本論文は、6章からなっている。第1章は序論であり、第2-5章において、速度論的安定化を利用した低配位有機ゲルマニウム化合物及びその関連化合物の合成と反応について研究した結果について述べ、第6章でその総括を行っている。 第1章では、近年著しい発展を遂げている第3周期以降のヘテロ原子化学における低配位化合物、特にゲルマニウム化合物の研究を総括し、本研究の適切な位置付けを行っている。 第2章では、かさ高い置換基を有するジアリールゲルミレンの合成と単離について述べている。 ジハロゲルマン1をリチウムナフタレニドで還元することにより、ゲルミレン2発生させ、その青色溶液を濃縮したところ反応溶液は黄橙色へと変化し、最終的には橙色結晶が得られた。そこで、この化合物のX線結晶構造解析を行ったところゲルミレンの二量体である(E)-ジゲルメン3であった。このジゲルメン3のゲルマニウム-ゲルマニウム二重結合長は2.416(4)Åとこれまで報告がなされているジゲルメンの中で最も長い結合長を有しており、ほぼ単結合と同等の結合距離であることがわかった。 次に、ゲルミレンの二量化を防ぐためゲルマニウム上に更にかさ高い置換基を導入した系について検討した。Tbt及びTipを有するゲルミレン2bは濃縮溶液中及び固体中においても2bに特徴的な青色を呈していた。以上のことから、ゲルミレン2bは2aとは異なり固相中においても二量化はせず単量体であることが示された。 第3章では、かさ高い置換基を有するジゲルメンの反応について述べている。 先の特異な構造を有するジゲルメンの性質について検討を行った。ジゲルメン3はヘキサン中、可逆的なサーモクロミズムを示したので、温度可変の紫外可視吸収スペクトルの測定を行った。このスペクトル変化が等吸収点を有している事から単一の平衡が存在することが示された。また、室温付近においてゲルミレン2aのn-p遷移に相当するmax=575nmに吸収極大を観測したのに対し、低温においてはこの吸収は徐々に減少し、max=439nmにジゲルメン3の-*遷移に相当する吸収極大の増加を観測した。以上のことから3と2aの間に平衡が存在することが示された。これはジゲルメンとゲルミレンの平衡の初めての直接観測例であり、ジゲルメンからゲルミレンへの解離反応における熱力学パラメーターを求めたところ△H=14.7±0.2kcal mol-1,△S=42.4±0.8cal mol-1K-1であった。 次にジゲルメン3の反応について検討した。先の紫外可視吸収スペクトルの結果を考慮し、-100℃において3の橙色ヘキサン溶液に対しメタノールを加えたが変化は見られなかった。そこで徐々に室温まで昇温したところゲルミレンとメタノールとの反応により生成したと考えられるメトキシゲルマン4が得られた。また、塩化水素、トリエチルシラン及び2,3-ジメチル-1,3-ブタジエンとの反応においてもそれぞれゲルミレンとの反応生成物と考えられる5,6,7が得られた。以上より、反応の面からはジゲルメン3としてではなくゲルミレン2aとして反応することがわかった。 第4章では、アルキリデンカルコゲナゲルミランの合成と構造について述べている。 1-ゲルマアレンの良い前駆体と考えられるアルキリデンカルコゲナゲルミランおよびクロロビニルクロロゲルマンの合成について検討を行った。ゲルミレン2aとジクロロオレフィンR2C=CCl2(RR:フルオレニリデン)との反応溶液に対しそれぞれ単体硫黄、セレン及びホスフィンテルリドを作用させることにより対応するアルキリデンカルコゲナゲルミラン8,9,10がクロロビニルクロロゲルマン11,ビニルクロロゲルマン12及びジクロロゲルマン1と共に得られた。化合物9,10についてはこれまでこの様な環構造を有する化合物の報告例はなく、これらがはじめての合成単離例である。 化合物10についてはX線結晶構造解析によりその分子構造を明らかにした。GeCTeの三員環部分のGe-Cの結合距離はこれまで報告がなされているGeCC三員環のそれより若干短く、ゲルマニウム周りの角度の和は354.4°であり、ゲルマニウムとそれに結合する3つの炭素原子がほぼ平面をなすことからこの構造は1-ゲルマアレン(R2Ge=C=CR2)にテルルが配位した錯体型であることが示された。 第5章では、1-ゲルマアレンの合成、反応、および単離について述べている。 まず、8,9,10の脱カルコゲン化反応による1-ゲルマアレン13の合成ついて検討した。化合物8,9の熱分解反応を200℃で行ったが分解せずこれらは熱的に非常に安定な化合物であった。それに対し、化合物10をメタノール共存下120℃での加熱を行ったところ、10の脱テルル反応により発生したと考えられる1-ゲルマアレン13のGe=C二重結合部分にメタノールが付加したと考えられるメトキシゲルマン14が得られた。そこで、1-ゲルマアレンの直接観測について検討した。化合物8,9は、室温においてヘキサメチル亜リン酸トリアミド(HMPT)による脱カルコゲン反応は進行しなかった。一方、より容易に反応すると考えられる10について重ベンゼン中、室温でHMPTを作用させた後、13C-NMR測定を行ったところ、243ppmの低磁場に目的化合物であるゲルマアレン13のsp炭素に由来すると考えられるシグナルを観測した。また、上記のようにして調製した溶液に対しメタノールを作用させたところメトキシゲルマン14が得られた。以上のことからHMPTによる脱テルル反応により、1-ゲルマアレン13を合成できることが示された。 次に、還元反応による1-ゲルマアレン13の合成についても検討した。その結果、THF中クロロビニルクロロゲルマン11に対し低温下2.2当量のt-BuLiを作用させることにより13が合成できることを各種スペクトルにより確認した。また、上記のように調製した13の溶液に対し、メタノールを作用させたところメトキシゲルマン14が、ニトリルオキシドとの反応においては、[3+2]付加環化生成物である15がそれぞれ得られた。さらに、1-ゲルマアレンの熱的安定性の検討を行ったところ、重ベンゼン中、80℃では13.5時間でベンゾゲルマシクロブテン16へ異性化するのに対し、室温では異性化反応はゆっくりと進行し、4日で13と16の比が1対1であった。 そこで、低温下での結晶化について検討したところ、X線結晶構造解析に適した単結晶は得られていないものの、13を固体として得ることに成功した。 なお、本論文の第2-5章は、岡崎廉治氏、時任宣博氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって合成、構造解析、反応性の検討を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。 |