学位論文要旨



No 113262
著者(漢字) 松本,祐司
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ユウジ
標題(和) 原子レベルで制御された金属表面上の表面化学
標題(洋) Atomic-scale Understanding of Adsorption and Reaction on Metal Surfaces
報告番号 113262
報告番号 甲13262
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3408号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,虔一
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 助教授 吉信,淳
内容要旨

 従来,表面研究の一つの方向性としては,構造が未知なる系に対し,電子や光をプローブとした種々の分光学的手法を用い,その逆空間に関する情報や電子状態,結合状態などの情報から,実空間でその構造を決定することにあった。しかしながら,近年STMなどの局所プローブ法の登場により,予め原子レベルで規定された表面をXPS,HREELSやARUPSなどを用いて測定し,より多角的に表面の構造や電子状態,振動状態を素性よく議論できるようになってきた。その結果として,逆にSTMなどのアトムプローブ法をモニターがわりとして,原子レベルで制御された表面構造を作成し,それが示す電子状態や結合状態がどのようであるか,ということに興味がもたれる。すなわち,今後は,いかに表面に任意の構造を作成し,その物性を明らかにしていくかがますます重要となりつつあると言える。

 そこで,我々はまず,我々が初めて見い出したAg(110)面上のN構造に対してSTMによって予め局所的に構造を規定した表面に対してHREELSを適用し,これまでCu(110),Ni(110)面上のN構造では報告されなかった(M-N)振動モードを見い出し,それら複数の振動モードをSTMからわかっているp(2×3)-Nの局所的な微細構造と対応させて解釈することに成功した。また,NとOとの共吸着表面(Fig.1)を昇温すると,Cu(110),Ni(110)表面の共吸着系では起こらなかった,NとOの表面反応によるNOの生成を見い出した。特に興味深いことは,NOの脱離はN2の脱離温度と一致し,脱離温度における活性Nの生成がNO生成のひきがねとなっていることがわかった。また,ここでは,(-Ag-O-)鎖が選択的に光分解することも見い出した。

Fig.1STM image of the p(2x3)-N on Ag(110)with(-Ag-O-)strings.

 次にPt-Rh(100)単結晶をバイメタル系のモデル表面として用い,PtとRhの酸素に対する親和性の違いから,酸素に触れさせたときのその表面組成や構造変化について調べ,表面現象における化学的側面を検討した。その結果これまでにない新たな酸素吸着系であるc(2×20)-O表面(Fig2(b))を見い出し,LEED,AESやTDSなどの結果からこの表面は,より酸素に触れさせることによって,これまで知られていたp(3×1)-O表面に比べて著しくRh原子が表面に偏析し,表面に疑似Rh(111)面が生成し,その表面上に酸素が吸着した構造であることが示唆された。また,p(3×1)-O構造では,(-Rh-O-)鎖とPt鎖とを区別して観察することに成功し(Fig.2(a)),STM探針による化学分析の可能性が示唆された。

Fig.2(a)STM image of the p(3x1)-O Pt-Rh(100).26Åx26Å.(b)STM image of the c(2x20)-O Pt-Rh(100)40Åx40Å.

 そこで,今度は,これまでにないバイメタル表面として,Ag(110)面上のCuと酸素との反応について研究を行った。ここでは,"金属表面上の疑似化合物の生成と配列"をその指導原理として酸素との親和性の違いを積極的に活用して,Ag(110)表面上の(-Ag-O-)鎖にCu原子を蒸着することによって,(-Ag-O-)+Cu→(-Cu-O-)+Agの化学反応を利用してAg(110)表面上に(-Cu-O-)鎖を合成した(Fig.3(a))。このAg(110)上の(-Cu-O-)鎖はSTMのほか,XPS,HREELS,ARUPSなどを用いて多角的に研究をおこなった。その結果,XPS,HREELSからは,(-Ag-O-)+Cu→(-Cu-O-)+Agの過程における,(Ag-O)結合から(Cu-O)結合への変化を捉えることに成功し,STMを組み合わせることによって,この反応が表面で化学量論的に起こっていることが明らかにされた。また,ARUPSの結果からは,(-Cu-O-)鎖中の酸素O2pバンドは1次元鎖方向に分散をもち,1次元的な電子状態であることがわかった。さらに,Ag(110)上の(-Cu-O-)鎖の特異的な性質として,(-Cu-O-)鎖を570Kで加熱分解すると,これまでにないまったく新しい,Cu原子6個からなるクラスターが生成することを見い出した(Fig.3(b))。このとき,HREELSで,(Cu-O)結合に由来する振動モードが消失することも確認している。このCu原子6個からなるクラスターは室温で容易に酸素と反応し,STMによるその場観察から,1個1個のクラスターが独立に酸素と反応して再び(-Cu-O-)鎖が成長していくことがわかった。

Fig.3(a)STM image of the(-Cu-O-)/Ag(110).250Åx250Å(b)STM image of the Cu cluster/Ag(110)

 最後は,バイメタル系としてCu(100)面上のNiと窒素との反応について研究を行った。ここでは,先のAg(110)面上のCuと酸素との反応とは異なり,Cu(100)-N表面が安定なためにのような反応は進行しない。そこで,Cu(100)-N表面の特異的な自己組織化を活用して,清浄表面とN表面との共存した約50Å間隔のgridを作成し,これをいわば原子レベルでのテンプレートとして,Niを蒸着した。その結果,Niは選択的に清浄部分であるgridの格子点にエピタクシャル成長した(Fig.4(a)(b))。そのエピタクシャル成長したNi薄膜のサイズは約50Åと比較的均一で,470Kでも安定に存在し,清浄部分への選択的核成長は熱力学的支配の現象であることが示唆された。一方,Niの被覆率依存から,Niアイランドの数がNiの被覆率に対し,線形に増大したことから,Niアイランドの核の周りでの成長は,速度的支配の現象であることがわかった。

Fig.4(a)STM image of Ni islands arranged in the lattice pattern on Cu(100)-N.2070Åx2070Å(b)Expanded STM image of Ni islands.370Åx370Å

 以上,本研究によって,STMとその他の分光学的手法を組み合わせることが,表面構造やそのダイナミクスを研究する上で有力な手法であること,また,化学反応とその自己組織化を活用することで表面に新しいナノ構造を作成できる可能性を示せたのではないかと考えている。

審査要旨

 本論文は第一章Introduction,第二章Experimental,第三章Formation of p(2x3)-N structure and its reaction with(-Ag-O-)strings on the Ag(110)surface,第四章Oxygen-induced reconstructions on a Pt-Rh(100)alloy surface,第五章Reaction of Cu and O on the Ag(110)surface,第六章Growth of nano-size Ni thin films on a modified c(2x2)-N Cu(100)surface,第七章Summary and Outlookで構成されている。

 第一章では、分光法や回折法等の実験手法による従来の表面研究は、必然的に一定の条件を満たした表面の平均量からの表面の電子状態や構造を推定するものであった。これに対し、走査トンネル顕微鏡(STM)により研究対象となる表面をアトムレベルで認識した上で分光学的測定をすることは、従来の研究で立ち入れなかった表面の特異構造や相互作用の本質を理解出来るようになり、本質的な新しい発展が期待される。しかし、現時点ではこのような視点での研究は殆どなく、本研究はこのような視点で行なわれた研究であることを述べている。また、これまでは金属表面を気体に触れさせると気体分子が「吸着」すると観念的に考えてきたが、本研究では表面にのみ存在できる物質系があるとする新しい概念を導入し、従来の吸着の概念に縛られていては発想できない「物質として新しい表面」を合成することが可能になることを述べている。

 第二章は、本研究で主として使用した化学反応用に設計された超高真空STM装置と実験方法の概略を述べている。

 第三章では、N2をグロー放電し生成するN2+或いはN+にAg(110)表面を曝すことで初めて見つけたNが吸着したAg(110)表面の構造と反応性を詳しく述べている。特に配列の局所構造をSTMで明確にしたN/Ag(110)表面に高分解能電子線エネルギー損失分光法(HREELS)を適用し、Cu(110),Ni(110)表面に吸着したNについてこれまで報告されていない新しい(M-N)振動モードが現れることを見つけ、STMで分かる局所的な微細構造と対応させてこの振動モードを考察した。

 また、Nを吸着させたAg(110)表面にO2を吸着させると既存のNの吸着構造が2次元的に圧縮され、[p(2x3)-N+p(2x1)-O]で記述できる規則配列した複合表面が生成することを見つけた。この複合表面を昇温するとN2とNOが490K-520Kで殆ど同時に脱離し、続いて600KになるとO2が脱離する。NOが脱離するにも関わらず表面にNOが吸着している証拠は全く無いことから、N原子が表面で拡散できる温度になると、N+N→N2及びN+(-Ag-O-)→NO+Ag反応が同時的に進行する結果、NOとN2が同じ温度で生成すると考えた。また、[p(2x3)-N+p(2x1)-O]表面を光照射すると熱的に安定な(-Ag-O-)のみが光分解し消失することをアトムスケールで示し、さらに(-Ag-O-)が光分解で消失した表面の昇温脱離実験ではN2のみ脱離しNOは生成しないことを明かにし、反応の素過程は上記の表面素反応で表されることを証明した。

 第四章では、NOx除去触媒として知られているPt-Rh三元触媒のモデルとしてPt0.25Rh0.75(100)合金の活性化機構と活性構造についてのSTMによる実験をまとめている。約1000KでアニールしたPt0.25Rh0.75(100)表面はPtが過剰な表面組成になっている。この表面をO2或いはNO中で450K-500Kに加熱すると、これまでの田中研究室の研究からRhは容易に表面に析出し触媒活性なp(3x1)-O表面が形成されることが分かっている。この表面をさらに酸素中で加熱するとc(2x20)-O構造に変化することを見つけた。これらの表面をSTMにより調べ、p(3x1)-O表面はPt/Rh-O/Ptが規則的に並んだ複合表面であり、c(2x20)-OはRhがさらに析出しRh(111)に近い表面を形成しそこにOが吸着した構造であることを示した。

 第五章では、酸素に対する結合の強さがAgとCu原子で異なることを利用してAg(110)表面に(-Cu-O-)擬似化合物を合成し配列させた表面について述べている。(-Ag-O-)鎖がp(2x1)構造に配列したAg(110)表面にCu原子を蒸着させると、(-Ag-O-)+Cu→Ag+(-Cu-O-)反応が起きAg(110)表面で(-Cu-O-)鎖は[]方向に成長し(2x2)p2mgに規則的に配列することを見つけた。さらに、このようにしてAg(110)表面に生成した(-Cu-O-)鎖は(-Cu-O-)/Ag(110)(Cu)6+O2に従って可逆的に反応し、新規の構造を持つ(Cu)6クラスターが選択的に生成することを発見した。また、Ag(110)表面に生成した(-Cu-O-)鎖の角度分解光電子スペクトル(ARUPS)を測定し、O2pバンドの分散から(-Cu-O-)鎖は一次元的な電子状態にあることが示されている。

 第六章では、Cu(100)表面にN2のグロー放電でNを吸着させると約50x50A2のc(2x2)-Nパッチが規則的に配列し、一種のスーパーグリッド表面が形成される。このような表面にNiを蒸着すると、Niはスーパーグリッドの交点でのみ一定サイズの島として成長するため、Niドットが規則的に配列した表面が得られることを見つけ、その形成機構を明かにした。

 第七章は、STMと分光学的手法を組み合わせることによって化学反応を用いたアトムレベルでの表面制御及び新しい表面の設計が可能なことを述べている。

 以上、金属表面での吸着と化学変化を原子レベルで明かにし多くの新しい現象を発見し新しい概念を導出した本研究は、今後の表面研究に極めて重要な影響を与えると判断される。なお、本論文は田中虔一、大川祐司、向井孝三、鈴木健二、藤田高弥、坂本一之、相原康敏、須藤彰三、B.E.Nieuwenhuys、森脇邦子等との共同研究を含むが、いずれも論文提出者が主体となって研究を行なった研究であり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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