学位論文要旨



No 113252
著者(漢字) 今西,哲士
著者(英字)
著者(カナ) イマニシ,アキヒト
標題(和) 金属表面上における吸着分子及び自己組織化配向膜のX線吸収端スペクトルによる研究
標題(洋) Adsorbed Molecules on Metal Surfaces and Self Assembled Monolayers Studied by X-ray Absorption Fine Structure
報告番号 113252
報告番号 甲13252
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3398号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 小林,啓二
 東京大学 教授 濱口,宏夫
内容要旨

 遷移金属表面上吸着分子の吸着状態の研究は、触媒化学や生化学など多様な分野への応用性から、様々なグループによって行われてきた。しかし、詳細な吸着構造やそれに伴う電子状態の研究は、長周期構造を持つことが少なく、電子衝撃によって解離や脱離を起こすことなどの理由により、原子吸着系に比べると比較的研究が進んでいない。ここではCu,Ni,Pdのような3d,4d金属に的を絞り、その金属上でのチオフェン分子の吸着状態が基板金属の種類によってどのように影響を受けるかを調べ、さらに低指数表面上において、面指数による吸着状態の違いを調べた。一方、吸着分子が長周期構造をもって整然と配向すると、一種の薄膜と見なすことが出来、様々な機能的な物性を持つことが可能となる。最近機能性材料として注目されているSAM(Self Assembled Monolayer)膜もその一つである。SAM膜の代表例としてAu,Ag,Cuなどの貴金属(111)表面上に吸着したアルカンチオール分子の例が挙げられるが、チオール分子はS原子で基板に吸着し、ほぼ立って配向していると言われている。しかしその詳細な構造に関しては未だに不明な点も多い。特に表面金属と直接結合を持っているS原子近傍の情報はほとんどないと言ってよく、長い間新たな測定法による解析が待たれていた。そこでAu,Ag,Cuの(111)面上にSAM膜を形成させた試料のXAFSを用いた詳細な構造解析を行った。この際、測定が困難であるとされているCK吸収端XAFSの測定も必要になるため、放射光軟X線分光ビームラインの改造も行った。

Chapter2.Cu(111),Cu(100),Pd(111),Pd(100),Ni(100)表面上でのチオフェン分子の吸着状態

 超高真空チェンバー内で単分子層以下でチオフェンを様々な基板金属上に吸着させ、SK吸収端NEXAFS,SEXAFS測定を行った。図1にCu(111),Cu(100),Ni(100)上SK吸収端NEXAFSスペクトルを示す。多層膜で単一のピークは単分子層以下の吸着系では偏光依存性の異なる2本のピークに分離されて観測される。理論計算から低エネルギー側のものはS1sから炭素環の*軌道への遷移、高エネルギー側のものは*(S-C)への遷移に帰属される。すべての系に対して*共鳴は斜入射で強く、*(S-C)共鳴は直入射で強く見られる。これはどの基板においてもチオフェン分子が分子面を表面平行に吸着していることを示している。また、*共鳴ピークがCu(111),Cu(100),Ni(100)の順に減衰しているが、これは基板から*軌道への電荷移動の度合がこの順に次第に大きくなっていることを意味している。

図1:SK-吸収端NEXAFSスペクトル

 SK吸収端SEXAFSの結果からはS-C結合やS-基板金属原子間の距離、Sの吸着サイト等を得ることが出来た。表1にCu(111),Cu(100),Ni(100),Pd(100),Pd(111)面上での結果をNEXAFSからの結果も併せて示した。基板から分子の*軌道への電荷移動量をくらべると、Cu(111)面上が一番小さくNi(100)が一番大きい。分子内のS-C結合の距離は反結合性軌道へ電子が流れ込んだことによって伸びるが、Cu(111)では多層膜とほとんど変わっていないのに対し、Ni(100)では〜0.09Åも伸びているのが分かる。この伸びは電荷移動量と良い対応をしている。

 SK-NEXAFSの*軌道には多層膜スペクトルに対して低エネルギー側へのシフトが観測されるが、他の系も含めてこのシフトを観察すると、電荷移動量が大きい程シフトも大きくなっており、両者の間には関連性があると考えられる。

 これらCu(111)とCu(100)面の違いはCu表面の原子密度の違いによって説明される。Cu(111)面ではCu(100)面と比べてより高密度になっており、(つまりCu原子の配位数が大きい)フェルミ面付近の状態密度は幅広くなっている。そのためCu表面はより不活性になり基板から分子への電荷の流れ込みは小さくなると考えられる。

 一方、Pd(111),Pd(100)面では、面指数による違いはほとんど観測されず、Cuの場合と対照的である。Pdは吸着分子との相互作用にd軌道が関与しているのに対してCuは4s軌道が関与する。このため、Pd上ではd-バンドが分子と相互作用をするのに対してCuではspバンドの寄与が大きくなってくる。局在化したd-バンドと違って空間的な広がりの大きいspバンドは面指数の影響を受けやすく、そのためCuでははっきりとした違いが出たのに対しPdでは違いがあまりでなかったと考えられる。

図表
Chapter3.軟X線分光ビームラインBL-7Aの改造

 Chapter4.で述べるアルカンチオール分子などの吸着状態を調べるにはCK吸収端XAFSの測定は欠かせない。しかしC.N.Oのような軽元素領域のXAFSの測定は、Sなどの比較的重い元素のXAFSに比べると難しい。解析に耐え得る軽元素XAFSのデータをとるためには良い検出器と光源が必要になる。現行のスペクトル化学研究センター所属の回折格子型ビームラインBL-7Aでは放射光の照射によってビームライン上にある前置鏡が熱変形して光路が経時変化したり、鏡面の平滑性が不十分なために試料位置で光のエネルギーが単一でなくなるという問題があった。そこでこれまでの白金コート溶融石英の前置鏡を白金コート無酸素銅製で冷却機構を備えたものに交換を行った。無酸素銅基板の前置鏡は初めての試みであったが熱伝導率が高い特性のために熱によるひずみ変化は最小限に抑えることができた。また当初心配されていた熱負荷による回折格子性能の劣化に関しては問題ないことが分かった。次にブレーズド型回折格子をラミナ型回折格子に交換し、高次光をかなり除去することができた。

Chapter 4.Cu(111)面上アルカンチオール分子(CH3(CH2)n-1SH,n=6,12)の吸着構造

 真空チェンバー内で清浄化したCu(111)単結晶表面に室温で〜5L(1L=1×10-6Torr・s:1Torr=133Pa)のアルカンチオールをさらして試料を作成した。この方法によってCu(111)表面上には配向したSAM膜が形成される。アルカンチオールはCH3(CH2)n-1SH(n=6,12)の2種の鎖長のものに関して実験を行った。測定はCK吸収端NEXAFS.SK吸収端NEXAFS,SEXAFSについて行い、測定中の試料の温度は常に100Kに保った。図2にCK吸収端NEXAFSを示す。ピークAはClsから*(C-H)軌道への遷移、ピークB(B1,B2)は共にC鎖全体に非局在化した軌道*(C-C)への遷移に対応している。

 B1は分子鎖に垂直方向、B2は平行方向にそれぞれ遷移モーメント持っており、互いに直交している。C6,C12/Cu(111)共にピークAは斜入射で強く現れ、B2は直入射で強く現れている。これは分子鎖の方向が方向にあることを示している。これらのピーク強度の偏光依存性を定量的に解析した結果、C6,C12共にピークAからはC-H結合が表面垂直方向から78±10°,ピークB2からはC鎖が12±10°傾いていることが分かった。この独立な2つのピークの角度が余角の関係になっていることは、分子がほぼtrans型に配列していることを意味している。

 図3にC12/Cu(111)のSK吸収端SEXAFSスペクトルのフーリエ変換を示す。1.2Å付近のヒークがS-C間の散乱に起因するもの、2.0Å付近のピークがS-Cu間の散乱に起因するものである。S-C散乱のピークは斜入射でもっとも強く出ており、表面に対して立っていることを示している。S-Cu散乱のピークを詳しく解析した結果、Sの周りのCuの配位数は3.0±0.3、S-Cu結合の距離は2.31±0.02Å、またその偏向依存性からS-Cu結合軸の傾きを求めると、表面垂直軸に対して55±2°となった。これをCu(111)面上の3つの典型的な吸着サイトの値(atop 0°,bridge 33°,hollow 39°)と比べると、どのサイトよりも傾きが大きい。すなわちSが深く沈み込んだhollow site(図4)に吸着していることを示している。仮にSの周りの3個のCu原子が表面平行方向にだけ移動しているとすれば、〜0.5Åも動いていることになり、表面が大きな再配列構造をとっていることを示唆している。C6,C1においてもほぼ同様の結果が得られており、これらの研究からアルカンチオールの特異的な吸着構造が明らかになった。

図2:CK-吸収端NEXAFSスペクトル図3:SK-吸収端SEXAFSのフーリエ変換図4:Cu(111)面上でのアルカンチオールの吸着の様子
審査要旨

 本論文は、第1章Introduction,第2章Adsorption properties of thiophene molecules(C4H4S)on Cu(111),Cu(100),Pd(111),Pd(100)and Ni(100)surfaces,第3章Refinement of beamline and experimental chamber for measurement of the C,N,O-XAFS,第4章XAFS studies of Self Assembled Monolayerの4章から構成されている。

 第1章は、本研究の目的及び本研究で用いた測定手法X-ray Absorption Fine Structure(XAFS)に関して、測定手法としての歴史などをふまえて詳しく書かれている。また、金属表面上の分子吸着の研究がいろいろな観点から研究されていることをひとつひとつの例を挙げて示し、最後に本論文中で分子と基板との相互作用に的を絞った例として金属基板上のチオフェン分子吸着、分子分子間の相互作用が重要になる系の例としてアルカンチオールの吸着を研究したことを述べている。

 第2章では、超高真空チェンバー内で単分子層以下でチオフェンを様々な基板金属上に吸着させ、SK吸収端NEXAFS,SEXAFS測定を行った結果について述べている。この章は大きく2つに分けられているが、前半ではCu(100)とNi(100)上のチオフェンの吸着状態を調べ、金属種の違いによる影響を明らかにしている。SK-吸収端NEXAFS,SEXAFSから両面では共に寝て吸着しており、イオウはbridge siteに吸着していることが分かった。しかし、基板から分子の*軌道への電荷移動、またそれに伴うS-C結合の伸びは、Ni(100)上の方が明らかに大きく、CuよりもNi上の方で分子と基板との相互作用が大きいことを示した。この理由として、Ni(100)面ではCu(100)面に比べるとdバンドの状態密度がフェルミ面付近に集中しており、それが容易にチオフェンの*軌道と相互作用を持てることを挙げている。後半では、更にCu(111)面上での結果を示した上で、前出のCu(100)面上での結果と比較し、ミラー指数の違いによる影響について報告している。Cu(111)面上ではやはり分子は寝て吸着している結果を得たが、同時にCu(111)面上の方がCu(100)面上のものに比べると分子と基板の相互作用が小さいことを示している。一方、このセクションでは本論文の筆者が共同研究で行ったPd(111),Pd(100)上の結果も示しているが、その2面上でのチオフェン分子の吸着状態はほとんど変化がない。この理由として、Pd上では局在化した4d軌道がおもに分子と相互作用するのに対し、Cu上では4spバンドが分子と相互作用するのが原因であると結論している。このように金属基板上でのチオフェン分子の吸着状態の違いを詳細なパラメータをもとに系統的に考察し、チオフェン分子吸着の一般的な性質を明らかにした。

 第3章では、C,N,Oのような軽元素のXAFS測定を行うために、つくば市の高エネルギー加速器研究機構・物質構造科学研究所内にある東大スペクトル化学研究センター所有の回折格子型ビームラインBL-7Aの改造を行った過程とその結果について記している。第4章で述べるアルカンチオール分子などの吸着状態を調べるにはCK吸収端XAFSの測定は欠かせない。しかしC,N,Oのような軽元素領域のXAFSの測定は、Sなどの比較的重い元素のXAFSに比べると難しい。解析に耐え得る軽元素XAFSのデータをとるためには良い検出器と光源が必要になる。現行のBL-7Aでは放射光の照射によってビームライン上にある前置鏡が熱変形して光路が経時変化したり、鏡面の平滑性が不十分なために試料位置で光のエネルギーが単一でなくなるという問題があった。そこでそれらの問題を解決するためにダイヤフラムの設置、金属製ミラーの導入、ラミナー型gratingへの交換などを行い、結果、十分に信頼性の高いスペクトルが測定可能になったことが記されている。

 第4章では、まず前半でCu(100)面上でメタンチオール分子(CH3SH)が立って吸着し、S原子は4-fold hollow siteに吸着しており、Cu表面は全く表面再構成を起こしていないことを明らかにしている。これは大きい表面再構成を起こすCu(111)面上の結果とは対照的で、その違いの理由を表面stressの大きさの違いとして説明している。後半ではCu(111)上での2種の鎖長(CH3(CH2)n-1SH(n=6,12))アルカンチオール吸着のSとCのK吸収端XAFSを用いた研究結果を報告している。CK吸収端NEXAFSからは分子はほぼall-trans型でアルキル鎖は12°±10°傾いていることを明らかにしている。SK吸収端SEXAFSからは、S原子が通常の3 fold hollow siteに周りのCu原子を押しのけて埋まり込んだような状態で吸着していることを明らかにした。仮にSの周りの3個のCu原子が表面平行方向にだけ移動しているとすれば、〜0.5Åも動いていることになり、表面が大きな再配列構造をとっていることを示唆している。

 以上、本論文ではSとCのK吸収端XAFSを用いて分子の吸着状態を詳細に調べることによって、これまで他の測定手法では分からなかった性質や構造を体系的に明らかにした。これらの研究結果は、金属表面上の分子吸着の本質を解明し理解するために大きく寄与すると判断される。なお、本論文は太田俊明、横山利彦、北島義典、近藤寛、八木伸也、武中章太、松井文彦、都築健久、伊澤一也等との共同研究を含むが、いずれも論文提出者が主体となって研究を行った研究であり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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