合物であり、現在までに様々な測定がなされている。中性子散乱では入射中性子束が弱いため大きな試料が必要とされる。しかし重い電子系物質において大きな単結晶を作れるものはそう多くはなく、CeCu6はCzochralski法で比較的大きな結晶が得られ実験に適したサンプルである。CeCu6は数mKまで磁気秩序を示さないが中性子非弾性散乱実験によりcommensurateな波数ベクトルおよびincommensurateなで表わされる短距離磁気秩序が報告されている。それによるとCeCu6は低温では近藤効果と、RKKY相互作用の2つが競合している状態であり、温度降下とともに相関距離は長くなるが、ある温度以下ではRKKY相互作用による相関は近藤効果によりおさえられて、相関距離に変化はなくなる。この状態が非磁性で短距離磁気秩序状態であると理解された。

 CeCu6のCuを同じ価電子数であるAuで置換したCeCu6-xAuxでは臨界点xx=0.1より大きなxの値で反強磁性磁気秩序状態になる事が発見された。この置換は格子定数を大きくする効果があり、それによる近藤効果とRKKY相互作用の競合状態の変化により磁気秩序状態が現れると理解されている。また、この物質は比熱などの測定により臨界点xcにおいて非フェルミ液体状態になるとされ報告されており、この様な磁気秩序-非磁性状態間の転移の近傍に位置する重い電子化合物が現在注目されている。

 この物質の転移点温度以下を調べるためには、mK温度領域まで冷却できる冷凍機である3He-4He希釈冷凍機を用いなければならない。しかしつい最近まで日本国内における中性子散乱施設において、極低温実験環境は整っているとは言えないのが実情で、磁性物理学の分野からも、低温物理学の分野からも早急な整備が期待されていた。

 磁気的な現象が重い電子系においてどの様な役割をしているかを知るために、これらの物質で起きている現象を調べるのは有意義であると思われる。本研究の目的は希釈冷凍機を用いた中性子散乱実験の環境を整え、mK温度領域における実験でCeCu6-xAuxの磁気相転移とその磁気構造のx依存性を決定し、また、低温においての磁気的相関のAu置換による変化を中性子散乱実験で明らかにすることである。それを調べることは、CeCu6の基底状態の理解に役立つと思われる。

 一般に静的物理量から磁気構造を決定するのは困難であり、中性子弾性散乱は非常に有効な手段である。磁気的な現象を理解する上でCeCu6-xAuxの詳細な磁気構造の決定が必要である。筆者等はx=0.2、0.3、0.4、0.5の単結晶に対して中性子弾性散乱を行い磁気構造を決定した。単結晶は高周波炉を用い、引き上げ方で育成した。中性子散乱実験は日本原子力研究所東海研究所改3号炉に設置している分光器HER、HQR、PONTAで行い、3He-4He希釈冷凍機を用いた。すべてのサンプルは低温において磁気散乱が観測され、転移温度は静的物理測定で報告されている温度と一致した。逆格子空間のa*c*面内で観測された磁気弾性散乱のポイントをx=0.5およびx=0.3について示す(図1、2)白丸が核散乱で、黒丸が磁気散乱が観測されたポイントをあらわす。黒丸の大きさは、散乱強度の強さに比例している。この複雑な散乱の解析から得られた磁気構造はx=0.5では、スピンはc軸方向に揃ってa軸方向にモーメントの大きさがサイン関数的にincommensurateな波数ベクトルで表わされる変化をしている構造であった(図3)。それに対して、x=0.4、0.3、0.2では波数ベクトルがそれぞれq=(0.605,0,0.22)、(0.61,0,0.25)、(0.62,0,0.27)となり、qc成分をもつことがわかった。これらの波数ベクトルのxによる変化を図4に示す。この図からわかるようにqa成分はxに多少依存しながら変化しているのに対し、qc成分はx=0.5と0.4の間で現われはじめている。これはx=0.5、0.4の間で磁気構造が変化していることを示しており、x=0.3の磁気構造はx=0.5の構造をc軸方向に位相をずらした形になっている。

図1:x=0.3、磁気弾性散乱図2:x=0.5,磁気弾性散乱図3:x=0.5の磁気構造図4:CeCu6-xAux波数ベクトルの変化

 弾性散乱で得られた磁気構造はCeCu6の報告されている低温での短距離秩序とは異なった構造を示しており、筆者等は中性子非弾性散乱実験を行い、低温においての磁気相関を測定した。x=0、0.3、0.5のサンプルでは、Constant-scanで準弾性散乱が観測されており、近藤効果による常磁性散乱であると思われるが、に依存した大きな非弾性散乱も観測された。x=0.3においてエネルギートランスファーE=0.3meVでa*c*面内で行ったConstant-E scanが図5である。散乱ベクトル=(1,0,0)はCeCu6で報告されている短距離反強磁性秩序によるものであるが、x=0.3ではこの(1,0,0)に加えて、=(0.61,0,0.25)の転移温度以下で磁気ブラッグ散乱が現れるポイントでもほぼ同じ強度で散乱が観測された。また、この非弾性散乱ピークは磁気転移後も同じように観測された。これは(1,0,0)の反強磁性的な相関の他に、新たな=(0.61,0,0.25)にも相関が観測されたことであり、さらにCeCu6についても同様な実験を行った。CeCu6においては(1,0,0)を中心にしたピークの他に明確な散乱はみられなかったが、やはりx=0.3と同じく(0.65,0,0.3)付近に少し広がりをもった分布をしておりCeCu6においてはこのincommensurateな波数に対応する相関は弱くなっていることが確認された。

図5:x=0.3,Constat-E scan
審査要旨

 重い電子系は典型的な強相関電子系として盛んな研究が続いている.CeCu6は低温まで磁気秩序がなく、電子比熱係数が1.6J/mole K2と最も大きな有効質量を持つ物質の一つとして良く知られている.重い電子系では多体効果が繰り込まれることによって、近藤温度あるいは実効的フェルミ温度以下で大きな質量の準粒子が形成される.この実効的フェルミ温度は数度から数十度と小さなエネルギースケールであるので、こうして形成された準粒子がフェルミ液体も含めどのような基底状態に落ち着くかという問題は、量子相転移の宝庫としてたいへん興味深い.CeCu6についてはLohneysen達のグループが、CuをAuで置換することによって反強磁性が出現し、x=0.1の臨界濃度付近で非フェルミ液体的性質が見られることを報告し、注目を集めている.本研究では、このCeCu6-xAuxの系を中性子散乱を用いて研究し、その反強磁性相関の様相について議論している.

 当論文の本文は全体で5章からなっている.第1章の序論では、重い電子系の量子相転移を近藤効果とRKKY相互作用の競合として見るDoniachの考え方が紹介されている.中性子散乱でシングルサイトの近藤効果的な磁気相関と、サイト間のRKKY的な磁気相関が分離して見えている例が議論され、本研究の目的が示される.第2章では、論文提出者が整備に勤めてきた中性子散乱用3He-4He希釈冷凍機や、中性子散乱の三軸分光器など本研究で用いられた実験装置の説明がなされ、大阪大学大貫研究室で行なった試料作成の概要が記されている.

 第3章では、中性子散乱による実験結果が議論されている.CeCu6では、高温側の斜方晶から約200Kで単斜晶に構造相転移が起きることが知られている.角度変化を中性子散乱で求めてx=0での構造相転移を確認するとともに、x=0.2,0.3,0.4,0.5の試料では構造相転移が観測されないことを報告している.磁気弾性散乱では、x=0.2,0.3,0.4の試料でc方向にも成分を持つおよそ(0.625,0,±0.25)の波数のブラッグ散乱を見い出している.散乱強度の解析から、スピン構造は横波正弦波構造であると結論される.波数ベクトルの濃度依存性については、x=0.2,0.3,0.4でそれぞれ(0.625,0,±0.27)、(0.62,0,±0.25)、(0.612,0,±0.22)であり、x=0.5ではc方向の成分はなくなっている.

 磁気非弾性散乱の実験は、試料の質が比較的良いと思われるx=0,0.3,0.5について行なっている.非弾性散乱の実験は強い強度を必要とし今回の実験で用いた程度の試料の大きさでは、有意な結果を得ることはこれまで困難であった.最近都立大学の門脇助教授がアナライザーを工夫したことによってわが国でもこの種の実験が可能になった.今回の実験ではconstant-Qスキャン、constant-Eスキャンの両方を用いて、非弾性散乱の実験を行なっている.その結果、x=0,0.3の試料については、これまで報告されていた(0,0,1)の反強磁性相関に加え、(0.625,0,±0.25)に対応する波数周辺にも同程度の散乱があることが見い出された.x=0.5の試料に対する実験結果はもう少し検討する必要があると思われる.第4章および第5章は、実験結果の考察とまとめに当てられている.

 以上見てきたように、本研究ではフェルミ液体から反強磁性金属相に量子相転移をするCeCu6-xAux系について中性子弾性、非弾性散乱実験を行ない、反強磁性秩序が非整合波数を持つ横波正弦波の構造であることを明らかにし、さらにその波数に対応するスピンゆらぎが、純粋なCeCu6まで残っていることを明らかにした.これは、この系の秩序・無秩序転移を考えるには特定の波数の反強磁性波数ベクトルに対応したスピン揺らぎのみを考えたのでは不十分であることを意味しており、単純なDoniachのモデルが不十分であることを示唆していると考えられる.したがって、この研究の成果は、重い電子系の量子相転移を考える時に基礎となる新しい知見であるとして審査委員会で高く評価された.また、3He-4He希釈冷凍機の整備、保守等、ねばり強く実験研究を進めてきた研究態度も特筆に値しよう.実験結果の意義の考察等、議論を深めるべき点もあるが、今直ちに結論が出せる性質のものではなく今後の研究の進展の中で次第に明らかにされていくべきものであろう.

 なお、当研究は指導教官である加倉井和久氏を始めとする人々との共同研究であるが、研究の主要部分は論文提出者が主体的に行なったものであると認められる.

 よって、論文審査委員会は全員一致で博士(理学)の学位を授与できると認める.

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