審査要旨 | | 結晶中の水素不純物の問題は半導体物理学における基礎であると同時に,半導体の工業的な応用にも関連しており,重要である.修士(理学)三宅隆提出の学位請求論文においては,直接観測が容易でない水素よりもそれが可能なミュオニウム(水素原子における陽子をその質量が約のミュオン+に置き換えたもの)に焦点が合わせられ,そのミュオニウムの結晶シリコン中での不純物としての振舞いが量子統計力学に基づく第一原理経路積分分子動力学法を用いて解析され,ポテンシャルエネルギーと運動エネルギーの相克による量子効果の重要性が指摘された.そして,シリコン結晶格子中の四面体格子間位置(Tサイト)におけるミュオニウムの状態に対して新たな視点が与えられた. さて,英文で5つの章からなる本論文の第1章では,まず,半導体中の水素不純物は,その見かけの単純さとは異なり,母体に局所的な格子緩和とそれに絡み合う電子状態変化を引き起こす興味深い研究対象であることが説明される.次いで,結晶シリコン中での実験結果を例としながら,その現象の解明にはSRによる観測が可能なミュオニウムが役に立つことが述べられる.更に,水素をミュオニウムにすることで,ゼロ点振動という量子効果がより明確に研究できる利点が強調される. 次に第2章では,結晶シリコン中でのミュオニウムについて,これまでの理論研究,とりわけ,密度汎関数法に基づく最新のバンド計算法による結果が批判的に詳細に説明される.議論を要約すれば,ミュオンに対する断熱ポテンシャルエネルギー面という考え方では,シリコン原子間の共有結合中心位置(BCサイト)におけるミュオニウムの状態についてはSRの実験結果とよく符合する計算結果が得られるものの,実験でTサイトに位置するものと考えられているミュオニウムの状態については,そもそも,そこがポテンシャルの極大点であるという大きな矛盾にぶつがるということである.そして,この矛盾の解明が本論文の中心課題であることが説明される. このような問題意識の上に立って,第3章では,断熱近似を越えて,ミュオンも量子力学的な粒子であるということを取り入れた計算法が紹介される.これは基本的に経路積分法によって分配関数Zを計算するものであるが,その際,まず,もとの量子系での自由度を増やして古典系に写像し,そして,写像された古典系においては分子動力学法を用いてZを計算することになる.この手法の原理そのものは既によく知られているものではあるが,プログラム・コードを完成させる上でパラレル処理を施すなど随所に最新の工夫がなされている.なお,実際の計算量は膨大であり,そのため,中間状態に現れる各イオン配置における電子状態については,第一原理のバンド計算による基底状態しか考えないという簡単化が行われ,また,ミュオンや各シリコンイオンについては分子動力学実行上の全過程にわたって粒子交換が起こらないという仮定の上に立った処理がなされている.後者については特に問題がないかもしれないが,前者についてはミュオニウムのイオン化エネルギー(270K)が考えている温度(T=200K)に近いことから,将来,検討を要する問題である. 第4章では,前章で導入された方法を結晶シリコン中でのミュオニウム及び水素に適用して得られた結果が紹介される.その中で注目すべきことは,Tサイト近傍のミュオニウムを表現する波動関数はシリコンの四面体格子間隙中をTサイトを中心として大きく拡がっていることである.これに対して,ゼロ点振動エネルギーの小さな水素を表現する波動関数については,オフサイトの位置に局在したものが得られている. 最後に,本論文の第5章では,得られた結果が要約され,将来の問題,特に,BCサイトにおけるミュオニウムの量子効果が言及されている.なお,本論文の末尾にある3つの補遺では,密度汎関数法の基本原理や局所密度近似,一般化された密度勾配近似などが紹介されると同時に,具体的な数値計算における誤差の評価が記されている. 以上,各章を紹介しながら,本論文の物理学への貢献点,特に,結晶シリコン中のミュオニウムにおける大きなゼロ点振動を伴う量子状態出現を示唆する計算結果について解説した.その量子状態のより詳細な解析は今後に委ねられるものの,計算技法・結果ともに,学位論文として充分な水準にあることが審査員全員によって認められ,博士論文として合格であると判定された.なお,本論文の内容は常行真司氏や荻津格氏との共著としてPhysical Review Letters誌やPhysical Review B誌に投稿予定となっている.そして,これらの論文の第一著者である論文提出者が主体となって計算及び結果の解釈を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断される.また,この件に関して,常行氏や荻津氏からの同意承諾書が提出されている. したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |