学位論文要旨



No 113248
著者(漢字) 雨宮,成
著者(英字)
著者(カナ) アメミヤ,シゲル
標題(和) レセプター分子による液液界面電位の制御に基づくイオンセンシング
標題(洋) Ion Sensing Based on Receptor-Mediated Control of Phase Boundary Potentials at Liquid/Liquid Interfaces
報告番号 113248
報告番号 甲13248
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3394号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 岡崎,廉治
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 井本,英夫
 東京大学 助教授 時任,宣博
内容要旨 1.

 互いに混ざり合わない二種類の電解質溶液(仮に一方を水相、他方を有機相とする)を接触させると、その界面には電位差が生じる(Fig.1)。平衡状態での液液界面電位差は、各イオンの分配平衡より導かれる次式によって表される。

 

 (R:気体定数、T:絶対温度、F:Faraday定数、n1、k1、a1aq、a1org:順にイオンIの電荷数、分配係数、水・有機相での活量)。目的イオンIの分配が選択的に起き、a1orgが一定になる場合、とloga1aqは、勾配2.303RT/n1F(20℃で、58.2/n1mV/decade)の直線関係になり、水溶液中の目的イオンIを電位差測定により定量分析できる。このような原理に基づく電極を液膜型イオン選択性電極、その直線的な電位応答を特にNernstian応答と呼ぶ。代表的な液液界面電位差のイオン選択的制御法には、液膜中に目的イオンと脂溶性の対イオン(イオンサイト)の塩を加える方法、更に電気的に中性のレセプターを加える方法があり、主にアルカリ・アルカリ土類イオンを対象として既に確立されている。そこで筆者は、より多様なイオンの検出を目的に、以下の二つのアプローチによる液液界面電位の制御について検討を行った。

Fig.1 Schematic representaion of the iontransfer at the water/organic interface.
2.多点水素結合型中性レセプターによる液液界面電位の制御

 多くの生体内反応に関与するヌクレオチドの核酸塩基部位を、多点水素結合によって認識する中性レセプター1-3を設計・合成し、それらを用いた液膜電極について、電位差測定、13C-NMR・蛍光分光法による検討を行った。その結果、多点水素結合によるイオン選択的な界面電位制御の可能性を示すと共に、水素結合を介したレセプター同士の自己会合や溶媒和によるイオン選択性の低下を見い出し、それらを防ぐ分子設計が、レセプターの錯形成能向上と併せて必要であることを示した。

 

 

3.電荷を有するレセプターによる液液界面電位の制御

 上で述べた中性の多点水素結合レセプターによるアプローチに対して、電荷を持った水素結合部位を導入したレセプターを用いるならば、水素結合能の向上と同時に、静電的反発によるレセプター同士の自己会合の防止が期待される。しかし、水素結合能の有無に関わらず、電荷を有するレセプターによる液液界面電位の制御に関する研究は極めて少なく、特にその非Nernstian応答に関して原理的に不明な点が多い。そこで、電荷を有するレセプターを含む液膜で見られる以下の非Nernstian応答について、イオンの分配平衡に基づく液液界面電位差のモデル化と、その実験的検証を行った。具体的には、分子内酸性官能基の脱プロトン化による負電荷を有するレセプターについて検討を行った。

3.1.見かけの"Twice-Nernstian"応答-水素イオンと2価カチオンのイオン交換平衡に基づく界面電位-:

 カルボキシル基を有するレセプターに基づくBa2+またはCa2+選択性電極について、Nernstian応答の2倍の勾配を持った直線的な電位応答が報告されている。この現象は、非Nernstian応答を利用したイオン選択性制御の可能性を示唆している。そこで、この見かけの"Twice-Nernstian"応答のモデル化とその実験的検証を試みた。【理論】水素イオンH+、2価カチオンM2+を含む水溶液に、酸性官能基を持つレセプターLHとイオンサイトを含む液膜を接触させた場合の界面電位差を、次の平衡反応に基づいて計算した:両イオンのイオン交換平衡(2H+org+M2+aq2H+aq+M2+org、レセプターLHの酸解離平衡(LHorgL-org+H+org)、レセプターLHとM2+の1:1錯形成平衡(LHorg+M2+orgLHM2+org)、脱プロトン化したレセプターL-とM2+の1:1錯形成平衡(L-org+M2+orgLM+org)。その結果、液膜中にアニオンサイトが存在する場合、水溶液中のpHの低下に伴って、電位応答の勾配が、Nernstian、見かけの"Twice-Nernstian"、Nernstianと三段階に変化することが分かった(Fig.2)。一方、液膜中にカチオンサイトが存在する場合やイオンサイトが存在しない場合、見かけの"Twice-Nernstian"応答は得られなかった。

【実験】

 モデル化合物としてBa2+レセプター4、5、Ca2+レセプター6を用いた。アニオンサイトとしてPotassium tetrakis(4-chlorophenyl)borate(KTpClPB)を、カチオンサイトとしてTridodecylmethylammonium chloride(TDMACl)を用いた。20mmol/kgのレセプター、10mmol/kgのイオンサイト、重量比で2:1のpoly(vinyl chloride)と膜溶媒(レセプター4、5には2-nitro-phenyloctylether、レセプター6にはdioctylphenylphosphonate)のTHF溶液をシャーレ上に展開・乾燥させることで、厚さ約150mの液膜を作製し、次の電気化学セルで電位差測定を行った。

 Ag/AgClI3MKClII1MKCl or LiCl II sample solution I membrane I 0.1M BaCl2 or CaCl2 I Ag/AgCl各レセプターとイオンサイトについて測定した電位応答勾配をTableに示す。アニオンサイトを用いた場合、いずれのレセプターについても見かけの"Twice-Nernstian"応答が得られた。

Fig.2 Calculated phase boundary potentials as a function of the activity of M2+ in the sample solution for membranes with an acidic receptor and anionic sites.log aM:range of the apparently"twice-Nernstian"response.

 

 

 

 特に、レセプター5を用いた場合、低・高pH領域で共にNernstian応答が観測され、モデルと最も良く一致した。一方、カチオンサイトを用いた場合、いずれのレセプターについても、高いpHでNernstian応答が、低いpHでH+の妨害による応答の減少が観測された。

Table.The pH Dependence of the Response Slopes(mV/decade)of Liquid Membranes Based on Acidic Receptors and Ionic Sites.

 【結論】 見かけの"Twice-Nernstian"応答の機構を理論的・実験的に検証し、それが、平衡状態でNernstian応答よりも見かけ上大きな勾配の電位応答を与える初めての例であることを示した。

3.2.アニオン効果-水素イオンと対アニオンの分配平衡に基づく界面電位:

 レセプターやイオンサイトを用いて液液界面電位をカチオン選択的に制御した場合でも、水溶液中に高濃度、または高脂溶性のアニオンが存在すると、電位応答のカチオン依存性が失われてしまうことが知られている。このような現象は、アニオン効果と呼ばれ、電荷を持ったレセプターの場合により生じ易くなるという実験例が報告されている。そこで、レセプター分子内の電荷の有無とアニオン効果の生じ易さの関係について、理論的な考察とその実験的検証を行った。

【理論】

 水素イオンH+、対アニオンX-を含む水溶液に、電荷を有するレセプターL-とカチオンサイト、または中性レセプターLとアニオンサイトを含む液膜を接触させた場合の界面電位差を、次の平衡反応に基づいて計算した:両イオンの分配平衡(H+aq+X-aqH+org+X-org)、電荷を持ったレセプターL-の錯形成平衡(L-org+H+orgLHorg)、中性レセプターLの錯形成平衡(Lorg+H+orgLH+org)。その結果、アニオン効果はレセプター分子内の電荷の有無に依らず,錯形成定数が大きいほど生じ易いことが分かった(Fig.3)。

【実験】

 酸性官能基による負電荷を有するレセプター4-6とカチオンサイト(TDDMACl)、またはアミン部位を持つ中性レセプター7、8とアニオンサイト(KTpClPB)を含む液膜におけるアニオン効果を電位差測定によって、各レセプターの錯形成定数を紫外・可視分光法により調べた。その結果、レセプター間における、アニオン効果の生じ易さと錯形成定数の間には、理論的予測と良く一致した関係が確認された。

【結論】

 アニオン効果は,レセプター分子内の電荷の有無に依らず,目的カチオンとレセプターの錯形成定数が大きいほど生じ易いことが示された。

Fig.3 Calculated phase boundary potentials as a function of the activity of H+ in the sample solution for membranes with H+ selective charged receptors and cationic sites,or neutral receptors and anionic sites.c,n:protonation constants of charged or neutral receptors,respectively.

 

4.まとめ

 (1)多点水素結合型中性レセプターによる液液界面電位制御の可能性とその分子設計の指針を示した。(2)二種類のイオンの分配を考慮した液液界面電位のモデル化により、電荷を有するレセプターを用いた場合の二つの非Nernstian応答の機構を解明し、実験的に検証した。前者の応答は、電位応答勾配の制御を可能にする点で、これまでの液液界面電位差の制御法とは全く異なるものであり、新規イオン検出法の原理として興味深い。また後者は、レセプター分子内への電荷の導入による、より多様性に富む分子設計の可能性を支持している。

審査要旨

 本論文は6章からなり、第1章の序論において、本研究の目的とその意義が述べられている。第2章では液液界面における電気化学の基礎的事項が、平衡論と速度論の両面から述べられている。第3章ではその分析化学的応用としての液膜型イオン選択性電極について、今日までの発展が述べられている。第4章以下には、本研究で具体的にとられたアプローチが述べられている。

 第4章では、多点水素結合型中性レセプターを用いた液液界面電位の制御について検討している。具体的には、ヌクレオチドの核酸塩基部位を認識する8種類の多点水素結合型中性レセプターを設計・合成し、それらを含む液膜について、電位差測定、13C-NMR・蛍光分光法による検討を行っている。その結果、多点水素結合によるイオン選択的な界面電位制御が可能であること、水素結合を介したレセプター同士の自己会合や溶媒和によるイオン選択性の低下を防ぐ分子設計が、レセプターの錯形成能向上と併せて必要であることを示している。さらに、その解決策として、電荷を持った水素結合部位を導入したレセプターの利点を挙げ、そのためには電荷を有するレセプターによる液液界面電位の制御機構を明らかにする必要があるとしている。そのために、第5、6章では、電荷を有するレセプターを含む液膜で見られる非Nernstian応答のモデル化と、その実験的検証について検討している。

 第5章では、カルボキシル基を有するレセプターに基づくBa2+またはCa2+選択性電極において観測される、見かけの"Twice-Nernstian"応答に着目し、そのモデル化と実験的検証を行っている。モデルとして、水素イオンと、2価カチオンを含む水溶液に、酸性官能基を持つレセプターとイオンサイトを含む液膜を接触させた場合の界面電位差を計算し、液膜中にアニオンサイトが存在する場合のみ、水溶液中のpHの低下に伴って、電位応答の勾配が、Nernstian、見かけの"Twice-Nernstian"、Nernstianと3段階に変化することを示した。次に、モデルの妥当性を検証するために、カルボキシル基またはリン酸基を持つBa2+またはCa2+レセプターを含む液膜の電位差測定を行い、アニオンサイトを用いた場合、いずれのレセプターについても見かけの"Twice-Nernstian"応答が得られること、特に、レセプターとしてLasalocidを用いた場合、モデルと良く一致した3段階の電位応答勾配の変化が得られることを示している。以上の結果から、見かけの"Twice-Nernstian"応答が、平衡状態でNernstian応答よりも見かけ上大きな勾配の電位応答を与える初めての例であることを結論しており、これは、電位応答勾配の制御を可能にする点で、これまでの液液界面電位差の制御法とは異なるものであり、新規イオン検出法の原理になりうるとしている。

 第6章では、液膜型イオン選択性電極におけるアニオン妨害について、レセプター分子内の電荷の有無とアニオン妨害の生じ易さの関係について理論的な考察とその実験的検証を行っている。モデルとして、一価のカチオンとアニオンを含む水溶液に、電荷を有するレセプターとカチオンサイト、または中性レセプターとアニオンサイトを含む液膜を接触させた場合の界面電位差を計算し、アニオン妨害はレセプター分子内の電荷の有無に依らず,錯形成定数が大きいほど生じ易いことを示している。次に、モデルの妥当性を検証するために、水素イオンに対するレセプターとして、酸性官能基による負電荷を有するレセプター及びアミン部位を持つ中性レセプターを用い、それらを含む液膜におけるアニオン妨害を電位差測定によって調べ、そのアニオン妨害の起き易さの序列を、紫外・可視分光法により求めた各レセプターの錯形成定数の序列と比較している。実験結果と理論的予測との良い一致から、アニオン妨害は,レセプター分子内の電荷の有無に依らず,目的カチオンとレセプターの錯形成定数が大きいほど生じ易いことを結論している。これは、分子内への電荷の導入による、より多様性に富んだレセプター設計に基づく界面電位制御の可能性を支持している。

 以上要するに、本論文提出者は、多点水素結合型中性レセプターによる液液界面電位制御の可能性とその分子設計の指針を示した点、及び電荷を有するレセプターによって誘起される二種類の非Nernstian応答の機構を解明した点において分析化学に寄与する成果を収めた。主論文の内容は、第4、5章が印刷公表され、第6章が公表予定である。それらはいずれも共著論文であるが、本論文提出者が主体となって進めたものであり、その寄与が充分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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