学位論文要旨



No 113266
著者(漢字) 山本,浩史
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ヒロシ
標題(和) ドナー系分子性導体における分子配列と電子構造の制御に関する研究
標題(洋) Control of the Arrangement and Electronic Structure of Donor Molecules in the Organic Conductors
報告番号 113266
報告番号 甲13266
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3412号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加藤,礼三
 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 田島,裕之
 東京工業大学 助教授 森,健彦
内容要旨 0.

 分子性導体においては分子がその基本的な構成要素であるため、結晶中での分子配列と、個々の分子の電子構造との両方が密接に連係して全体の物性を決定している。本研究では分子配列の制御と、分子の電子構造の制御という2つの観点から、従来とは異なったアプローチで開発研究を行った。

 

1.含ヨウ素中性分子を用いた分子性導体の結晶構造制御

 BEDT-TTF(ET)塩に代表されるドナー系の分子性導体は、通常ドナー分子のカチオンラジカルとその対アニオンとの2成分から構成される。しかしながら、その他の成分として電荷を持たない中性成分が取り込まれることがあり、時にそうした第3成分の存在は超伝導などの物理的性質に影響を与えることが知られている。また、このような「中性」分子を構造ユニットとして用いることは、結晶全体の電荷バランスを気にしなくて良いという利点がある。従って、物質探索において3成分系はより詳細に検討されるべき物質群であるが、従来の3成分系では中性成分はほとんどの場合溶媒から取り込まれたものであり、その作製は偶然的要素に支配されていた。また、結晶内での溶媒分子の束縛は弱く、乱れた分子配向を示すことが多いため、結晶の安定性や電気伝導に対して望ましくない影響を与える場合も多かった。筆者は、アニオンと比較的強く相互作用する中性分子を意図的に導入して、乱れのない堅固な集積構造を持つアニオン部分を形成し、これによって、従来の3成分系が持っていたメリットを生かしつつ、カチオンラジカルが形成する伝導経路の次元性などを制御することを試みた。

 具体的な手法としては、diiodoacetylene(DIA)やtetraiodoethylene(TIE),p-bis(iodoethynyl)benzene(pBIB)といった電子不足ヨウ素を有する中性分子の存在下、最も標準的なドナーであるETやEDT-TTFなどを電気分解してカチオンラジカル塩の作製を行った。その結果、ハロゲン化物イオンなどの電荷の分散していないアニオンを用いた場合にDIAやTIEが結晶中に取り込まれることが見出された。これらの結晶中ではヨウ素-アニオン間のルイス酸-ルイス塩基相互作用によって中性分子とアニオンとが1次元鎖((1))、2次元シート((2))、3次元ネットワーク((3))などの様々な次元性を持った集積構造を形成している。又、中性分子をDIAからpBIBに変えて(1)の一次元鎖の繰り返し単位を長くすることによって、ドナー分子の形式電荷を変えることに成功した((4))。

(1)(ET)2X(DIA)(X=Cl,Br)

 結晶中ではハロゲン化物イオンとDIAが交互に並ぶ1次元鎖が形成されている。ハロゲン化物イオンと、DIAのヨウ素原子との距離はファンデルワールス接触より約20%短くなっており、両者の間には強い相互作用があると考えられる。また、ドナー分子はこの1次元鎖に沿って整列しており、図1を見ると末端エチレンのC-C結合が1次元鎖にほぼ平行になっているのが分かる。実際、末端エチレン上の水素原子とDIA、X-との間には短い原子間距離が見られる。ドナー分子のHOMO同士の重なり積分を計算したところ、1次元鎖に沿ったrおよびsの重なりが最も大きかった。電気伝導度は1.6Kまで金属的である。

図1:b軸方向から眺めた(ET)2X(DIA).
(2)(ET)6(AuBr2)6Br(TIE)3

 Br-,AuBr2-それぞれに対してTIEのヨウ素原子が4つ配位して出来た平面的シート構造が見られる(図2)。AuBr2-に関しては、中心の金原子が配位サイトである。AuBr2-は直線状アニオンであるため、平面から若干飛び出しており、その突起を避けるようにしてETが配置している。この場合も明らかにアニオンと中性分子のシート構造がドナー分子の配列を決めている。フェルミレベルでは状態密度が比較的高くなっていると予想される。室温付近での電気抵抗(約10-1cm)の温度依存性は小さいが、低温においては徐々に抵抗値が上昇する。

図2:長軸方向から見た(ET)6(AuBr2)6Br(TIE)3
(3)(EDT-TTF)4BrI2(TIE)5

 EDT-TTFをドナーとして用いた場合にはハロゲン化物イオン(Br-,I-)とTIEによる3次元ネットワーク構造を結晶内に構築することが出来た(図3)。ドナー分子に関しては、EDT-TTFが二枚周期でc軸方向に一次元のカラムを形成しており、アニオンとTIEが作るチャンネル中に収まっている。電気伝導度は構造から予想されるように異方性が非常に大きく、c軸に平行な方向と垂直な方向とで約2000倍の異方性が観測された。伝導度の温度依存性は半導体的である。

図3:c軸方向から見た(EDT-TTF)4BrI2(TIE)5
(4)(ET)3Cl(pBIB)

 pBIBは直線状の中性分子であるためDIAと同じく一次元鎖状構造を形成するが、この分子を用いた場合には(1)と異なる点がいくつか見られた。その中でも注目すべきは集積構造の直線方向(縦方向)の周期が1.5倍となり、その結果ドナー分子とアニオンのモル比が3:1という値をとるようになったことである。これは、ドナーの形式電荷が1/3になることを意味するので、この系が形式電荷の制御に有効であることが示されたと考えられる。電気伝導度は4.2Kまで金属的である。

図4:(ET)3Cl(pBIB)の結晶構造

 これらの結晶構造を総合的に比較検討した結果、ドナー分子配列がアニオン集積構造と周期を合わせるためにとるパターンが3つあることが明らかとなった。さらに、ルイス酸-ルイス塩基相互作用による配位結合のデータを検討したところ、結合距離はおおよそアニオンの種類、アニオンに対する配位数、およびヨウ素原子の電子不足度から決まっているという傾向が認められた。一方、アニオンへの配位数および配位結合間の角度はかなり自由に変化することができる。この自由度は本研究で得られた集積構造の多様性の要因になっていると考えられる。

2.アズレン置換TTFの合成とそのカチオンラジカル塩の物性

 1964年に提案されたW.A.Littleによる有機物高温超伝導体の理論は、多くの研究者の注目を集めたにも関わらず、これを検証するような実験的試みは成功していない。その主たる原因は提案された化合物が現実的には合成困難であるためと考えられる。しかしながら、超伝導のTcが1/M1/2に比例するという同位体効果の延長として、フォノンの代わりに質量の軽い電子の振動を用いれば、飛躍的にTcが向上するはずであるという彼の理論はさらなる実験的検討に値すると考えられる。そのためにはより現実的で合成可能な系を構築することが重要である。

 そこで彼の提案を実験的に検証する試みとして、良好な伝導体を与えるTTFと、基底状態と励起状態で異なる双極子モーメントを持つことで知られるアズレンとを組み合わせて、伝導電子が双極子の振動によるクーロン場と相互作用する系を構築することを試みた。

図4 Littleのモデル図5 本研究でのモデル

 まず図6に示すような合成経路でアズレン置換TTFを合成し、CVによりこれらのドナーの酸化還元電位を測定した。その結果、アズレノエチレンジチオTTF(AET;X=S,R=-S-CH2-CH2-S-)などいくつかのドナーはETとほぼ同様の酸化還元電位を示し、十分なドナー性を有していることが明らかとなった。

図6 ドナーの合成

 また、X線結晶構造解析、可視吸収の測定、および半経験的分子軌道法による分子軌道計算から、合成したドナーのアズレン部位が無置換アズレンとほぼ同じ電子構造を保っていることを示唆する結果が得られた。このような結果は期待しているアズレンの振動双極子としての潜在的な能力が保持されていることを示している。

 新しく合成したドナーのカチオンラジカル塩の作製を定電流電気分解法により行ったところ、(AET)2PF6などのいくつかの塩では室温での電気伝導度が数Scm-1程度の良導体が得られたが、電気伝導度の温度依存性は半導体的であった。(AET)2[Pt(dmit)2]についてはX線構造解析を行うことが出来、2分子のAETと1分子のPt(dmit)2が交互積層型カラムを作っていることが分かった。バンド計算の結果、Pt(dmit)2よりもLUMOのエネルギー準位の低いアクセプターを用いれば、フェルミ面が現れ、金属状態が得られることが示唆された。

3.まとめ

 アニオンと電子不足ヨウ素を持つ中性分子との間に働く相互作用を、特異な集積構造を持つアニオン部分の構築に利用する手法を開発し、従来の2成分系には見られなかった新規ドナー配列や興味深い物性を示す高伝導性カチオンラジカル塩を得た。加えて、集積構造の設計指針を考える際に重要と思われる幾つかの知見を得る事も出来た。また、TTF骨格にアズレンを置換基として導入することにより、ほぼ狙い通りの分子内電子構造を構築した。

審査要旨

 本論文は4章からなり,第1章は序論,第2章は含ヨウ素中性分子を組み込んだ多元系分子性導体(TTF系ドナー分子のカチオンラジカル塩)の合成,結晶構造解析,電気伝導度,バンド計算,第3章はアズレン置換TTFの合成とそのカチオンラジカル塩の物性,第4章はまとめである。

 第1章序論では,分子性電気伝導体の構造と物性との相関,超伝導性,超分子化学に関する研究の現状を概観し,本論文のテーマである分子配列と電子構造の制御の重要性が強調されている。分子性導体の電子構造の多様性は,結晶内における分子配列の多様性に帰着される。したがって,分子配列の制御は従来から分子性導体開発の中心テーマであり今現在も最重要課題の一つである。最近は,伝導を担う分子のみに関する設計だけではなく,対イオンとの相互作用をも含めた結晶全体の構造設計(Crystal Engineering)の必要性が指摘されている。その観点から,本論文では超分子構造の利用が提案されている。超分子は,2つ以上の分子が分子間力で会合する結果できる高次の集合体であり,その構造様式は非常に多様であり,また系統的な設計が可能である。これを,ドナーあるいはアクセプター分子のカチオンラジカルの対イオンとして用い,伝導部位の構造制御に応用するというのが主眼である。一方,分子性導体の物性は,必ずしも分子配列だけによって決まっているのではない。分子固有の電子状態が重要な要素となる局面がある。これに関連して,高温超伝導体のモデルとして提案されたリトルのモデル(そしてその改定版としてギンツブルクのモデル)について紹介されている。これらは,電子間の引力相互作用の原因としてイオン分極の代わりに(分子の)電子分極を利用することによって超伝導転位温度を上げるというものであるが,合成上の困難もあって実現されていない。本論文では,モデルの問題点を整理した上で,電子励起によって極性を反転させるアズレンを有機ドナーであるTTFに組み込むことによって,モデルを実現することが提案されている。

 第2章では,含ヨウ素中性分子とアニオンとから種々の超分子構造を構築し,これをTTF系ドナー分子のカチオンラジカルの対アニオンとして用いた分子性導体について記述されている。超分子構造を持つ化合物の研究は,近年非常に盛んであり,多くの新規な結晶構造が報告されている。しかし,これを固体物性の観点から応用した例はほとんどなかった。一方,分子性導体は通常カチオンとアニオンからなる2元系であるが,結晶作成の際にしばしば溶媒分子が結晶内に取り込まれ,3元系分子性導体が得られることがある。時として,この第3の成分が物性(例えば超伝導転位温度)に影響を与えることが知られている。その点で中性分子を含む多元系分子性導体は,興味ある系である。しかし,溶媒分子の取り込みはあくまでも偶然に頼ることが多い。また,このようにして取り込まれた溶媒分子は,多くの場合,結晶内では緩く束縛されているために,伝導物性にとっては望ましくない「配向の乱れ」を示す。そこで多元系分子性導体の開発には,中性分子を結晶中に堅固な構造の一部として制御可能な形で組み込むことが必要となってくる。本論文では,そのために電子不足ヨウ素を含む中性分子とアニオン間の一種のルイス酸-ルイス塩基相互作用に基づくアニオン集積体を利用している。具体的には,含ヨウ素中性分子の存在下,TTF系ドナー分子の定電流電気分解を行うことによって12種類の新規分子性導体を得ている。含ヨウ素中性分子としてはDIA(Diiodoacetylene),TIE(Tetraiodoethylenc),p-BIB(p-Bis(iodoethynyl)benzene)の3種類を用いている。X線結晶構造解析の結果,いずれの新規分子性導体においても,結晶中に中性分子とアニオンとからなる集積体が構築されていることがわかった。しかも,その構造様式は,1次元鎖,2次元シート,3次元ネットワークと非常に多様である。これに対応して,ドナー分子の配列も従来見られなかったようなユニークなものが多数見い出されている。本論文では,これらのドナー配列を分類整理し,ドナー分子がアニオンと中性分子の集積構造へ組み込まれていく時の様式を"slip","rotation","penetration"の3つのキーワードで分析している。さらに,集積構造の様式と,配位数,結合距離,結合角等との相関が整理されている。物性の観点から見ても,これらの新規分子性導体は,極低温まで安定な金属状態を保つものを含め,興味ある振る舞いを示すものが多いことを明らかとしている。

 第3章では,リトルによって提案された有機物高温超伝導体を,アズレン置換TTFを用いて実現させる試みについて述べられている。アズレンは,基底状態と励起状態で異なる双極子モーメントを持つことで知られており,これを良好な伝導体を与えるTTFに組み込むことによって,伝導電子が双極子の振動によるクーロン場と相互作用する系の構築が検討されている。この目的のために6種の新規ドナーが合成されている。得られたドナー分子のX線結晶構造解析,可視吸収スペクトルおよび分子軌道計算から,アズレン部位が無置換アズレンとほぼ同じ電子構造を保っていることが示唆され,アズレンの振動双極子としての潜在的な能力が保持されていることを示している。カチオンラジカル塩の作成も試みられているが,結晶性の良好なものを得ることが難しいこともあって,現段階では当初の目的は達成されていない。しかし,金属的な塩を得るための方針は提示されている。

 第4章では,金属酸化物等の無機系伝導体と比較して,分子性伝導体の今後の展望について述べられている。今後の物質開発の鍵が「多元系」と「多バンド系」であることを指摘した上で,本研究がこれらの開発の基礎を築く上で果たした意義について述べられている。

 分子配列と電子状態の2つの視点から分子性導体の物性制御に取り組んだ本研究の結果は,今後の分子性導体開発の指針をつくりあげていく上で重要な基礎となるであろう。

 なお,本論文の一部は,加藤礼三,山浦淳一との共同研究であるが,論文提出者が主体となって合成及び物性評価を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める。

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