ここ10年間、近赤外2次元アレイ検出器はその感度、フォーマットなどにおいてめざましい進歩をとげ、これらの素子を用いたさまざまな種類の近赤外分光器が開発された。中でもファブリペロ分光撮像システムは、天体における近赤外輝線の分布および速度場を効率よく取得するのに適している。ところが、これまで開発された多くのファブリペロ分光システムは視野が狭く、銀河系内天体や近傍のスターバースト銀河全体の輝線強度や速度場を求めるためには適していなかった。 そこで私は、これらの天体の輝線イメージからさまざまな近赤外輝線の励起に対する理解を深めることを目的として、近赤外広視野ファブリペロイメージャ"MUSE"を開発した。さらにこの分光撮像システムを用いて、大質量星まわりの星間物質から放射されるH2、[FeII]およびHeI輝線の観測を行なった。以下に装置の概要を述べるとともに、観測した各輝線の示す星間ガスの物理状態について議論する。 1.近赤外ファブリペロイメージャ"MUSE"の開発 広視野の輝線撮像を行なうため、近赤外分光撮像装置"MUSE"を開発した。この装置はファブリペロ分光器と高感度2次元アレイを組み合わせ空間2次元の輝線撮像を行なうもので、通常のスリット分光器に比べ輝線強度の空間分布をはるかに効率良く観測できることができる。また、狭帯域フィルターを用いた撮像システムに比べ1桁から2桁高い波長分解能を達成できることから、天体や大気からの連続放射や上層大気のOH放射の寄与を小さく抑えた輝線撮像を行なうことができる。これに加え、星間ガスの速度構造を調べることができる天体の数は大きく増加する。 MUSEの視野は近赤外ファブリペロイメージャとして世界最大であり(3’.9角)、系内天体や近傍のスターバースト銀河の観測に適する。波長分解能は、/〜103-104とした。多くの天体の場合、/〜103の波長分解能は速度成分について積分した輝線強度分布を調べるのに適し、一方で/〜104の波長分解能はガスの速度の空間構造を調べるのに適する。赤外線検出素子としては、現在1〜2.5mの波長域で広く用いられている高感度2次元アレイ(NICMOS3;HgCdTe256×256)を用いた。望遠鏡としては、主に国立天文台1.5m望遠鏡(赤外シミュレータ)を使用する。将来は、現在ハワイ・マウナケア山頂に建設されつつある世界最大級の光学赤外線望遠鏡"すばる"に取りつけての観測も行ないたいと考えている。 広視野のファブリペロ分光撮像を行なうための最大の技術的問題点は、いかにしてコリメータの焦点距離を長くとるか、という点にある。これは、焦点距離の小さいコリメータを使用した場合視野内の観測波長のずれが大きくなり、実質的に視野を狭めてしまうからである。ただし、長焦点距離のコリメータの使用は装置の光学系全体の大型化につながり、色収差、装置の自重変形による光学系性能劣化などの問題点を新たに生む。われわれの装置では上記の問題点を解決し、焦点距離700mmのコリメータを使用することに成功した。これにより、視野内の速度のずれは/〜3000までの観測においてほぼ無視できる程度にまで抑えることができた。 2.反射星雲NGC2023およびNGC7023における水素分子1-0S(1)、2-1S(1)、3-1S(1)および4-2S(1)輝線のイメージング観測 -いかにして水素分子の励起機構を判別するか?- 星間空間におけるH2分子は原子や分子との衝突により熱的に励起する場合と912〜1108Aの紫外線により励起する場合とがあり、前者はショック領域で、後者は光解離領域でしばしば観測される。これら2つの励起機構の判別の指標として、これまで放射強度の強い1-0S(1)および2-1S(1)の強度比がしばしば用いられてきた。しかしこの輝線強度比は、高密度の光解離領域では衝突脱励起の影響により変化し、熱的励起の場合との区別がつきにくくなるという問題点があった。この欠点を補うため、天体内の2-1S(1)/1-0S(1)分布を空間分解し、1-0S(1)強度との相関を調べることにより励起機構を判別する方法が臼田らにより提案された1。ただし、特に系外銀河など輝線強度比分布を十分に空間分解できない天体についてはこの方法は適用できず、新たな手法による励起機構判別が必要となる。 そこで、励起機構判別を行なうための新たな指標として、より高励起状態の輝線の組み合わせである4-2S(1)/3-1S(1)に着目した。この輝線強度比は衝突脱励起の影響を受けにくく、励起機構のより明確な判別が可能なことがモデル計算により予測されている。ただし、モデル予測値に大きな影響をおよぼすいくつかの物理パラメータが必ずしも明らかでないことから、予測された4-2S(1)/3-1S(1)がどの程度正しいかは明らかでない。このため、光解離領域における3-1S(1)および4-2S(1)の観測を行なうことにより、これらの物理パラメータに制限を与えるとともに、励起機構判別の指標としての有効性を議論することにした。 その第一歩として、典型的な高密度光解離領域を伴う反射星雲NGC2023およびNGC7023の輝線イメージングを行ない、両天体内における2-1S(1)/1-0S(1)および4-2S(1)/3-1S(1)輝線強度比を調べた。観測の結果、まず、2-1S(1)/1-0S(1)比は衝突励起/脱励起の影響を受け0.1〜0.6のばらつきを持つことがわかった。この観測結果は、天体内に衝突脱励起の受けにくい領域および受けやすい領域の両方が含まれていることを示す。このばらつきの原因としては、天体内の紫外線強度の変化によるガス加熱の影響の差が大きく寄与していると考えられる。モデル計算の結果と観測結果との比較により、2-1S(1)/1-0S(1)比の低い領域の密度は105〜106cm-3と見積もられた。 一方で、観測された高励起輝線の強度比4-2S(1)/3-1S(1)は両天体内でほぼ一定値(〜l)をとることがわかった。この結果はモデル計算の予測と一致し、4-2S(1)/3-1S(1)が2-1S(1)/1-0S(1)に比べ衝突脱励起の効果をはるかに受けにくいことを示す。熱的励起の場合の4-2S(1)/3-1S(1)は0.5を超えないことが予測されることから、4-2S(1)/3-1S(1)は2-1S(1)/1-0S(1)に比べ励起機構判別のより有効な指標であることが示された。 3.オリオン大星雲中心領域の近赤外[FeII]HeI、HI輝線イメージング 典型的な大質量生成領域であるオリオン大星雲において[FeII]1.257m,HeI1.083m,Pa1.283mおよびPa1.094m輝線のイメージングを行ない、特にHII領域における[FeII]およびHeI輝線の励起について調べた。 近赤外域の[FeII]輝線は超新星残骸や原始星まわりのアウトフローで多く観測され、銀河系内外におけるショック領域のトレーサーと考えられている。一方で、HII領域における[FeII]輝線の観測例は少なく、HII領域における[FeII]/HIの総フラックス比が電離星のスペクトル型にどのように依存するのか、[FeII]/HI強度比が系外銀河におけるショック領域/HII領域判別の指標として有効か否かについては必ずしも明らかでない。 われわれの観測では、HII領域まわりの電離境界面付近における[FeII]輝線の分布を(おそらく世界で初めて)得ることができた。可視の[SII]輝線や[NII]輝線は、オリオンのように中心星の表面温度の非常に高いHII領域では電離境界面の良いトレーサーとなると考えられているが、[FeII]輝線の分布はこれらの輝線の分布とよく一致する。このことは、[FeII]輝線が電離境界面付近の部分電離領域をトレースするという主張を支持する。一方、HII領域全体における[FeII]/Pa比は0.016であり、これまでHII領域の典型値として使用されてきたLoweらの観測結果2と概ね一致する。これにより、観測対象とする系外銀河内部のHII領域がオリオン星雲のようなタイプのHII領域で形成されると仮定した場合、[FeII]/Paおよび[FeII]/Brがショック領域/HII領域を判別するための有効な指標となることが明らかとなった。 またHeI1.083m輝線は通常の再結合線と異なる密度依存性を持ち、HII領域の特に内部における密度構造を高空間分解能で調べるのに適する。HeI/Paの分布と可視域でこれまでに観測されているHeI0.67m/H比の分布との比較から、HII領域内の密度が中心星付近〜1’の領域では低く、そのまわりの領域では高くなっていることがわかった。この密度の高い領域は電離境界面の分布と大まかに一致する。このような密度構造を説明するひとつの解釈として、中心星からの星風により星のまわりのガスが吹き飛ばされれている、というシナリオが考えられる。 参考文献: 1Usuda et al.1996,ApJ,464,818;2Lowe et al.1979,ApJ,228,191 |