序:少量の異種の金属を加える事で触媒の活性や選択性、寿命が著しく向上する事が明らかになって以来、バイメタル触媒は基礎、応用の両面からの多くの研究の対象となってきた。バイメタル表面の特異的な化学的性質の原因は、活性点自体の性質の変化や新たな活性点の形成と、異なる活性点が共同して働く事の2つに大きく分ける事ができる。表面科学の手法の進歩によりバイメタル表面に対して原子レベルの情報を得る事が可能になってくると、前者の機構に対する研究が数多く行われた。その結果、単結晶表面上の異種金属の薄膜といったような表面全体が均一な系に対しては、バイメタル表面の電子状態、構造といった物理的な情報と化学的性質との相関が明らかにされてきた。しかし、実験手法の空間分解能の限界により、研究対象は均一系における前者の機構に限られてきた。 原子レベルの空間分解能と数十秒の時間分解能をそなえた走査トンネル顕微鏡(STM)の登場により事態は一変し、不均一なバイメタル表面上において数種類の異なる反応活性点を独立に識別しながら、表面反応をその場観察する事が可能となりつつある。本論文ではアトムレベルで規定されたCu/Pd(111)表面上でNO+H2反応に関する一連の研究を行い、Pd領域からCu領域への原子状水素の拡散により、新たな反応経路が生成する事を明らかにした。これは、後者の機構の一つである異なる活性点間の反応中間体の拡散を原子レベルで実証したモデル系である。 研究内容は、Cu表面上のNOの解離吸着、Pd(111)表面上のCuの成長とその酸素に対する化学的性質、Cu/Pd(111)表面上でのO2+H2反応、Cu/Pd(111)表面のNOに対する化学的性質と表面上でのNO+H2反応、の4つである。 NO/Cu(110):Cu(100)面やCu(111)面にNOを低温で触れさせ昇温した場合にはN2とN2Oが生成するが、Cu(110)面上ではNO分子は解離吸着する。Cu(110)面は、室温で酸素に触れさせると、-Cu-O-一次元鎖が配列したp(2x1)O構造をとり、活性化窒素にふれさせ加熱するとp(2x3)N表面を形成する。このCu(110)-p(2x3)N表面の構造については表面第1層のCu原子の密度の異なる2種類の構造モデルが提案されている。そこで、Cu(110)面でのNOの解離吸着過程、生成するN誘起種の生成過程とその構造、昇温に伴うN2の脱離過程に対してSTMを用いて研究を行った。 Cu(110)表面を室温でNOに触れさせると、表面上を動き回る-Cu-O-一次元鎖とほとんど動かないp(2x3)の単位格子の大きさを持つp(2x3)N種が生成した。特に低被覆率においては、p(2x3)N種はステップエッジ近傍に特異的に生成し、このことからNOはステップエッジで優先的に解離する事が分かった。被覆率を増加させると、-Cu-O-鎖とp(2x3)N種が増加するのに伴い、ステップエッジが後退しホールが生成することによりCu原子がテラス上に供給される事が分かった。広い領域で同一部分のNO飽和吸着前と後とのSTM像の変化を定量的に比較すると、p(2x3)N種の単位格子あたりCu原子2個が消費されている事がわかった。この値から、p(2x3)N種の構造は、提案されてきたモデルのうちpseudo(001)構造がである事が分かり、その生成過程でCu原子が表面第1層に潜り込む事が分かった。NOに室温で触れさせたCu(110)表面をある温度まで昇温したSTM像では、p(2x3)N種の領域が温度上昇と共に次第に大きくなる様子が観察された。これと昇温脱離分析法(TDS)の結果を比較すると、370K付近で脱離してくるN2分子は、領域の幅が10A以下のp(2x3)N種由来である事が分かった。一方、これより大きくなったp(2x3)N種は、700K付近まで脱離せず、局所的な構造は同じでも領域の大きさによってp(2x3)N種の安定性が大きく異なる事がわかった。 Cu/Pd(111),O2/Cu/Pd(111):バイメタル表面の化学的性質をアトムレベルでしらべるのに先立ち、表面をアトムレベルで規定するため、Pd(111)面上へのCu原子の蒸着と銅酸化物の生成について実験を行った。室温でCu原子をPd(111)表面上に蒸着すると一層以下の蒸着量では層状成長した。Cu原子は下地のPdとは異なる格子定数で成長し、Cuアイランド上にはfcc-hcp境界と格子欠陥が現れた。このCu/Pd(111)表面にO2を触れさせると明るく観察される三角形状と暗く観察される六角形状の2種類の酸素誘起種がCuアイランド上に生成した。酸素雰囲気下でCuを蒸着すると、六角形状の酸素誘起種のみが生成し、高温では配列しての周期性を示した。六角形上の酸素誘起種はCuの含有量により、Pdの上に1層生成したCu2O酸化物の(111)面であることが分かった。 O2+H2/Cu/Pd(111):H2分子はPd(111)表面上では解離吸着するが、Cu(111)面上には解離の活性化障壁がある事が知られている。O2分子はPd(111)表面上では3配位サイトに解離吸着し、Cu(111)表面上では室温でCu2O種を形成し高温ではCu2O(111)面を形成する。すなわち、室温ではH2+O2反応はPd(111)表面上では進行するが、Cu(111)表面上では進行しない。そこで、Cu/Pd(111)バイメタル表面において、特にCuサイトにおいてH2+O2反応がどのような機構で進行するのかを明らかにするため、以下の実験を行った。 予めSTMを用いて規定されたCu/Pd(111)表面に室温でO2を触れさせたのちにH2を触れさせると、2種類の酸素誘起種のうち六角形状の銅酸化物のみが選択的に消失し、Cuアイランドへと還元された(図1)。Cuもしくは銅酸化物に覆われていないPd領域の広さを変化させると、Pd領域が広いほど反応は早く進行した。Pd領域が狭い場合には、反応はPd領域の近傍から選択的に進行した。また、表面からの生成物として以上の反応中に水が脱離するのが検出された。以上の事から、H2分子がPd領域で解離吸着し、生成した原子状水素がPd領域からCu領域へと拡散し、銅酸化物と反応してCuと水を生成することが明らかになった。 図1 Cu/Pd(111)面上でのH2+O2反応中の同一表面のSTM像変化(a)酸素過剰条件下(b)水素雰囲気下。(200×200Å2) NO,NO+H2/Cu/Pd(111):上記のようにH2に対してはPd(111)表面の方がCu(111)面より活性である。一方、NOはCu(111)面上では解離吸着するが、Pd(111)面上では室温で分子吸着する。そこで、Cu/Pd(111)バイメタル表面において、NOはどのように吸着するのか、また、NO+H2反応はどのように進行するのかを明らかにするため以下の実験を行った。 予めSTMを用いて規定されたCu/Pd(111)表面に室温でNOを触れさせると、Cuアイランド上には、明るい三角形状の銅酸化物のみが観察された。したがって、NO分子はCuアイランド上で解離吸着し、生成したN原子は、直ちに反応してN2もしくはN2Oとして脱離する事が分かった。NOに室温で触れさせたあとのCu/Pd(111)表面を、370KでH2に触れさせると、酸素誘起種が消失した。この事から、Pd領域がNO分子に一部覆われていても、H2分子は解離吸着してCuアイランド上の銅酸化物を還元する事がわかった。 |