学位論文要旨



No 113233
著者(漢字) 西村,照幸
著者(英字)
著者(カナ) ニシムラ,テルユキ
標題(和) 全球土壌水分の変動と土壌水分が気候システムに与える影響についての研究
標題(洋)
報告番号 113233
報告番号 甲13233
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3379号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 木本,昌秀
 東京大学 教授 木村,龍治
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 助教授 沼口,敦
 東京大学 助教授 沖,大幹
内容要旨

 地表での温度や降水量,放射量などの観測データを入力値として陸面モデルに与え,陸面の熱・水収支に基づいて,全球の土壌水分および熱・水フラックスの詳細なデータセットを作成し,土壌水分の空間分布および時間変動の解析を行なった.さらにこのデータセットを用いて土壌水分分布の気候システムへの影響について調べた.

 観測データはInternational Satellite Land-Surface Climatorogy Project(ISLSCP)Initiative I CD-ROM収録のものを用い,陸面モデルは植生を考慮したSimple Biosphere(SiB)モデルに,土壌水分の凍結過程などの改良を加えたものを用いた.空間分解能は全球陸上10×10で,期間は1987〜88年の2年間で旬(約10日)ごとのデータセットを作成した.

 求めた土壌水分を,既存の数少ない土壌水分データセットの一つであるMintz and Serafini(1981,1992)の気候値の土壌水分と比較すると,各地域で異なったのに加えて,全体的な様相も,極端に小さな値や大きな値にならず異なった結果となった.この理由は陸面モデルの蒸発のパラメタリゼーションの違いによる影響が大きいことが考えられる.

 土壌水分の空間規模,時間変動規模を調べると,緯度が高くなるにつれて空間規模は小さく,時間変動規模は長くなる傾向となった.また降水などに比べると長周期成分が強くなる傾向が見られた.また干ばつや大雨の影響による年による違いが現れた地域もあったが,最も大きい時間変化は1年周期の季節変化であった.

 土壌水分量は降水量,蒸発量などの水フラックスの時間積分量であるため,熱帯地域では雨季の最盛期か最盛期から少し遅れた時期に土壌水分が極大となる.降水と土壌水分の季節変化における極大時期の「遅れ」は地域によって異なり,降水の強度や乾季の長さに依存し,気候の特徴を表す指標と考えられる.1年周期の季節変化を考えると,土壌水分の季節変化の極大が降水の季節変化の極大に少し(0〜90日程度)遅れて起こる領域は,降水が土壌水分の変化を駆動するの主因となっていると考えられる.このような地域は主に熱帯に分布する.

 一方中緯度では,土壌水分は夏の終りから秋に極小,春に極大となる.そこでは夏に極大となる蒸発が土壌水分変化の主因と考えられる.土壌水分の極小が蒸発の極大に少し遅れて起こる領域は,北アメリカ東岸やヨーロッパなどの中緯度に分布する.また,中・高緯度地域で春に土壌水分が極大になる原因は,融雪水による土壌水分の増加の影響がある.

 次に,今回求めた土壌水分を大気大循環モデル(Atmospheric Gneneral Circulation Model : A GCM)の境界条件あるいは初期条件として用いることにより,土壌水分が大気におよぼす影響を調べた.ただし使用したA GCM(CCSR/NIES A GCM)の陸面モデルに合わせてSiBモデルではなくバケツモデルを使って先と同様にして求めた土壌水分を用いた.二つの年の違いに対する大気の応答を見るために,大気の初期値と海面水温を同一にして土壌水分を別の年の値と入れ替えた感度実験を行った.

 求められた土壌水分を境界条件として与えた実験では,アメリカ中西部などでは,土壌水分の違いは蒸発に影響し,降水が蒸発の変化量とほぼ同じ量だけ変化した.この降水の変化は主に積雲対流による降水の変化によっている.土壌水分の違いにより蒸発量が変化し,大気の安定度が変化したために積雲対流の活動が変化したと考えられる.

 インドでは主に海洋からの水蒸気が収束して降水となるが,ここでも土壌水分が陸面のエネルギーフラックスの分配の違いにより,大気成層の変化を通して降水に影響を与えていることがわかった.降水の変化量はインドにおいても蒸発の変化量とほぼ同じであり,積雲対流による降水量変化の寄与がほとんどであった.ただしインドでは大規模凝結による降水の方が多いために,総降水量の変化は大きく現れない.

 これに対してヨーロッパでは土壌水分にかなりの差があるにもかかわらず,降水量との相関は認められなかった.ヨーロッパの天候は大規模な大気の流れの影響が大きいと考えられる.

 土壌水分を初期条件として与えた実験においては,実験開始時に土壌水分の差が大きくても,約2ヵ月で土壌水分はA GCMの気候値に近づく.しかし1ヵ月程度は初期値の土壌水分を記憶しており,境界条件として与えた場合と同様な応答が見られた.

 最後に同様に,Mintz and Serafini(1981,1992)による気候値の土壌水分を初期条件として与えた場合とで1ヵ月予報の比較を行った.その結果,おおむね今回求めた土壌水分による実験の方が予報成績が良くなった.特に陸上における降水量の予報に大きな差が見られた.気候値の土壌水分よりも今回求めた土壌水分を用いた方が誤差が小さくなった.

 これらのことから,土壌水分の大気への影響は大きく,土壌水分の実態の解明は気候システムの理解,また長期予報という目的にも重要であると考えられる.

図:1987年7月の土壌水分インデックスの分布.黒いところほど土壌水分が多い.
審査要旨

 異常気象や気候変動の研究において大気と陸面の間の相互作用の解明は重要な課題である.とくに,地表面での潜熱フラックスを決める主要因の一つである土壌の湿潤度,すなわち土壌水分の時空間分布の把握は重要である.しかし,衛星や船舶のデータによって比較的よく観測,把握されている海面水温とは対照的に,陸面の土壌水分の分布,変動の実態はほとんどわかっていない.現場での観測はきわめてまばらであり,衛星等リモートセンシングによる測定技術もわずかに植生のない裸地面での推定法が検討され始めたばかりである上に,植生分布等陸地面の非一様性の空間スケールが,大規模大気運動のそれよりもはるかに細かいことが,困難の主要因である.

 申請者は,このように直接の観測的評価が非常に困難な土壌水分の分布を,大気の観測データを陸面過程モデルに与えて計算する方法によって評価し,グローバルデータセットを作成した.その結果表現された土壌水分変動の特性の記述,考察をおこない,また,大気大循環モデルを用いて,土壌水分が大気循環に及ぼす影響についても評価をおこなった.陸面モデルを用いて土壌水分を評価する方法は,過去にも用いられたことはあるが,気候学的平均の評価にとどまっていた.今回申請者は,より精密な陸面過程モデルを用い,かつ,入力気象データとして,全球1°×1°,時間間隔6時間毎,という品質の高いものを用いることによって,より精度の高い推定をおこなった.

 本論文の第1章には,気温,降水量,放射量等の気象データを陸面過程モデルに与えて土壌水分および陸面のエネルギー・水フラックスの全球データセットの作成,そして,このデータセットによって表現された土壌水分の時空間変動の解析を行った結果が述べられている.これまで,月平均気候値を用いて全球4°×5°の解像度で作成されたデータセットが広く世界の大気大循環モデルの初期値等として用いられてきたが,今回は,全球土壌水分評価のための国際プロジェクト用に準備された1°×1°,6時間間隔の気象データが陸面モデルへの入力として用いられた.期間は1987-88年の2年間である.この入力データセットにおいては,放射フラックスも時空間解像度の良い数値天気予報モデルの出力を衛星データ等で較正され,また,降水量も観測,衛星,モデル出力を最適に結合した結果を用いている.また,用いる陸面過程モデルは,多様な植生とそれによる気孔抵抗,濡れた葉面からの遮断蒸発等も表現できる現状ではもっとも精巧なものの一つが用いられた.土壌水分,蒸発散量等の陸面パラメータも入力データと同じ分解能で出力される.

 申請者の作成した全球土壌水分データセットは,既存のほぼ唯一のデータセットであるMintzとSerafiniによる気候値に比べると,極端に乾いたり湿ったりする場所が少なく,水平分布の様相も異なっている.陸面モデルを彼等の用いたものに似た,より簡略なものに替えることにより,違いの主因はモデルに帰せられることが見い出された.このようなモデルによる違いは,観測データによる検証の際に注意されるべきである.今回は積雪の取り扱い等も過去の研究より精密に行われている.今回の結果により,土壌水分の変動は降水等に比べ,長周期成分がより卓越しており,気候システム変動において海面水温に次いで長周期のメモリを提供できる可能性が確認された.緯度が高くなるにつれ変動の空間規模が小さく,時間規模が大きくなる傾向も見い出された.

 申請者は,作成したデータセットで表現された土壌水分の季節変動のメカニズムについて考察を行い,興味深い結果を得た.幾何学的な要因により放射量等によって決まる可能蒸発量の季節変動が小さい熱帯域では,蒸発散量の変動も小さく,土壌水分変動は主に降水量の季節変動によって支配される.さらに,土壌水分変動が降水変動に遅れる時間は,地表面植生等による気候区分を反映した空間分布を示していた.一方,中高緯度地域では,降水量の季節変動は比較的小さく,土壌水分変動は太陽高度の変化を反映した可能蒸発量の季節変化に支配されることが明らかになった.

 海面水温の大気循環に与える影響に比べると,土壌水分の影響はほとんどといってよいほど明らかにされてこなかった.本論文の第2章で申請者は,作成されたデータセットに基づいて,海面水温,大気初期値等に相対的に土壌水分の効果を評価する数値実験を,大気大循環モデルの境界値,初期値をさまざまに変えることによって行った.解析は,1987年と88年の土壌水分の違いの顕著であったいくつかの地域に着目して行われた.その結果,表記の2年間に洪水と干ばつという極端な天候を経験した北米中西部では,土壌水分の多寡が降水量偏差を強化するという顕著なフィードバック過程が働いていたことが見い出された.申請者は,少なくともモデル大気中では,この過程が地表面の湿潤・乾燥化による大気鉛直成層の変化とそれに伴う対流性降水量の増減として顕著に現れることを明らかにした.北半球夏の主要な降水地帯であるインドモンスーン域では,南海上からの湿潤気流の陸上での収束が大量の降水の主因となっている.しかし,ここでも量的には相対的に少ないものの,北米中西部と同様の陸面-大気フィードバックが働いていることをエネルギー・水収支解析によって明らかにした.

 さらに申請者は,大気の力学的長期予報において,現在おこなわれているような気候学的土壌水分量に替えて今回のような方法で用いられたような方法で評価したリアルタイムの土壌水分を用いることによって顕著な正のインパクトを持ちうることを実験によって示し,現業での今回の手法の適用の重要性を示唆した.

 以上のように本研究は,気候研究に重要で,現在国際的にも注目を浴びている陸面-大気相互作用について,新しいデータセットを作成し,全球土壌水分の季節変動,大気循環へのインパクト解明の端緒を与えた.今後,データの期間を延長し,より詳細な物理プロセスの検討等がおこなわれることになるであろうが,本研究の成果は,この分野の研究の発展に指針を与える貢献をなしたものと高く評価できる

 なお、本論文の第1章の一部は,佐藤信夫との共著論文に報告されているが,計算,解析は本申請者が主体となって行ったもので,申請者の寄与が十分と判断する。

 よって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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