審査要旨 | | 本論文は4章からなり,第1章は序論,第2章は含ヨウ素中性分子を組み込んだ多元系分子性導体(TTF系ドナー分子のカチオンラジカル塩)の合成,結晶構造解析,電気伝導度,バンド計算,第3章はアズレン置換TTFの合成とそのカチオンラジカル塩の物性,第4章はまとめである。 第1章序論では,分子性電気伝導体の構造と物性との相関,超伝導性,超分子化学に関する研究の現状を概観し,本論文のテーマである分子配列と電子構造の制御の重要性が強調されている。分子性導体の電子構造の多様性は,結晶内における分子配列の多様性に帰着される。したがって,分子配列の制御は従来から分子性導体開発の中心テーマであり今現在も最重要課題の一つである。最近は,伝導を担う分子のみに関する設計だけではなく,対イオンとの相互作用をも含めた結晶全体の構造設計(Crystal Engineering)の必要性が指摘されている。その観点から,本論文では超分子構造の利用が提案されている。超分子は,2つ以上の分子が分子間力で会合する結果できる高次の集合体であり,その構造様式は非常に多様であり,また系統的な設計が可能である。これを,ドナーあるいはアクセプター分子のカチオンラジカルの対イオンとして用い,伝導部位の構造制御に応用するというのが主眼である。一方,分子性導体の物性は,必ずしも分子配列だけによって決まっているのではない。分子固有の電子状態が重要な要素となる局面がある。これに関連して,高温超伝導体のモデルとして提案されたリトルのモデル(そしてその改定版としてギンツブルクのモデル)について紹介されている。これらは,電子間の引力相互作用の原因としてイオン分極の代わりに(分子の)電子分極を利用することによって超伝導転位温度を上げるというものであるが,合成上の困難もあって実現されていない。本論文では,モデルの問題点を整理した上で,電子励起によって極性を反転させるアズレンを有機ドナーであるTTFに組み込むことによって,モデルを実現することが提案されている。 第2章では,含ヨウ素中性分子とアニオンとから種々の超分子構造を構築し,これをTTF系ドナー分子のカチオンラジカルの対アニオンとして用いた分子性導体について記述されている。超分子構造を持つ化合物の研究は,近年非常に盛んであり,多くの新規な結晶構造が報告されている。しかし,これを固体物性の観点から応用した例はほとんどなかった。一方,分子性導体は通常カチオンとアニオンからなる2元系であるが,結晶作成の際にしばしば溶媒分子が結晶内に取り込まれ,3元系分子性導体が得られることがある。時として,この第3の成分が物性(例えば超伝導転位温度)に影響を与えることが知られている。その点で中性分子を含む多元系分子性導体は,興味ある系である。しかし,溶媒分子の取り込みはあくまでも偶然に頼ることが多い。また,このようにして取り込まれた溶媒分子は,多くの場合,結晶内では緩く束縛されているために,伝導物性にとっては望ましくない「配向の乱れ」を示す。そこで多元系分子性導体の開発には,中性分子を結晶中に堅固な構造の一部として制御可能な形で組み込むことが必要となってくる。本論文では,そのために電子不足ヨウ素を含む中性分子とアニオン間の一種のルイス酸-ルイス塩基相互作用に基づくアニオン集積体を利用している。具体的には,含ヨウ素中性分子の存在下,TTF系ドナー分子の定電流電気分解を行うことによって12種類の新規分子性導体を得ている。含ヨウ素中性分子としてはDIA(Diiodoacetylene),TIE(Tetraiodoethylenc),p-BIB(p-Bis(iodoethynyl)benzene)の3種類を用いている。X線結晶構造解析の結果,いずれの新規分子性導体においても,結晶中に中性分子とアニオンとからなる集積体が構築されていることがわかった。しかも,その構造様式は,1次元鎖,2次元シート,3次元ネットワークと非常に多様である。これに対応して,ドナー分子の配列も従来見られなかったようなユニークなものが多数見い出されている。本論文では,これらのドナー配列を分類整理し,ドナー分子がアニオンと中性分子の集積構造へ組み込まれていく時の様式を"slip","rotation","penetration"の3つのキーワードで分析している。さらに,集積構造の様式と,配位数,結合距離,結合角等との相関が整理されている。物性の観点から見ても,これらの新規分子性導体は,極低温まで安定な金属状態を保つものを含め,興味ある振る舞いを示すものが多いことを明らかとしている。 第3章では,リトルによって提案された有機物高温超伝導体を,アズレン置換TTFを用いて実現させる試みについて述べられている。アズレンは,基底状態と励起状態で異なる双極子モーメントを持つことで知られており,これを良好な伝導体を与えるTTFに組み込むことによって,伝導電子が双極子の振動によるクーロン場と相互作用する系の構築が検討されている。この目的のために6種の新規ドナーが合成されている。得られたドナー分子のX線結晶構造解析,可視吸収スペクトルおよび分子軌道計算から,アズレン部位が無置換アズレンとほぼ同じ電子構造を保っていることが示唆され,アズレンの振動双極子としての潜在的な能力が保持されていることを示している。カチオンラジカル塩の作成も試みられているが,結晶性の良好なものを得ることが難しいこともあって,現段階では当初の目的は達成されていない。しかし,金属的な塩を得るための方針は提示されている。 第4章では,金属酸化物等の無機系伝導体と比較して,分子性伝導体の今後の展望について述べられている。今後の物質開発の鍵が「多元系」と「多バンド系」であることを指摘した上で,本研究がこれらの開発の基礎を築く上で果たした意義について述べられている。 分子配列と電子状態の2つの視点から分子性導体の物性制御に取り組んだ本研究の結果は,今後の分子性導体開発の指針をつくりあげていく上で重要な基礎となるであろう。 なお,本論文の一部は,加藤礼三,山浦淳一との共同研究であるが,論文提出者が主体となって合成及び物性評価を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める。 |