学位論文要旨



No 113268
著者(漢字) 小野,尚孝
著者(英字)
著者(カナ) オノ,ナオタカ
標題(和) ショウジョウバエの心臓、内蔵筋、体側筋及び中枢神経系鞘形成に必須な中胚葉特異的FGF受容体遺伝子、hearilessの機能と発現調節
標題(洋)
報告番号 113268
報告番号 甲13268
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3414号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 講師 名川,文清
 東京大学 助教授 多羽田,哲也
 東京大学 客員教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 田之倉,優
内容要旨

 中胚葉形成は、脊椎動物・無脊椎動物を問わず、複雑多岐に渡る発生分化の過程で最初のダイナミックな細胞の再編成がみられるステップである。

 脊椎動物に関する中胚葉誘導については、例えばアフリカツメガエルを用いた系に於いて、ある種の成長因子が重要な役割を果たしていることが報告されており、中でも繊維芽細胞増殖因子(FGF)やTGF-は中胚葉の誘導活性を持つことが示されている。そこでは卵の動物極側の細胞へFGFを投与することで筋肉や間充織といった中胚葉組織を誘導することができる。FGFからのシグナルを阻害する実験から、中胚葉の形成にはFGFが不可欠であることが示唆されてもいる。

 FGFシグナル伝達系は、リガンド・レセプターそれぞれに関して、多様な分子ファミリーを形成し、生物種を越えて広く分布することが知られる。多細胞生物の発生で一般的にみられる中胚葉形成過程に、種々の生物に於いてFGFシグナル伝達系の関与が指摘されている。そこに見出されるであろう、種を越えた形態形成の普遍的な分子メカニズムを、より簡便、より詳細に解析する手段が望まれる所以である。

 ショウジョウバエは飼育が簡便で、遺伝学的情報の蓄積が豊富、しかも近年になって分子生物学的解析も進み、生命現象の緻密な分析対象として好個の素材を提供している。このモデル生物を解析の基盤に据えることは、発生現象を読み解く上での大きな利点をもたらすと考えられる。

 FGFシグナル伝達系に関して、ショウジョウバエでは2種類の受容体と1種類のリガンドが既にクローニングされている。そのうちDFR1/heartless(htl)遺伝子産物はFGF受容体相同分子の一つであり、中胚葉組織を中心にその発現がみられることが、htl mRNAのin situハイブリダイゼーションによって調べられている。

 本研究に於ては、このDFR1/htl遺伝子に着目し、発生過程に於いてhtlの担う役割について考察を試みるものである。

 今回、htlの機能を探る最初のステップとして、先ずは抗Htl抗体を用いて胚期における発現領域の経時的変化を観察した。

 Htlタンパクはgastrulationの開始以前から既に予定中胚葉領域で発現し始め、以後中胚葉層の形成期を通じて発現し続ける。つづいて、中胚葉層の区画化が進み、各領域ごとの特化が始まるころになると、それまでの均一な発現から、特定の細胞群でのより強い発現へと様相を転ずる。この時期、Htlの発現パターンはtwistのそれと重複しており、ステージ10後期から11にかけてのtwist発現細胞の多くがその後somatic muscleへと分化するという知見に鑑み、これらHtl発現細胞群がsomatic muscles前駆体であろうと予想された。実際、Htl発現細胞の多くが後期の発生ステージにおいてsomatic musclesとなることが後述するhtlエンハンサー・レポーターキメラ遺伝子の形質転換体を用いた解析からも示唆された。

 また、同じ頃中胚葉層の最も外縁に分布する心臓形成細胞の前駆体にもHtlタンパクの発現がみられた。心臓形成細胞は大別してcardial cells、pericardial cells、alary musclesに分けることができるが、このうちcardial cellsでHtlは発現しpericardial cellsでは発現していないことを、Even-skippedタンパクに対する抗体との二重染色によって確認した。更に、ステージ14以降の胚発生後期では、筋肉の最終分化段階に入ると時を同じくしてHtlタンパクの発現が漸減し、後期の発現は特定の筋肉でのみ残される様子が観察された。

 以上の知見から、Htlタンパクは筋肉系組織の形成過程に於いて、発生初期から最終分化の前段階に至る、過渡的な時期に機能する分子であろうと考えられた。

 他方、ステージ12以降の胚では筋肉系の細胞以外にも、中枢神経系の特定の細胞がHtlを発現するのを確認し、これがグリア細胞であることをグリア特異的なマーカーとの二重染色によって明らかにした。

 次に、htl遺伝子領域を含む染色体欠損を持つ変異株の致死性を相補しない突然変異株が実際にhtl遺伝子の変異株であることを、htlゲノム断片の導入による致死性回復実験によって証明した。

 これにより、htl遺伝子に関して突然変異体を用いた解析と議論が可能となり、引き続きこの変異体を用いてhtlの機能解析を行なうこととした。

 先に見たようにHtlタンパクの発現が主として発生途上にある筋肉系でみられることから、突然変異体では筋肉の形成異常の起ることが期待された。事実、胚発生後期のhtl変異体を抗MHC抗体によって染色し最終分化段階にある筋肉を観察したところ、somatic muscleの著しい形成不全が見られ、殊に背側にその傾向が強く認められた。とりわけ中胚葉層の最も背側に位置し、正中に沿って体軸を横断するように形成される心臓は殆ど形成されていなかった(この事から当該の突然変異がhtlと命名されることとなった)。これに対応して、より早い発生時期のhtl変異体では、心臓系のpericardial cells前駆細胞で本来発現するはずのeven-skippedの発現が消失していた。また、心臓と並んで比較的背側の中胚葉から分化することが知られるvisceral mesodermについても、発生の早い時期から一部を欠損、断片化している様子が抗FasIII抗体による染色によって確認できた。

 更に、背側により大きな欠損がみられるのはgastrulation以降の中胚葉層の展延が阻害される結果だろうとの予測から、より早い時期でのhtl変異体での中胚葉層の分布を見たところ、予想通り、germ band extentionにともなう中胚葉層の展延がhtl変異体では不完全であり、また、心臓及びvisceral mesoderm形成上の基本的な誘導シグナルとみられるtinmanの発現も減少していた。

 このほか、筋肉とは別に中枢神経系でのhtl変異体の様子を観察したところ、ステージ12後期の胚では、htl発現細胞の列が野生型にみられるよりも外側にずれ、更に細胞の並びも不規則化するのを確認した。野生型胚においてhtlを発現するグリア(LG glia)は、ステージ16になるとlongitudinal axonを取り囲むようにしてCNS上層から下層へと伸長していくが、htl変異体では、この伸長もみられず、アクソン束へのグリアの巻き付きが認められなかった。

 筋肉のterminal differentiationが開始されると共に発現が漸減していくHtlの発現では、抗体やmRNAを用いた追跡による発現細胞の最終的帰属づけが難しい。そこで、htlの翻訳産物コード領域の途中からin frameで大腸菌の-galactosidase(lacZ)遺伝子を連結したキメラ遺伝子を作成し、これをhtlエンハンサー配列の下流に連結して生体に戻すこととした。これによって-galactosidase遺伝子をhtl発現のレポーターとして追跡する系を確立し、抗体による解析の補助とした。

 先ず、変異体の致死性回復に用いたhtlゲノム断片にエンハンサー活性が含まれると考え、ゲノム断片の部分配列をレポーターの上流につなぎ、エンハンサー活性の所在をレポーターの発現を介して検索した。この結果、2つある転写開始点それぞれの上流にhtl発現の組織特異性を決めるエンハンサーが存在すること、2つ目の転写開始点については開始点の上流約200bpの配列までで殆どの組織特異的発現が誘導され、それより遠位の配列が加わることで発現がより強められること、成虫原基のエンハンサーはやや離れた上流に位置することなどが明らかとなった。更にこの系を活用し、htl発現細胞の一部を帰属づけることも可能となった。

 最後に、上記のエンハンサーを用いてGal4/UASシステムを用いた種々の遺伝子発現系を構築し、htlシグナル伝達経路の解析を試みたところ、活性型yanを野生型胚で誘導すると心臓系でのeveの発現が抑制された。また、構成的活性を持つpointed P1を同様にしてhtl変異のバックグラウンドのもとに誘導すると、逆に心臓系でのeveの発現が部分的に回復した。pointed、yanは共にMAPキナーゼシグナル伝達系の下流に位置する転写因子で、活性化因子と抑制因子という、相反する機能を担っていると考えられており、上述の結果はその考えに矛盾せず、またこれらの因子が実際に生体内でhtlの下流で機能しうる可能性を示唆していると考えられる。

 以上、本研究ではショウジョウバエhtl遺伝子の主として胚発生における挙動を詳述し、htlの遺伝子機能の理解を試みた。その結果、htlが主として中胚葉性の筋肉諸組織の発生に早い時期から関与しているらしいことを指摘することが出来た。また、Htlの発現が発生途上にある不定形な細胞群でみられること、htl突然変異体では、筋肉系においても神経系においても細胞の移動・伸展が阻害されるという、一般的傾向が認められること、これらの観察結果はhtlの遺伝子機能が細胞の可動性を保持する上で必要とされることを強く示唆するものであろう。

審査要旨

 FGFシグナル伝達系は、細胞分化・形態形成に必須な細胞内シグナル伝達系の一つである。本論文は、ショウジョウバエ中胚葉特異的に発現するFGF受容体遺伝子DFR1/hreathless(htl)が、中胚葉性の組織や器官、就中、心臓形成に決定的に重要な役割を果たすことを初めて明らかにした。

 論文の始めの部分では、htl遺伝子産物(以後簡単にHtlという)を特異的に認識する抗体を用い、胚発生過程におけるHtlの発現様式を詳述した。胞胚形成期、陥入期、胚帯伸長期にかけては、Htlは、全中胚葉細胞でほぼ均一に発現していた。(対照的に他の胚葉細胞では、Htlの発現は全くなかった。)一方、胚帯縮小期以降、Htlの発現は、特定の中胚葉細胞に限定され、更に後期胚ではそれらの子孫細胞からできる心臓、体側(壁)筋を含む限られた組織で一過的にしか見られなかった。

 htlの機能を調べるためには、htl突然変異体を単離することが必須である。本論文では、htlの変異体は致死性を示すと仮定し、突然変異原EMSの処理により得られた突然変異体のセットの中から、htl遺伝子領域を含む大きなDNA欠失変異体の致死性を相補せず、かつHtl(htl蛋白質)を発現しないという2つの条件を満たす株を探索した。得られは株に、htlゲノム断片を形質導入したところ、全てにおいて致死性が回復した。このことは得られた変異体がhtl変異株であることを明確に示している。htl変異体の性質を様々な抗体で調べた結果、htl変異により引き起こされる最も大きな初期障害は、中胚葉細胞の外胚葉に沿った背側への移動の阻害であると結論された。htl変異体では、中胚葉由来の様々な臓器に異常が見られた。実際、変異体では、心臓は形成されず、内蔵筋や体側筋の形成も不完全で、特に背側体側筋の形成は完全に破壊されていた。これらの中胚葉器官・組織の形成異常は、各器官・組織の発生の初期に既に遺伝子発現の異常として見られた。例えば、心臓前駆細胞特異的なホメオボックス遺伝子、eveやtinmann、内蔵性中胚葉特異的細胞接着蛋白質をコードするFasIIIは、htl変異体ではその発現を完全または部分的に消失した。これらの異常は全てhtl遺伝子断片による形質転換でレスキューされた。この様な多臓器変異の原因として本論文申請者は、中胚葉細胞の背側への移動障害の可能性を考えた。実際、最近の研究によれば、中胚葉は外胚葉から様々な位置情報を、分化シグナルとして受け取っている。特に背側外胚葉からは、液性因子Dppが分泌されており、Dpp欠損により、eve,tinman,FasIIIの発現が大きく影響を受けることが示されている。htl変異体で、中胚葉の初期細胞移動異常を更に詳しく調べるために、抗Twist抗体で、中胚葉細胞の分布の変化を調べた。その結果、htl変異株でも中胚葉細胞は正常に陥入できるが、正しい方向へは移動できないことが分かった。即ち、htlは、中胚葉細胞が正しいchemotaxisするために必要な受容体型チロシンキナーゼであると結論された。

 htlは、胚発生後期には、中枢神経系のLGグリア細胞でも発現していた。そこで、引き続き本論文では、中枢神経系におけるhtlの役割を検討した。htl変異株の中に活性のないHtl蛋白質をつくる株があった。そこでそれを利用し変異株でのLGグリア細胞の形態変化を調べた。その結果、LGグリア細胞の梯子状神経束への鞘形成にhtlが必須であることが判明した。即ち、野生型では、グリア細胞がアクソン束を包み込んでいたが、変異体では、アクソン束は、グリア細胞で覆われず裸のままであった。htlは、細胞の移動だけでなくその形態形成にも必須な受容体型チロシンキナーゼであると結論された。

 本論文の最後では、htl遺伝子の発現調節領域の特定と、それを利用した体側筋の前駆細胞の解析及びGal4/UAS異所発現の結果が示されている。htl遺伝子の発現調節領域の決定には、個体レベルのエンハンサー・アッセイが用いられ、成虫原基での筋肉発現エンハンサーを除き、多くのエンハンサーが第二転写単位のプロモーター近傍に局在していた。レポーター遺伝子発現は、htl遺伝子発現よりも明確であったので、レポーター遺伝子発現と筋肉前駆細胞特異的遺伝子群の発現を比較した。その結果、初期の一様な発現からHtl発現が局在化されてくる細胞群は、心臓の前駆細胞を除き、全て体側筋細胞の前駆細胞である、muscle progenitor,muscle founder cellであった。

 htl変異に見出された欠損は、全てtwi-Gal4/UAS-htlでレスキューされたが、htl-Gal4/UAS-htlでは、部分的なレスキューしか見られなかった。この結果は、Htlシグナル伝達系では受容体局在化よりもリガンドの局在化がより重要であることを示唆している。

 なお、本論文は宍戸恵美子、小嶋徹也、西郷 薫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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