学位論文要旨



No 113243
著者(漢字) 深畑,幸俊
著者(英字)
著者(カナ) フカハタ,ユキトシ
標題(和) プレートの沈み込みに伴うリソスフェア-アセノスフェアの内部変形運動と島弧の熱的構造
標題(洋) Deformation of the Litosphere-Asthenosphere System Due to Plate Subduction and Its Effects on Thermal Structure in Island Arcs
報告番号 113243
報告番号 甲13243
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3389号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山野,誠
 東京大学 教授 井田,喜明
 東京大学 教授 松浦,充宏
 東京大学 助教授 阿部,豊
 東京大学 助教授 加藤,照之
内容要旨 はじめに

 海洋プレートの沈み込みは、その力学的な効果により、島弧の隆起運動を引き起こす。島弧の隆起と侵食は、熱伝導方程式の立場から見ると移流の効果に相当し、沈み込み帯の熱的構造に大きな影響を与えることが予想される。しかしながら、島弧リソスフェア内部でどのような変形運動が進行しているのかは、これまで良く分かっていなかった。また、アセノスフェア内の運動についても、マントル・ウェッジにプレートの沈み込みに伴う引きずり込み流が生ずるという考えと、沈み込んだスラブから軽い物質が供給されることによりそれとは逆向きの流れが生ずるという考えがあり、まだ決着がついていない。本研究では、沈み込み帯におけるプレート間相互作用を変位の食い違い運動として表現することにより、海洋プレートの沈み込みに伴う島弧のリソスフェア及びアセノスフェアの内部変形速度場を明らかにした。更に、得られた変形速度場を移流場として熱伝導方程式とカップルさせ、沈み込み帯の熱的構造を明らかにした。

プレート沈み込みモデルと計算手法

 まず、重力場の下にある弾性的リソスフェアと粘弾性的アセノスフェアから成る2層構造モデルを考える。海洋プレートの沈み込み運動は、本質的には陸側プレートと海側プレートとの相対運動とみなせるので、両者の境界面に変位の食い違い運動を与えることにより、その相互作用を表現する。同様なプレート沈み込みモデルを用いてMatsu’ura & Sato(1989)及びSato & Matsu’ura(1993)は地表面での変位場を求めているが、内部変形場については、数値計算上の不安定が生ずるため、安定な解を求めることができなかった。本研究では、これまで用いられていた変位ポテンシャルのフォーワードな表現に加え、変位ポテンシャルのバックワードな表現(0zH)

 

 を新たに導入することにより、食い違い源より深い所でも内部変形場を安定に計算できるよう再定式化を行った。これにより、プレートの沈み込みに伴うリソスフェア-アセノスフェア内の変形速度場が計算できるようになった。また、ここで問題とする時間無限大の粘弾性解は、粘弾性層の剛性率をゼロにもっていった解、すなわち、対応する弾性問題で基盤層の剛性率をゼロにもっていった解と厳密に一致することが分かった。この等価原理により、面倒な粘弾性計算を経ずに定常的な変形速度場を得ることが可能となった。

結果(1)リソスフェアの変形速度場:

 海洋プレートの定常的な沈み込み運動によって生じる変形速度場を図1(a)及び(b)に示す。(b)の陸側ブロックの速度ベクトルを20倍に拡大したものが(a)である。島弧リソスフェアの変形は、一般にリソスフェアの厚さとリソスフェア内のプレート境界形状によって規定されるが、大局的には弾性板のたわみ変形として理解できる。島弧リソスフェアに変形が生じる原因は、次の二つである。一つは、プレート境界面が曲率を持っているため、プレート境界に沿った変位の食い違いベクトルの空間微分がゼロとならず、それが島弧を変形させる力となる。もう一つは、重力が隆起・沈降したリソスフェアを元の平衡状態に戻そうとする効果である。プレート境界近傍では、変位の食い違いによる変形をリソスフェアの弾性的な力によって支えることができるが、プレート境界から充分離れた所では、アセノスフェアの粘性緩和によって重力的平衡状態に戻ってしまうので、結果としてリソスフェア内に変形が生じる。ここで注意すべきは、リソスフェアの変形にはプレート境界面の曲率が効いているので、平均的な沈み込み角が同じであっても大きく異なる変動場が生じ得るということである。全体として、島弧リソスフェアの変形速度場は、海溝周辺で沈降、それより陸側で隆起となり、そのパターンは現実の海成段丘面の隆起速度やフリーエア重力異常あるいは島弧-海溝系の地形と調和的である。

 リソスフェアの変形運動を歪み速度場としてみると、まず、食い違いベクトルの水平方向成分の大きさの違いにより、海溝近傍の地表面付近で伸張となる。海陸プレートが収束運動をしているからといって、単純に圧縮場となるわけではない。また、弾性板のたわみ変形としての性質から、地表面付近では、変位場が上に凸の所では伸張、下に凸の所では圧縮となる。リソスフェアの上面と下面では伸張と圧縮のパターンが入れ換わり、その厚さのほぼ中央部で歪みは極小となる。

(2)アセノスフェアの変形速度場:

 図1(a)の影を付けた領域のベクトルが、アセノスフェアの変形速度場を表している。この図からアセノスフェア内に顕著な上昇運動が生じていることが分かる。同じプレート境界形状でリソスフェアの厚さを極端に薄くして計算するとリソスフェアの隆起運動は殆どゼロとなるが、その場合にはアセノスフェアの上昇運動も生じない。このことから、アセノスフェアはリソスフェアの隆起を補償するように上昇運動をすると理解できる。同様の理由により、リソスフェアの隆起速度が速い場合にはアセノスフェアの上昇速度も速く、遅い場合にはアセノスフェアの上昇速度も遅くなる。つまり、アセノスフェアの運動は、リソスフェアの隆起運動によって第一義的に規定される。ここで示したアセノスフェアの上昇流は、沈み込んだスラブから軽い物質が供給されることによる上昇流と似たパターンを示すが、完全にキネマティックな効果によって生じている点で決定的に異なる。

(3)力学的作用-熱的構造カップリングモデル:

 物体の変形運動は、熱伝導方程式の立場から見ると移流の効果に相当する。プレート沈み込みモデルから計算された変形速度場を熱伝導方程式の移流項として用いることにより、力学的作用の効果を直接的に取り入れた沈み込み帯の熱的構造モデルを構築することができる。図2は、左上図のような初期温度条件下でプレートが沈み込みを開始した後の、熱的構造の時間発展を示したものである。この図から、リソスフェア及びアセノスフェアの上昇運動によって時間と共に島弧下の温度場が大きく上昇していく様子が見てとれる。リソスフェアの隆起速度が大きいときには島弧下の温度場の上昇も大きく、それが小さいときには温度場の上昇も小さくなる。隆起速度が大きい場合には、島弧下で200℃にも達する温度上昇が生じる。また、島弧下の温度場の上昇に伴い、隆起軸を中心とした地殻熱流量の高まりも顕著になっていく。現実の島弧においても、その中央部で地殻熱流量の高まりが観測されており、図に示した計算結果はそのことと調和的である。

 島弧のリソスフェアは、安定大陸のそれと違い、マントルの熱をただ伝導で伝えているだけの単なる蓋ではなく、それ自身が変形・運動するダイナミックな存在である。そして、そのことが沈み込み帯の熱的構造に本質的に重要な影響を及ぼす。

図1: プレート境界形状を深さ30kmまで曲率半径100kmの円弧、それ以深で直線としたときの変形速度場。プレート収束速度は5cm/yr。リソスフェアーアセノスフェア境界の深さは35km。(a)は、(b)の速度ベクトルを20倍に拡大して陸側ブロックの運動を見たものである。図2: プレートの沈み込みに伴う島弧の変形運動の効果を取り入れた、沈み込み帯の熱的構造の時間発展。等温度線は200℃間隔。縦方向のスケールは3倍に拡大してある。隆起した部分は侵食によって同じ速度で削剥されるとし、プレート境界での摩擦発熱は剪断応力を深さ35kmで最大値35MPa、深さ70kmでゼロとして見積った。簡単のため内部発熱の効果は無視した。
審査要旨

 プレートテクトニクスにおける最も基本的な過程の一つである、海洋プレートの沈み込みは、いわゆる海溝-島弧-背弧系において地震・火山活動を始めとするさまざまな地学現象を引き起こしている。本論文は、特に、沈み込みの力学的な効果による島弧の隆起運動と、それが沈み込み帯の熱的構造に与える影響を定量的に求めようとしたものである。このために、論文提出者は、沈み込み帯におけるプレート間相互作用を変位の食い違い運動として表現し、そこに新しい数学的手法を導入することによって、島弧のリソスフェア及びアセノスフェアの内部変形速度場を計算している。さらに、その変形速度場によって温度構造がどのように変わるかを評価している。

 本論文は5章及びAppendixからなり、以下のような構成になっている。第1章では、プレート沈み込みによる力学的な作用(島弧地殻の変形)及び沈み込み帯の熱的構造について、過去になされた研究をふりかえるとともに、この両者は密接な相互作用をしているにも関らず、従来は別々に取り扱われてきたことを指摘し、本論文の研究目的を示している。

 第2章では、モデルの設定とその数学的取り扱いについて述べている。モデルとしては、弾性的リソスフェアと粘弾性的アセノスフェアから成る2層構造を仮定し、海洋プレートの沈み込み運動をプレート境界面での変位の食い違いによって表現している。同様なモデルにより、既に地表変位は計算されているが、本論文では、変位ポテンシャルの新たな表現を導入することにより、数値計算上の不安定を回避して内部変形場を計算することに成功した。また、アセノスフェアが十分に粘性緩和した後の粘弾性解は、対応する弾性問題でアセノスフェアの剛性率を0とした解と厳密に一致することも明らかにしている。なお、この章の数学的な部分の詳細は、Appendixに記述されている。

 第3章では、上記のモデルに基づいて、海洋プレートの定常的な沈み込みに伴う内部変形速度場を求めている。島弧リソスフェアの変形は、大局的には弾性板のたわみ変形であり、一般に海溝周辺で沈降、それより陸側で隆起となり、歪み速度もそれに応じた分布をすることが示されている。また、この変形は、リソスフェアの厚さとリソスフェア内のプレート境界形状によって規定されることを示し、平均的な沈み込み角が同じであっても、プレート境界の曲率によって大きく異なる変動場が生じ得ることを指摘している。島弧下のアセノスフェアにおいては、リソスフェアの隆起を補償するために上昇運動が生じることが示されたが、これは、従来考えられてきた海洋プレートの沈み込みに引きずられる流れと対立するもので、興味深い現象である。

 第4章では、第3章で求められた変形速度場を熱伝導方程式の移流項として用いることにより、プレート沈み込みによる力学的作用の効果を直接的に取り入れた熱的構造モデルを構築している。その結果、海洋プレートの沈み込みに伴う島弧のリソスフェア及びアセノスフェアの上昇運動により、島弧下の温度場が時間と共に上昇することが示された。島弧のリソスフェア自身が変形・運動することによって温度構造に本質的な影響を及ぼしているという指摘は、従来の沈み込み帯における熱構造の研究にはなかったものである。

 第5章では、第3、4章で得られた結果と実際の観測値の比較を、主に日本列島を対象として行っている。まず、リソスフェアの変形速度場については、モデルによる計算結果が海成段丘面の隆起速度や重力異常、応力場などと調和的であることを示している。島弧下のアセノスフェア内の流れ場については、従来考えられてきた流れとのメカニズムの違いを述べ、本論文で示した上昇流の重要性は、沈み込む海洋プレートとの境界面における力学的カップリングの強さに依存することを主張している。島弧における熱流量に関しては、計算結果の大局的なパターンが観測値と一致することに加えて、熱流量と標高によい相関があることを示している。この結果は、隆起・侵食作用が島弧下の温度構造に大きく影響していることを明らかにした、という点で意義深い。

 以上のように本論文は、新たな計算手法の開発によって、海洋プレートの沈み込みによる島弧-海溝系の内部変形速度場を求めるとともに、得られた変形速度場を熱伝導方程式の移流項として用いることにより、沈み込みの力学的作用と熱的構造とをカップルさせたモデルを構築したものである。理想化された沈み込み帯において、力学的作用によってどのような現象が起こるべきであるかを明らかにした業績は大きく、地球惑星物理学、特に沈み込み帯のダイナミクス研究の進歩に貢献するものである。

 よって、本審査委員会は全員一致で、本論文により博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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