学位論文要旨



No 113271
著者(漢字) 安形,高志
著者(英字)
著者(カナ) アンガタ,タカシ
標題(和) 動物細胞におけるKDN及びKDN残基の代謝に関与する酵素群の同定と性質
標題(洋) Identification and characterization of enzymes involved in the metabolism of KDN and KDN-glycans in animal cells
報告番号 113271
報告番号 甲13271
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3417号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 名古屋大学 助教授 北島,健
 東京都臨床医学総合研究所 部長 鈴木,明身
 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 助教授 室伏,擴
内容要旨 <序>

 KDN(2-keto-3-deoxy-D-glycero-D-galacto-nononic acid;デアミノノイラミン酸)は複合糖質の糖鎖を構成する単糖であり、1986年にNadanoらによってニジマス卵ポリシアロ糖タンパク質の微量成分として初めて同定された1。以来、細菌の莢膜多糖及び多種の脊椎動物由来の糖タンパク質・糖脂質糖鎖にKDNの存在が確認され、KDNは微量ながら普遍的に存在する糖であると認識されるに至った。

 KDNはC1位にカルボキシル基を持つ酸性の9炭糖であり、その化学構造と糖鎖中における存在様式はN-アシルノイラミン酸と酷似している(図1)。従って現在ではN-アシルノイラミン酸とその誘導体に加え、KDNとその誘導体を含めて「シアル酸」と総称されている。

図1.KDNとNeu5Acの化学構造

 シアル酸には30種を超える多様な分子種が含まれるが、KDN以外の全てのシアル酸はN-アセチルノイラミン酸(Neu5Ac)の修飾によって生成することが知られている。KDNの代謝経路は解明が進んでおらず、これを解明しKDNが他のシアル酸と同様にNeu5Acを経由して合成されるのか、Neu5Acに依存しない独立の合成経路が存在するのかを明らかにすることは、シアル酸の多様性の本源的な意味を問う上で重要であると考えられる。もしKDN独自の代謝経路が存在するならば、KDNとNeu5Acの代謝経路の類似点・相違点を明らかにすることで、シアル酸の分子進化の過程(シアル酸がいかにして多様性を獲得したか)を知るための貴重な手がかりが得られるはずである。さらに、脊椎動物においてはKDN複合糖質が時期・組織特異的に発現されることが明らかにされており、その発現制御機構を解明する上でも代謝経路に関する知見は不可欠である。

 本研究ではKDN複合糖質を多量に含むニジマス生殖巣を主な材料とし、KDNの生合成経路及びKDN残基の形成・分解経路を解明するとともに、代謝に関与する諸酵素の活性の同定とその性質の解明を目指した。

<研究の要約>(1)KDNの生合成経路の解明とKDN9-リン酸合成酵素の同定2

 成熟ニジマス生殖巣の細胞質には遊離のKDNが存在する。KDNの生合成経路として[1]Neu5Ac(またはCMP-Neu5Ac)の脱アセチル化・脱アミノ化によるKDN(またはCMP-KDN)の生成[2]Neu5Acを前駆体としない新規のKDN合成の2通りの可能性が考えられるが、ニジマス生殖巣においては[1]の有意な活性は認められなかった。一方[2]に関して、KDNと類似の構造を有する各種のウロソン酸がいずれもホスホエノールピルビン酸と糖リン酸の縮合により生合成されることに着目し、ニジマス生殖巣中にホスホエノールピルビン酸(PEP)とマンノース6-リン酸(Man6-P)の縮合を触媒する酵素活性を検索したところ、有意の活性を検出した。反応生成物はKDN9-リン酸(KDN9-P)であると推定された。ニジマス生殖巣中にはマンノース(Man)のリン酸化とKDN9-Pの脱リン酸化を触媒する酵素活性も存在するため、KDNの生合成経路は以下の素反応からなると考えられる。

 i)Man+ATP→Man6-P+ADP

 ii)Man6-P+PEP→KDN9-P+Pi

 iii)KDN9-P→KDN+Pi

 この生合成経路において中心的役割を果たすと考えられるKDN9-リン酸合成酵素をニジマス精巣から部分精製し、性質を調べたところ、本酵素はpH7.5付近で最大活性を示し、Mn2+要求性であること、分子量が約80Kであることなどが判明した。本酵素はPEPの代わりにピルビン酸を基質に用いた場合にも低い活性を示すが、Man6-Pの6位のリン酸基は不可欠である。これらの性質の多くは哺乳動物組織において同定されたNeu5Ac9-リン酸合成酵素と共通であった。

(2)KDN転移酵素活性の同定3

 脊椎動物の糖転移酵素のほとんどは糖供与基質として糖ヌクレオチドを要求する。Teradaらによってニジマス生殖巣に糖ヌクレオチドCMP-KDNを合成する酵素が同定されており4、ニジマスにおけるKDNの糖鎖への取り込みはCMP-KDNからの転移によるものと考えられる。本研究ではニジマス卵巣にこの転移反応を触媒する酵素、すなわちKDN転移酵素が存在することを示し、酵素が二価金属イオンによって活性化されること、中性に至適pHを有することなどを明らかにした。また本酵素によりポリシアロ糖タンパク質糖鎖上に存在するポリシアル酸の末端にKDNを導入すると、ポリシアル酸の伸長が停止することを示した。

(3)KDNase活性の同定5

 ニジマス卵巣・精巣に存在するKDN複合糖質の大半は卵・精子とともに体外に放出されるが、一部は体内に残るため、これを分解する酵素の存在が予見される。ニジマス各種組織を用いてKDN-ケトシド結合の加水分解を触媒する酵素、すなわちKDNaseの活性を検索したところ、有意の活性を腎臓・脾臓及び卵巣に見出した。特に活性が高い排卵後の卵巣中の酵素の性質を調べたところ、この酵素は膜タンパク質であり、至適pHは4.5付近であること、金属イオンを要求しないこと等が明らかになった。既知のシアリダーゼがKDN-ケトシド結合の加水分解を触媒しないのに対し、本酵素がKDN-ケトシド結合とNeu5Ac-ケトシド結合のいずれの加水分解をも触媒することから、本酵素はKDN-シアリダーゼと呼ぶべき広い基質特異性を持つ酵素であると結論された。

(4)シアル酸転移酵素を用いたネオKDN糖鎖の合成とレクチン結合性の解析6

 哺乳動物細胞においてもKDN複合糖質が時期特異的に発現されることが最近明らかにされた。転移酵素はKDN残基の発現調節を司る酵素の有力候補であるが、哺乳動物由来のシアル酸転移酵素は糖供与基質CMP-シアル酸のシアル酸部分の相違に比較的寛容であることが知られており、KDNの転移をも触媒する可能性が示唆される。そこで哺乳動物由来のシアル酸転移酵素(ST6Gal I)を用い、CMP-KDNから複合糖質糖鎖にKDN残基を転移する活性を調べたところ、実際にこの活性が認められた。これは哺乳動物組織におけるKDN残基の特異的発現は糖転移反応以外の段階で調節されていることを示唆する。本研究において合成されたKDN2,6Gal構造は天然の糖鎖中には見出されていないが、Neu5Ac2,6Gal構造は糖タンパク質糖鎖に広く見出される構造であり、本法を応用してKDN2,6Gal構造に対するプローブを開発すればこの構造の天然の複合糖質における存在が証明されるであろう。Neu5Ac2,6Gal構造を認識するレクチン(糖結合タンパク質)がKDN2,6Gal構造により強固に結合することを示し、この可能性を追求する道を開いた。

<結論と展望>

 本研究により、ニジマスにおけるKDN及びKDN残基の代謝経路の全体像が示された(図2)。この経路はNeu5Acを出発物質としないという点で独自のものであるが、代謝機構自体はNeu5Acのそれと似通っている。さらにニジマスのCMP-KDN合成酵素とKDN-シアリダーゼはKDNとNeu5Acの代謝における相同の反応を触媒しうることが示されたことから、KDNの代謝経路にのみ特異的に作用し両者の発現パターンの相違をもたらす要因はこれらの他にあると予想される。

図2.動物細胞におけるKDNの代謝経路

 一方、哺乳動物細胞をマンノース含有培地で培養すると、細胞質中のKDN量が劇的に増大するのに対し複合糖質中における顕著なKDN量の増加は認められないことが判明した(未発表データ)。これとシアル酸転移酵素がKDN転移酵素活性を有する事実を考え合わせると、哺乳動物において時期特異的なKDNの発現を司る要素の一つはCMP-KDN合成酵素またはCMP-KDN輸送体であろうと推測される。

 KDN残基はニジマスにおいて配偶子の保護と受精に関与すると推定され、また哺乳動物組織においても何らかの分子間認識に関わっていると予想される。本研究で得られたKDNとKDN残基の代謝経路に関する諸々の知見、及びネオKDN糖鎖の合成法は、KDN残基の更なる機能解明に向けた研究において大いに役立つものと期待される。

<参考文献>1.Nadano,D.et al.(1986)J.Biol.Chem.261,11550-11557.2.Angata,T.and Kitajima,K.,manuscript in preparation.3.Angata,T.et al.(1994)Glycoconjugate J.11,493-499.4.Terada,T.et al.(1993)J.Biol.Chem.268,2640-2648.5.Angata,T.et al.(1994)Glycobiology 4,517-523.6.Angata,T.et al.(1998)Glycobiology 8(3),in press.
審査要旨

 本論文は序論・本論4章・結論からなり、KDNとKDN残基の代謝機構及びそれに関与する酵素群について述べられている。

 KDN(2-keto-3-deoxy-D-glycero-D-galacto-nononic acid)は複合糖質の糖鎖を構成する糖であり、シアル酸の一種である。シアル酸には多様な分子種が含まれ、ほとんどのシアル酸はN-アセチルノイラミン酸(Neu5Ac)の修飾によって生成する。KDN単糖とKDN残基の代謝経路の解明は、シアル酸の多様性の意味を問う上で重要である。また脊椎動物におけるKDN複合糖質の時期・組織特異的発現が知られており、その発現制御機構・機能を解明する上でも代謝に関する知見は不可欠である。本研究は従来未解明であったKDNとKDN残基の代謝経路の解明及び代謝に関与する諸酵素の活性の同定とその性質の解明を目的としたものである。

 序論における以上のような研究の背景・意義などに関する記述に続き、本論第一章ではKDNの生合成に関して述べられている。KDNの生合成経路としてNeu5Acを前駆体とする経路としない経路が考えられるが、ニジマス生殖巣には前者の存在は認められなかった。一方後者に関しては、ホスホエノールピルビン酸(PEP)とマンノース6-リン酸(Man6-P)の縮合を触媒する酵素活性を検出した。続いてニジマス生殖巣中のマンノース(Man)リン酸化酵素とKDN9-P脱リン酸化酵素の活性も定量し、以下の素反応からなるKDNの生合成経路を提示している。

 i)Man+ATP→Man6-P+ADP

 ii)Man6-P+PEP→KDN9-P+Pi

 iii)KDN9-P→KDN+Pi

 反応ii)を触媒するKDN9-リン酸合成酵素をニジマス精巣から部分精製し、本酵素がpH7.5付近で最大活性を示し、Mn2+要求性であること、分子量が約80Kであることなどを明らかにした。

 第二章はKDN転移酵素に関する記述である。CMP-KDNから糖鎖へKDNを転移する酵素=KDN転移酵素がニジマス卵巣中に存在することを示し、酵素が二価金属イオンによって活性化されること、中性に至適pHを有することなどを明らかにした。また本酵素によりポリシアル酸の末端にKDNを導入すると、ポリシアル酸の伸長が停止することを示した。

 第三章はKDNaseに関する記述である。ニジマス各種組織を用いてKDN-ケトシド結合の加水分解を触媒する酵素=KDNaseの活性を検索し、有意の活性を腎臓・脾臓及び卵巣に見出した。活性が高い排卵後の卵巣中の酵素の性質を調べ、この酵素が膜タンパク質であり、至適pHは酸性であることなどを明らかにした。本酵素はKDN-シアリダーゼと呼ぶべき広い基質特異性を持つ酵素であると判定している。

 第四章ではネオKDN糖鎖の合成に関して述べている。哺乳動物由来のシアル酸転移酵素は糖供与基質CMP-シアル酸のシアル酸部分の相違に寛容であることが知られている。そこでシアル酸転移酵素を用いてCMP-KDNから複合糖質糖鎖にKDN残基を転移する活性を調べ、実際にこの活性を確認した。これは哺乳動物組織におけるKDN残基の特異的発現は糖転移反応以外の段階で調節されていることを示唆する。本研究で合成された糖鎖構造は天然の糖鎖中には見出されていないが、本法を応用したプローブの開発により、この構造の天然の複合糖質における存在が証明されるであろう。

 結論においては、本研究により動物細胞におけるKDN及びKDN残基の代謝経路の全体像が示されたと述べ、この経路はNeu5Acを出発物質としない点で独自のものであるが、代謝機構自体はNeu5Acのそれと似通っていることを指摘している。またKDNとN-アシルノイラミン酸の発現パターンの相違をもたらす要因に関する考察を加えている。本研究で得られたKDNとKDN残基の代謝経路に関する諸々の知見、及びネオKDN糖鎖の合成法は、KDN残基の更なる機能解明に向けた研究において大いに役立つものと期待される。

 本論文中の知見はいずれも論文提出者が得た新しい知見であり、正当な技法及び論理に基づく信用に足るものである。また本研究における問題設定と論理の構成は適切であると認められる。

 なお本論文の第二章及び第三章は各1篇の共著論文としてすでに公表され、第四章は1篇の共著論文として公表予定であり、第一章は1篇の共著論文として投稿予定であるが、いずれにおいても論文提出者が主要な寄与をなしたものであると判断する。

 従って、論文提出者は博士(理学)の学位を授与するに値する者であると認める。

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