学位論文要旨



No 113235
著者(漢字) 市原,美恵
著者(英字)
著者(カナ) イチハラ,ミエ
標題(和) 気泡を含む粘弾性流体の力学 : マグマのダイナミクスへの応用
標題(洋)
報告番号 113235
報告番号 甲13235
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3381号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浜野,洋三
 東京大学 教授 木村,龍治
 東京大学 助教授 小屋口,剛博
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 井田,喜明
内容要旨

 マグマ中の気泡の膨張収縮運動や、気泡を含むマグマの弾性的性質を定量的に記述する理論は、噴火や微動などの火山活動をモデル化する上で非常に重要なものである。しかしながら、気泡の運動に関するこれまでの研究は、水のような低粘性の流体に集中しており、マグマのような高粘性の流体を対象とした理論や実験はほとんどない。本研究では、まず、既存の気泡力学の理論が高粘性の流体にも適用できるかどうかを検証するために、水の100万倍の粘性を持つシリコンオイルに気泡を混入してその挙動を調べる実験を行なった。その実験結果は、従来の理論の粘性係数を合わせただけでは、説明のできないものであった。本研究の目的は、流体の粘性の効果に注目して低粘性の気泡力学の理論を見直し、実験に用いたシリコンオイルを含めて、マグマのような高粘性の流体中の気泡や気泡群の挙動を記述する理論を構築することである。

 一般に高粘性の流体には、弾性変形をする要素がある。この特性を、流体の粘弾性を表す最も簡単なモデルであるMaxwellの粘弾性モデルによって表現する。Maxwell型の剛性を持つ、非圧縮粘弾性流体中の気泡の膨張収縮運動は、Fogler&Goddard[1970]、Yoo&Han[1982]などによって定式化され解析されている。本論文では、更に流体の圧縮性の効果を採り入れて、気泡半径の変化を記述する以下の方程式を提示する。

 

 R、Pg、Pinはそれぞれ、気泡半径、気泡内圧力、入射波を含む液体中の圧力である。rrはずれ応力であり、流体の変形との関係をMaxwellの構成則によって与える。関与する物性パラメータは、液体密度、流体中の縦波速度c、表面張力係数、そして、Maxwell要素の特性を決める剛性率と剛性の緩和時間である。式(1)及び、波動方程式を用いた直接計算法によって、気泡の固有振動数を計算した結果、流体の弾性的性質に支配的された振動モードに対する圧縮性の重要性が示され、本方程式の意義が確認された。

 1000Pasのシリコンオイルに気泡を一つ入れ、衝撃波を当てた時の気泡周辺の液体圧力を圧力センサーで、気泡半径を高速度ビデオで測定した。結果を、図1abに示す。同図bの実線と破線は、シリコンオイルを、粘性率1000Pas及び30PasのNewton流体と仮定し、従来の方程式を用いて気泡半径の応答を計算したものである。低い粘性率を用いると、初期の応答は合わせられるが、全体の振幅の大きさや形は違ったものとなる。一方、シリコンオイルを、適当な剛性率と緩和時間を持つMaxwell粘弾性流体と仮定し、今回得られた方程式を用いて計算し直すと、実験結果がよく再現された(図2)。実際のシリコンオイルは、Maxwellモデルよりも複雑な特性を持つ粘弾性流体であり、物性値を特定するには到らなかったが、気泡半径の変化に、流体の粘弾性が重要であることが示された。

 単一気泡の膨張収縮運動が、流体の粘性や弾性に支配されている時、多数の気泡を含む流体中の弾性波伝播特性にも、その影響が現れる。気泡流中の弾性波の分散関係を与える理論式に、従来の理論では正しく表現されていなかった、粘性や粘弾性の効果を採り入れ、その影響について評価した。また、シリコンオイルに多数の気泡を混入して実験を行ない、その中の弾性波の伝播が流体の粘弾性に支配されることを確認した。

 マグマもMaxwellモデルに近い特性を持つ粘弾性流体である。本論文の理論を、以下の3つの問題に適用する。

 第1に、マグマの音速について考える。気泡を含む流体中の音速や減衰は、一般に、気泡変形の時間スケールと相関のある、強い周波数依存性を示す。マグマの粘弾性パラメータの範囲では、粘性流動の時間スケールに対応するある値以下の周波数を持つ波に対して、伝播速度の顕著な低下が見られる。この場合、臨界的な周波数は、粘性率の逆数と圧力に比例し、気泡半径には依存しない。また、気泡の影響は低圧下ほど顕著で、音速の低下率、減衰率ともに大きくなる。このようなことは、従来のモデルの中でも考察されていたが、本研究により、定量的な予測が可能となった。地震学的に重要な、1Hz前後の波に注目すると、気泡の混入によって伝播速度が低下する可能性のあるのは、玄武岩質や安山岩質の比較的低粘性のマグマに限られると推定される。

 低周波でスペクトルに固有のピークを持つ火山特有の地震の中には、気泡を含むことで音速の低下したマグマの固有振動によって生じるとされているものがある。第2の応用として、高粘性気泡流中の音波が示す周波数依存性を考慮した上で、気泡を含むマグマの固有振動について再考する。粘性の増加につれて、高周波のものから順に固有モードが消えていく(図3a)。また、圧力が下がると、固有周波数が低周波側に移動し、また、ピークは弱くなる(図3b)。これは、気泡流の音速が低圧下でより小さくなり、減衰が大きくなることを反映している。気泡を含んだマグマの音速が低下する臨界周波数は、低周波の固有振動を起こすことが出来るかどうかの判定基準としても利用できる。マグマの状態に応じて固有振動数が変化し消長する特性は、実際の火山現象においても重要であると考えられる。

 爆発的な噴火の際には、急激な減圧により、気泡周辺に弾性応力が蓄積し、マグマが固体的に破壊される場合があると考えられている。第3に、粘弾性を考慮した気泡半径の変化を記述する方程式(1)を適用して、この問題を考える。低粘性のマグマの場合には、慣性による変形の遅れよりも、弾性応力の緩和時間の方が短いため、応力の蓄積は起こらない。従って、そのようなマグマにおいては、上に述べたような破壊のプロセスは発生しないと示唆される。

図1.シリコンオイルを用いた単一気泡の実験結果。(a)液体に加えた圧力変化。(b)気泡半径の応答の測定値と、ニュートン流体中の気泡に対する従来の理論を適用した計算の比較。図2.粘弾性を考慮した方程式による計算(実線)と実験(マーカ)の比較。シリコンオイルを、剛性率450kPa、緩和時間1.33msecのMaxwell粘弾性流体と仮定した。図3.気泡を含むマグマの固有振動数の、(a)粘性率依存性。(b)圧力依存性。
審査要旨

 マグマの中での気泡の発生や運動は火山活動の原動力となる。気泡はマグマの密度を小さくして上昇を駆動し、地表への噴出や流出の原動力を与え、圧縮性を高くしてマグマの移動の際等に火山特有の振動(火山性微動)を発生させる。これらのマグマ中の気泡の膨張収縮運動は、マグマの粘性等の物性に強く支配されるが、これまでの火山学での気泡の振るまいの取り扱いは、主として低い粘性の液体を対象とする気泡力学の理論が利用されており、マグマのような高粘性流体を対象とした実験や研究はほとんどなかった。高粘性流体ではずれ応力に対して弾性的な性質を持つことが知られているが、この性質が気泡の運動に大きな影響を与えることが考えられる。本論文では、高粘性の流体で重要となる流体の粘弾性的な性質を考慮し、気泡を含む粘弾性流体中の音波の伝搬と減衰、気泡の膨張収縮運動を記述する新しい理論式を導きだし、さらに実験的な研究を行って理論的に導かれた方程式系の妥当性を検討し、火山現象を理解するためのマグマ中の気泡の挙動について重要な知見を得ている。

 本論文は6章から構成される。第1章は序論であり、本研究の目的と従来の粘性流体中の気泡の膨張収縮運動及び気泡を含む流体中の音波の伝播に関する研究をまとめ、さらに本論文の概要を説明している。第2章では気泡を含む粘弾性流体中の音波の伝播を記述する方程式を導いている。高粘性の流体を扱うために、本論文では高粘性流体が一般に持っていると考えられる粘弾性の効果を取り込み、さらに波動場に働くずれ応力を考慮に入れて、気泡を含む流体の実効的な物性(体積弾性率、剛性率、密度)の表現を得ている。さらに、これらの実効的な物性を用いて、気泡流中の音波の分散関係を計算し、その特徴をまとめている。ここで得られた音波の位相速度と減衰の周波数依存性は、物性や気泡半径によって決まる特定の周波数を境に変化する。これらの周波数や位相速度のパラメーター依存性は、マグマだまりの固有振動等の具体的な問題を定量的に評価する上で重要なものである。

 第3章では粘弾性流体中の単一気泡の圧力変化に応答する膨張収縮運動についての、気泡半径の時間変化を与える常微分方程式を導いている。本研究の特徴は流体の圧縮性と粘弾性的な性質(特に剛性率)の両方を考慮していることである。導出された方程式の妥当性を調べるため、この方程式から気泡の固有振動数を計算し、波動方程式を直接解いて得られる厳密解と比較することにより、流体の弾性的性質に支配された振動モードに対する圧縮性の重要性が確かめられ、導かれた方程式の意義が確認されている。

 第4章では、上記の理論を検証するため、高粘性のシリコンオイルを用いた実験を行っている。単一気泡及び気泡群を含む流体中の圧力波の伝播を調べ、その伝播に伴う気泡の半径の変化を実測している。気泡半径の変化は従来のNewton流体の理論から期待されるものとは大きく異なり、圧力波の到達とともに速やかに収縮する性質や、その後の気泡半径の振動が観測される。これらの気泡の挙動は、シリコンオイルが適当な剛性率と緩和時間を持つ粘弾性流体であるとして、第3章で導かれた方程式を用いて計算することによって良く再現され、本研究で構築された理論の妥当性を立証している。また、シリコンオイルに多数の気泡を混入して実験を行うことによって、その中の圧力波の伝播が粘弾性に支配されることも確認している。

 第5章では本研究で得られた理論を実際のマグマに適用し、現実に観測される火山現象やマグマの物性について、考察している。マグマ中を伝わる音波の速度と減衰は、含まれる気泡の半径やその変形の時間スケールに依存して強い周波数依存性を示す。また、火山性の地震には低周波のスペクトルにピークを持つものが知られており、それは気泡を含むマグマの固有振動によるものであると考えられている。本研究で導かれた理論式は、このような火山現象の定量的な評価や予測を可能とするものである。第6章はまとめの章であり、本論文の理論的な改善点、実験により得られた知見、火山学上の意義について、簡潔にまとめられている。

 以上述べてきたように、本論文は高粘性流体中の気泡の挙動、及び気泡群を含む高粘性流体中の音波の伝播、について流体の圧縮性と粘弾性的な性質の両方を考慮した理論を構築し、実験によってその妥当性を検証している。本研究で導出された理論式は、実際に観測される火山現象を気泡を含むマグマの性質として定量的に評価することを可能にしており、火山学の進展に重要な寄与をなすものである。このことから審査員一同は申請者が博士(理学)の学位を授与されるに値すると認定する。

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