本論文は序論・本論4章・結論からなり、KDNとKDN残基の代謝機構及びそれに関与する酵素群について述べられている。 KDN(2-keto-3-deoxy-D-glycero-D-galacto-nononic acid)は複合糖質の糖鎖を構成する糖であり、シアル酸の一種である。シアル酸には多様な分子種が含まれ、ほとんどのシアル酸はN-アセチルノイラミン酸(Neu5Ac)の修飾によって生成する。KDN単糖とKDN残基の代謝経路の解明は、シアル酸の多様性の意味を問う上で重要である。また脊椎動物におけるKDN複合糖質の時期・組織特異的発現が知られており、その発現制御機構・機能を解明する上でも代謝に関する知見は不可欠である。本研究は従来未解明であったKDNとKDN残基の代謝経路の解明及び代謝に関与する諸酵素の活性の同定とその性質の解明を目的としたものである。 序論における以上のような研究の背景・意義などに関する記述に続き、本論第一章ではKDNの生合成に関して述べられている。KDNの生合成経路としてNeu5Acを前駆体とする経路としない経路が考えられるが、ニジマス生殖巣には前者の存在は認められなかった。一方後者に関しては、ホスホエノールピルビン酸(PEP)とマンノース6-リン酸(Man6-P)の縮合を触媒する酵素活性を検出した。続いてニジマス生殖巣中のマンノース(Man)リン酸化酵素とKDN9-P脱リン酸化酵素の活性も定量し、以下の素反応からなるKDNの生合成経路を提示している。 i)Man+ATP→Man6-P+ADP ii)Man6-P+PEP→KDN9-P+Pi iii)KDN9-P→KDN+Pi 反応ii)を触媒するKDN9-リン酸合成酵素をニジマス精巣から部分精製し、本酵素がpH7.5付近で最大活性を示し、Mn2+要求性であること、分子量が約80Kであることなどを明らかにした。 第二章はKDN転移酵素に関する記述である。CMP-KDNから糖鎖へKDNを転移する酵素=KDN転移酵素がニジマス卵巣中に存在することを示し、酵素が二価金属イオンによって活性化されること、中性に至適pHを有することなどを明らかにした。また本酵素によりポリシアル酸の末端にKDNを導入すると、ポリシアル酸の伸長が停止することを示した。 第三章はKDNaseに関する記述である。ニジマス各種組織を用いてKDN-ケトシド結合の加水分解を触媒する酵素=KDNaseの活性を検索し、有意の活性を腎臓・脾臓及び卵巣に見出した。活性が高い排卵後の卵巣中の酵素の性質を調べ、この酵素が膜タンパク質であり、至適pHは酸性であることなどを明らかにした。本酵素はKDN-シアリダーゼと呼ぶべき広い基質特異性を持つ酵素であると判定している。 第四章ではネオKDN糖鎖の合成に関して述べている。哺乳動物由来のシアル酸転移酵素は糖供与基質CMP-シアル酸のシアル酸部分の相違に寛容であることが知られている。そこでシアル酸転移酵素を用いてCMP-KDNから複合糖質糖鎖にKDN残基を転移する活性を調べ、実際にこの活性を確認した。これは哺乳動物組織におけるKDN残基の特異的発現は糖転移反応以外の段階で調節されていることを示唆する。本研究で合成された糖鎖構造は天然の糖鎖中には見出されていないが、本法を応用したプローブの開発により、この構造の天然の複合糖質における存在が証明されるであろう。 結論においては、本研究により動物細胞におけるKDN及びKDN残基の代謝経路の全体像が示されたと述べ、この経路はNeu5Acを出発物質としない点で独自のものであるが、代謝機構自体はNeu5Acのそれと似通っていることを指摘している。またKDNとN-アシルノイラミン酸の発現パターンの相違をもたらす要因に関する考察を加えている。本研究で得られたKDNとKDN残基の代謝経路に関する諸々の知見、及びネオKDN糖鎖の合成法は、KDN残基の更なる機能解明に向けた研究において大いに役立つものと期待される。 本論文中の知見はいずれも論文提出者が得た新しい知見であり、正当な技法及び論理に基づく信用に足るものである。また本研究における問題設定と論理の構成は適切であると認められる。 なお本論文の第二章及び第三章は各1篇の共著論文としてすでに公表され、第四章は1篇の共著論文として公表予定であり、第一章は1篇の共著論文として投稿予定であるが、いずれにおいても論文提出者が主要な寄与をなしたものであると判断する。 従って、論文提出者は博士(理学)の学位を授与するに値する者であると認める。 |