プレートテクトニクスにおける最も基本的な過程の一つである、海洋プレートの沈み込みは、いわゆる海溝-島弧-背弧系において地震・火山活動を始めとするさまざまな地学現象を引き起こしている。本論文は、特に、沈み込みの力学的な効果による島弧の隆起運動と、それが沈み込み帯の熱的構造に与える影響を定量的に求めようとしたものである。このために、論文提出者は、沈み込み帯におけるプレート間相互作用を変位の食い違い運動として表現し、そこに新しい数学的手法を導入することによって、島弧のリソスフェア及びアセノスフェアの内部変形速度場を計算している。さらに、その変形速度場によって温度構造がどのように変わるかを評価している。 本論文は5章及びAppendixからなり、以下のような構成になっている。第1章では、プレート沈み込みによる力学的な作用(島弧地殻の変形)及び沈み込み帯の熱的構造について、過去になされた研究をふりかえるとともに、この両者は密接な相互作用をしているにも関らず、従来は別々に取り扱われてきたことを指摘し、本論文の研究目的を示している。 第2章では、モデルの設定とその数学的取り扱いについて述べている。モデルとしては、弾性的リソスフェアと粘弾性的アセノスフェアから成る2層構造を仮定し、海洋プレートの沈み込み運動をプレート境界面での変位の食い違いによって表現している。同様なモデルにより、既に地表変位は計算されているが、本論文では、変位ポテンシャルの新たな表現を導入することにより、数値計算上の不安定を回避して内部変形場を計算することに成功した。また、アセノスフェアが十分に粘性緩和した後の粘弾性解は、対応する弾性問題でアセノスフェアの剛性率を0とした解と厳密に一致することも明らかにしている。なお、この章の数学的な部分の詳細は、Appendixに記述されている。 第3章では、上記のモデルに基づいて、海洋プレートの定常的な沈み込みに伴う内部変形速度場を求めている。島弧リソスフェアの変形は、大局的には弾性板のたわみ変形であり、一般に海溝周辺で沈降、それより陸側で隆起となり、歪み速度もそれに応じた分布をすることが示されている。また、この変形は、リソスフェアの厚さとリソスフェア内のプレート境界形状によって規定されることを示し、平均的な沈み込み角が同じであっても、プレート境界の曲率によって大きく異なる変動場が生じ得ることを指摘している。島弧下のアセノスフェアにおいては、リソスフェアの隆起を補償するために上昇運動が生じることが示されたが、これは、従来考えられてきた海洋プレートの沈み込みに引きずられる流れと対立するもので、興味深い現象である。 第4章では、第3章で求められた変形速度場を熱伝導方程式の移流項として用いることにより、プレート沈み込みによる力学的作用の効果を直接的に取り入れた熱的構造モデルを構築している。その結果、海洋プレートの沈み込みに伴う島弧のリソスフェア及びアセノスフェアの上昇運動により、島弧下の温度場が時間と共に上昇することが示された。島弧のリソスフェア自身が変形・運動することによって温度構造に本質的な影響を及ぼしているという指摘は、従来の沈み込み帯における熱構造の研究にはなかったものである。 第5章では、第3、4章で得られた結果と実際の観測値の比較を、主に日本列島を対象として行っている。まず、リソスフェアの変形速度場については、モデルによる計算結果が海成段丘面の隆起速度や重力異常、応力場などと調和的であることを示している。島弧下のアセノスフェア内の流れ場については、従来考えられてきた流れとのメカニズムの違いを述べ、本論文で示した上昇流の重要性は、沈み込む海洋プレートとの境界面における力学的カップリングの強さに依存することを主張している。島弧における熱流量に関しては、計算結果の大局的なパターンが観測値と一致することに加えて、熱流量と標高によい相関があることを示している。この結果は、隆起・侵食作用が島弧下の温度構造に大きく影響していることを明らかにした、という点で意義深い。 以上のように本論文は、新たな計算手法の開発によって、海洋プレートの沈み込みによる島弧-海溝系の内部変形速度場を求めるとともに、得られた変形速度場を熱伝導方程式の移流項として用いることにより、沈み込みの力学的作用と熱的構造とをカップルさせたモデルを構築したものである。理想化された沈み込み帯において、力学的作用によってどのような現象が起こるべきであるかを明らかにした業績は大きく、地球惑星物理学、特に沈み込み帯のダイナミクス研究の進歩に貢献するものである。 よって、本審査委員会は全員一致で、本論文により博士(理学)の学位を授与できるものと認める。 |