本論文提出者の小林広幸氏は、共同研究者と共に、3次元(空間2次元時間一次元)の場の理論における位相的(topological)性質の包括的な研究を行った。 まず、従来(主に1990年前後)の研究では、(2+1)次元のO(3)対称性を持つ非線形シグマ模型(O(3)non-linear sigma model)においてホップ(Hopf)項とよばれるトポロジカルな項を加えると、整数とか半整数以外のいわゆる分数スピンを持つエニオン(anyon)と呼ばれる粒子の存在が許され、そのスピンの値はこの非線形シグマ模型に現れる配位に含まれるソリトンの数をQとし、上記のホップ項の係数をとすると、Q2に比例するとされていた。そしてこの結果は物性系、特に量子ホール効果や高温超伝導を3次元の場の理論の模型で記述するときに重要であると考えられてきた。 このような背景のもとで、本論文提出者は共同研究者と共に、この従来の認識が誤りであること、即ち分数スピンがQ2に比例するというのは限られた特殊なソリトン配位にのみ成立し、一般にはそうはならないことを示した。このため、従来の議論を精密に見直し、通常O(3)対称な非線形シグマ模型の解析に用いられるスピンベクトルやCP1座標ではなく、群SU(2)の随伴軌道を用いた座標(adjoint orbit parametrization:AOP)によって系を記述し、ホップ項つきのO(3)対称な非線形シグマ模型の完全な解析を行なった。その結果: (1)従来のホップ項の定義はソリトンの数Q=0の時のみ正しく定義されており、零でないソリトン数を持つ配位に対しては不定性を伴っていることを示した。次に、本論文では随伴軌道を用いた座標(AOP)を用いて任意のソリトン数にたいして成立するホップ項の定義を与えた。これはこれまでになされなかったことであり、この意味でホップ項つきのO(3)対称な非線形シグマ模型は、随伴軌道を用いた座標を使った本論文で初めて厳密に定義されたといえる。 (2)O(3)対称な非線形シグマ模型におけるホップ項は、ちょうど強い相互作用の量子色力学(QCD)におけるCP対称性を破るポントリャーギン(Pontryagin)項と同様、場の量子論に現れる配位空間の非自明なトポロジー的な性質の表現として理解できる。つまり古典論で持ち込まなくとも、系の量子化にともない必然的に現れ得る項である。これを具体的に示すため、配位空間の自由度から円周S1の自由度を抽出し、この自由度の量子効果としてホップ項を導出した。経路積分に取り入れる道の自由度の多様性からホップ項を量子効果として導く議論は従来よりあったが、このようにS1の自由度から具体的にホップ項を導出するのは新しい方法である。(より一般に場の量子論という観点からは、本論文提出者達がこの方法を開発した動機は、場の理論において、より一般の非自明な量子効果を探るのは経路積分の道の多様性に基づく議論では難しく、直接量子効果にかかわる自由度を抽出することが望ましいことにある。) (3)上記のように明確に不定性無く定義したホップ項を用いてO(3)対称な非線形シグマ模型におけるスピンの値を計算すると、従来考えられてきた公式Q2は、(ソリトン解を含む)極めて限られた配位にしか成立しないことが見出された。この理由は、従来の公式を得るためには、ホップ項の(ソリトンが無いような配位に限っても存在する)ゲージ不定性を特定のゲージ条件(クーロン(Coulomb)ゲージ)で除去し、その上、系の全スピンからある方法で分数スピン部分を分離することが必要であるが、これらの操作はいずれも本来の(任意のソリトン数にたいしても不定性無く定義された)ホップ項の立場からは正当化されない。厳密には、ゲージ不定性に留意して物理的なスピン演算子を注意深く定義し、その分数スピン部分を評価することが必要である。本論文提出者達はこの問題を議論し、分数スピン部分は配位によってその表式が変わり、一般には従来の公式に従わないことを実例をもって示した。 以上の結果を導くには、群論的性質と系のトポロジー的な性質との直接的関係が使える随伴軌道を用いた座標の手法が極めて便利であり、この論文の内容は上記のホップ項や分数スピンの問題の解明とともに、群SU(2)の随伴軌道を用いた座標の手法がO(3)対称な非線形シグマ模型の解析に有効であることを示するものにもなっている。また、これらの新しい結果の導出に関して、本論文提出者の寄与が十分にあったと認められた。 したがって、本論文は博士(理学)の学位を受けるにふさわしいものであると、審査員一同判断した。 |