銅酸化物高温超伝導体の発見を契機に、物性物理学の最も基本的かつ難解な問題として古くから知られていた電子間相互作用に起因する金属-絶縁体転移(モット転移)の新たな研究が精力的に展開されている。銅酸化物およびその周辺物質の実験的な探索において、電子のスピン自由度だけでなく、軌道自由度の考慮が不可欠と考えられるような相関効果が多く観測されている。しかし、複数の軌道の存在する粒子系(多成分系)に対する従来の理論的研究では、平均場近似などによっているため、その相関効果が正しく捉えられているとは言えない。理学修士求幸年提出の本論文は、この強相関多成分系における絶縁体-量子流体(金属)転移の問題を、主に、数値的解析によって追究したもので、英文で6章からなる。 序論の第1章に続く第2章で、本論文で考察する強相関多成分系が定義されている。同一サイトの粒子間で働く無限大の斥力相互作用と最近接サイトの粒子間に働く相互作用とが存在するボゾン模型と、軌道縮退ハバード模型(多成分フェルミオン系)である。 第3章は本論文で用いる理論的手法の解説に充てられている。特に、フェルミオン模型に適用する補助場量子モンテカルロ法は、本論文提出者が多成分系へ適用するために新たに開発したものである。適切なハバード-ストラトノヴィッチ変換を採用し、また、系の特性を担うパラメータの値に対する条件を詳しく吟味することによって、負符号問題を回避した量子モンテカルロ法として構築されたものであり、この手法の開発は本論文の成果の一つとして評価される。 第4章では二成分ボゾン模型に関する研究が詳述されている。既に多くの研究がなされている一成分ボゾン模型に対して、二成分ボゾン模型の研究はまだわずかしかないが、この模型の研究から、強相関電子系における多成分効果に関する多くの示唆が得られるものとの期待される。 本論文提出者は、二次元正方格子上の二成分ボゾン模型に関して、最近接サイト相互作用の強度と粒子密度を変えていったとき出現する秩序相をまずグッツヴィラー変分法によって調べ、1/2フィリング近傍での成分秩序相、1/4フィリング近傍での密度秩序(超流動固体)相を伴う相図を得ている。次に、世界線量子モンテカルロ法によって二つの相転移を解析し、特に、1/2フィリング近傍の有限ホール濃度における成分秩序相の出現に伴って超流動密度が著しく抑制されることを見出している。この超流動密度の低下は、粒子の有効質量の増大を意味する。このような顕著な相関効果は1/4フィリング近傍での密度秩序相への相転移や一成分ボゾン模型の相転移では見られていないことから、これを二成分系に固有な現象と捉え、その説明として、イジング性の成分秩序がある空間におけるホール捕捉の機構を提起している。 第5章では軌道縮退ハバード模型に関する解析が展開されている。この模型は強相関電子系に対する典型的な理論模型の一つであり、既に平均場近似などによる多くの研究がなされている。1/2フィリングにおける問題の一つは、軌道分裂がバンド幅より十分大きいことによるバンド絶縁体と同一サイト斥力相互作用に起因するモット絶縁体との関係であり、二つの絶縁体相の間の転移が平均場近似などによって調べられている。 本論文提出者は、空間次元1、軌道数2のこの模型を、自らが開発した補助場量子モンテカルロ法を用いて詳しく調べている。まず、軌道分裂のない場合について、電荷、スピンおよび軌道の自由度に対するエネルギーギャップや、モット絶縁体状態における1電子の局在長などを評価している。特に、化学ポテンシャルを変化させたときの局在長が、モット転移点に向かって指数1/2で臨界発散する結果を得ている。これは、軌道縮退の存在する系でもモット転移の臨界特性の普遍性が成立することを示すものである。次に、軌道分裂の増大に伴う、二つの軌道における粒子密度の変化(セルフドーピング)や種々の相関関数の振舞いを解析し、モット絶縁体からバンド絶縁体への連続的なクロスオーバー特性を明らかにしている。特に、スピンの反強磁性的相関が少量のセルプドーピングによって強く抑制されるといった特徴を見出している。 本論文では、その第6章でまとめられているように、何の近似も含まない数値的解析によって強相関多成分系における多体現象を調べ、多くの新しい知見を得ている。中でも、ボゾン模型における成分秩序に伴う粒子有効質量の増大や、フェルミオン模型における軌道分裂に伴うスピン反強磁性的相関の減少などは、スピンと軌道の自由度が絡んだ相関効果として特に重要な結果である。具体的な実験結果との直接的な比較までには至っていないが、これらの結果は、強相関多成分系の絶縁体-量子流体相転移に伴われる特徴的な相関効果として初めて明らかにされたものであり、高く評価される。 以上述べてきたように、論文提出者による本研究で得られた多くの新たな知見は今後この分野の研究の進展に大いに貢献するものと認められ、審査員全員により、博士(理学)の学位論文として合格と判断された。 なお、本論文第3章から第5章までは、指導教官今田正俊教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 |