本論文は6章からなり、第1章の序論において、本研究の目的とその意義が述べられている。第2章では液液界面における電気化学の基礎的事項が、平衡論と速度論の両面から述べられている。第3章ではその分析化学的応用としての液膜型イオン選択性電極について、今日までの発展が述べられている。第4章以下には、本研究で具体的にとられたアプローチが述べられている。 第4章では、多点水素結合型中性レセプターを用いた液液界面電位の制御について検討している。具体的には、ヌクレオチドの核酸塩基部位を認識する8種類の多点水素結合型中性レセプターを設計・合成し、それらを含む液膜について、電位差測定、13C-NMR・蛍光分光法による検討を行っている。その結果、多点水素結合によるイオン選択的な界面電位制御が可能であること、水素結合を介したレセプター同士の自己会合や溶媒和によるイオン選択性の低下を防ぐ分子設計が、レセプターの錯形成能向上と併せて必要であることを示している。さらに、その解決策として、電荷を持った水素結合部位を導入したレセプターの利点を挙げ、そのためには電荷を有するレセプターによる液液界面電位の制御機構を明らかにする必要があるとしている。そのために、第5、6章では、電荷を有するレセプターを含む液膜で見られる非Nernstian応答のモデル化と、その実験的検証について検討している。 第5章では、カルボキシル基を有するレセプターに基づくBa2+またはCa2+選択性電極において観測される、見かけの"Twice-Nernstian"応答に着目し、そのモデル化と実験的検証を行っている。モデルとして、水素イオンと、2価カチオンを含む水溶液に、酸性官能基を持つレセプターとイオンサイトを含む液膜を接触させた場合の界面電位差を計算し、液膜中にアニオンサイトが存在する場合のみ、水溶液中のpHの低下に伴って、電位応答の勾配が、Nernstian、見かけの"Twice-Nernstian"、Nernstianと3段階に変化することを示した。次に、モデルの妥当性を検証するために、カルボキシル基またはリン酸基を持つBa2+またはCa2+レセプターを含む液膜の電位差測定を行い、アニオンサイトを用いた場合、いずれのレセプターについても見かけの"Twice-Nernstian"応答が得られること、特に、レセプターとしてLasalocidを用いた場合、モデルと良く一致した3段階の電位応答勾配の変化が得られることを示している。以上の結果から、見かけの"Twice-Nernstian"応答が、平衡状態でNernstian応答よりも見かけ上大きな勾配の電位応答を与える初めての例であることを結論しており、これは、電位応答勾配の制御を可能にする点で、これまでの液液界面電位差の制御法とは異なるものであり、新規イオン検出法の原理になりうるとしている。 第6章では、液膜型イオン選択性電極におけるアニオン妨害について、レセプター分子内の電荷の有無とアニオン妨害の生じ易さの関係について理論的な考察とその実験的検証を行っている。モデルとして、一価のカチオンとアニオンを含む水溶液に、電荷を有するレセプターとカチオンサイト、または中性レセプターとアニオンサイトを含む液膜を接触させた場合の界面電位差を計算し、アニオン妨害はレセプター分子内の電荷の有無に依らず,錯形成定数が大きいほど生じ易いことを示している。次に、モデルの妥当性を検証するために、水素イオンに対するレセプターとして、酸性官能基による負電荷を有するレセプター及びアミン部位を持つ中性レセプターを用い、それらを含む液膜におけるアニオン妨害を電位差測定によって調べ、そのアニオン妨害の起き易さの序列を、紫外・可視分光法により求めた各レセプターの錯形成定数の序列と比較している。実験結果と理論的予測との良い一致から、アニオン妨害は,レセプター分子内の電荷の有無に依らず,目的カチオンとレセプターの錯形成定数が大きいほど生じ易いことを結論している。これは、分子内への電荷の導入による、より多様性に富んだレセプター設計に基づく界面電位制御の可能性を支持している。 以上要するに、本論文提出者は、多点水素結合型中性レセプターによる液液界面電位制御の可能性とその分子設計の指針を示した点、及び電荷を有するレセプターによって誘起される二種類の非Nernstian応答の機構を解明した点において分析化学に寄与する成果を収めた。主論文の内容は、第4、5章が印刷公表され、第6章が公表予定である。それらはいずれも共著論文であるが、本論文提出者が主体となって進めたものであり、その寄与が充分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |