学位論文要旨



No 113239
著者(漢字) 川島,高弘
著者(英字)
著者(カナ) カワシマ,タカヒロ
標題(和) 超高層大気における観測ロケット搭載型電子ビーム誘起蛍光法による窒素分子振動回転温度及び数密度の測定
標題(洋) A measurement of Vibrational-Rotational Temperature and Density of Molecular Nitrogen in the Upper Atmosphere by Rocket-Borne Electron Beam Induced Luminescence
報告番号 113239
報告番号 甲13239
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3385号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 岩上,直幹
 東京大学 教授 小川,利紘
 東京大学 教授 秋元,肇
 宇宙科学研究所 教授 小山,孝一郎
 宇宙科学研究所 教授 向井,利典
内容要旨 1研究の目的

 超高層大気中で高度100-200kmは最後に残された未解明領域と言われている。この領域は上層部では太陽極端紫外光〜紫外光による加熱によって気温は700-1000Kに保たれているが下層部ではCO2,NOなどの分子の赤外放射による冷却により気温は200K程度であり、高度方向の温度勾配が非常に急な領域として知られている。しかしこの高度領域での温度測定そのものが困難なことから、現在まで直接的な温度測定はほとんどなされていない。イオン温度と中性温度が平衡状態にあるとの仮定からIS(非干渉散乱)レーダーにより測定されたイオン温度から中性大気の温度を推察する手法が従来からとられていた。また中性大気そのものの温度観測としては分子の回転-並進状態が平衡にあるとの仮定から回転温度を求めることで並進温度を推察することがなされた[Deleeuw,1974;Barth,1993]。分子の振動状態に関しては並進-振動間の緩和時間がこの高度域では103-104[s]であるため一般に振動温度と並進温度は等しくない。特にN2に関しては酸素原子の準安定状態であるO(1D)の化学エネルギーがN2の振動エネルギーに有効に受け渡され、振動温度が並進温度より高いことが提唱されている[Walker 1968]。振動励起された状態は電子と大きな衝突断面積をもつことから電離層E層領域(高度95-160km)において電子温度に大きく作用しているといわれる。また電離層電子密度を大きく左右する以下の化学反応

 

 は左辺の窒素分子の振動温度に大きく依存することが知られている。このように下部熱圏・電離圏のダイナミクスを解明する上で中性大気の80%を占める窒素分子の振動温度、回転温度を測定することは非常に重要でありながら直接測定は過去、振動温度はO’neil[1974]、回転温度はDeleeuw[1974]のみである。このため我々は振動温度、回転温度、数密度を同時に測る測定器を全く新たに開発し実際に測定することを目指した。

図1 測定器配置図
2.測定器の開発

 図1に測定器の概要を示す。測定はロケット本体から電子ビームをロケット基軸に垂直に放って周囲の大気中の窒素分子を電離励起し、放射遷移に伴う可視スペクトルを回折格子型分光器で検出することで行なわれる。通常、分子の振動回転状態を推察するには赤外-マイクロ波領域の振動回転スペクトルの放射を測定することで行なうが窒素分子は等核二原子分子で赤外不活性のため窒素分子の振動回転バンド単独では自然界には存在しない。このため電子ビームで電離同時励起し、電子準位遷移に伴う振動回転スペクトル(1st Negatvie Band,以後1NGと略)を測定する方法を用いた。1NGバンドの振動回転構造から電離前の基底状態の窒素分子の振動温度,回転温度を算出することは、電子衝撃過程で振動励起に関してはFranck-Condonの仮定、回転励起に関してはDipole励起の仮定を用いることで可能となる。これらの仮定が成り立つためには入射電子のエネルギーが十分大きいことが必要であり、低エネルギーの電子によって電離励起して生じるスペクトルから求めた振動温度は一般に実際の温度より高いことが知られている。室内実験において入射電子エネルギーが1keVであれば実際の振動温度が求められることがわかった。しかし、電子ビームによる窒素分子ガスの電離あるいは機器の表面に電子ビームが照射されることによって生じる二次電子が一次ビーム電子に混入する可能性があるため振動温度測定に際しては二次電子の存在に特に注意する必要がある。またスペクトルを解析する際の技術的な問題として搭載機器の寸法の制約から波長分解能が1nm程度の小型分光器では回転スペクトルが分離できず回転温度を求めることが困難な点がある。しかし、この問題は測定過程を再現して計算した線スペクトルに分光器の装置関数をコンボリューションすることで人工スペクトルを計算し、実験スペクトルに回転温度をパラメータとして最適フィットすることで解決した。高度100kmに相当する真空度で回転温度は10K程度の誤差で求めることが可能となった。また、人工スペクトルを計算することでスペクトル間の重なり、実験原理の妥当性なども明らかになった。過去のO’neil[1974]の測定が4チャンネルの光増倍管による測定であったことに対し、今回の測定は分光器とイメージセンサーによってスペクトルイメージを検出し2次電子の影響、スペクトル間の重なりを考慮した点が改善されている。

3.観測結果

 開発された測定器は観測ロケットS-310-24号機に搭載され、日本時間で1996年2月11日20:00に鹿児島宇宙空間観測所(31.1°N,131.3°E)から打ち上げられた。このとき、太陽活動度を示す太陽電波束F10.7は68.2[10-22Wm-2Hz-1]でほぼ極小期であった。観測は上昇時は高度100-160km、下降時は高度90-150kmにわたって行なわれた。図2に1NG(0,1)bandと1NG(1,2)bandの観測スペクトルと最適フィットした人工スペクトルを示す。

図2 観測スペクトル(実線)と計算スペクトル(点線)

 回転温度は220K、振動温度は600K以下と決定された。高度は105km±3kmである。図3にロケット上昇時の窒素分子の数密度の高度プロファイルを示す。太線が観測結果、細線が標準中性大気モデルMSIS86による窒素分子の数密度である。高度110km以下では数密度は衝撃波の影響を受けてMSIS86モデルより大きな値を示した。高度110km以上では全体的にMSIS86モデルより高度方向の数密度減少の傾きが緩やかである。数密度はexp(-z/H)(ただしH:スケールハイト)に比例し、Hが温度に比例するのでこの高度領域で温度がMSISより高いことが予想される。図4にロケット上昇時に観測された回転温度の高度プロファイルを示す。実線は1NG(0,0)bandから点線は1NG(0,1)bandから求めた温度である。細実線がMSIS86より求めた並進温度である。窒素分子は観測高度領域では急激に密度が低下し、観測高度が上がるにつれスペクトルのSN比が落ちるため温度のばらつきも大きくなる。2つのバンドから求めた回転温度は高度100-120kmでは一致するためこの高度域の回転温度は信頼がおける。一方、高度120km以上では2つのバンドの回転温度が解離しはじめる。1NG(0,1)バンドに較べ1NG(0,0)の強度の方が3倍大きいため1NG(0,0)バンドによる温度が本来の温度に近い。1NG(0,0)バンドの温度は100-140kmにおいてMSISより高いが、このことは数密度観測とつじつまが合う。また1NG(0,0)バンドの温度は緩やかな波状構造がみられ、鉛直波長は51kmであり、潮汐波のS(2,4)モードの鉛直波長53kmに近い。温度振幅は80K近くに達した。MSIS86モデルが平均的な大気の描像であり潮汐波、重力波のような短時間スケールの現象を考慮に入れておらず、波動にともなう5-10m/s程度の鉛直風による断熱圧縮膨張効果、熱移流効果を考慮すれば本観測にみられるような大きな温度変動は不可能ではない。最後に振動温度観測結果について述べる。高度100-110kmにおいて二次電子が数多く生成され、振動温度測定に影響を及ぼした。しかし、二次電子の生成は低エネルギー電子に大きな発光断面積をもつN22nd Postitive Band(N2C3u→N2B3g)が現れることで推定できる。このため、2nd Positive Bandが現れているスペクトルを除外して振動温度を決定した。図5に過去の振動温度の理論的な計算に加え、O’neil[1974)による振動温度上限と今回の測定によって得られた振動温度を示す。振動温度は800K以下ではほとんど振動励起されないこと、高高度でのスペクトルのSN比が小さかったことから上限値を与えるにとどまった。しかし、80年代以降の振動温度の計算結果はすべて今回の上限値以下であるため、今までの振動温度の議論と今回の観測が矛盾しないことがわかった。本測定から太陽活動度極小期の夜間においては振動励起はあまりなされておらず、振動励起窒素分子が電離層に与える影響は小さいであろうと考えられる。

図3 数密度観測結果(上昇時)太実線が観測値、細実線がMSIS86の値。図4 回転温度観測結果(上昇時)実線が1NG(0,0)bandから求めた温度、点線が1NG(0,1)bandから求めた温度。細実線がMSIS86の値。図5 S-310-24による振動温度観測結果(破線)と過去の振動温度観測および計算結果(Kummler et al.1972から引用)。
引用文献Barth,C.A.,and F.G.Epavier, A method of measuring the temperature of the lower thermosphere,J.Geophys.Res.,98,A6,9437-9441,1993.Deleeuw,J.H.,and W.E.R.Davies,Measurement of temperature and density in the upper atomosphere using an elecron beam,Can.J.Phys.,50,1044-1051,1972.Kummler,R.H.,and M.H.Bortner,Vibrational temperature in the E and F regions,Space Res.XII,711-719,1972.O’neil,R.R.,W.R.Pendleton Jr.,A.M.Hart,and A.T.Stair,Jr.,Vibrational temperature and molecular density of thermospheric nitrogen measured by rocket-borne electron beam induced luminescence,J.Geophys.Res.,79,13,1942-1957,1974.Walker,C.G.,Electron and nitrogen vibrational temperature in the E-region of the ionosphere,Planet.Space.Sci.,16,321-327,1968.
審査要旨

 高度100km-200kmに位置する下部熱圏は太陽極端紫外光による加熱と二酸化炭素・一酸化窒素などの赤外活性分子による放射冷却の両作用のため、1000度K以上にもおよぶ大きな温度勾配が存在する興味ある領域である。しかし、この高度域における気温測定には良い直接測定法がなく、熱収支に関しては多くの問題が残されている。そのひとつが窒素分子の振動励起状態の役割であり、周囲の電子を加熱するなど重要な働きをしているという主張もあるが、未だにその真偽は確かめられていない。本論文は飛翔するロケット上で窒素分子の回転温度を測定して中性温度を決定する新しい方法を開発し、あわせて振動温度および数密度を測定して、前述の問題に答えようとする実験的研究を記述している。

 本論文は要旨と結論のほか6章より成っている。第1章は本研究の背景をまとめたものであり、下部熱圏領域における大気の熱収支および窒素分子振動温度に関する議論を含むこれまでの研究を概観している。第2章はロケット実験に応用しようとする測定原理の吟味であり、電子衝撃による窒素分子の励起、フランク・コンドン原理に基づく振動温度・回転温度の決定方法について記述している。第3章は実験室内の真空チェンバーを用いた測定方法の検証であり、衝撃に用いる電子の加速電圧を吟味し、測定の妨げになる2次電子励起の対策を検討し、振動温度・回転温度がどのような誤差を伴って定量されるかを議論している。第4章は実際のロケット実験用測器の開発過程で、まず各部分の構造・機能を詳述し、それらの真空チェンバーにおける入念な較正結果から、この測器が飛翔中のロケット上という特殊環境中においても、期待する機能を充分に発揮しうるものであることを確かめている。さらに衝撃波に関しては風洞実験も行ない、測器形状が目的に沿ったものであることを確認している。第5章はロケット実験の経過およびそこで得られたデータの解析の記述であり、窒素分子の振動・回転温度および数密度に関して得られた結果をまとめている。回転温度と数密度に関しては、これまでの平均値的描像を越える大きな変動が見いだされた。ただし、振動温度に関しては残念ながらランダム誤差が予想を上回り、上限値を与えるにとどまった。第6章は得られた結果に関する議論で、ロケットの超音速運動に伴う衝撃波によるデータ擾乱の吟味にはじまり、高度140km付近に観測された電離中間層と呼ばれる構造に関して、得られた回転温度および大気密度の高度分布が大気潮汐のような波動現象として整合的に理解できることを示した。このように著者は測器の製作にもその初期段階から携わり、執拗な室内実験によってその性能を確認し、ただ一度のロケット実験で良質なデータを得る幸運にも恵まれ、得られたデータの詳細な解析により、これまでほとんど実験的には知られていなかった下部熱圏の大気運動および熱収支に関する貴重な知見を得、この分野に新しい展望を拓くことに成功した。

 なお本論文の第3章-第6章は小山孝一郎等との共同研究として既に公表されているが、いずれの場合もその大部分が著者の創意・工夫と努力によるものと判断する。

 以上に示したように、著者は超高層大気の物理化学的研究の進展に輝ける貢献を為しており、提出論文は博士(理学)の学位請求論文として合格と認める。

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