学位論文要旨



No 113257
著者(漢字) 竹広,直樹
著者(英字)
著者(カナ) タケヒロ,ナオキ
標題(和) アトムレベルでみるバイメタル表面の反応特性
標題(洋) Chemical properties of bimetallic surfaces on an atomic scale
報告番号 113257
報告番号 甲13257
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3403号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,虔一
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 濱口,宏夫
 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
内容要旨

 序:少量の異種の金属を加える事で触媒の活性や選択性、寿命が著しく向上する事が明らかになって以来、バイメタル触媒は基礎、応用の両面からの多くの研究の対象となってきた。バイメタル表面の特異的な化学的性質の原因は、活性点自体の性質の変化や新たな活性点の形成と、異なる活性点が共同して働く事の2つに大きく分ける事ができる。表面科学の手法の進歩によりバイメタル表面に対して原子レベルの情報を得る事が可能になってくると、前者の機構に対する研究が数多く行われた。その結果、単結晶表面上の異種金属の薄膜といったような表面全体が均一な系に対しては、バイメタル表面の電子状態、構造といった物理的な情報と化学的性質との相関が明らかにされてきた。しかし、実験手法の空間分解能の限界により、研究対象は均一系における前者の機構に限られてきた。

 原子レベルの空間分解能と数十秒の時間分解能をそなえた走査トンネル顕微鏡(STM)の登場により事態は一変し、不均一なバイメタル表面上において数種類の異なる反応活性点を独立に識別しながら、表面反応をその場観察する事が可能となりつつある。本論文ではアトムレベルで規定されたCu/Pd(111)表面上でNO+H2反応に関する一連の研究を行い、Pd領域からCu領域への原子状水素の拡散により、新たな反応経路が生成する事を明らかにした。これは、後者の機構の一つである異なる活性点間の反応中間体の拡散を原子レベルで実証したモデル系である。

 研究内容は、Cu表面上のNOの解離吸着、Pd(111)表面上のCuの成長とその酸素に対する化学的性質、Cu/Pd(111)表面上でのO2+H2反応、Cu/Pd(111)表面のNOに対する化学的性質と表面上でのNO+H2反応、の4つである。

 NO/Cu(110):Cu(100)面やCu(111)面にNOを低温で触れさせ昇温した場合にはN2とN2Oが生成するが、Cu(110)面上ではNO分子は解離吸着する。Cu(110)面は、室温で酸素に触れさせると、-Cu-O-一次元鎖が配列したp(2x1)O構造をとり、活性化窒素にふれさせ加熱するとp(2x3)N表面を形成する。このCu(110)-p(2x3)N表面の構造については表面第1層のCu原子の密度の異なる2種類の構造モデルが提案されている。そこで、Cu(110)面でのNOの解離吸着過程、生成するN誘起種の生成過程とその構造、昇温に伴うN2の脱離過程に対してSTMを用いて研究を行った。

 Cu(110)表面を室温でNOに触れさせると、表面上を動き回る-Cu-O-一次元鎖とほとんど動かないp(2x3)の単位格子の大きさを持つp(2x3)N種が生成した。特に低被覆率においては、p(2x3)N種はステップエッジ近傍に特異的に生成し、このことからNOはステップエッジで優先的に解離する事が分かった。被覆率を増加させると、-Cu-O-鎖とp(2x3)N種が増加するのに伴い、ステップエッジが後退しホールが生成することによりCu原子がテラス上に供給される事が分かった。広い領域で同一部分のNO飽和吸着前と後とのSTM像の変化を定量的に比較すると、p(2x3)N種の単位格子あたりCu原子2個が消費されている事がわかった。この値から、p(2x3)N種の構造は、提案されてきたモデルのうちpseudo(001)構造がである事が分かり、その生成過程でCu原子が表面第1層に潜り込む事が分かった。NOに室温で触れさせたCu(110)表面をある温度まで昇温したSTM像では、p(2x3)N種の領域が温度上昇と共に次第に大きくなる様子が観察された。これと昇温脱離分析法(TDS)の結果を比較すると、370K付近で脱離してくるN2分子は、領域の幅が10A以下のp(2x3)N種由来である事が分かった。一方、これより大きくなったp(2x3)N種は、700K付近まで脱離せず、局所的な構造は同じでも領域の大きさによってp(2x3)N種の安定性が大きく異なる事がわかった。

 Cu/Pd(111),O2/Cu/Pd(111):バイメタル表面の化学的性質をアトムレベルでしらべるのに先立ち、表面をアトムレベルで規定するため、Pd(111)面上へのCu原子の蒸着と銅酸化物の生成について実験を行った。室温でCu原子をPd(111)表面上に蒸着すると一層以下の蒸着量では層状成長した。Cu原子は下地のPdとは異なる格子定数で成長し、Cuアイランド上にはfcc-hcp境界と格子欠陥が現れた。このCu/Pd(111)表面にO2を触れさせると明るく観察される三角形状と暗く観察される六角形状の2種類の酸素誘起種がCuアイランド上に生成した。酸素雰囲気下でCuを蒸着すると、六角形状の酸素誘起種のみが生成し、高温では配列しての周期性を示した。六角形上の酸素誘起種はCuの含有量により、Pdの上に1層生成したCu2O酸化物の(111)面であることが分かった。

 O2+H2/Cu/Pd(111):H2分子はPd(111)表面上では解離吸着するが、Cu(111)面上には解離の活性化障壁がある事が知られている。O2分子はPd(111)表面上では3配位サイトに解離吸着し、Cu(111)表面上では室温でCu2O種を形成し高温ではCu2O(111)面を形成する。すなわち、室温ではH2+O2反応はPd(111)表面上では進行するが、Cu(111)表面上では進行しない。そこで、Cu/Pd(111)バイメタル表面において、特にCuサイトにおいてH2+O2反応がどのような機構で進行するのかを明らかにするため、以下の実験を行った。

 予めSTMを用いて規定されたCu/Pd(111)表面に室温でO2を触れさせたのちにH2を触れさせると、2種類の酸素誘起種のうち六角形状の銅酸化物のみが選択的に消失し、Cuアイランドへと還元された(図1)。Cuもしくは銅酸化物に覆われていないPd領域の広さを変化させると、Pd領域が広いほど反応は早く進行した。Pd領域が狭い場合には、反応はPd領域の近傍から選択的に進行した。また、表面からの生成物として以上の反応中に水が脱離するのが検出された。以上の事から、H2分子がPd領域で解離吸着し、生成した原子状水素がPd領域からCu領域へと拡散し、銅酸化物と反応してCuと水を生成することが明らかになった。

図1 Cu/Pd(111)面上でのH2+O2反応中の同一表面のSTM像変化(a)酸素過剰条件下(b)水素雰囲気下。(200×200Å2)

 NO,NO+H2/Cu/Pd(111):上記のようにH2に対してはPd(111)表面の方がCu(111)面より活性である。一方、NOはCu(111)面上では解離吸着するが、Pd(111)面上では室温で分子吸着する。そこで、Cu/Pd(111)バイメタル表面において、NOはどのように吸着するのか、また、NO+H2反応はどのように進行するのかを明らかにするため以下の実験を行った。

 予めSTMを用いて規定されたCu/Pd(111)表面に室温でNOを触れさせると、Cuアイランド上には、明るい三角形状の銅酸化物のみが観察された。したがって、NO分子はCuアイランド上で解離吸着し、生成したN原子は、直ちに反応してN2もしくはN2Oとして脱離する事が分かった。NOに室温で触れさせたあとのCu/Pd(111)表面を、370KでH2に触れさせると、酸素誘起種が消失した。この事から、Pd領域がNO分子に一部覆われていても、H2分子は解離吸着してCuアイランド上の銅酸化物を還元する事がわかった。

審査要旨

 本論文は、第1章Introduction,第2章Dissociative adsorption of NO on a Cu(110)surface and following formation of Cu(110)-p(2x3)N island,第3章Growth and alloying of submonolayer Cu evaporated onto a Pd(111)surface,and their adsorption properties to O2,第4章Reaction of H2 and O2 on CuPd(111): diffusion of H from Pd to Cu,第5章Adsorption of NO and reaction of H2 and NO on Cu/Pd(111),第6章Summary and Conclusions、の6章から構成されている。

 第1章は、本研究の目的及び本研究で用いた主要な手法である走査トンネル顕微鏡(STM)を表面反応や触媒作用に用いることによって活性点の構造、電子状態、反応分子(原子)の表面拡散について原子スケールで理解が可能になったことの重要性をバイメタル表面の触媒作用を例として歴史的な発展をふまえて述べている。

 第2章では、Cu(110)表面でNOが解離吸着したことで生じる表面におけるCu原子の動きに注目した実験が行われた。Cu(110)表面ではCu(111)及びCu(100)表面と異なりステップエッジでNO分子は優先的に解離し、生成した酸素原子はCu原子と反応し(-Cu-O-)鎖を生成しテラス内で[001]方向に成長する。同時に供給されるN原子はNOの解離が起きたステップエッジ近傍でp(2x3)-N構造を創る。ステップ近傍に形成されるp(2x3)-N構造を原子数を数えてみると、p(2x3)単位格子当り2個のCu原子がステップから供給されていることが分かり、p(2x3)-N構造の部分のCu原子密度は(1x1)Cu(110)表面の1.33倍となっていることを初めてアトムレベルで実証した。Cu(100)表面のp(2x3)-N構造に対し、これまで2つのモデルが提案されていたが、このうち一つであるNの吸着によりCuの原子密度が増えpseudo(100)表面が形成されるとするモデルが正しいと結論した。また、NOが解離吸着したCu(110)表面を昇温すると、小さなp(2x3)-Nドメインが大きなドメインに成長すると著しく安定になることを見つけた。即ち、昇温すると10A以下の小さなp(2x3)-Nドメインは約370Kで分解しN2を脱離するが大きく成長したp(2x3)-Nドメインは安定になり700K以下ではN2を脱離しなくなると言う興味深い新しい現象を見つけた。

 第3章は、室温でPd(111)表面にCuが単原子層成長し形成されるアイランドの構造とその表面にO2が吸着したときの変化を調べている。室温で清浄なPd(111)表面に単原子成長したCuアイランドは基盤のPd(111)の格子定数より短いので、Pd(111)表面を覆った単原子層のCu原子はPd(111)表面のfccサイト上にある場所とhcpサイト上にある場所ができ、その境界ではSTM像が高くなるモアレ像となる。また、Pd(111)表面に成長した単原子層のCuアイランドには多数の格子欠陥が出来ることが分かった。このようなCu/Pd(111)表面をO2を触れさせると、酸素の吸着によりCuアイランド上に明るい動く三角形状のクラスター状の部分と酸素が吸着し暗く六角形状に見える部分が現れる。一方、O2中でPd(111)表面にCu原子を蒸着すると三角形状のクラスターは生成せず、酸素の吸着による暗い六角形状の構造のCuアイランドが成長する。この暗い六角形状の吸着構造は加熱すると単原子層のCu2Oの(111)面として成長することが示され、三角形部分はCuアイランド上にCuが2層になった部分であるとした。

 第四章ではCu/Pd(111)表面表面に酸素を吸着させた際に現れる2つの異なる吸着状態について水素との反応を調べた。その結果、アイランド上に六角形状に見える吸着酸素は室温でH2と容易に反応するが三角形状の部分の酸素は反応しないことが分かった。即ち、Pd(111)上に2原子層のCuから成る三角形状のクラスター上に吸着した酸素は反応しない。一方、H2を過剰にしたH2+O2の混合気体をPd(111)表面に触れさせると触媒反応が速やかに進行し定常状態でPd(111)表面の酸素は殆ど除去され清浄な状態になっているがCu表面では反応速度が遅いので吸着酸素が存在する状態になる。その結果、清浄なCu/Pd(111)に酸素を吸着させた際に生成する暗い六角形状の部分と明るい三角形部分からなる表面が直接生成することが示された。また、六角形状に見える吸着酸素はCuアイランドのエッジから反応し消えることからPd(111)の部分でH2分子は解離しH原子としてCuアイランドの内部に拡散し反応することが実証された。

 第五章ではCu/Pd(111)表面でのNOの吸着とNO+H2反応を調べた。NO分子はH2分子と逆にPd(111)表面では解離しないがCu(111)表面では解離することが知られて居る。Cu/Pd(111)表面に室温でNOを触れさせるとO2と異なり三角形上の島のみが生成する。このことからNO分子はCuアイランドで解離しN2O或いはN2として脱離し反応性の低い酸素のみ三角形状の島に残る。

 以上、本論文では走査トンネル顕微鏡法を用い表面反応をアトムレベルで詳細に調べることにより、これまでの分光法や回折法では分からなかった表面の局所構造の違いによる反応性の差異、反応分子或いは原子の表面拡散、さらに定常状態におけるバイメタル表面の不均一性を反応条件下で明かにした。これらの研究結果は、金属及びバイメタル表面の触媒作用の本質を解明し理解するために大きく寄与すると判断される。なお、本論文は田中虔一、F.Besenbacher,I.Stensgaard,E.Laegsgaard,大川祐司、松本祐司、向井孝三等との共同研究を含むが、いずれも論文提出者が主体となって研究を行なった研究であり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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