学位論文要旨



No 113207
著者(漢字) 小林,広幸
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ヒロユキ
標題(和) 2+1次元O(3)非線形シグマ模型の位相的側面
標題(洋) Topological Aspects of the O(3)Nonlinear Sigma Model in 2+1 Dimensions
報告番号 113207
報告番号 甲13207
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3353号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤川,和男
 東京大学 教授 風間,洋一
 東京大学 教授 江口,徹
 東京大学 助教授 蓑輪,眞
 東京大学 助教授 国場,敦夫
内容要旨

 量子場の理論において非摂動的な方法を模索することは重力を量子化する際にも強結合理論を理解する意味でも重要な意義があると思われる。非摂動効果の原因の一つとして、系の配位空間が持つ位相的性質が関係していると考えられている。例えば近年、群の剰余空間を配位空間として持つ量子力学系を考えた場合に非自明なゲージポテンシャルが誘起されることが明らかにされた。場の理論における系の配位空間は無限次元空間であるため、その位相の取り扱いは容易ではないが、もし系の動力学的効果を担うような有限自由度の位相を配位空間から取り出すことが可能であれば、定性的にも、また定量的にも系の非摂動効果を評価できる可能性が開けると思われる。低次元系の物性理論においては、高温超電導物質や量子ホール系等が実験的にも理論的にも様々な角度から研究されていて、系の位相的性質が重要な役割を果たしていると考えられている。O(3)非線形シグマ模型は低エネルギー状態を記述する有効理論として物性系に応用されている。特に2+1次元において分数スピンを持つ様々な系が提案されている中、O(3)非線形シグマ模型にホップ項と呼ばれる位相項を付加した模型がその有力候補と考えられている。本論文では2+1次元O(3)非線形シグマ模型の配位空間が持つ位相的構造を調べ、分数スピンとその位相的構造との関係について議論する。

 2+1次元O(3)非線形シグマ模型では3成分を持つ大きさ1のベクトル場で、境界条件として2次元空間の無限遠点である一定値をとるものと仮定する。この境界条件のもとで2次元空間の無限遠点を一点に同一視し、空間を位相的に二次元球面S2と見倣す。従って系の配位空間はこの二次元球面の一点(無限遠点)のベクトル場を固定する、制限された写像(S2→S2)全体である。この系のように配位空間の位相的性質のうち、次の二つの式で特徴づけられる性質に注目した.

 

 最初の式は配位空間が非連結成分から成っており、各成分を特徴づけるある整数が存在することを示している。この整数はソリトン数は呼ばれている。次の式は配位空間の非連結成分各成分が多重連結空間であること示している。多重連結空間の自明な例は円周S1で、この配位空間の基本群1(S1)は円周の巻きつき数によって分類できる。第二式の右辺の整数はこの巻きつき数に対応している。上記のホップ項はこの第二式が示す性質から量子化の際における位相の不定性として解釈できると考えられる。その際にはホップ項の係数として角度パラメーター∈[0,2)が導入される。

 本論文では2+1次元O(3)非線形シグマ模型の配位空間が持つ位相的構造を、群の随伴軌道を用いることによって非線形シグマ模型をより対称性の高い系であるSU(2)主カイラル模型(principal chiral model)に埋め込み、ゲージ対称性を持つ系として解析した。この方法は先にあげた群の剰余空間の量子力学の場の理論への自然な拡張である。主カイラル模型の場は群SU(2)S3上に値を持ち、もとのスピンベクトルは剰余空間でSU(2)/U(1)S2として再現される。技術的なことだが、この際もとのシグマ模型を再現するためには空間を二次元球面から二次元平面に戻しその境界ではU(1)部分の自由度を持たす必要がある。この方法によれば、系が持つ上記の二つの位相不変量(ソリトン数、及びホップ数)の取り扱いが容易になり、例えば、これらの二つの位相不変量には加法性が成立する。本研究では、まづこの二つの位相不変量の加法性を利用して系の配位空間の中から、配位空間の基本群の非自明性を担うS1の自由度を抜き出した。これにより量子化の際に許される位相を担うホップ項はこのS1自由度に対する巻き付き数であると再解釈できる事がわかった。この結果は任意の配位空間に対して成立するもので、以前に得られた運動方程式の古典解に関する集団座標で表されるS1の自由度よりも一般的なものである。即ち、配位空間の位相を取り扱いやすい有限自由度の形で抜き出しており、この結果をさらに発展させ、この位相からくる非摂動的量子効果を独立に評価する枠組を与えるための基礎となるものであると考えられる。第二の結果として、0でないソリトン数を持つ配位に対するホップ項の表式を、ホップ項の加法性を利用して0ソリトン数を持つ配位に写像することによって求めた。以前に用いられたホップ項の表式は厳密には、0ソリトン数を持つ配位に対してのみ正しい結果を与えるが、0でないソリトン数を持つ配位に対しては一般に整数値を取らない。我々はを正準形式を使ってこの系の性質、特に分数スピンを調べるために、ゲージ変換のクラスを制限することによって、より簡便なホップ項の表式を得た。上でも述べたようにホップ項付きのO(3)非線形シグマ模型は分数スピンを持つ系としてWilczekらにより提案されていた。その後、分数スピンはBowickらにより、一般にソリトン数の自乗に比例するという結果が得られていたが、我々はこの随伴軌道による非線形シグマ模型の記述によって、ゲージ固定条件をおかずに、ゲージ不変な量を使って量子論を構成する立場に立って、正準形式による解析を行なった。以前の正準形式による解析では、ゲージ固定を行ないホップ項の係数に"陽"に依存するもののみから分数スピンを評価していたが、我々の解析ではゲージ不変で、かつホップ項の係数に比例する軌道角運動量を、分数スピンとして分離することができない可能性のあることがわかった。そこでわれわれは系の配位空間を制限して、集団座標を用いた準古典的解析を行なった。この場合分数スピンは系の配位に依存し、一般にはソリトン数の自乗に比例する形をとらないことをがわかった。分数スピンがソリトン数の自乗に比例する結果が得られるのは、系の配位がアイソスピン回転と空間回転を同時に行なう変換に対して不変であるという特殊な配位のときにのみ成り立つこともわかった。

 以上のことから我々が用いた随伴軌道にを用いた解析は従来の方法よりも系の位相的性質及びゲージ不変性をとり扱うのに適しており、ホップ項に対しては、従来より厳密な定義が得られ、また分数スピンの解析、特に軌道角運動量部分のゲージ依存性にも有用であることがわかった。

審査要旨

 本論文提出者の小林広幸氏は、共同研究者と共に、3次元(空間2次元時間一次元)の場の理論における位相的(topological)性質の包括的な研究を行った。

 まず、従来(主に1990年前後)の研究では、(2+1)次元のO(3)対称性を持つ非線形シグマ模型(O(3)non-linear sigma model)においてホップ(Hopf)項とよばれるトポロジカルな項を加えると、整数とか半整数以外のいわゆる分数スピンを持つエニオン(anyon)と呼ばれる粒子の存在が許され、そのスピンの値はこの非線形シグマ模型に現れる配位に含まれるソリトンの数をQとし、上記のホップ項の係数をとすると、Q2に比例するとされていた。そしてこの結果は物性系、特に量子ホール効果や高温超伝導を3次元の場の理論の模型で記述するときに重要であると考えられてきた。

 このような背景のもとで、本論文提出者は共同研究者と共に、この従来の認識が誤りであること、即ち分数スピンがQ2に比例するというのは限られた特殊なソリトン配位にのみ成立し、一般にはそうはならないことを示した。このため、従来の議論を精密に見直し、通常O(3)対称な非線形シグマ模型の解析に用いられるスピンベクトルやCP1座標ではなく、群SU(2)の随伴軌道を用いた座標(adjoint orbit parametrization:AOP)によって系を記述し、ホップ項つきのO(3)対称な非線形シグマ模型の完全な解析を行なった。その結果:

 (1)従来のホップ項の定義はソリトンの数Q=0の時のみ正しく定義されており、零でないソリトン数を持つ配位に対しては不定性を伴っていることを示した。次に、本論文では随伴軌道を用いた座標(AOP)を用いて任意のソリトン数にたいして成立するホップ項の定義を与えた。これはこれまでになされなかったことであり、この意味でホップ項つきのO(3)対称な非線形シグマ模型は、随伴軌道を用いた座標を使った本論文で初めて厳密に定義されたといえる。

 (2)O(3)対称な非線形シグマ模型におけるホップ項は、ちょうど強い相互作用の量子色力学(QCD)におけるCP対称性を破るポントリャーギン(Pontryagin)項と同様、場の量子論に現れる配位空間の非自明なトポロジー的な性質の表現として理解できる。つまり古典論で持ち込まなくとも、系の量子化にともない必然的に現れ得る項である。これを具体的に示すため、配位空間の自由度から円周S1の自由度を抽出し、この自由度の量子効果としてホップ項を導出した。経路積分に取り入れる道の自由度の多様性からホップ項を量子効果として導く議論は従来よりあったが、このようにS1の自由度から具体的にホップ項を導出するのは新しい方法である。(より一般に場の量子論という観点からは、本論文提出者達がこの方法を開発した動機は、場の理論において、より一般の非自明な量子効果を探るのは経路積分の道の多様性に基づく議論では難しく、直接量子効果にかかわる自由度を抽出することが望ましいことにある。)

 (3)上記のように明確に不定性無く定義したホップ項を用いてO(3)対称な非線形シグマ模型におけるスピンの値を計算すると、従来考えられてきた公式Q2は、(ソリトン解を含む)極めて限られた配位にしか成立しないことが見出された。この理由は、従来の公式を得るためには、ホップ項の(ソリトンが無いような配位に限っても存在する)ゲージ不定性を特定のゲージ条件(クーロン(Coulomb)ゲージ)で除去し、その上、系の全スピンからある方法で分数スピン部分を分離することが必要であるが、これらの操作はいずれも本来の(任意のソリトン数にたいしても不定性無く定義された)ホップ項の立場からは正当化されない。厳密には、ゲージ不定性に留意して物理的なスピン演算子を注意深く定義し、その分数スピン部分を評価することが必要である。本論文提出者達はこの問題を議論し、分数スピン部分は配位によってその表式が変わり、一般には従来の公式に従わないことを実例をもって示した。

 以上の結果を導くには、群論的性質と系のトポロジー的な性質との直接的関係が使える随伴軌道を用いた座標の手法が極めて便利であり、この論文の内容は上記のホップ項や分数スピンの問題の解明とともに、群SU(2)の随伴軌道を用いた座標の手法がO(3)対称な非線形シグマ模型の解析に有効であることを示するものにもなっている。また、これらの新しい結果の導出に関して、本論文提出者の寄与が十分にあったと認められた。

 したがって、本論文は博士(理学)の学位を受けるにふさわしいものであると、審査員一同判断した。

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