新しい重い電子系物質の開発をめざして、Ce-Pd-X(X=Si,Ge,Al)3元系において精力的な物質探索を行った結果、Ce3Pd20Ge6が8基底状態を有する近藤格子系化合物であることを初めて見い出した。さらにこの物質は0.75Kにおける反強磁性転移の他に、1.2Kにも8四重項の有する軌道縮退から生じる四重極子転移と考えられる相転移を示す。これは非常に貴重な現象であり、今までにCeB6でしか報告されておらず未解決の問題が多い。また巨大磁気抵抗効果を示すペロブスカイト型Mn酸化物においても,軌道縮退が重要な役割を演じていると考えられており、軌道縮退の効果に対する研究の重要性は高まっている。 本論文では、Ce3Pd20Ge6の組成依存性を詳細に調べ、信頼できる基礎物性の確立をめざし、さらに単結晶を用いた低温磁場中での異方性の観測やLaによるCeの希釈効果を調べることで、Ce3Pd20Ge6における四重極子効果を研究し、CeB6と比較検討する事を目的とする。 本論文は6章より成る。第1章では、重い電子系の一般的性質や、軌道縮退を有する系での協力的ヤーン・テラー効果と四重極子秩序、8四重項の性質などを概観し、CeB6の物性とその理論的モデルを説明し本研究の背景をまとめている。四重極子秩序を示す物質の一般的な特色として以下の3点を挙げる。 (1)基底状態にクラマース縮重以外の縮退度が含まれている。 (2)磁気転移点(もしあれば)より高温側に四重極子転移点がある。 (3)四重極子転移点では比熱や電気抵抗に大きな異常が見られるが、帯磁率には顕著な異常がない。 第2章では実験方法について述べる。多結晶試料をアーク溶解によって作成し、試料評価は0.1Kから300Kまでの帯磁率、電気抵抗、比熱の測定によって行った。単結晶は東北大、小松原研究室から提供していただき、4Tまでの磁場中比熱(0.1K〜6K)、横磁気抵抗(40mK〜4K)と3次の帯磁率を測定した。また本研究においてアーク溶解炉の新しい型の銅製ハースの設計を行った。 第3章では多結晶試料による詳細な組成依存性と、帯磁率、電気抵抗、比熱のよる物性評価、また単結晶試料に対しても同様に行った物性測定について議論する。Ce3Pd20Ge6がCe-Pd-Geの3元状態図上でPd濃度の大きい方にわずかに均一領域を有する事を見いだし、格子定数もそれに伴い減少する。さらに磁性と伝導も組成に非常に敏感であり、Ce:Pd:Ge=3:20:6の組成比からPd原子を増やしていくと磁気転移と四重極子転移はともに抑制され、電気抵抗の絶対値は大きくなり温度変化も小さくなる。またPd原子を20より減らしていくと不純物相が増えてしまうが、比熱と電気抵抗はすべて同じ温度依存性を示す。従って、Pd濃度の少ない試料ではグレインの組成比がCe:Pd:Ge=3:20:6に極めて近いことを示しており、Ce3Pd20Ge6の本質的な振る舞いを示す試料はあらかじめPd濃度を減らして作成すれば容易に得られることが分かった。Ce3Pd20Ge6はC6Cr23型の立方晶であり、結晶学的に異なった2つのCeサイトを有する。一方は単純立方格子を、他方は面心立方格子を組んでいる。これらはそれぞれCsCl型、NaCl型に見られる特徴でもある。また両Ceサイトともまわりの原子配置の対称性は立方対称性である。この物質中のCeイオンはほぼ3価であり、電気抵抗には近藤格子系に特徴的な、高温でのlogT依存性と低温でのコヒーレント状態への移行を示す極大が観測され、近藤温度は2〜3Kであると考えられる。図1左に示すように、0.75K(=TN)と1.2K(=T1)に相転移を示し、前者は交流帯磁率から反強磁性転移点と考えられる。後者では電気抵抗、比熱に異常が見られるものの帯磁率ではほとんど異常がない。磁気エントロピーや、帯磁率,電気抵抗,比熱における結晶場効果の解析の結果から、基底状態は両Ceサイトとも8四重項であると考えられ、1.2Kの異常は8の有する軌道縮退から生じる四重極子転移の可能性がある。さらに結晶場分裂の幅は両Ceサイトとも,50±10Kと見積もることができた。単結晶試料でもほぼ同じ振る舞いが観測された。また比熱と電気抵抗から求めた電子比熱係数とT2項の係数Aはそれぞれ多結晶試料で2.28J/mol・K2,8.5・cm/K2、単結晶試料で1.52J/mol・K2,4.4〜6,9・cm/K2であり、重い電子状態が実現していることを示している。 第4章では単結晶試料を用いた4Tまでの磁場中比熱、横磁気抵抗と3次の帯磁率の測定結果を述べ、低温で見られる異方性について議論する。TNは磁場の増大と共に低温にシフトするが、T1は全体的に見ると高温側ヘシフトし、比熱の異常はブロードになる。図1右に示すように、TN、T1の磁場依存性には大きな異方性があり、特にB[001]はB[110],B[111]に見られない特徴がある。即ち、B[110],B[111]では四重極子秩序相が磁場中で2つの相(II,II’)に分離しているが、B[001]ではそれは見られない。また、TNの磁場依存性もB[001]だけ一般の反強磁性体とは少し異なった振る舞いをしている。これらは四重極子秩序相と反強磁性秩序相(つまり四重極子間交換相互作用と磁気双極子間交換相互作用)が共に強く相互作用していることを示しており、しかもその相互作用が異方的であると考えられる。また約1.5T以下では、TN[001]<TN[110]TN[111],T1[111]T1[110]<T1[001]という相関が見られる。さらに磁場中では重い電子状態が抑制されることがわかった。横磁気抵抗は常磁性相と四重極子秩序相において大きな負の磁気抵抗を示し、B[001]とB[111]の間で大きな異方性を示した。負の磁気抵抗の原因の一部には近藤効果が考えられる。3次の帯磁率からは正方晶的なひずみを伴った四重極子間相互作用が存在し、その全相互作用定数を約22mKと見積もることができた。 図1:左-Ce3Pd20Ge6の交流帯磁率と比熱の温度変化 右-Ce3Pd20Ge6の磁気相図 第5章ではLaによるCeの希釈効果について議論する。TNのCe濃度依存性は単調に変化しCe1.1La1.9Pd20Ge6あたりでTNが消失すると予想される。しかし、T1ではCe濃度の減少と共に比熱の異常が著しくブロードになりCe2LaPd20Ge6では約T1=0.8Kまで減少するが、それよりCe濃度を減らしても0.8Kあたりに比熱にブロードな山を残したままであり、相転移であるかどうか判断できなくなる。この比熱の異常はCe濃度で規格化することはできず、Ce間の四重極子間交換相互作用が何らかの形で影響していると考えられる。 第6章ではCeB6と総合的に比較検討しながら、結論を述べる。Ce3Pd20Ge6とCeB6のゼロ磁場での電気抵抗や比熱の温度依存性は酷似しており、8基底状態を有する近藤格子系化合物における四重極子秩序に関して何らかの共通の発現機構が存在することを強く示唆している。しかし、磁場中では幾つかの異なった実験結果が得られた。磁場中ではCe3Pd20Ge6の方がCeB6より大きな異方性が観測される。また、比熱の四重極子転移における異常は、前者の方がブロードになっていくのに対して後者では鋭くなっていく。希釈効果でもCe3Pd20Ge6の比熱では0.8Kにブロードな山を残したままだが、CeB6の比熱では急激に四重極子転移における異常はCe濃度の減少と共に消失していく。これら磁場中での異方性や希釈効果の研究の結果は、両物質の結晶構造の違いによるばかりか、四重極子間交換相互作用のメカニズムに大きな違いがあることを示唆しているのかも知れない。 |