内容要旨 | | ○ はじめに 対流は,大気・海洋・マントル・コア・マグマだまり等で生じる現象を支配する最も基礎的な物理過程である。対流運動は一般に、重力場中で密度差が流れを駆動する現象としてとらえることができる。密度差を生む原因としては温度差と組成差があるが,上下に温度差を与えた容器内でのいわゆるレーリー・ベナール対流が,最も基本的で制御しやすい対流である。この現象は,プラントル数(Pr)とレーリー数(Ra)という2つの無次元数で記述されるが,従来は高Pr数・高Ra数の領域での熱対流についてはあまり調べられてこなかった。しかし地球内部では,系の大きさ・大きな温度差のため,高粘性つまり高Pr数の流体でも大きなRa数が実現される。そこで高Pr数における高Ra数の対流について理解しておく必要がある。また,地球現象に関係する対流は多くの場合,乱流構造が組織化された大規模流という状態になっているが,大規模流の構造や形成機構についてはあまり解明されていない。 この研究では,室内実験により高Pr数・高Ra数の領域で対流パターンの観察を行った。特に大規模流と微細構造との関係に注目した。また,Ra数による対流パターンの変化が,温度境界層やプルームなどの微細構造の変化とどのように関係するかということを考察し,この領域での乱流による熱輸送形態のモデル化を行った。さらに,対流の数値計算との比較により,これらのモデル化の妥当性を検証した。 地球現象への応用として,対流場では各深さでの温度分布のヒストグラムの形が温度境界層の性質を強く反映することに着目し,マントルの各深さにおける弾性波速度偏差のヒストグラムという観点から地震波トモグラフィーの結果を見直した。 ○ 実験 長さ50cm,奥行き3cm,高さ15cmの容器の上部を冷却し下部を加熱した系で,水およびシリコンオイルを用いて対流の実験を行った。感温液晶のマイクロカプセルを液体中に分散させることで,対流の温度場と速度場を可視化した。同時にサーミスタにより数点での温度変動を計測した。その結果,従来,水(Pr=5)や気体(Pr=1)で観察されていた高Ra数における大規模流は,Pr=100でも形成されることを確認した。ただし大規模流への遷移のRa数はPr=5よりも一桁大きいことがわかった(図1,図2)。 図1 Ra数・Pr数と対流パターンの実験結果図2 Ra数と対流パターンのアスペクト比との関係 大規模流のない乱流状態での対流パターンは,プルーム同士の合体により特徴づけられる。 高Ra数では,温度境界層が薄くなることに対応して,発生する個々のプルームは小さくなり,上昇・下降の途中で熱拡散により消滅するようになる。大規模流は,個々のプルームの移動距離が系の大きさに比べて十分短くなった状況で形成される。そして大規模流では、温度境界層・プルーム・平均水平流というそれぞれの長さスケールを持った3つの階層構造が明確に観察される。大規模流の上昇域・下降域は幅広く,垂直流速は小さい。 対流場において,その各深さに設置したサーミスタで計測した温度の時系列のヒストグラムは,温度境界層とプルームとの関係を反映して,深さ応じて特徴的な形(温度幅・高温と低温の非対称性)をとることがわかった。 ○ モデル化 まず,従来からよく使われている熱対流の境界層理論の拡張を行った。対流場の上下の境界付近に形成される速度境界層と温度境界層の厚さをPr数を用いて結びつけることで,対流現象のPr数依存性について明快な説明を与えた。この考えにより,高Ra数の領域での対流による熱輸送効率のRa数依存性が小さくなるという測定結果も説明できる。 さらに,実験で観察された定常流・非定常流・乱流・大規模流という対流パターンのRa数による変化の本質が何か,ということを考察した。その内容は次の通りである。長さの基本単位として温度境界層の厚さを考える。これはRa数とともに減少する。温度境界層から,その厚さ程度のサイズのプルームが発生する。高Pr数においてはプルームはストークス速度で移動するとしてよい。高Ra数ほどプルームは小さくなるので,熱拡散により移動途中で消滅するようになる。つまりプルームの移動距離はRa数とともに減少し,このことが対流パターンの定常流から乱流さらに大規模流へという変化の本質であると考えられる(図3参照dは対流層の厚さを,lplはプルームの移動距離を表す)。そして大規模流は,個々のプルームが消滅する状況において熱を垂直方向に運ぶための対流形態としてとらえることができる。 図3 Ra数,Pr数と対流パターンとの関係従来の研究で知られていた領域とこの研究で明らかになった領域とを合わせた図。Ratrの線は対流場での温度境界層と速度境界層の間の厚さの関係から引くことができる。斜線部は対流現象がPr数に依存しない領域を示す。この領域では対流はRa数のみに依存し,パターンの変化は温度境界層から発生したプルームの移動距離lplと層の厚さdとの比較により説明できる。 大規模流のある状況では,個々のプルームの運動を集団的に扱うことにより,実効的熱拡散率を定義できる。すると,この実効拡散率のため実効的Ra数は低下することになり,パターンが定常的であることが説明できる。また,大規模流にとってはプルームによる熱の供給は熱流束固定の条件に相当し,この条件での低Ra数の対流の結果を使うことで,大規模流で観察される横長の定常パターンと平均流速が説明可能である。 ○ 計算 Pr数が無限大の,つまり運動方程式が慣性項を含まない方程式系で,実験と同様の境界条件での熱対流の数値計算を2次元の矩形領域で行った。そして層流・乱流などの対流パターンの遷移については,高Pr数の実験と同様の結果が得られた。よって,実験で観察されるパターンにおいても,対流運動に慣性項は寄与していないと考えられる。これは前述の熱拡散を基本とする対流現象のモデル化の正当性を保証する。 さらに,実験的には正確な測定が困難な温度場と速度場の空間データを,数値計算によって作成した。対流場においては,各深さでの温度分布のヒストグラムは,温度境界層とプルームとの関係を反映して,深さごとに特徴的な形を持つ。実験は時間変動についてであったが,空間分布についても同様であることが確かめられた。 ○ 地震波トモグラフィーへの応用 地震波トモグラフィーという手法により,地球のマントルにおける各深さでの弾性波速度の水平不均質性が求められるようになった。マントルに見られるこのような3次元構造は,マントル対流を反映したものであると考えられている。 一方,先に述べたように,対流場においては,各深さでの温度分布のヒストグラムは深さごとに特徴的な形を持つ。これはつまり,ある瞬間での深さごとの温度の空間分布のヒストグラムから対流についての情報が引き出せるということである。 このような考えのもとで,マントルトモグラフィーの結果から,各深さでの地震波速度偏差のヒストグラムを求めてみた。さらに,ヒストグラムを特徴づける量として,分散(ヒストグラムの幅の指標)と歪度(ヒストグラムの非対称性の指標)を計算した。用いたデータは最近の高解像度のS波グローバルトモグラフィーのものである。その深さごとの結果を図4(分散の平方根)と図5(歪度)に示す。モデル間に共通する特徴として,分散はマントルの上端と下端で大きい。そして,歪度は上部マントルの上方で正(高速度=低温の方に歪む),遷移層から下部マントルにかけては0に近く(対称的),マントルの下半分では負(低速度=高温の方に歪む)となっている。これは上部冷却・下部加熱の対流で見られる各深さでの温度の分散と歪度に対応するパターンであり,速度異常が単純に温度異常を表しているとすると,マントル対流にはコアからの積極的な加熱があることを示唆する結果である。 図4 マントルの各深さでのS波速度偏差の分散の平方根図5 マントルの各深さでのS波速度偏差の歪度SKS12WM13(Liu et al.,1994)S16B30(Masters et al,1996)SAW12D(Li & Romanowicz,1996)Grand et al.(1997) このように,速度偏差のヒストグラムの形,特にここで導入した歪度はマントルダイナミクスの情報を含んだものであるので,トモグラフィーの結果に対して積極的に活用すべき統計量である。 |
審査要旨 | | 流体の様々な条件下で発生する熱対流は、空間や時間等を適当に無次元化することにより、プラントル数とレイリー数とよばれるふたつの無次元数で記述される。これらの値が相対的に小さい場合は、対流の性質がよく分かっているが、地球のマントルに想定される対流は、その両方が相当大きい値をもつと見積られており、対流の様式や熱・物質輸送の実態に、不確定な要素が多い。本博士論文は、室内実験と理論的な考察により、このような条件も含めた広い範囲で対流の性質を解明し、その結果をマントル対流に応用しようとする。 一連の研究の基礎となるのは、流体として水とシリコンオイルを用いた室内実験(第4章)である。この実験によって、レイリー数と同時にプラントル数も極めて高い領域で、対流の性質が初めて明らかになった。流れや温度の空間分布とその時間変化から、対流の様式が定常流、非定常流、乱流、大規模流と移り変わっていくことが観察され、移り変わる条件が求められた。特に、プラントル数が極めて高い領域で、大規模流の発生条件が明確に決められた。 この研究のユニークな点は、対流のそれぞれの様式について、実験で得られた流れの特徴を詳細に観察し、そこから対流の構造を生み出す物理的な素過程を解読したことである。その観察結果から、平均的な水平流、温度境界層、孤立して流体内を上昇するプリユームの三つの要素の関係によって、対流の様式が決まることが見いだされた。この洞察が、対流の本質を単純なモデルで表現する理論的な研究につながっていく(第5章)。この理論によれば、対流の様式を支配するのは、温度境界層におけるプリュームの発生と、上昇過程でのプリュームの消滅である。 レイリー数が高くなると、温度境界層が薄くなり、プリュームは小さくなって、上昇の早い段階で消滅するようになる。消滅するまでにプリュームの移動できる距離が、対流の厚さと比べて短くなるにつれて、対流は非定常流、乱流、大規模流と変化する。プラントル数は、速度境界層と温度境界層の関係を示す量であり、それが低い領域では、プリュームは周囲の物質と混合することによって消滅する。プラントル数が100程度より大きくなると、プリュームは熱拡散によって消滅し、対流の性質はレイリー数だけで決まるようになる。この条件下では、プリュームの上昇や消滅は、孤立した球のまわりの流体や熱の移動についての簡単な公式で表現され、対流の性質は、実効的な熱拡散率などの物理量によって記述できるようになる。多数のプリュームを含みながら、全体としては定常的な流れを保つ大規模流の発生は、実効的なレイリー数が小さくなることによって説明される。このようにして、実験で得られる対流の様式の多様性と変化の条件が、単純なモデルによって明快に説明された。 対流の本質に関するこの理解を更に進めるために、論文提出者は、プラントル数が無限大の条件で、対流の数値計算を行った(第6章)。この数値計算によって、室内実験で観察されたのと同様な対流のパターンが再現され、温度場と速度場の正確なデータが得られた。そのデータを用いて、各深さでの温度偏差の分布が詳細に吟味される。特に、従来から用いられてきた温度偏差の分散に加えて、温度偏差の歪度(3次のモーメント)が、対流の特質を引き出す重要な量であることが見いだされた。一方で、温度境界層の概念を単純化して、対流全体をモデル化する理論が提案された(第3章)。 地球のマントルの状態を表現する量として、トモグラフィーから求められた地震波速度の空間分布がある。地震波速度は温度を反映する量でもあるので、論文提出者は、マントルの各深さでS波速度の分布を計算してみた(第8章)。特に、その歪度の分布は、上部冷却と下部加熱によって引き起こされる対流の特徴をもっていた。このことから、マントル対流にはコアからの積極的な加熱の効果があると推測した。マントル対流を究明する手段として、温度偏差の歪度に着目したのは全く新しい発想であり、マントル対流の研究に新しい視点を開くものと期待される。 以上のように、論文提出者は、プラントル数とレイリー数が両方とも極めて高い領域で、熱対流の様式が、定常流、非定常流、乱流、大規模流と変わっていくことを観察し、それが移り変わる条件と理由を、温度境界層で発生するプリュームの解析から明快に説明した。この単純な物理概念の導入は、マントルの熱・物質輸送の実態を解明する基礎となるばかりでなく、熱対流の一般的な理解の進展に大きな寄与をするものである。更に、地球内部の地震学的な観測データから、マントル対流の性質を見積る新しい方法を提案した。これらの研究は、博士(理学)の学位を授与するに値する十分な内容をもつと評価される。 |