学位論文要旨



No 113197
著者(漢字) 春日,俊介
著者(英字)
著者(カナ) カスガ,シュンスケ
標題(和) 粒子識別を使ったスーパーカミオカンデでの大気ニュートリノ/e比の観測
標題(洋) Observation of a Small /e Ratio of Atmospheric Neutrinos in Super-Kamiokande by the Method of Particle Identification
報告番号 113197
報告番号 甲13197
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3343号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 助教授 佐々木,真人
 東京大学 教授 荒船,次郎
 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 助教授 蓑輪,眞
内容要旨

 大気ニュートリノは大気中で生成されるニュートリノのことで、電子ニュートリノ、ミューオンニュートリノ、およびそれらの反粒子からなる。

 大気ニュートリノの生成過程は、まず1次宇宙線が大気中の空気原子核と反応し、粒子、k粒子、粒子などのメソンができる。これらメソンの寿命は非常に短いため、ほとんどのメソンは大気中で崩壊し、ニュートリノを生成する。大気ニュートリノのフラックスは今までに多くの理論家によって計算されているが、1次宇宙線のフラックスの不定性が大きいため、約20%の不定性がある。そのために実験での観測と理論計算を比べるときは、ミューオンニュートリノ/電子ニュートリノ比を使う。この比は、ニュートリノのエネルギーが3GeV以下のときは約2になる。この比の不定性は5%以下である。実験ではまず神岡実験が1988年に大気ニュートリノの比が有意に小さいことを発表した。その後、IMB実験でも同じく有意に比が小さいことが確認され、大気ニュートリノ問題として関心を持たれるようになった。このミューオンニュートリノ/電子ニュートリノ比の異常は今までの素粒子物理学の標準理論では説明できず、ニュートリノ振動などの新しい物理モデルを必要とする。もしニュートリノ振動がおこっているなら標準理論では0とされているニュートリノ質量が有限の値を持っていることになる。

 スーパーカミオカンデは神岡実験と同じタイプの水チェレンコフ検出器で、1996年4月1日から観測を開始した。水チェレンコフ検出器はニュートリノが検出器中の水分子の原子核と反応して生成された電子や粒子などの荷電粒子がリング状に放射するチェレンコフ光を検出する。得られるニュートリノ事象の数は検出器中の水の体積に比例する。スーパーカミオカンデ検出器は50000トンの純水とそのまわりを囲む約12000本の光電子増倍管からなっており、1年間の観測で、神岡実験で観測された全大気ニュートリノ事象の2倍以上のデータを得ることができる。スーパーカミオカンデでは、大気ニュートリノ事象の統計精度を飛躍的に上げることで、大気ニュートリノ問題を詳しく検証することができるようになった。

 今回解析したのは1997年5月までのデータ、20.0kton-year分である。ミューオンニュートリノ/電子ニュートリノ比を精度良く求めるためにチェレンコフリングが1つの事象(1-リング事象)だけを使った。1-リング事象の場合、基本的にミューオンニュートリノからは粒子、電子ニュートリノからは電子が検出される。従って、ミューオンニュートリノ/電子ニュートリノ比を求めるには粒子/電子比を計算すればよい。粒子と電子事象の識別はチェレンコフリングのパターンの違いを利用した。電子は粒子と違って水中で陽電子との対生成、対消滅を繰り返すのでチェレンコフリングの縁のパターンがぼやける。その違いを最尤法を用いて判別した。この粒子識別能力を大気ニュートリノのシミュレーション事象で確かめたところ、誤認率は0.8±0.1%と解析には十分な能力があることがわかった。また粒子識別能力は宇宙線粒子とその崩壊によってできる電子を使っても検証され、十分な能力があることが確認された。

 解析結果は、検出された粒子のエネルギーが1.33GeV以下の事象を使って、大気ニュートリノのモンテカルロシミュレーション(MC)との比をとると、(粒子/電子)data/(粒子/電子)MC=0.63±0.03(統計誤差)±0.05(系統誤差)であった。これは観測された大気ニュートリノが理論計算に比べ、ミューオンニュートリノが少ないか電子ニュートリノが多いということで、神岡実験での結果と一致している。これによって大気ニュートリノ問題が高い統計精度で確認された。

 次に、大気ニュートリノの到来方向の天頂角分布を調べた。もし粒子/電子比が上向きと下向きで非対称なら、ニュートリノ振動の重要な証拠となる。なぜなら、上向きと下向きでは地球を突き抜ける長さだけニュートリノの飛行距離が違ってくる。すると振動する確率が変わり、粒子/電子比が変わってくるためである。(粒子/電子)data/(粒子/電子)MCを天頂角についてプロットしたのが下の図である。cos=1が下向きを表す。またエラーバーは統計誤差を表す。この図から粒子/電子比の上下非対称性は有意であり、これはニュートリノ振動を示唆する。

図表
審査要旨

 本論文は8章からなり、第1章では、この研究の背景および動機となる大気ニュートリノに関する説明と現在までの大気ニュートリノ観測実験の結果について述べられている。大気ニュートリノ問題と呼ばれる、ミューオンニュートリノと電子ニュートリノの比の異常が、これまでの実験から示唆されており、スーパーカミオカンデ検出器での約1年間の観測データを用いて比を精度良く測定することが本論文の主な目的である。比の異常を説明する物理モデルにニュートリノ振動があるが、もしニュートリノ振動が起こっていれば大気ニュートリノの天頂角分布に非対称性が見えると考えられることから、この天頂角分布の測定も行われた。

 第2章ではスーパーカミオカンデ検出器について、第3章では検出器のキャリブレーションについて述べられている。光電子増倍管のゲイン、時間情報、検出器中の純水の透過率のキャリブレーション等について説明されており、それぞれ大気ニュートリノの解析に十分な精度が得られることが示された。

 第4章では、モンテカルロシミュレーションについて述べられており、大気ニュートリノフラックスの計算、ニュートリノ反応の散乱断面積、検出器内のチェレンコフ光のシミュレーションについて説明されている。大気ニュートリノフラックスについては理論家の計算を使っているが、ニュートリノ反応については論文提出者が独自にシミュレーションプログラムを開発している。このシミュレーションから得られる散乱断面積はいくつかの実験と比較されているがよくその実験値を再現している。

 第5章は大気ニュートリノ事象のセレクションについての説明で、大気ニュートリノ事象を宇宙線ミューオンや電気的ノイズ等の事象から選別するためのソフトウェアとスキャンについて述べられている。

 第6章では、事象の発生点、粒子の種類、運動量の再構成について述べられている。事象を再構成するアルゴリズムの説明と、それを実際の事象に適用した時の性能について詳しく述べられている。特に本論文の解析の中心であるミューオン/電子の粒子識別アルゴリズムについては、宇宙線ミューオン、ミューオン崩壊によって生成される電子、また大気ニュートリノモンテカルロ事象を使って詳しく性能を評価している。粒子識別プログラムは論文提出者が主体となって開発されたもので、チェレンコフリングのパターンとチェレンコフ光の開き角の情報から最尤法を用いて識別をする。基本的な粒子識別アルゴリズムはカミオカンデ実験と同じであるが、スーパーカミオカンデ検出器では有効体積がカミオカンデ検出器の20培以上になるため、チェレンコフ光の水中での散乱や電子シャワーなどがチェレンコフリングのパターンに与える影響をより詳しく見積もる必要がある。論文提出者はこれらの改良を行ない、99%のミューオン/電子識別能力を達成した。これは大気ニュートリ事象の/e比を検証するのに十分な性能である。

 第7章は大気ニュートリノ観測の結果について述べられており、/e比は理論計算に比べ有意に小さいという結果が得られた。これは今までのカミオカンデ実験、IMB実験などの結果と一致し、大気ニュートリノの比異常が高い統計精度で確認された。また/e比の天頂角依存性については、天頂角分布が上下非対称であることが示された。これはニュートリノ振動を示唆するものである。

 第8章は以上のまとめである。

 本論文は東京大学宇宙線研究所他22大学・研究所の共同研究である。その中で論文提出者は検出器建設時から実験に参加し、実験装置や解析の準備に取り組んできた。特に、レーザー光を使った水の透過率の測定などのキャリブレーションを主に行ない、またデータ解析においては、/e粒子識別を用いての大気ニュートリノ比の測定はは論文提出者が主体となって行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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