本論文は、5章からなっている。第1章は序論であり、第2-4章において、安定な有機鉛二価化合物プルンビレンについて研究した結果について述べ、第5章でその総括を行っている。 第1章では、近年著しい発展を遂げている第3周期以降のヘテロ原子化学における低配位化合物の研究、特に鉛誘導体について総括し、本研究の適切な位置付けを行っている。 第2章では、速度論的に安定化されたプルンビレンの合成、構造および反応について述べている。 二価の鉛(II)アミド[(Me3Si)2N2]Pb:に対するリチウム試剤による求核置換により、速度論的に安定化されたプルンビレン1を合成した。プルンビレン1は不活性ガス雰囲気下で安定である。プルンビレン1aについてはその単離に成功し、X線結晶構造解析によりV字型構造をとっていることを明らかにした。二つのかさ高いTbt基が同一鉛原子上に存在するため、置換基と鉛のなす結合角が116.3°と大きく広がっており、Pb-C結合長もそれぞれの原子の共有結合半径の和に比べて若干長くなっている。次にこれらのプルンビレン1の反応性について知見を得るべく、過剰量の四臭化炭素との反応を行ったところ、ジブロモプルンバン2が得られ、これらのプルンビレンが基本的な有機鉛化合物の合成前駆体としても有効であることがわかった。通常ジハロプルンバンはハロゲン原子で架橋したポリマー構造をとることが知られているが、2aはX線解析により単量体であることがわかった。ジブロモプルンバン2は2当量のリチウムナフタレニドを用いて還元することにより、再びプルンビレン1に変換することができた。本方法は4価有機鉛化合物からのプルンビレンの新規合成方法として注目に値する。 次に、プルンビレン1の直接硫化による鉛-硫黄二重結合化学種プルンバンチオン3の合成について検討した。プルンビレン1に対して1/8当量の単体硫黄を作用させた後、メシトニトリルオキシドで捕捉を行ったところ、プルンバンチオン3の付加体4が得られ、プルンビレン1の硫化によりプルンバンチオン3を発生できることがわかった。 第3章では、プルンバンチオンから硫黄置換プルンビレンへの異性化について述べている。 鉛-硫黄二重結合化合物プルンバンチオンに関する理論計算により、その異性体である硫黄置換プルンビレンの方が相対的に安定であることが指摘されている。そこで両者の安定性について検討するべく、他の14族元素-硫黄二重結合化合物の場合と同様に、加熱条件下でのテトラチアプルンボランの脱硫反応を行った。テトラチアプルンボラン5を3当量のトリフェニルホスフィンと共にトルエン中50℃で行ったところ、ジチアジプルンベタン7と共にアリール(アリールチオ)プルンビレン6が深赤色の結晶として得られた。6及び7は共にTbt及びTipのみを有しており、均化反応が起こっている。この反応は上式のようにアリール基の1,2転位によるプルンバンチオンの硫黄置換プルンビレンへの異性化をキーステップとして進行すると考えられる。そこで、プルンバンチオンから硫黄置換プルンビレンへの異性化を確認するべく、単離したプルンビレン1aに対して1原子当量の単体硫黄を作用させ、その後50℃で加熱したところ、やはり6が得られた。すなわちプルンバンチオン3aから硫黄置換プルンビレン6への異性化が確認された。このような1,2転位は、これまでの14族元素-硫黄二重結合化学種に見られなかった興味深い性質である。 また、X線結晶構造解析により、得られたプルンビレン6が単量体であることを明らかにした。これはアリール(アリールチオ)プルンビレンとしては初めての構造解析例である。鉛と置換基のなす角度は100.2°であり、1aと比較して結合角がかなり小さくなっている。二つのTbt基は鉛-硫黄結合に対してそれぞれ反対側に位置したジグザグ構造をとっている。 プルンビレン6は固体状態で不活性ガス雰囲気下では安定であるが、溶液中で速やかに水と反応して鉛と置換基の結合が切れ、TbtH及びTbtSHを与えた。またプルンビレン6は脱離基として機能するアリールチオ基を有しているので、1当量のTtmLiによる求核置換を試みたところ、引き続くヨウ化メチルによる捕捉で付加体が得られ、ジアリールプルンビレン1bの生成が確認できた。 第4章では、硫黄置換プルンビレンにおける鉛-硫黄結合への二硫化炭素の挿入反応について述べている。 これまでの研究から、高周期14族元素二価化学種と二硫化炭素との反応では、中心元素によってそれぞれ異なる生成物を与えることが分かっている。そこで、プルンビレンの二硫化炭素に対する反応性を調べるために、6に対して過剰量の二硫化炭素を加えたところ、鉛(II)ビス(トリチオカーボネート)8aが得られた。興味深いことに、8aは6の鉛と置換基との間に二硫化炭素二分子と硫黄一原子が挿入した形式の化合物である。反応機構に関しては、6の鉛-硫黄原子間への二硫化炭素一分子の挿入とそれに続く均化反応が主な経路であることが分かった。また、ジアリールプルンビレン1aと二硫化炭素との反応ではトレース量の8aが得られるものの、他に二硫化炭素付加体は得られなかった。そこで、置換基の変化による反応性の変化を調べるべく、ビス(アリールチオ)プルンビレン9(a;Tbt,b;Bbt)を合成し、二硫化炭素との反応を行った。興味深いことに9と二硫化炭素との反応によっても8が得られ、更に6を原料にした場合と比較して収率が向上した。8は9の鉛と硫黄との間に二硫化炭素二分子が挿入した形式の化合物である。8bはX線結晶構造解析により、鉛と4つの硫黄原子がひずんだピラミッド構造をとっていることがわかった。 第5章では、嵩高い置換基を鉛原子上に導入することにより、プルンビレンを安定に合成し、その構造、反応性について新たな知見を得た本研究の成果を総括し、今後の展望についてを述べている。 なお、本論文の第2-4章は、岡崎廉治氏、時任宣博氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって合成、構造解析、反応性の検討を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。 |