ショウジョウバエの気管系は、内部連結した管のネットワークであり、組織へ酸素を運ぶという機能を担っており、器官形成研究の良いモデル系の一つである。本論文は気管系形成に重要な役割を担う因子の一つであるFGF受容体をコードする遺伝子、breathless(btl)、の機能及び転写制御機構の解明を目指して行われた。本論文の最初の部分では、btl遺伝子の転写単位、変異体の作製、最小エンハンサー領域の特定等、btl遺伝子の基本的な性質が述べられている。DNAクローンの解析によりbtl遺伝子座の物理地図を詳しく作成し、さらに5’RACEによりbtl遺伝子には開始点の異なる二つの転写単位あることを明らかにした。btlの第二転写単位のすぐ上流に挿入したP因子を利用してbtl欠損変異株が作成された。これら変異体での障害はbtlのゲノムDNA断片やcDNA断片を個体に戻すことで除去された。btlの最小エンハンサー領域は、2つの転写開始点の間に位置しており、その活性化にはTrh,Sim等のbHLH-PAS蛋白質の活性が必須であった。エンハンサーの最小領域の決定には、繰り返し個体レベルのエンハンサー・アッセイを行う必要があった。最終的に約200塩基からなる領域を決定し、そこにTrh,Simが結合すると脊椎動物の実験から予測された標的配列が3つ見い出された。 次いで本論文では、これらの標的配列が、btlの活性化に必要であることをreverse geneticsにより示し、更に実際にTrh,Simが、dARNTとダイマーを形成し結合することを生化学的に示した。またこの過程で、新にショウジョウバエarnt遺伝子darntをクローニングし、更にその欠損変異の表現型の解析を行った。3つの予想標的配列の配列を変え、それを個体に戻してみるとTrachea及び正中線特異的なbtlの活性は失われた。一方、標的配列を含む小DNA断片にレポーター遺伝子をつなぎ個体に戻すとbtlのTrachea及び正中線特異的発現を再現できることが分かった。darntをヒト遺伝子をプローブとして単離し、大腸菌で発現させ、その蛋白質を同様に得られたTrh,Sim蛋白質、標的配列と混合しゲル・シフト・アッセイを行った。その結果、dARNTとTrh,Simがダイマーを形成し標的配列を認識し結合することが明確になった。darntが生体内で実際に機能しているならば、その欠損によりTrachea及び正中線の形成が、おかしくなるはずである。実際そうであることをUAS-darntをbtl-Gal4でドライブすることで証明した。尚、胚期におけるdARNT RNAの分布を調べてみると、初期胚では一様であった。 本論文の後半では、気管系発生過程におけるbtl転写産物の空間的、時間的発現パターンに関するまとめと、後期発現の調節機構についての実験が述べられている。btlの発現は胚発生ステージ10前後から気管系前駆細胞において始まる。まず気管系前駆細胞は内部に陥入し、6つのprimary branchを形成する。btlは胚発生ステージ11まで一様に発現し、これらのはTrh,Sim、dARNTに依存していた。ステージ13頃にbtlの発現は、6つのprimary branchの先端細胞に限局された。この後半の発現はTrh,Sim、dARNT以外の因子によって活性化されているおり、さらなる解析で、その局在的発現は、DPPシグナリング、EGFシグナリング、Branchlessシグナリングに依拠していることが判明した。前後方向に伸長するるdorsal trunkにおけるbtlの転写はSpaltにより抑制されており、さらにSpaltの発現は、EGFシグナリングにより正に、DPPシグナリングにより負に制御されていた。Branchless(Btl)は、btlのリガンドであり、primary branchの先端近傍で発現している。bnl変異体では後期btlの発現が消失した。一方、bnl異所発現でbtl発現が著しく増加した。これらの事実は、Btlの後期発現がBnlによる正のフィードバックにより制御されていることを示している。この発見は、Btlの局所的活性化の一つの機構を示しており非常に重要である。 なお、本論文は西郷 薫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |