学位論文要旨



No 113234
著者(漢字) 相川,祐理
著者(英字)
著者(カナ) アイカワ,ユリ
標題(和) 質量隆着を伴う原始惑星系円盤における分子組成進化
標題(洋) Evolution of Molecular Abundance in Protoplanetary Disks with Accretion Flow
報告番号 113234
報告番号 甲13234
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3380号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 杉浦,直治
 北海道大学 教授 山本,哲生
 東京大学 助教授 阿部,豊
 国立天文台 教授 観山,正見
 東京大学 助教授 岩上,直幹
内容要旨 はじめに

 太陽系のような惑星系は、星が生まれる時、星を取り巻く原始惑星系円盤の中で形成されたと考えられている。この円盤の中での分子組成進化を調べることは、惑星の物質科学的な初期条件をあたえる重要な課題である。また、円盤の分子組成に関する知見は、原始惑星系円盤の観測的研究を行う上でも必要である。近年では電波望遠鏡によって、若い星のまわりの原始惑星系円盤を直接観測できるようになってきた。電波観測では、円盤の中の分子の輝線をとらえるので、観測データから円盤の構造や進化を読みとるためには、様々な温度、密度のもとで分子組成がどのように変化するかを調べておくことが必要不可欠なのである。さらに、円盤の分子組成についての理論は、彗星などの太陽系始源物質から太陽系の初期進化を探る上でも重要である。分子組成進化の理論を確立すれば、彗星などの化学組成から太陽系初期の物理状態をさぐることができるであろう。

手法

 原始惑星系円盤の分子組成に関する従来の代表的なモデルは、Prinnによるkineticinhibition model(Prinn1993)である。しかし、このモデルは中性ガスの化学反応しか考慮していないという点で不十分である。実際の円盤では、星間から降り注ぐ宇宙線によってイオンが生成されると考えられる。イオンは、中性ガスよりも化学反応を起こしやすいので、円盤の分子組成に大きな影響を及ぼす可能性がある。

 そこで本研究ではまず、イオン化をはじめ円盤内で起こる様々な化学反応を考慮し、化学反応のネットワークを構築した。そしてネットワークを数値的に解くことによって、円盤内での分子組成の時間進化と分布を求めた。化学反応ネットワークを解くという手法は、化学的に非平衡な系の進化を時間依存的に追うことができる優れた方法である。この手法を原始惑星系円盤に適用し、その分子組成進化を調べたのは本研究が初めてである。

 また、円盤のモデルとしては標準的な定常降着円盤モデルを用い、質量降着が分子組成の進化や分布に及ぼす影響についても考察した。

結果時間進化:

 円盤内の典型的な温度、密度での主な分子の組成進化を図1に示す。計算の初期組成としては、円盤をつくるもととなる分子雲の観測値を用いた。初期にはほとんどの炭素が一酸化炭素となっているが、時間とともに一酸化炭素は壊され、代わりに二酸化炭素や炭化水素が生成されていくことがわかる。反応の起こる時間スケール(〜106年)は観測されている円盤の年齢程度であるから、このような反応は円盤のなかで十分起こりうると考えられる。

 また、この時起きている主な化学反応を調べてみると、宇宙線によるイオン化と氷マントルの形成が重要な役割を果たすことが分かった。すなわち、宇宙線によって生成されたイオンとの反応で一酸化炭素が壊され、二酸化炭素などが生成される。さらに、二酸化炭素はダスト表面に吸着されることによって気相の反応系から切り離され、氷マントルの中に蓄積されていくのである。以上の2つの効果は従来の研究では全く考慮されていなかった。

 窒素を含む分子でも同様の進化が見られる。初期には窒素分子が多いが、時間とともに窒素分子は壊され、アンモニアなどが生成される。窒素分子の昇華温度は約20K、アンモニアの昇華温度は約80Kなので、温度が20K<T<80Kの領域ではアンモニアは氷マントル中に選択的に蓄積されていく。

図1:分子組成の時間進化半径10AU(水素数密度nH=5.9×1011cm-3,温度T=38K)での主な分子の組成進化。分子雲から取り込まれた一酸化炭素は106年程度の時間スケールでCO2,HCN,NH3などに変わっていく。
分子の分布:

 円盤内での分子組成の分布を図2に示す。分子の分布は、円盤の温度分布を強く反映していることがわかる。中心星から50AU以遠の領域では温度が中心星からの距離によらずほぼ一定なので、分子組成もほぼ一様な分布を示している。一方、50AU以内の領域では内側ほど温度が高いため、一酸化炭素やメタンの氷が蒸発する。さらに蒸発した分子を材料として、炭化水素などのより大きな分子が形成されている。

質量降着の効果:

 標準降着円盤での分子の存在量分布を、質量降着を伴わない円盤での存在量分布と比較した。その結果、一酸化炭素やメタン、炭化水素の存在量は質量降着を伴う円盤でより大きくなることがわかった。

図2:原始惑星系円盤における分子の分布(a)質量降着する原始惑星系円盤での主な炭素関連分子の分布。円盤の年齢は3×106年とした。(b)は円盤の温度、密度分布。半径50AU以遠では温度がほぼ一定なので、分子組成もほぼ一様である。半径50AU以内の領域では、温度の違いに伴って分子組成が半径によって異なる。
議論彗星の分子組成との比較:

 彗星は、現在の太陽系物質のうち最も多く揮発性成分を含むので、太陽系形成の直後から比較的変成を受けていないと考えられている。彗星の組成の大きな特徴は、一酸化炭素のような酸化的な分子とメタンのような還元的な分子が混在することである。原始惑星系円盤での化学組成進化に関する従来の理論では、この特徴をうまく説明できていなかった。しかし、本研究で求められた氷マントルの分子組成は、まさにこの特徴を再現している。

 また、最近、多くの彗星の化学組成について統計的な観測結果が出始め、彗星の分子組成には本来的な差異がみられるという議論が盛んになっている。本研究によれば、半径10AUから50AU程度の領域で、円盤の温度分布を反映して様々な組成の氷が形成されると考えられる。すなわち、彗星の分子組成の差異は個々の彗星の形成領域の違いを示していることを示唆する。本研究結果を用いれば、分子組成をもとに個々の彗星の形成領域を推定することができる。

 さらに本研究では、円盤内でのメタンなどの生成量が、宇宙線の照射量やダストのサイズなどに依存するということがわかった。彗星の分子組成の詳細な観測によってこれらの生成量を明らかにすれば、太陽系初期における宇宙線照射量やダストの成長時間に制約が与えられると考えられる。

原始惑星系円盤の分子輝線観測:

 電波望遠鏡の発達により、近年、円盤内のガスを直接観測できるようになった。これによって、円盤の構造や進化をより詳細に調べることができると考えられる。

 まず第一に、円盤内のガスの質量や分布が求められる。円盤の質量は、惑星系の形成過程を決める最も基本的な物理量の一つである。また、様々な年齢の円盤でガスの分布を調べれば、ガス成分の散逸過程や時期を解明できる。ガス成分の散逸は、木星型惑星の形成時期を制約する重要なプロセスである。

 しかし、観測では、ガスの主成分である水素分子を直接とらえることはできない。円盤の中は低温で、水素分子が励起されないからである。そこで、代わりに一酸化炭素分子などの輝線をはかり、分子組成比を仮定することによってガス全体の質量を推定するのである。よって、分子の存在比を理論的に求めておくことが、分子輝線観測を行う上で必要不可欠なのである。

 本研究では、106年よりも若い円盤のT>20Kの領域(R<100AU)では、一酸化炭素と水素の存在比が10-4となることがわかった。また、106年より古い円盤においてもT>70K(R<10AU)の領域では同様の存在比となることがわかった。よってこれらの領域では、一酸化炭素分子の観測によって、ガス成分の存在量と散逸過程を明らかにすることができる。

 一方、一酸化炭素以外の分子は、ダストへの吸着によって気相での存在量が減少しやすいので、円盤ガスの存在量の推定には適さない。しかし、分子はそれぞれ固有の昇華温度に相当する領域で昇華し、存在量が大きく変化する。よって、高空間分解能の観測を行えば、各分子の昇華領域をとらえ、円盤の温度分布を詳細に決めることができる。

 さらに、蒸発した分子はその後、中心星に降着しながら、化学反応によって存在量が減少する。よって、円盤内でこれらの分子が豊富に存在する領域の大きさは、質量降着の速度と化学反応の時間スケールで決まると考えられる。すなわち、分子の分布を詳細に調べれば、円盤の質量降着率を求めることができる。

まとめ

 原始惑星系円盤の分子組成進化を、化学反応ネットワークを解くという手法で、初めて時間依存的に求めた。その結果、半径10AU以遠では、宇宙線によって誘発されたイオン分子反応とダスト上での氷マントルの形成が主な反応経路となり、星間雲からとりこまれた一酸化炭素や窒素分子から、二酸化炭素やアンモニアが生成されることが分かった。従来の研究では、宇宙線や氷マントル形成の効果は全く考慮されていなかった。本研究で得られた分子組成は、従来のモデルでは説明できていなかった彗星の分子組成の特長も再現している。また本研究は、円盤の分子輝線観測から円盤のガス質量を求めるための条件を示し、さらに、分子の分布から円盤の温度分布や質量降着率が求められることを明らかにした。

審査要旨

 本論文は、惑星系の母胎である原始惑星系円盤における分子組成進化について述べている。円盤内で起こる化学反応のネットワークを数値的に解くことにより、円盤内の非平衡な分子組成進化を、初期値問題として時間依存的に明らかにした。本論文では、従来の研究では考慮されていなかった、宇宙線による円盤ガスのイオン化や、氷マントルの形成を採り入れている。そして、これらが分子組成進化に重要な影響を及ぼすことを示した。本論文で得られた円盤の分子組成は、太陽系始源天体である彗星の分子組成の特徴を再現している。また、観測で得られている原始惑星系円盤の分子輝線強度の説明にも成功している。

 本論文は5章から成り立っている。

 第一章は、研究の背景と目的について述べられている。

 惑星系は生まれたばかりの星を取り巻く原始惑星系円盤の中で形成されたと考えられている。円盤の分子組成についての研究は、惑星形成の物質科学的な初期条件を与えるという意味で重要である。また近年、若い星のまわりの原始惑星系円盤を分子輝線で観測することが可能となってきた。円盤の分子組成についての知見は、分子輝線による観測から円盤の構造と進化を読み取るためにも必要不可欠である。

 第二章は、円盤モデルと化学反応ネットワークについて述べられている。可視、紫外域での観測から原始惑星系円盤は降着円盤であることが示唆されているので、本論文では、標準的な定常降着円盤モデルを採用している。円盤内は温度も密度も低いので、系の力学的な時間スケールでは化学平衡は達成されないと考えられる。そこで、化学反応ネットワークを解くという手法によって化学的に非平衡な系の進化を時間依存的に解いていることも、本論文の優れた点である。化学反応については、円盤内で起こり得るであろう約2300個の反応を考慮している。特に円盤内でのイオン-分子反応を考慮したのは本論文の新しい点である。円盤の分子組成に関する従来の研究は、円盤ガスが中性であると仮定し、中性反応しか考慮していなかった。しかし、実際には円盤内のガスは宇宙線等によって一部イオン化される。低温において、イオン-分子反応は中性反応よりも反応率が高い。よって原始惑星系円盤における分子組成進化を考察するにあたって、イオン-分子反応の効果を取り入れることは、本質的に重要である。

 第三章では、数値計算で得られた分子組成の進化と分布について述べられている。原始惑星系円盤の分子組成進化には、従来の研究では考慮されていなかった、宇宙線によるイオン化が重要な役割を果たすことが示されている。例えば、従来の研究では中性反応しか考慮されていなかったため、一酸化炭素をメタンに変えることは困難であった。しかし宇宙線によるイオン化を考慮すると、イオンと一酸化炭素との反応がきっかけとなって、メタンが生成される。また、メタンは一酸化炭素よりも揮発性が低いため、ダスト表面に形成される氷マントルにはメタンが蓄積される。これは、氷マントルの形成までも反応ネットワークに採り入れた本論文によって初めて明らかにされた効果である。さらに、円盤内の物質が中心星に向かって降着し、より温度の高い領域に到達すると、氷マントルが昇華する。昇華した分子は気相での反応により、アセチレンなどのより揮発性の低い分子に変換されて再び氷マントルに取り込まれる。こうして円盤の内側の領域では、揮発性の低い分子の存在量が大きくなる。

 第四章では、宇宙線照射量やダストサイズの変化が分子組成進化に及ぼす影響等が議論されている。

 第五章では、太陽系始源天体である彗星や原始惑星系円盤の観測結果と理論計算との比較が行なわれている。彗星の組成の特長の一つは、酸化的な分子と還元的な分子が混在することである。原始惑星系円盤の化学組成に関する従来の理論では、この混在をうまく説明できていなかったのに対し、本論文で得られた氷マントルの分子組成はまさにこの性質を再現している。また、本論文によれば、円盤内では温度分布を反映して半径ごとに様々な組成の氷が形成されると考えられる。これは、観測されている個々の彗星の分子組成の差異が、それぞれの形成領域の違いを示していることを示唆する。

 審査会においては、反応率の不定性が結果におよぼす影響について質問がでたが、主な反応については反応率が実験等でよく調べられており、論文に特記された以外は特に問題ないことが判明した。

 円盤と分子雲での分子進化の違い、軌道進化から見た彗星の起源などについての質問にも、論文提出者は的確な回答を行なった。

 なお、本論文は国立天文台の観山正見教授、中野武宣教授、山形大学の梅林豊治助教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって計算、解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って博士(理学)の学位を授与できると認める。

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