学位論文要旨



No 113270
著者(漢字) 小田(秋山),康子
著者(英字)
著者(カナ) オダ(アキヤマ),ヤスコ
標題(和) ショウジョウバエGlial Cells Missingの機能とその作用機構の解析
標題(洋)
報告番号 113270
報告番号 甲13270
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3416号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 助教授 堀越,正美
 東京大学 助教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 馬渕,一誠
内容要旨

 神経系の母細胞は神経細胞とグリア細胞という2種類の細胞を産生する多分化能をもつ細胞であることが、脊椎動物でも無脊椎動物でも知られている。ショウジョウバエのglial cells missing(gcm)遺伝子は神経発生において、神経系の母細胞である神経芽細胞から生まれる細胞の運命をデフォルトである神経細胞からグリア細胞へと決定する遺伝子である。しかしgcmがコードするタンパク質(GCM)は核移行シグナルを持つ以外、既知のタンパク質とホモロジーがなく、分子的な機能は未知であった。そこで私は神経細胞・グリア細胞の運命決定の分子メカニズムの解明を目指し、GCMの機能とその作用機構の解析を行った。

 これまでの解析からGCMは塩基性アミノ酸残基を多数含む核タンパク質であること、そしてグリア細胞特異的なRepoの発現はgcmに強く依存していることが示されており、GCMはDNAに結合することによりrepoなどグリア細胞分化に関わる遺伝子の発現を制御する転写調節因子である可能性が考えられた。そこでまずin vitroでゲルシフトアッセイを中心とした手法により、GCMのDNA結合活性を解析した。大腸菌の発現系を用いてGCMの全長504アミノ酸残基のうち、種々の領域を持つ4種類の融合タンパク質を作製した。同時に、repoの発現の調節領域である可能性の高いrepo遺伝子上流のゲノムDNAを、ライブラリーのスクリーニングにより単離した。得られたDNA断片とGCM融合タンパク質とを用いてゲルシフトアッセイを行った。その結果GCMの1-181番目のアミノ酸残基を含む2種類の融合タンパク質は、用いた21DNA断片のうち8つの断片と結合してDNA-タンパク質複合体の形成を示すシフトバンドを生じた。つまり、GCMのN末端部にはDNA結合活性があることが明らかとなった。

 次に、結合の塩基配列特異性を解析した。中央部分に15bpのランダムな配列を含み両端にはPCRのプライマーとなる配列を持つDNAを合成し、DNA結合活性のあった融合タンパク質とともにゲルシフトアッセイに用いた。融合タンパク質と結合したDNAを抽出し、PCRにより増幅。増幅されたDNA断片を用いてもう一度ゲルシフトアッセイ。このゲルシフトアッセイ-PCRのサイクルを3回繰り返し、増幅されたDNAの塩基配列を決定した。その結果、シークエンスした48クローンのうちほとんどのものが(A/G)CCCGCATという8bpの配列、またはこれと1bpだけ異なる配列を含んでいることが分かった。このことからGCMタンパク質はDNAの(A/G)CCCGCATという配列に高い特異性を持って結合することが示された。結合の配列特異性は、この8bpの配列を含むコールドのDNA断片を用いた競合実験からも確認できた。

 続いてrepo遺伝子上流のゲノム領域7kbの塩基配列を決定し、repoのコーディング領域に近い方の4kbに11個のGCM結合サイトが存在するが、遠い方の3kbには1つも含まれないことを明らかにした。上記のゲルシフトアッセイでシフトバンドを生じた8つのDNA断片全てに、この8bpの配列が含まれており、逆にN末端部を含む融合タンパク質とも結合しなかった残りのDNA断片にはこの配列は存在しなかった。以上のことからGCMはrepoを標的遺伝子の一つとする転写調節因子であることが推測された。

 このようにGCMのN末端部には塩基配列特異的なDNA結合活性があることが明らかとなったが、同時期に細谷によって同定されたヒトおよびマウスの遺伝子、hGCMa、mGCMa、mGCMbがコードするタンパク質は、N末端側の約150アミノ酸残基がショウジョウバエGCMのDNA結合領域と高く保存されていた。そこでこの保存された配列をgcmモチーフと命名した。gcmモチーフは新しいDNA結合モチーフである。私はhGCMaの融合タンパク質を作製してゲルシフトアッセイを行い、このタンパク質がGCMの認識配列と同様の塩基配列をもつDNAに、特異的に結合することを確認した。さらに、これらのタンパク質の間で特によく保存されたアミノ酸配列をもとにPCRを行ったところ、ショウジョウバエゲノムDNAから増幅が見られ、gcmモチーフをもつ新たな遺伝子、gcm2の存在が示唆された。gcmモチーフは進化的に保存されており、DNA結合タンパク質の新しいファミリーを構成していると考えられる。

 神経芽細胞の分裂においてグリア細胞が誕生するメカニズムを、GCMの発現の解析から明らかにすることを考え、まず抗GCM抗体の作製を行った。精製した4種類のGCM融合タンパク質を用いて8匹のラットを免疫したところ、gcmモチーフを含む同一の抗原で免疫された2匹からGCMを認識しショウジョウバエの胚を染色する血清を得ることに成功した。ショウジョウバエの中枢神経系では神経芽細胞は片体節あたり31個存在するが、ごく最近の研究によりグリア細胞はそのうち7個から作り出されることが示されている。私は特定の神経芽細胞でlacZ遺伝子を発現するengrailed-lacZ、huckebein-lacZ、fushi tarazu-lacZという系統の胚を抗GCM抗体と抗-Gal抗体とを用いて二重染色し、グリア細胞を作り出す神経芽細胞もしくはその子孫細胞においてGCMが発現していることを確認した。

 続いて、NB6-4と呼ばれる神経芽細胞における発現を観察した。NB6-4は腹部体節では一度だけ分裂して2個のグリア細胞になるが、胸部体節では4個から6個の神経細胞と3個のグリア細胞を作り出すことが知られている。そこで胸部体節NB6-4におけるGCMの発現を細胞分裂とともに観察し、細胞がグリア細胞として運命決定される瞬間を捉えたいと考えた。腹部体節においてはGCMタンパク質は分裂前から発現し、分裂終了後も両方の娘細胞で発現が続いた。この結果は、これらの細胞が2つのグリア細胞となる事実と矛盾がない。一方、胸部体節では分裂前にはGCMは存在せず、分裂終了後に正中線側に存在する片方の娘細胞に限って発現した。このように胸部体節NB6-4の2つの娘細胞において、GCMの発現に差があることが分かった。

 さらに、この発現の制御が遺伝子発現のどの段階でなされているのか解析した。gcmにP因子が挿入したエンハンサートラップ系統では、gcmが転写される細胞でレポーター遺伝子であるlacZが発現すると考えられる。この系統と野生型とのヘテロ接合胚でlacZの発現を観察すると、lacZは胸部体節のNB6-4においても分裂前から発現し、分裂後も両方の娘細胞で発現していることが分かった。このことは胸部体節NB6-4の2つの娘細胞におけるGCMの発現の非対称性が、転写より後の段階での制御によることを意味している。そこでNB6-4におけるgcmのmRNAの発現を調べた。その結果、胸部体節においてもmRNAの発現は分裂前から始まり細胞質全体に存在しているが、細胞分裂の中期になると細胞の片側に局在するようになり、分裂終了後は一方の娘細胞に分配されることが明らかとなった。つまりmRNAの積極的な輸送もしくは分解などの制御機構が存在し、それによってGCMの発現を一方の娘細胞に限局させると考えられる。

 その後の分裂を観察すると、最初の分裂後にGCMを発現した娘細胞はその後2回分裂し、3つのグリア細胞となることが分かった。この事実は胸部体節のNB6-4は最初の分裂で神経芽細胞とグリアのみを作る母細胞(glioblast)に分かれたことを示している。このように神経細胞とグリア細胞をともに作り出す母細胞(neuroglioblast)の細胞系譜が分子レベルではじめて明らかとなった。

 GAL4/UASシステムはUASに続く遺伝子を、GAL4の指揮下で発現させる強制発現のシステムである。この手法を用いてgcmを表皮細胞、中胚葉細胞に異所的発現した。これによりGCMの生体内における作用機構が明らかとなることを期待し、またGCMの機能の可能性を探った。まず胚の表皮細胞で遺伝子の発現を誘導するGAL4系統、en-GAL4と69Bを用いてgcmの発現を誘導し、その影響を組織染色により解析した。gcmを発現した表皮細胞ではステージ13以降、グリア細胞特異的なRepoの発現が誘導され、逆に表皮細胞の表面分子であるFasIIIの発現は失われた。切片を作製したところ、これらの細胞は胚内部へ陥入していることが観察できた。つまりgcmは神経系の細胞に限らず表皮細胞に対しても、異なる性質を持つ細胞へと運命転換できることが分かった。ところが同じGAL4系統を用いてもより早いステージ(ステージ10、11)では、表皮細胞に異所的発現されたgcmがRepoではなく、通常は神経細胞で発現するElavを誘導した。この事実はGCMはステージ特異的・組織特異的な他の因子と協同して細胞運命の転換を行っていることを意味している。

 次にtwi-GAL4系統を用いてgcmを中胚葉細胞に強制発現した。その結果、やはりRepoの発現が誘導され、体壁筋の形成が異常になることが分かった。Repoを発現している細胞は確かに中胚葉由来の細胞であったが、これらはもはやMuscle Myosinを発現しなかった。すなわちgcmは外胚葉細胞だけではなく細胞系譜から考えると全く由来の異なる中胚葉細胞の運命にも影響を及ぼした。このようにgcmは細胞系譜の様々な分岐点において、細胞運命を転換できることが明らかとなった。

審査要旨

 本論文は3章からなり、第1章でglial cells missing(gcm)遺伝子がコードするタンパク質(GCM)の機能について、第2章ではgcmの発現について、第3章ではgcmの異所的発現について述べられている。

 gcmはショウジョウバエの神経発生において、神経系の母細胞である神経芽細胞から生まれる細胞の運命をグリア細胞へと決定する遺伝子である。しかしGCMタンパク質は核移行シグナル以外、既知のタンパク質とホモロジーがなく、分子的な機能は未知であった。第1章の研究では、GCMのDNA結合活性が解析された。大腸菌の発現系によりGCMの種々の領域を持つ4種類の融合タンパク質を作製し、これを用いてゲルシフトアッセイを行った。その結果、GCMのN末端部にはDNA結合活性があることが明らかとなった。次に、結合の塩基配列特異性について解析した。中央部分に15bpのランダムな配列を含むDNAを用いたゲルシフトアッセイとPCR反応を組み合わせた実験により、GCMタンパク質はDNAの(A/G)CCCGCATという配列に高い特異性を持って結合することが示された。結合の配列特異性は競合実験からも確認された。続いてグリア細胞で特異的に発現するrepo遺伝子上流のゲノム領域の解析から、すぐ上流の4kbに11個のGCM結合サイトが存在することが明らかとなった。このことからGCMはrepoを標的遺伝子の一つとする転写調節因子であることが推測される。また、同時期に同定された哺乳類の遺伝子がコードするタンパク質のN末端側約150アミノ酸残基がGCMのDNA結合領域と高く保存されていたことから、保存された配列は新しいDNA結合モチーフとしてgcmモチーフと命名された。gcmモチーフは進化的に保存されており、DNA結合タンパク質の新しいファミリーを構成していると考えられる。

 第2章においては、GCMタンパク質とmRNAの発現に関して述べられている。まず、抗GCM抗体を作製し、神経系におけるGCMの発現解析を行った。その結果、グリア細胞を作り出す神経芽細胞もしくはその子孫細胞においてGCMが発現していることが確認された。続いて、NB6-4と呼ばれる神経芽細胞における発現の時間的空間的パターンが解析され、神経細胞とグリア細胞の両方を作る胸部体節のNB6-4では、分裂によって生じる娘細胞のうち片方に限ってGCMが発現することが明らかとなった。続いてこの発現の制御が遺伝子発現のどの段階でなされているのか解析した。まずgcmにP因子が挿入したエンハンサートラップ系統を用いた発現解析から、胸部体節NB6-4の2つの娘細胞におけるGCMの発現の非対称性は、転写より後の段階での制御によることが分かった。さらに、gcm mRNAの発現の観察から、分裂期におけるmRNAの細胞内局在とそれに伴う非対称分配という現象が示された。その後の分裂の観察から、GCMタンパク質を発現した娘細胞はその後2回の分裂により3つのグリア細胞となることも分かり、gcm mRNAの非対称分配により、グリアのみを作る母細胞が生じたことが明らかとなった。

 第3章ではGAL4/UASの強制発現システムを用いてgcmを表皮細胞や中胚葉細胞に異所的発現し、その際に細胞に起こる影響について述べられている。胚の表皮細胞にgcmの発現を誘導した結果、グリア細胞特異的なRepoの発現が誘導された。逆に表皮細胞の表面分子であるFasIIIの発現は失われ、これらの細胞は胚内部へ陥入することが示された。次にgcmを中胚葉細胞に強制発現したところ、やはりRepoの発現が誘導され、体壁筋の形成が異常になった。Repoを発現している細胞は中胚葉由来であるが、筋肉に特有なミオシンを発現しないことも示された。すなわちgcmは神経系の細胞に限らず、表皮細胞や中胚葉細胞の運命にも影響を及ぼすことが明らかとなった。さらに、より早いステージでは、表皮細胞に異所的発現されたgcmが神経細胞のマーカーであるElavを誘導することも示された。この事実からGCMはステージ特異的・組織特異的な他の因子と協同して細胞運命の転換を行っていることが考えられる。

 なお、本論文第1章の一部分は、細谷俊彦氏、アントニー・プール氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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