新物質合成または未知相の発見は物質科学の最も重要な目的の一つである。最近の実験技術の進歩により、常圧下では熱力学的に準安定でしか存在し得ない様々な新物質相の合成が可能となってきた。一方そのような状況下における理論計算の役割は、特に合成が困難な物質相について、構造安定性の議論のみならずその合成手法及び合成物質の特性にまで踏み込んで提案・予言することが期待されている。本論文ではそのような観点から、最近幾つかの合成例が報告され、また様々な応用が期待できる炭素及び窒化ホウ素(BN)のヘテロダイヤモンドについて実験と直接比較可能な第一原理的手法を用いて考察を行う。またこれに併せて、未知物質相探索に適した形への第一原理計算手法の改良・開発も行っている。 BCNヘテロダイヤモンドはその構造類似性からダイヤモンド及び立方晶BNの特徴である高硬度、ワイドバンドギャップ、高熱伝導率、低誘電定数等の性質を同様に持つことが予想される。更にその混合比や原子配置をコントロールすることにより、その物性に多様性を持たせられると考えられることから、超硬物質などの力学的デバイスから光関連素子、電界電子放出素子及び良質の絶縁素子などの電子デバイスまで様々な応用が期待できる。その合成に関しては、今のところ化学気相成長法(CVD)により作成した層状BCNを圧縮するという手法が用いられているが、高温条件下では相分離を起こす傾向が見られ、また単相ができてもホウ素、炭素、窒素のX線散乱因子が類似していることから実験的に原子配置を同定するのは難しいなどの問題を抱えている。更に結晶性の良い構造がまだ得られていないため、その物性に関してもほとんどわかっていないのが現状である。 本研究ではこのBCNヘテロダイヤモンドについて、どのような構造(原子配置)が合成の可能性が高いか、またその構造はどのような合成方法でどういう条件下で合成できるか、更にその構造がどのような特徴を持った物性を持つかという点を第一原理計算を用いて明らかにすることを目的とする。この目的のために、我々はシミュレーション中の結晶対称性の変化を許すことにより構造に関する全ての自由度を変数として取り扱うことができる、圧力一定のスキームを導入した第一原理分子動力学法プログラムを作成した。この手法は、任意の圧力を外部パラメーターとして設定できるので、高圧下における構造及び電子状態計算を効率良く取り扱うことができるという利点も持っている。また構造相転移などの現象を扱う上では、そのエネルギー障壁の見積もりが重要となってくる。そこで圧力一定の第一原理分子動力学法をベースにして、通常用いられる経路の仮定なしに、配置空間のより広い領域を探索しポテンシャル面の鞍点即ち遷移状態を自動的に求めることが出来るスキーム(Force Inversion Technique)を定式化した。 我々はまず基本的な組成であるBC2Nに着目し、実際に実験が行なわれている高圧合成について考察を行なった。今までの実験では熱の発生により少なからぬ原子拡散が生じていると考えられることから、我々は低温下での圧縮が準安定構造の作成において重要であると考えた。そこでエネルギー的に最も安定な面内構造を持つ、積層順序の異なる幾つかの層状BC2Nを出発物質に仮定し、それらを低温圧縮することによりマルテンサイト転移が起きたという条件から、可能性のあるBC2Nヘテロダイヤモンド構造を選び、それらの構造安定性の比較を行なった。その結果、-BC2Nと名付けられた[111]方向にダイヤと立方晶BNが積層した構造が最も安定であることが分かった。また、三元系半導体に良く見られるchalcopyrite構造などとの比較からも、-BC2Nの方がより安定であることが示された。以上の結果から、一般的傾向として、結合エネルギーが高いB-N、C-Cボンドをより多く持ち、また小さいB-B、N-Nを持たない構造がより安定であるという一種の結合ルールが成立することが示唆された。このルールは層状構造でも提案されており、BCN系で一般に成り立つと考えられる。 続いてそれらの転移条件を調べるために、各構造のエンタルピーの圧力依存性を計算した(図)。その結果、層状BC2Nを圧縮すると積層欠陥があった場合を考慮しても、11万気圧程度でヘテロダイヤモンド構造に転移しうることが示された。この結果は比較的低圧で転移が観測されているBadzian及び中野らの実験と定性的に一致している。-BC2Nはまたグラファイトと六方晶BNが交互に積層した層状超格子からの転移経路もあることがわかる(図)。この出発物質は面内構造が炭素のみ又はBNのみからなっているので、エネルギー的に今までの層状BCNより安定であることが予想され、層状BCNで常に懸念されている面内の無秩序性が避けられる利点を持つ。また転移時に層のズレが起きたとしても合成物質の構造には影響を及ぼさないという利点もあり、結晶性の良い構造の合成が期待できる。エンタルピー計算によるとこの構造は常圧下では-BC2Nよりも安定であるが、16万気圧程度まで圧縮すると転移可能であることが示された。また-BC2Nが常圧下にクエンチできるか確認するため、前述の手法を用いて各層状構造との間の活性障壁を見積もった所、適当な障壁が存在し-BC2Nは確かにクエンチ可能であることが分かった。 図:(左)-BC2Nへの2つの転移経路。(右)層状BC2N(×),-BC2N(o),-BC2N(o),層状超格子BN/C2(□)のエンタルピーの圧力依存性。(常圧の-BC2Nの全エネルギーを基準)-BC2Nと-BC2Nの違いは層状BC2Nの積層欠陥から来る。 以上の結果から、層状BC2Nまたは層状超格子BN/C2を低温圧縮すれば原子レベルで混合した安定なBC2Nヘテロダイヤモンドが比較的低い圧力で合成可能であることが示唆された。特に後者からの経路は良い結晶性が期待でき、様々な組成に対しても容易に応用できる点で有望であると考えられる。また今回の計算では-BC2Nの方が層状BC2Nより常圧下でエネルギーが低いという結果が得られていることから、BC2Nヘテロダイヤモンドを直接CVD法で作成できる可能性もあると考えられる。 上述の結果は任意のBN/C(111)ヘテロダイヤモンド超格子の合成が可能であることを示唆している。一般にIII-V/IV(111)超格子は界面において電子の過不足を生じることからそれを緩和するようIII-IV及びIV-V界面間の電荷移動が起こり、それによって生ずる積層方向の互い違いの内部電場によってエネルギー的に不安定になると考えられている。一方で、その内部電場は鋸状のポテンシャルの生成に対応するため、超格子の重要なパラメーターの一つであるバンドオフセット等をコントロールできる可能性が指摘されている。このようにヘテロバレントな(111)超格子は、電場の生成に伴い安定性及び電子状態が変化するという点で従来のホモバレント系とは異なり基礎的にも十分興味深い系と言える。そこでこれらに注目しながらBN/C(111)超格子の物性について計算を行なった。ここでは通常のn+n超格子に加えて、n+1タイプの"薄膜ドーピング超格子"及びBNの配向が層ごとに互い違いになった"交互超格子"も考察の対象に入れた(但しn3)。前者は電場の影響が小さいと考えられ、逆に後者は電場を補償する効果があると期待できる。更に比較のため、既に計算例のある(110)超格子についてもあわせて計算を行った。 一界面あたりの形成エネルギーを見ると、やはり上述の結合ルールが主に支配していることがわかる。n+n超格子と"薄膜超格子"の比較では、後者の方が安定であることがわかった。これは薄膜の方が電場効果が小さいためと考えられる。一方、"交互超格子"は炭素層に関しては予想通りポテンシャルが平坦になるが、逆にBN層での傾きが大きくなるため結果的に不安定となっている。(110)と(111)のn+n超格子を比較すると、今回計算したnの範囲では(111)超格子の方が安定であることがわかった。nが増えると界面結合から来るエネルギーの寄与は小さくなる一方、電場効果が相対的に大きくなるため(111)n+n超格子は不安定となり界面再構成が起こると考えられるが、"薄膜超格子"は比較的大きなnまで界面再構成が起こりにくいことが示唆された。 電子状態にも面白い特徴を見ることが出来る。まず伝導帯下端(CBM)の位置がn+n超格子では立方晶BNに対応したX点にあるのに対し、一部の"薄膜超格子"や"交互超格子"ではダイヤに対応する-X線上の中途に来ることが分かった。また各層ごとの局所電子状態密度を見ると、価電子帯頂上(VBM)は比較的どの層にも広がっている一方、CBMは、特に上記のダイヤ的な振舞いをしている物は全てC-N界面、特に隣接する炭素層に強く局在していることが分かった。分極界面を持つ(111)超格子は厳密にはバンドオフセットを定義できないが、ポテンシャルの変化(即ち電場効果)を見積もると例えば3+3超格子で約4eV程度となり、(110)超格子のオフセット1-2eVとの比較から、このポテンシャル変化がバンド端の電子状態の違いに有意に寄与すると考えられる。実際ポテンシャル変化の増大に伴いバンドギャップが減少するという結果が得られている。これらのバンドギャップはダイヤ及び立方晶BNより小さくなっており、(110)超格子同様(111)超格子もtype IIであることを示唆している。 以上の結果よりBN/C(111)n+n超格子又は"薄膜超格子"は(110)超格子よりn3の範囲で安定で、特に後者は比較的厚い層まで界面再構成を起こさずに安定に存在し、また電場効果によってバンド端の電子状態が大きく変化しうることが示された。残念ながら依然間接バンドギャップを持つtype II超格子であるため、発光素子としての応用は期待薄であるが、他の応用には十分期待できると考えられる。またダイヤモンド薄膜に局在した二次元電子系などを提供しうる十分面白い系であると言えよう。 |