本論文は、惑星系の母胎である原始惑星系円盤における分子組成進化について述べている。円盤内で起こる化学反応のネットワークを数値的に解くことにより、円盤内の非平衡な分子組成進化を、初期値問題として時間依存的に明らかにした。本論文では、従来の研究では考慮されていなかった、宇宙線による円盤ガスのイオン化や、氷マントルの形成を採り入れている。そして、これらが分子組成進化に重要な影響を及ぼすことを示した。本論文で得られた円盤の分子組成は、太陽系始源天体である彗星の分子組成の特徴を再現している。また、観測で得られている原始惑星系円盤の分子輝線強度の説明にも成功している。 本論文は5章から成り立っている。 第一章は、研究の背景と目的について述べられている。 惑星系は生まれたばかりの星を取り巻く原始惑星系円盤の中で形成されたと考えられている。円盤の分子組成についての研究は、惑星形成の物質科学的な初期条件を与えるという意味で重要である。また近年、若い星のまわりの原始惑星系円盤を分子輝線で観測することが可能となってきた。円盤の分子組成についての知見は、分子輝線による観測から円盤の構造と進化を読み取るためにも必要不可欠である。 第二章は、円盤モデルと化学反応ネットワークについて述べられている。可視、紫外域での観測から原始惑星系円盤は降着円盤であることが示唆されているので、本論文では、標準的な定常降着円盤モデルを採用している。円盤内は温度も密度も低いので、系の力学的な時間スケールでは化学平衡は達成されないと考えられる。そこで、化学反応ネットワークを解くという手法によって化学的に非平衡な系の進化を時間依存的に解いていることも、本論文の優れた点である。化学反応については、円盤内で起こり得るであろう約2300個の反応を考慮している。特に円盤内でのイオン-分子反応を考慮したのは本論文の新しい点である。円盤の分子組成に関する従来の研究は、円盤ガスが中性であると仮定し、中性反応しか考慮していなかった。しかし、実際には円盤内のガスは宇宙線等によって一部イオン化される。低温において、イオン-分子反応は中性反応よりも反応率が高い。よって原始惑星系円盤における分子組成進化を考察するにあたって、イオン-分子反応の効果を取り入れることは、本質的に重要である。 第三章では、数値計算で得られた分子組成の進化と分布について述べられている。原始惑星系円盤の分子組成進化には、従来の研究では考慮されていなかった、宇宙線によるイオン化が重要な役割を果たすことが示されている。例えば、従来の研究では中性反応しか考慮されていなかったため、一酸化炭素をメタンに変えることは困難であった。しかし宇宙線によるイオン化を考慮すると、イオンと一酸化炭素との反応がきっかけとなって、メタンが生成される。また、メタンは一酸化炭素よりも揮発性が低いため、ダスト表面に形成される氷マントルにはメタンが蓄積される。これは、氷マントルの形成までも反応ネットワークに採り入れた本論文によって初めて明らかにされた効果である。さらに、円盤内の物質が中心星に向かって降着し、より温度の高い領域に到達すると、氷マントルが昇華する。昇華した分子は気相での反応により、アセチレンなどのより揮発性の低い分子に変換されて再び氷マントルに取り込まれる。こうして円盤の内側の領域では、揮発性の低い分子の存在量が大きくなる。 第四章では、宇宙線照射量やダストサイズの変化が分子組成進化に及ぼす影響等が議論されている。 第五章では、太陽系始源天体である彗星や原始惑星系円盤の観測結果と理論計算との比較が行なわれている。彗星の組成の特長の一つは、酸化的な分子と還元的な分子が混在することである。原始惑星系円盤の化学組成に関する従来の理論では、この混在をうまく説明できていなかったのに対し、本論文で得られた氷マントルの分子組成はまさにこの性質を再現している。また、本論文によれば、円盤内では温度分布を反映して半径ごとに様々な組成の氷が形成されると考えられる。これは、観測されている個々の彗星の分子組成の差異が、それぞれの形成領域の違いを示していることを示唆する。 審査会においては、反応率の不定性が結果におよぼす影響について質問がでたが、主な反応については反応率が実験等でよく調べられており、論文に特記された以外は特に問題ないことが判明した。 円盤と分子雲での分子進化の違い、軌道進化から見た彗星の起源などについての質問にも、論文提出者は的確な回答を行なった。 なお、本論文は国立天文台の観山正見教授、中野武宣教授、山形大学の梅林豊治助教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって計算、解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って博士(理学)の学位を授与できると認める。 |